第26話 聖なる女性

「ご馳走様でしたぁ、おいしかったですぅ」


「それは何よりです」

 家に招き入れると、安藤は少女に料理を差し出した。料理を全て平らげた少女は目に見えて元気になった。

(良かった)

 安藤はホッとする。

 この様子なら、医者に診てもらう必要はなさそうだ。

「貴方は命の恩人ですぅ。本当にありがとうございましたぁ」

「いえいえ、大袈裟ですよ」

 安藤は食後の一杯にと、お茶の入った湯呑を少女に差し出す。

「温かくて、おいしいですぅ」

 少女がお茶を飲み終わったタイミングで、安藤は訊いた。

「ところで、どうして山の中に?」

「いやぁ、お恥ずかしいぃ」

 少女は顔を紅くして、照れる。

「実は、この山の中に私が探しているものがあるんですがぁ、探していたらぁ、途中で道に迷ってしまってぇ……」

「そうだったんですか……」

 安藤は少し考え、口を開く。

「よろしければ、探すの手伝いましょうか?」

「ふぇ?」

「どのようなものを探しているのか教えていただければ、俺も一緒に探しますよ?」

 不思議そうに、少女は首を傾げる。

「どうしてぇ、手伝ってくださるのですかぁ?」

「困っているようでしたら、助けになればと思っただけです」

「しかしぃ、今私はお礼できるものがなにもぉ……」

「いえいえ、そんなのいりませんよ。ただ俺自身がお手伝いしたいだけです」

 少女は口をポカンと開け……そして、フッと笑った。

「お気遣いありがとうございますぅ。でも、大丈夫ですよぉ」

 少女は笑顔で安藤に言う。


「探していたものは、もう見つかりましたから」


「―――ッ!?」

 少女の雰囲気が変わった。

 見た目は変わらないのに一気に大人の女性になったように感じる。

 しかし、それは一瞬の出来事だった。

「ですのでぇ、手伝って頂かなくてぇ、大丈夫ですぅ。ありがとうございますぅ」

「あっ、いえ……」

 少女の雰囲気は元に戻っていた。

 さっき感じたことは、気のせいだったのだろうか?と、安藤は思う。


「私、”協会”で働いているんですよぉ」

「そうなんですね」


 協会。


 確か、この世界で最も力のある宗教組織だと三島が話していた。

 世界中に信者がおり、”協会”の最高権力者の力は、一国の王をはるかに超えるとのことだ。


「私はぁ、神の教えを人々に伝えておりますぅ。忙しいですがぁ、とてもやりがいのある仕事なのです。はい」

「なるほど、立派なお仕事ですね」

「いえいえ、そんなぁ」

 少女は恥ずかしそうに頬を紅くする。

「あ、貴方はぁ、この山に……お一人でぇ?」

「いえ、二人で暮らしています」

「……奥様ですかぁ?」

「えっと、まぁ、そんなところです」

 本当は違うが、こう言っておいた方が良いだろう。この世界では十代の内に結婚することは珍しくない。

「そうですかぁ……こんな山の中ですから?」

「虫、ですか?いえ、あまり虫はでませんね」

「そうなのですかぁ?」

 少女は一瞬、目を伏せたが、直ぐに視線を安藤に戻した。

「こんなに優しくて素敵な人と居られてぇ、奥様は幸せですねぇ」

「いえいえ、そんな。僕より彼女の方が何百倍も素敵ですよ」

 安藤は、フゥとため息をつく。

「由香里……いえ、つ、妻は何でもできるんです。勉強も、スポーツも、魔法も、何でもできる。だけど、俺は何もできなくて……」

「……」

 安藤は少し俯く。

「何とか、自分に出来ることを探しているんですが、何もなくて。特技も何もないですし……自分は何も出来ない人間だなぁって、最近思ってるんですよ」

 安藤は「ははは……」と苦笑いをする。


「そんなことはありませんよ」


 安藤は驚いて顔を上げた。

 今度は気のせいではない。少女の雰囲気がそれまでとは、まるで違っている。


 後光でも差しているかのように、今の少女は神々しい。


「貴方は、私を助けてくれました。貴方は自分のことを何も出来ない人間と言いましたが、それは違います」

 少女は首を横に振ると、静かに言った。


「貴方は『人を助けることが出来る』人間です」


「―――ッ!」

 少女の思わぬ言葉に、安藤は目を見開いた。

「貴方は倒れていた私を助け、食事を出してくれました。それだけではなく、私が探し物をしていると知ると、無償で手伝おうとしてくださいました。その”優しさ”こそが、貴方の才能なのです」

「で、でも、それは……なんていうか当たり前の事じゃないですか?普通、目の前に困っている人がいたら、誰でも助けると思います……」

「素晴らしい」

「えっ?」

「貴方は、やはり素晴らしい人間です」

 そう言って、少女は優しい……慈悲深い表情で安藤を見る。

「貴方は”協会”の教えを知っていますか?」

「い、いいえ……知りません」

「”協会”の教えは、まさに今、貴方がおっしゃったことなんです」

 少女はニコリと微笑む。

「貴方は『目の前に困っている人がいたら助けるのは当然』と言いました。それはまさに我が協会が人々に教え、伝えていることです。貴方は我が協会の『愛』の教えを自然と実践している。素晴らしい」

 少女は安藤の手に自分の手をそっと重ねた。


「だから、そんなに自分を蔑まないでください。貴方はとても素晴らしい人間なのですから」


 少女の言葉が安藤の心を満たしていく。

「あ、あれ?」

 いつの間にか、安藤は泣いていた。

 目から次々と涙が流れ落ちる。


 その涙は、しばらく止まらなかった。


 ***


「す、すみません。みっともない所を見せてしまって」

「いいえぇ、気になさらないでくださぁい」

 いつの間にか、少女の表情や雰囲気は元に戻っていた。

「本当に送らないで大丈夫ですか?また迷われたら……」

「はい、大丈夫ですよぉ。道さえ教えてもらえばぁ、一人で戻れますぅ」

「そうですか……あっ」

 安藤は栽培してある薬草の一つを摘んだ。薬草の先には小さな白い花が咲いている。

 その薬草を少女に差し出した。

「よろしかったら、これ、持って行ってください。家で栽培している薬草です。病気や傷によく効きますよ」

「まぁ、ありがとぅございますぅ」

 少女は薬草を安藤から受け取る。

「ではぁ、お世話になりましたぁ……このお礼は必ず致しますぅ」

「そんな。お気になさらないでください」

「いいえ」

 少女の雰囲気がまたしてもガラリと変わる。


「このお礼は、必ずします」


 少女はニコリと笑った。その笑顔はまるで朝日のように温かい。

 安藤の胸がドキリと高鳴った。

「そういえば、貴方のお名前を聞いていませんでしたね。お伺いしてもよろしいでしょうか?」

「あっ、は、はい。もちろん」

 安藤はウウンと咳払いをする。

「あ、安藤……。俺の名前は、安藤優斗と言います」

「アンドウ・ユウト様ですね。覚えました。では、私の名前もお伝えします」

 少女はピンと背筋を伸ばし、安藤の目をまっすぐ見つめた。


「私の名前は『ホーリー』です。『ホーリー・ニグセイヤ』それが私の名前です」


「ホーリーさん、素敵なお名前ですね」

 安藤がそう言うと、ホーリーは嬉しそうに微笑んだ。

「では、またいずれ……あっ、私が此処に来たことは奥様には内緒にしていただいてもよろしいでしょうか?」

「えっ、まぁ、それはいいですけど……何故ですか?」

「人助けのためとはいえ、女性を家の中に入れたことを奥様が知れば、きっと嫉妬なさるでしょうから」

「由香里は……ゴホン、妻はそんなことを気にするような人間じゃないと思いますが……」

「そうなのですか?私はてっきり

「何故ですか?」

「そうですね……勘、ということにしておきましょうか」

「勘、ですか」

「はい」

「……分かりました。ホーリーさんが此処に居たことは秘密にしておきます」

「ありがとうございます」

 ホーリーは綺麗な動作で頭を下げる。

「では、またお会いしましょう」


 必ず。


 そう言って、ホーリーは山を降りた。


***


「ホーリーさん……か」

 ホーリーが去った後、安藤は自分の胸を押さえていた。

 さっきから、心臓の鼓動が早く、顔が熱い。

「綺麗な人だったなぁ……はっ、だ、ダメだ」

 安藤はブンブンと首を振る。

「俺には由香里がいるんだ。こんなこと考えちゃ駄目だ!」

 首を振る安藤の目に、家の外にある薬草が窓から見えた。

「でも、本当に綺麗な人だったよなぁ……それに、優しくて……いや、ダメだ。駄目だ。俺には由香里が……でも、綺麗な人だったなぁ」


 それから安藤は、三島が帰って来るまでの間、家の中で一人、悶々とし続けた。


 ***


「今日は、いつもより薬草が高く売れたよ」

「ああ、そうなんだ」

「だから、明日の夕ご飯はご馳走にするからね」

「ありがとう」

「優斗」

「うん、何?」


「今日、何かあった?」


 安藤は思わずお茶を吹き出しそうになったが、何とか堪えた。

「ど、どうして?」

「う~ん、なんだかいつもと様子が違うような気がして」

 ドキリと心臓が跳ねる。これが女の勘という奴か?

 何も悪いことはしていないのに、何故だが悪いことをした気になる。


 だけど、話すわけにはいかない。ホーリーさんとの約束だ。


「何もないよ」

「……そう。ならいいの。ごめんね」

「いや……」

「ところで、今度さ……」

 それから、会話は別の話題に移り、二人の夕食はいつものように終わった。


***


「じゃあ、お休み」

「お休みなさい」


 優斗は自分の部屋へ入っていった。

 それを見届け、私も自分の部屋へ入る。


「優斗、なんだか様子がおかしかったな」

 呼吸、目の動き、話す速度……優斗の様子は明らかにいつもと違っていた。


 もしや、誰かがこの家を訪ねたのではないかと、私は疑う。


 しかし、それはないだろう。

 家の周囲には、結界魔法を張ってある。普通の人間は家に入るどころか、家を見ることもできない。

 万が一、誰かが結界を破り、家の中に入ったとしても、私には直ぐにそれが分かるようになっている。


 私は念のため、”盗撮虫”が見ていた映像を脳内に再生させた。

 


 どうやら、私の心配は杞憂だったようだ。

 もし、誰かが優斗と一緒に家の中に居たというのなら、そいつは


 そんなことが出来るのは、私と同等か、それ以上の魔法を使える人間だけだ。


 そのような人間が、こんな山の中に来るはずがない。

 私は安心してベッドに横になると、明日の優斗との生活を思い浮かべながら、ゆっくりと目を閉じた。


***


「ホーリー様!」

「ただいま。ミケルド」

 協会に帰ってきた『聖女』、ホーリーは駆け寄ってきた従者の女性に笑顔を向ける。

「ただいま……ではありませんよ!皆さん、心配して……」

「ごめんなさい」

「イア国とラシュバ国の戦争で皆さま、ピリピリしています!ホーリー様はもっと聖女としての自覚を持って……」

「だから、謝っているではありませんか」

「いいえ、ホーリー様は分かっていません!ホーリー様が居なくなって怒られるのは私達従者なのですから!だいたい、ホーリー様はいつも……あら?」

 ミケルドはホーリーが手に持っている植物に目を向けた。

「ホーリー様、それは?」

「フフッ」

 ホーリーはクスリと笑う。

「ミケルド。一つ報告があります」

 ホーリーは慈悲深い表情で自分の従者を見た。ミケルドの顔が紅くなる。

「な、何ですか?」

「私、見付けました」

「見付けたって、何を?」

 ホーリーはニコリと笑う。


「私の結婚相手となる人です」

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