第二章

第25話 トラウマ

『好きです。大好きです。愛してます!』

『や、やめろ。やめてくれ……〇〇、やめろ!』

 〇〇は安藤の上に覆い被さり、首筋や顔、唇にキスを落としてくる。

『好きです。好きなんです』

『〇〇、やめろ、やめてくれ!』

 必死に抵抗しようとするが、安藤の体は動かない。拒絶の声を出すのが精一杯だ。


「愛しています。愛しています!」

「やめろおおおおお!」


「はっ!」

 目を開けると同時に、安藤は勢いよくベッドから跳び起きた。

 ベッドから跳び起きた安藤は周囲を見渡す。

誰もいない。

「夢……か」

 なんという生々しい夢だろう。今も体が熱い。

「あれは……誰だ?」

 相手の顔を思い出そうとするが、思い出せない。名前も同じだ。

 最近、似たような夢をよく見る。

(ダメだ。俺には由香里がいるんだ……どこの誰とも分からない相手と……あんな夢を見ては駄目だ)

 

 安藤は再びベッドに横になる。だが、先程見た夢を思い出し、中々眠ることが出来なかった。


***


 イア国、評議会議場。


「ラシュバ国のハイハロ軍、以前進軍中。ニケラディア鉱山まで迫る勢いです!」

「なんとしてでも死守せよ!絶対にあそこを奪われてはならん!何人死んだとしても必ず守り抜け!」

「はっ!」

「申し上げます!」

「今度はなんだ!?」

「バラアにてラシュバ軍による奇襲!死者、負傷者多数!」

「なにっ!?くそっ!コッケンの軍を向かわせろ!」

「かしこまりました!」


「くそっ、ラシュバの犬どもめ!」

「向こうの勢いが強い。まさかこれ程とは……」

「前王が殺されて、新王はその敵討ちに躍起になっているようだな」

「ラシュバ国の前王ニクケーチャは歴代の国王の中で最も優秀だと言われており、民衆の支持も厚かった。仇を取るために、多少の犠牲は止むなし、と考えているのだろう」


「魔女め!なんということをしてくれたのだ!」


「本当なのか?魔女がラシュバ国の王を暗殺したと言うのは……」

「まだ魔女の仕業と決まった訳ではない!」

「しかし、現場の遺留品を調べた所、魔女の仕業で間違いないと……」

「虚言だ!嘘に決まっている!」

「魔女の行方が分からないのは?」

「ラシュバ国の人間に殺されたか、連れ去られたのだ。そうに決まっている!」

「誰がそんなことを?」

「新王だ。新王が前王ニクケーチャを暗殺し、魔女にその責任を擦り付けたのだ」

「そんな……」

「いや、あり得ぬ話ではない。前王の暗殺を魔女のせいにすれば、自分が新しい王に即位したことを民衆に納得させることが出来る上に、我が国に攻め入る大義名分を得ることもできる」

