第68話 ブラッディ・ウエディング⑮
安藤の頭に、真っ先に浮かんだのは、ホーリーだ。
(本当なら、俺は今日、ホーリーさんと結婚式を挙げるはずだった。だったら、ホーリーさんを選ぶべきなんじゃないか?)
しかし、安藤がホーリーと結婚しようと決めたのは、恋人だった三島と別れたからだ。
『由香里は、本当は俺のことが好きではない』と思ったからこそ、安藤は三島と別れ、ホーリーと結婚する道を選んだ。
だが、それは違っていた。
三島は変わらず、安藤を愛している。
(俺が今までずっと好きだったのは、由香里だ)
昔からの幼馴染で、安藤は三島のことがずっと好きだった。
少し前の安藤なら、迷わず三島を選んでいただろう。
しかし、今の安藤は、三島に対して不信感を抱いている。
三島は、安藤の目の前でホーリーを含め、五人の人間を殺した。ホーリーは蘇ったが、他の四人は死んだままだ。
そして、三島は菱谷と、再びホーリーを殺そうとしている。
安藤の記憶にある三島由香里は優しく、簡単に人を殺す人間ではない。
菱谷は言った『先輩もあの女に記憶を消されているのですね』と。
三島自身も安藤から菱谷の記憶を消した。と言っていた。
安藤は今日、初めて三島が記憶を操る魔法が使えることを知った。
そして、三島が安藤から『菱谷に関する記憶』を消していたことを知った。
菱谷との間にあったことは、安藤にとって、酷いトラウマとなっている。
三島はその苦しみから安藤を救うために、『菱谷に関する記憶』を消したのだろうということは、安藤にも分かる。
しかし、三島が消したのは『菱谷に関する記憶』だけなのだろうか?
(もしかしたら、由香里はこれまでも俺から記憶を消していたんじゃないか?)
そんな疑念が安藤の中に生まれていた。
そして、一度湧いた疑念は、さらに新しい疑念を生む。
(今まで、俺が由香里と過ごした記憶。あの記憶は本物なのか?)
安藤と三島が初めて出会ったのは小学三年生の時だ。そう安藤は記憶している。それからずっと、安藤は三島と過ごしてきた。
しかし、もしもその記憶が、偽物だったとしたら?
三島との想い出は、全て作られたものだとしたら?
安藤の背筋にゾッと冷たいものが走った。
***
結論から言うと、安藤の抱いている疑いは、誤っている。
三島が安藤から消したのは『菱谷に関する記憶』のみだ。
安藤が三島と出会った時の記憶に間違いはなく、三島と今まで過ごした記憶も、本物だ。
安藤は、三島が『人を殺せる人間ではない』と考えているが、その認識の方が誤っている。
三島はこの世界に来る前から、安藤との関係を邪魔する者は容赦なく排除してきた。
安藤が、三島は『人を殺せる人間ではない』と思っていたのは、単に三島が自身の狂暴性を安藤の前では、隠していただけに過ぎない。
だが、『人を殺せない』はずの三島が人を殺す所を見てしまったことで、安藤は、自分の記憶に疑念を抱いた。
それが、三島に対する不信感を生んでしまった。
***
(だったら、俺はやっぱり、ホーリーさんを選ぶべきなのか?)
ホーリーは安藤のことを『運命の相手』だと言った。安藤もそう感じることが何度もあった。
ホーリーは、美しく聡明だ。ホーリーと話すことで心が軽くなったし、安らぎを得ることも出来た。
それに、このまま『協会の聖女』であるホーリーを選べば、安藤は大勢の人を救うための手伝いをすることが出来る。
ホーリーを選べば、安藤は幸せになれるだろう。
だけど、本当にそれで良いのか?
ホーリーを選ぶことは本当に正しいのか?
安藤の頭に、もう一度、三島が浮かんだ。
(由香里は、確かにホーリーさんや他の人達を殺した。でも、だからといって、どうして、由香里が悪いと言える?もしかして、何か事情があったかもしれないじゃないか!)
例えば、『悪いのはホーリーさんの方だった』としたら?
(由香里は、俺よりもずっと、頭が良い。例えば、俺が知らない『協会の悪事』を由香里は知ってしまったのかもしれない。そして、『協会の人間であるホーリーさんから俺を守るために、由香里は彼女と他の人間を殺した』のだとしたら?)
もし、そうだとしたら……。
(俺が選ぶべきなのは、由香里だ!)
***
だけど、この考えが正しいかどうかを、どうやって確かめる?
(由香里やホーリーさんに質問したとしても、二人が本当の事を言っているかどうかなんて俺には分からない。それに、そんな時間は無い)
時間は無限に存在しない。
逃げ出した人間の通報で、今頃、式場の周囲は大勢の憲兵に取り囲まれているだろう。放っておけば、外から憲兵達がなだれ込んで来るのは時間の問題だ。
せっかく、三人が殺し合わずに済んだのに、今度は、憲兵達が殺されてしまう。
それだけは、絶対に避けなければ。
三島を選ぶべきか?
ホーリーを選ぶべきか?
