第50話 最弱剣士と協会の聖女
「じゃあ、アンドウ君。今日の泊まり、よろしくね」
シェンドナー医師は親指を立てる。
「二度目だから大丈夫だとは思うけど、何かあったら鈴を鳴らすんだよ?直ぐに警備担当がやって来るから」
「はい」
「……アンドウ君」
「はい」
「この前から、なんだか元気がないけど……何かあった?」
「……」
「数日前から、アンドウ君の様子がおかしかったのには気付いていたよ。なるべく触れないようにしていたけど……少し、心配になってね」
「すみません……」
安藤は頭を下げる
「俺は、大丈夫です。ご心配を掛けて、申し訳ありません」
「……そう」
シェンドナー医師は、「うん」と頷く。
「何かあったら、言ってね。いつでも、相談に乗るから」
シェンドナー医師はそう言って、診療所を後にした。
***
眠れない。
深夜になっても目が冴え、眠ることが出来ない。
横になっていた安藤は起き上がり、ベッドに腰を下ろす。そして、「はぁ」とため息を付いた。
「何かありましたか?」
安藤を労わる優しい声が聞こえた。
隣に視線を向けると、いつの間にかホーリーが座っている。
「ホーリーさん……」
「今晩は」
ホーリーはニコリと微笑む。
「今日は、あまり驚かれないのですね」
「……二度目ですから」
安藤が驚かなかったのは、「もしかしたら、今日もホーリーさんは来るかもしれない」という予感があった事と、もう一つ。
驚く気力がないからだ。
「何かありましたか?」
ホーリーは再び安藤に尋ねる。
「……」
長い沈黙の後、安藤は静かに口を開いた。
「由香里と別れました」
***
「私達、別れよう」
安藤が「別れて欲しい」と言ったその日に、三島はあの家から出て行った。
「俺が出ていく」と安藤は言ったが、三島は自分が出ていくと聞かなかった。
「栽培している薬草は、水をやるだけで育つように魔法を掛けておくね」
三島は家で栽培している薬草に魔法を掛けると、「じゃあね」と言って、そのまま家から出て行った。まるで、買い物にでも出掛けるような気軽さで。
行先は、教えてくれなかった。
「そうですか……」
話を聞いたホーリーは、自分の顎に手を添える。
沈黙が流れる中、安藤が言った。
「ホーリーさんの言う通りでした。やっぱり、由香里は俺の事を愛していなかったみたいです」
安藤が三島に「別れて欲しい」と言った時、三島は表情を変えなかった。
そして、別れる理由をどうしても言うことが出来ない安藤を見て、三島は微笑んだのだ。
その笑みを見て安藤は、
「ああっ、やっぱり由香里は俺の事を愛していなかったんだな」
と確信した。
「きっと、由香里はずっと前から俺と別れたかったんです。でも、言うことが出来なかったんでしょう。だから、俺の方から別れたいって言ったら、喜んで笑ったんです。由香里は、『やっと、この人と別れることが出来る』そんな風に思ったんだと思います」
「……」
ホーリーは静かに安藤の話を聞く。
「俺は、最低な人間です」
安藤は、自分の膝の上でグッと拳を握った。
「由香里に『別れたい』って言った時、俺は心のどこかで由香里に『別れたくない』って言われるのを期待していました。でも由香里は『別れたくない』とは言わなかった。それが……思いのほかショックだったみたいです」
「ユウト様」
「自分が裏切っておいて、そんな期待をするなんて、最悪ですよね」
俯く安藤の手をホーリーは優しく握った。
「貴方が今、苦しんでいるのは私のせいです」
ホーリーは続ける。
「もし、私がユウト様の前に現れなければ、今もまだユウト様は奥様と別れることなく、一緒に暮らしていたでしょう」
「ホーリーさん……」
「ユウト様、私を恨んでいますか?私に怒りを覚えますか?」
「……」
安藤は、顔を上げた。
そして、ゆっくりと首を横に振る。
「いいえ、俺は貴方を恨んではいません」
それは、安藤の本心だった。
安藤が三島と別れるきっかけを作ったのはホーリーかもしれない。だけど、それで彼女を恨む気持ちにはならなかった。
ホーリーの誘惑を拒絶することが出来なかったのは、自分のせいだ。
三島が居るにも関わらず、ホーリーを受け入れたのは自分なのだ。
「結局、悪いのは全部俺なんです」
安藤は暗い笑みを浮かべる。
「それに、由香里が俺のことを愛していなかった以上、多分、俺と由香里はいずれ別れていたと思います……」
だから、ホーリーさんを恨んでなんかいません。安藤はホーリーにそう言った。
「貴方は優し過ぎます。ユウト様」
ホーリーは安藤の手を自分の唇に寄せ、軽く口付けをした。
「私はそんな貴方が、狂おしい程欲しい」
ホーリーは澄み切った目で安藤を見つめる。
「ユウト様、私と結婚しましょう」
ホーリーは安藤の手を握りながら、二度目のプロポーズをした。
「必ず、貴方を幸せにします」
「……」
安藤は目を閉じ、首を横に振る。
「出来ません」
安藤は、ホーリーの二度目の求婚を断った。
「俺は、由香里を裏切りました。そんな俺が結婚して、幸せになるなんて出来ません」
安藤は、ハッキリとそう告げた。
しかし、プロポーズを断わられたホーリーが戸惑いやショックを受けている様子はない。
ホーリーは安藤が二度目のプロポーズを断るだろうと予想していた。
そして、これからする三度目のプロポーズを安藤に受けさせる方法を既に見付けていた。
***
「ユウト様、それは違います」
ホーリーは安藤に強い口調で言う。
「ユウト様は結婚して幸せになるべきなのです。奥様のためにも」
ホーリーの思いがけない言葉に、安藤は目を見開く。
「どういう……ことですか?」
「ユウト様、もし、奥様……いえ、『元奥様』が、復縁されたいと申されたら、貴方は復縁されますか?」
「―――ッッ!そ、それは―――」
安藤は一瞬沈黙し「いいえ」と答えた。
「俺は、由香里を二度も裏切りました。あいつの傍には、もう居られません」
ホーリーは、頷く。
「でしたら、やはりユウト様は、私と結婚するべきです。『元奥様』が新しい相手と結ばれるためにも」
「……新しい相手?」
自分以外の誰かと三島が付き合う。その事を安藤は全く考えていなかった。
自分以外の人間が、三島と付き合っている光景など、安藤には想像も出来ない。
だが、考えてみればそれは当たり前のことだ。今の恋人と別れたのなら、新しい恋を見付けるのは至極当然のこと。
(由香里だって、俺と別れたのなら、当然、新しい恋をするだろう)
正直、由香里が別の相手と結ばれるなんて、考えたくもない。
しかし、由香里を裏切った自分に、そんな事を考える資格はない。
安藤はホーリーに尋ねる。
「だけど、俺が結婚する事と、由香里が新しい相手と結ばれる事になんの関係があるんですか?」
安藤の質問にホーリーは答える。
「もし、ユウト様が誰とも結ばれずに、ずっと一人で居れば、元奥様はどう思うでしょうか?」
「どうって……」
「『あの人はまだ私の事が好きなのかもしれない』そう思うのではないでしょうか?」
「―――ッ……それは……そうかもしれません」
「そうなれば、もしかしたら元奥様はユウト様ともう一度、やり直したいと思うかもしれません。しかし、ユウト様には元奥様と復縁される意志はない」
「……はい」
「ならば、ユウト様は私と結婚し、元奥様がユウト様に少しでも未練を残す事がないようにするべきです」
そう主張するホーリーに、安藤は反論する。
「俺が他の誰かと結ばれようが、結ばれなかろうが、由香里は気にせず新しい恋を始めると思います。由香里は俺の事を愛していないのだから」
「そうかもしれません。しかし……」
ホーリーは首を傾げる。
「それは、絶対でしょうか?」
「……ッ!」
「前にも言いましたが、完全にその人を理解する事は、相手の『心を読む魔法』でも使わない限り、絶対に出来ないのです。ましてや人の心は時間と共に変わる事があります。ユウト様、元奥様がこれから、ユウト様とやり直したいと思う事はない。と、断言できますか?」
「うっ……」
安藤は返事に詰まる。
(確かに将来、由香里が俺とやり直したいと思うことはない。とは言い切れない)
だけど、俺は由香里を二度も裏切った。万が一、由香里がやり直したいと思っても、俺は彼女の傍に居てはいけない。
ホーリーさんの言う通り、由香里が俺とやり直したいなどと、馬鹿な事を万が一にでも思わないように、俺はホーリーさんと結婚するべきなのか?
由香里が俺とやり直したいと思っても、ホーリーさんと結婚していれば、彼女は諦めるだろう。
そうすれば、由香里は俺みたいなクズよりも、ずっと良い人間と巡り会い、新しい恋を始める事が出来る。
そんな考えが安藤の頭の中に浮かぶ。
「ユウト様」
安藤が考えていると、ホーリーが話し掛けてきた。
「元奥様に関する事以外に、何か私と結婚出来ない。もしくは、結婚したくない理由はありますか?」
安藤は、他に何かホーリーと結婚出来ない理由を探す。
しかし、見付からなかった。
もう安藤にはホーリーのプロポーズを断る理由がない。
一度目のプロポーズを拒んだのは、三島が居たからだ。
恋人が居たからこそ、安藤はホーリーのプロポーズを受け入れることが出来なかった。
だが、安藤と三島は別れた。
二度目のプロポーズを断ったのは、三島を裏切った自分が幸せになるべきではないと考えたためだ。
しかし、自分が他の誰とも結ばれないことで、由香里が俺とやり直したいなどと思ってしまう可能性が、ほんの僅かでもあるのなら、それは避けるべきだ。
安藤はもう、三島を理由にホーリーのプロポーズを断る事は出来ない。
そして、三島の事以外に、安藤にはホーリーのプロポーズを断る理由はない。
何故なら、ホーリーと結婚する事は、安藤にとって良い事しかないからだ。
***
ホーリーは、とても綺麗で美しい女性だ。
その容姿に、安藤は何度も心を奪われた。
ホーリーは頭が良く、聡明で優しい。
安藤の不安を何度も見抜き、その度に不安を取り除いてくれた。
「貴方は『人を助けることが出来る』人間です」
ホーリーのその言葉に、安藤はとても救われた。
ホーリーは安藤を『運命の相手』だと言った。
確かに、ホーリーと一緒に居ると安藤の胸は自然と高鳴る。
一緒に買い物に出掛けた時は、とても楽しかった。
聖女であるホーリーは、多くの人を救う義務がある。
安藤と結婚したら、ホーリーは、一緒に多くの人を助けたい。と言っていた。
ホーリーと結婚すれば、こんな自分でも多くの苦しんでいる人や助けを求めている人達を助けられるかもしれない。
「ユウト様、私と結婚しましょう」
ホーリーは安藤に、三度目のプロポーズをした。
「必ず、貴方を幸せにします」
ホーリーは両手で安藤の手を優しく包むように握りながら、じっとプロポーズの返事を待つ。
「……」
安藤は考える。何度も何度も繰り返し、考える。
だが、やはり断る理由は、もうどこにもなかった。
自分の手を握るホーリーの手を、安藤は優しく握り返す。
そして……。
「はい、俺なんかで良ければ」
安藤はホーリーの三度目のプロポーズを受け入れた。
安藤優斗とホーリー・ニグセイヤ。
『最弱剣士』と『協会の聖女』。
この日、『運命の啓示』によって導かれた二人は婚約を交わした。
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