「では、ラシュバ国は最初から、我が国と戦争をするつもりで?」

「うむ」

「ラシュバ国の『大魔法使い』も行方不明になっていると聞く。それも謀略だと?」

「そうだ!『大魔法使い』の失踪も、我が国のせいだと、いずれ発表するつもりなのだろう!」

「『大魔法使い』も民衆の支持は厚い。ラシュバ国はさらなる大義名分を得られるというわけだな」

「しかし、まだそうと決まった訳では……実際に魔女が王を暗殺していた場合、非はこちらに……」

「そう思わせることこそが敵の謀略だ!引っかかるな!」

「そうとも!それに……万が一、魔女が王暗殺に関わっていたとしても、降伏するわけにはいかぬ!」

「う、うむ」

「では、そろそろ軍事の話に戻りましょう。現在の戦局は?」

「一進一退、といった所でしょうか。勝ったり負けたりを繰り返しています」

「ふむ。なるほど」

「問題は軍事費です。武器、兵士への食糧などで財政がひっ迫しています。軍事費は既に国家予算の倍近くになっています」

「軍事国債をもっと発行しますか?」

「これ以上の借金は危険だ」

「だが、放っておけば武器も兵糧も尽きるぞ。そうなれば勝てん」

「くそっ、魔女が居れば……」

「居ないものは仕方がない。今、自分達に出来ることをやるべきだ」

「周辺諸国への援助の要請は?」

「もちろんした。だが、どの国も我が国の援助に慎重になっている」

「様子見、といった所か」

「幸い、ラシュバ国に味方している国もいないようだが……」

「協会は?」

「返事は来ていない」

「ううむ。協会の『聖女』やソウケ国の『大賢者』がラシュバ国側に付かないだけ、マシと考えるべきか……」

「いや、楽観は出来ぬ。今はまだ様子見だが、戦局がラシュバの方に傾けば……」

「協会もソウケ国もラシュバ側の味方に付く可能性がある……か」

「『聖女』と『大賢者』。魔女が居ない今、どちらか一方でも敵に回れば、この国は終わりだ」

「『聖女』も『大賢者』も、『魔女』や『大魔法使い』に匹敵する力を持っているからな……」


「やはり、この手しかあるまい」


「しかし、危険では?」

「確かに兵は増やせるが、もし『魔女』のような人間が何人もやって来たら……」

「リスクは承知の上だ。だが、戦争が長引けば長引く程、こちらが不利になる。『聖女』や『大賢者』が戦争に参加してくる前に短期で決着を付けるには、もはやこれしかない」

「そうだな」

「分かった……」

「よし、やろう!」

「儂は最初から賛成だ!」

「ふむ、ならば早速……おい!」

「はっ」

「我が国にある全ての『召喚場』に伝えよ!」


「『これより、可能な限り異世界から人間を召喚し、兵とせよ!』とな」


***

 

 協会、本部。


「ホーリー様、ホーリー様!」

「おい、居たか?」

「いや、居ない」

「どこに行かれたのだ?イア国とラシュバ国が戦争を起こした大変な時に……」

「戦況次第では協会の運営にも影響が出る。場合によってはイア国かラシュバ国、どちらかに味方するという選択もしなくてはならなくなるかもしれないからな」

「また、テレポートでどこかに出かけられたのか?」

「ううむ」


「ホーリー様が書かれた置き手紙が見つかりました!」

「何!?本当か!」

「何と書いてある!」


「そ、それが……」


『運命の啓示が来ました。私の結婚相手を探してきます』


「……」

「……その手紙、見せてもらってもいいか?」

「あっ、はい。どうぞ」

「うむ……本当に書いてあるな」

「まさか、こんな時に『運命の啓示』が来るとは……」

「確かに”あの方々”は代々、政略結婚などせずに自分で結婚相手を決めてきた。どんなに良い縁談でも皆それを断り、自分が選んだ人間との婚姻を繰り返した。どのように結婚相手を選んだのか尋ねると、皆、口を揃えてこう言った」


『運命の啓示が来た』と。


「しかし、何もこんな時に……」

「『運命の啓示』が来た”あの方々達”を止められた人間はいない。こうなった以上、一日でも早く戻って来てもらうことを願うしかあるまい」

「はぁ、本当にどこに行かれたのだ」


「『聖女様』は……」


***


 アイレン国、山中の家。


「つまり、魔法には『数学』の知識を応用することができるんだ」


 三島は黒板にチョークで文字を書き込んでいく。

「魔法にも数学のような公式がある。場所、時間、状況に左右されないピタゴラスの定理のような公式がね。特に二乗してマイナスになる『虚数』の概念は、魔法に大きく関わる」

 三島はさらに黒板にチョークで文字を書き込んでいく。

「私達が前に住んでいた世界でも、『虚数』は量子力学の計算に必要だし、電気回路を作るためにも必要になる。他にも『虚数』は多くの分野の計算で使われている。それと同じく『虚数』の概念を魔法に使えば、魔法の威力、精度を上げることが出来るんだ」

 三島はさらに黒板に書き込む。

「高校で習う虚数単位『i』を使った『z = a + bi』、つまり『複素数』ですら、魔法発動、威力に大きく影響する。例えば、闇魔法の場合……」

 三島は見たこともない計算式を黒板に書き込む。

「……という式が成り立つわけだ。ここまでは分かったと思うけど、ここからさらに、この応用で……」

 三島はチョークを置き、パンと手を叩いた。

「……と、なるわけ。理解できた?」

 笑顔で安藤に尋ねる三島。

 

 だが、ポカンとした表情の安藤の周囲には大量の『?』マークが浮かんでいた。


***


「まさか、異世界でも高校数学の知識が必要になるなんて……」


 安藤は頭を抱える。

 三島による魔法の授業の後、安藤は実際に自分が魔法を使えるかどうかを試してみた。

 だが、結果は散々だった。なんの魔法も発動させることが出来なかったのだ。

「なぁ、魔法を使うためには数学の知識が絶対いるのか?」

「うん」

 三島はあっさりと肯定する。

「魔法は、自分の魔力を魔法に変換させることによって、発動している。魔力を、発動したい魔法に変換するには、色々な知識と計算が必要になるからね。基本的な数学の概念が理解できてないと、小さな魔法すら発動させることはできない」

「マジかぁ……」

 安藤は嘆息する。数学の授業中「こんな知識どこで必要になるんだ?」と何度も思ったけど、まさか異世界で必要になるとは……。

「別の高校になってから、私、優斗に勉強教えてなかったもんね」

「うっ」

「優斗が大丈夫、大丈夫って言うから信じていたけど……優斗、勉強してなかったでしょ?」

「ごめん……」

「まぁ、いいよ。優斗が勉強していなかったのは知ってたし」

「……どうして?」

「私、?」

 三島はニコリと微笑む。

 これが恋人の勘ってやつか。と安藤は思った。


「でも、どうしたの?急に魔法を教えて欲しいだなんて」

「いや、まぁ……」

 安藤は気まずそうに首に手をやる。

「俺、武器を何も使えないだろ?でも、魔法なら使えるんじゃないかと思ったんだ。だけど、甘かった……」

「優斗……」

「仕事を探してもどこも雇ってくれない。今、金は全部、由香里が稼いでくれているだろ?そんなの悪いからさぁ……俺も魔法が使えれば、どこかで雇ってくれるかと思ったんだけど……やっぱり、『最弱剣士』って何もできないのかなぁ……」

 落ち込む安藤に三島は優しく微笑みかける。

「優斗はそんなこと気にしなくていいんだよ。全部私に任せていればいいの」

「由香里……」

「優斗は私の傍に居てくれればいい。私は優斗が此処に居てくれるだけでいいの」

「由香里」

「優斗」

 三島は静かに目を閉じる。

 数学は全く理解できない安藤だが、その行動の意図は流石に理解できた。

 安藤は三島に顔を寄せ、その唇にゆっくりと自分の唇を重ねた。

「んっ」

 そしてそのまま、安藤は三島の体を押し倒―――。










「せんぱい」



「ひっ!」

 激しい恐怖を覚えた安藤は、三島から飛びのくと、洗面所に走った。

「オエエエエ」

 そして、洗面所で何度も嘔吐いた。

「……優斗」

「ご、ごめん」

 安藤はガタガタと全身を震わせながら、心配そうに自分を見ている三島に頭を下げた。

「本当にごめん……お、おれ……また」

「ううん。いいんだよ」

 怯える安藤を三島は優しく抱きしめた。


 安藤は三島と肉体的に結ばれそうになると、いつもこうなる。

 キスをしたり、抱きしめ合ったりしたりする行為は平気なのだが、三島と本気で愛し合おうとすると、激しい恐怖が全身を走り、三島を拒絶してしまう。


「お、俺、一体どうしたんだ?し、信じてくれ。由香里が嫌いなわけじゃないんだ。ただ……自分でも分からないんだけど、怖くて……恐ろしくて」

「うん。いいの、気にしないで」

 三島は安藤の耳元でそっと囁く。

「私、ずっと待ってるから。大丈夫だよ」

「……ありがとう」

 安藤は体を震わせながら、三島を抱きしめ返した。


***


「ごめん、ありがとう」

「ううん。何かあったら呼んで」

「ああ」

 優斗をベッドに寝かせ、私は部屋を出た。


「ふぅ」

 優斗の部屋を出た私は思わず嘆息した。

「あの女……」

 私はあの女―――菱谷忍寄―――のことを思い出していた。

 厄介なことをしてくれたものだ。


 優斗がこの世界に来る少し前の記憶と、この世界に来てからの記憶は改変してある。

 

 優斗と私はデートの帰り道、トラックに跳ねられて死んだ。

 そして、私は優斗よりも一年ほど先にこの世界に来て、優斗は一年ほど後にこの世界に来た。

『最弱剣士』の烙印を押された優斗は、オークションに掛けられ、奴隷になろうとしていた。そこを私が助け、一緒に逃げた。

 そして、このアイレン国に亡命し、山の中に二人で暮らしている。


 と、いう記憶にした。


 当然、菱谷忍寄に無理心中させられたことも、この世界で菱谷忍寄にされたことも優斗は覚えていない。

 だけど、私は優斗の記憶を見て、あの女が優斗に何をしたのかを知っている。

 あの女は、”言霊の魔法”を使い、嫌がる優斗と無理やり肉体関係を結んだ。


 優斗は相当なショックを受けたのだろう。

 菱谷忍寄にされた記憶はなくしても、体はあの女にされたことを覚えている。

 だから、私としようとすると、体がそのことを思い出し拒絶するのだ。


 私は、優斗が毎晩のようにあの女の夢を見ることも知っている。

 脳の記憶はないため、顔や名前は思い出せないようだが、体が覚えている記憶が脳に影響を与えた結果、それが夢として現れているのだろう。


「だけど、それならゆっくりと時間を掛けて優斗を癒せばいい」

 少しずつ、時間を掛けて優斗の肉体からもあの女の記憶を完全に消す。

 私は安心だと、優斗の肉体に思わせる。

 今は、別々の部屋で寝ているが、いずれ同じ部屋で一緒に寝たい。

 優斗の肉体からもあの女の記憶が消えた時、私と優斗は結ばれるだろう。

 その時が、とても楽しみだ。


 私は、ある魔法を使った。視界が切り替わり、寝ている優斗の姿が見える。


 ”盗撮虫”。

 魔法により生み出した蚊よりもずっと小さな虫を対象者の傍に飛ばせ、その虫の目を通して、対象者を観察する魔法。


「やっぱり、優斗は可愛いな」

 寝ている優斗を私は”盗撮虫”の目を通して、ずっと観察し続けた。


***


「じゃあ、いってきます」

「いってらっしゃい」

「戸締りはちゃんとしてね。この山には危険な魔物は居ないけど、危険な人間はやって来るかもしれないから」

「ああ」

「知らない人を家の中に入れちゃだめだよ?」

「分かってるって、心配しなくていいよ」

「うん、じゃあね」

 三島は安藤の頬に軽くキスをして、どこかに消えた。


 二、三日ごとに、三島は山から下りる。

 三島は家の裏で薬草を栽培しており、それを薬屋などに売っている。

 三島の魔法により栽培された薬草を使った薬の評判はとてもよく、薬草はかなり高く買い取ってもらっているらしい。


「俺も何か仕事をしたいなぁ」

 安藤はポリポリと頭を掻く。

 今の所、二人で生活できているのは、全部三島のおかげだ。

本来ならとても難しい薬草の栽培だが、三島の魔法で薬草は完璧に管理されているため、安藤に手伝えることは何もない。

薬草を売る交渉事も三島は一人で完璧に行えるため、これも安藤が手伝う必要はない。


 しかし、これではあまりに申し訳ない。

 自分も一刻も早く何か仕事をしたい。と安藤は思う。

 

 だけど、異世界人で自分の身分を証明できるものがなく、何の特技もない安藤がすぐに働けるほど、世の中は甘くない。それは前の世界でも異世界でも同じだ。

 亡命したとなればなおさらだ。


 せめて、魔法でも使えたならと思うが、それも難しいということが昨日証明された。

「仕方ない。自分が出来ることをするか」

 安藤は家の掃除を始める。家の中も三島の魔法で掃除されているので、安藤がワザワザ掃除をする必要はない。だが、あまりにも手持ち無沙汰だ。

「薬草の様子でも見るか。まぁ、由香里の魔法で管理されてるから、別に見なくてもいいんだけど……」

 暇を持て余した安藤は薬草の様子を見る。魔法で管理されている薬草には、虫の一匹も付いていない。

 さて、困った。本格的にやることがなくなったぞ。

「もう一度、勉強して魔法が使えないか試してみるか」

 よしっ、と安藤は気合を入れた。


 その時だ。


「わぁ!」

「えっ?」

 間抜けな声が聞こえた。安藤が驚いて声がした方を見ると、そこに誰かが倒れていた。

「ちょっ、だ、大丈夫ですか!?」

 安藤は慌てて、倒れている人物に駆け寄り、抱き起した。


 倒れていたのは、少女だった。


 歳は安藤と同じか、少し下といった所だろうか?白いローブを身に纏い、手には杖のような物を握っている。

「しっかりしてください!」

 安藤が呼び掛けると、少女はうつろに目を開いた。少女はじっと安藤を見つめる。

「綺麗……」

「えっ?」

「見付けました」

「あ、あの?」。

「いやぁ、私、森の中で迷ってしまいまして、ずっと何も食べていないのですよ。はい……」

「えっ!?そ、それは大変だ。家に寄ってください。食べ物が……」

 そこまで言った安藤は、三島の言葉を思い出した。

『知らない人を家の中に入れちゃだめだよ?』

(ごめん、由香里)

 倒れている人間を放っておくことなど、安藤にはできない。


「家に寄ってください。水と食べ物がありますから」

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