安藤は悩む。
だがそこで、ふと思った。
(もし、俺が由香里かホーリーさんを選んだら、菱谷は、どうなる?)
***
安藤がこの世界に来る事になったのは、菱谷のせいだ。
菱谷が安藤と無理心中したせいで、安藤は向こうの世界で死んで、こちらの世界に来ることになってしまった。
こちらの世界に来てからも、『言霊の魔法』で肉体を操られ、無理やり関係を結ばされるなど、菱谷には散々な目に遭わされた。
菱谷が人を殺す所も、安藤は何度も見た。
そんな彼女を『最も愛しており、最も共に居たいと思う相手』に選ぶなど、到底考えられない。
だが、もし菱谷から安藤の記憶が消えてしまったら、菱谷はどうなってしまうのだろうか?
(ひょっとして……あの頃の菱谷に戻るのか?)
安藤が最初に出会った時、菱谷は今とは比べ物にならない程、静かで、大人しい性格だった。
もし、安藤の記憶が無くなれば、菱谷は、あの頃の菱谷に戻るかもしれない。
そうなったら菱谷は……誰かに、利用されるのではないか?
(由香里とホーリーさんは、精神が強い。俺の記憶を無くしたとしても、性格が大きく変わることは無いはずだ。誰かに利用されるということも無いだろう。だけど、菱谷は?俺の記憶を失ったら菱谷はどうなる?)
嫌な想像がよぎる。
菱谷は破格の魔法使いだ。彼女の力を利用したい人間は大勢いるだろう。
殺人や強盗などの犯罪行為。そして……戦争。
菱谷が前の静かで、大人しい性格に戻ってしまえば、きっと彼女は多くの人間に利用される。
そして、用済みになれば、今度は危険な存在として殺される。
菱谷を殺せる人間など、そう多くはないだろう。
しかし、不意を衝いたり、精神的に追い詰めて自殺させたりと、やり方が無いわけではない。
(ダメだ。そんなこと!)
菱谷を、犯罪や戦争の道具にさせてはいけない。何より、安藤は菱谷に死んで欲しくない。
酷い目には合ったが、安藤は彼女に死んで欲しいわけではない。
菱谷を誰かに利用されないようにするためには……。
安藤が、菱谷を選べば良い。
(俺が、菱谷を選べば、あいつから俺の記憶が消えることは無い。そうすれば、菱谷は今の性格のままだ)
今の菱谷は安藤のことしか考えていない。他の誰も信用していない。そんな菱谷が誰かに利用されることはないだろう。
勿論、安藤の記憶を失っても、菱谷が前の性格に戻ると決まったわけではない。
菱谷は、今の性格のまま、変わらないということも考えられる。
しかし、そうなれば、別の問題が起きる可能性がある。
それは、安藤の記憶を失った菱谷が、安藤以外の誰かを好きになった場合だ。
(俺の記憶を失えば、菱谷は、俺とは違う誰かを好きになるかもしれない。そうなれば、その人がまた、俺と同じような目に遭うことになるんじゃないか?)
菱谷は、新しく好きになった人物を『言霊の魔法』で支配しようとするだろう。
何より、菱谷はその人物のためと言って、また人を殺そうとするだろう。そうなれば、その人物は安藤と同じく、罪悪感で苦しむことになる。
見ず知らずの誰かを、自分と同じ目に遭わせても良いのか?
(いや、そんなことは出来ない!)
見ず知らずの誰かに自分と同じ苦しみを味合わせるくらいなら、自分がその苦しみを引き受ける。
安藤は、そういう人間だ。
安藤の記憶を失った菱谷が前の性格に戻るにせよ、戻らないにせよ、菱谷を選ばなければ、菱谷本人か、他の誰かが不幸になるかもしれない。
(菱谷や他の誰かを不幸にしないために、俺は菱谷を選ぶべきじゃないのか?)
菱谷は、安藤にとって『最も愛しており、最も共に居たいと思う相手』ではない。
だが、もしかしたら自分にとって、菱谷は『最も共に居なければならない相手』ではないのだろうか?
そんな考えが安藤の中に芽生え始めた。
安藤はさらに、悩む。
絶対に選ばないであろうと考えていた菱谷も、選択肢の中に入ってしまった。
***
(誰だ?俺は……誰を選ぶべきなんだ?)
三島か?ホーリーか?それとも……菱谷か?
悩む安藤は、自分の頭を手で押さえる。
すると、激しい頭痛がした。
安藤は『思い出した』。
そして、気付いた。自分が誰を選ぶべきか。
(そうだ。何を迷っていたんだろう。俺が選ぶのは、彼女しかいないじゃないか!)
迷いが消えた。
まるで霧が晴れ、日の光が見えたかのようだ。気分が明るい。
誰を選べば良いのか?誰を選ぶべきなのか?
それは、とても簡単なことだった。
(俺が一番、愛している女性を選べば良い!)。
―――俺は、彼女を選ぶ―――
安藤は、ゆっくりと息を吸い込むと、大きな声で彼女の名前を叫んだ。
「リーム!」
安藤は叫ぶ。
「俺は、貴方を選ぶ!俺が最も愛しているのは……貴方だ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます