第30話 雨

「ダメでした……」


 意気込んで挑んだものの、安藤は『クドラの剣』を岩から抜くことが出来なかった。肩を落としながら安藤はホーリーの元に戻った。

「頑張ったな、兄ちゃん!」

「今回はダメだったが、そのチャレンジ精神、忘れるんじゃねえぞ!」

「左様。挑戦する心が人を成長させるのです」

 周りにいる人達が安藤に向かって拍手を送る。

 マラソン大会でビリの人間に送られるような温かくて優しい拍手。安藤に拍手を送る人間の中にはホーリーもいた。

(やめてくれぇぇぇ、恥ずかしいぃぃぃ!)

 罵倒された方がまだマシだったかもしれない。安藤の顔が真っ赤に染まる。

「残念でしたね」

「何も言わないでください……」

 

 もしかしたら、何の能力もない自分でもこの剣を岩から抜けるのではないか?と考えたことが恥ずかしい。

 それだけではなく、剣を抜いた自分が周囲の人間から、

『う、嘘だろ?』

『この俺でも抜けなかったのに、なんであんな奴が!?』

『何者だ。あいつ!?』

『え、英雄復活だ!』

 と驚愕や賛辞の声を浴びせられるという、漫画や小説、映画などでよくある光景まで、一瞬妄想してしまった。


 だが、現実はこのありさまだ。恥ずかし過ぎて、今すぐこの場から逃げ出したい。

「凄く恥ずかしいです」

 顔を真っ赤にしながら俯く安藤に、ホーリーはクスリと笑う。

 しかしその後、ホーリーは意外なことを口にした。

「ですが、ユウト様が剣を抜けなくて少し安心しました」

「……どういうことですか?」

「実は『クドラの剣』には、岩から剣を抜いた者は英雄になるという伝説の他に、別の伝説があるのです」

「別の伝説?」

「『クドラの剣』を岩から抜いた者は、次に来る災厄から人々を守る英雄になるのではなく、『世界を支配する怪物になる』という伝説です」


 ホーリーの顔から笑顔が消える。真剣な彼女の表情に安藤は思わず息を飲んだ。

「もう一つの伝説によると、英雄アザーが『クドラ』を倒した時、『クドラ』の邪悪な魂がアザーに乗り移ってしまいました。アザーに乗り移った『クドラ』は死んだ自らの肉体で『クドラの剣』を作らせ、剣を岩に突き刺しました。『クドラ』はアザーの肉体が死ぬと、アザーの肉体から剣に魂を移し、待つことにしたのです。自分を使いこなせる『邪悪な心の持ち主』が現れるのを」


 そして、『クドラ』の魂の宿る剣を岩から引き抜いた者は、世界を支配する怪物になる。


「と言われています」

「そ、その話は知りませんでした」

「この話は一部の地域にしか伝わっていません。ほとんどの本には載っていませんから、ご存じなくても無理はないです」

「そうなんですか……」

 ほとんど本に載っていない話を知っているのは、ホーリーが協会の関係者だからだろう。

「もし、こちらの伝説の方が真実なのだとしたら、『クドラの剣』を岩から抜けるのは『純粋な心の持ち主』ではなく、『邪悪な心の持ち主』ということになります。ですから私は安心したのです」

 ホーリーの顔に笑顔が戻る。彼女はその笑顔を安藤に向けた。

「ユウト様が『邪悪な心の持ち主』ではなくて」

「―――ッ……そ、それはどうも……」

 なんとなく恥ずかしくなって、安藤は顔を伏せた。


「えっと、じゃあ、俺そろそろ帰ります」

 安藤の言葉に、ホーリーは目を大きくする。

「えっ……もう……帰られるのですか?もう少し、よろしいのでは?」

「いえ、プレゼントも頂きましたので……」

 色んな場所を回ったので、時間を忘れていたが、そろそろ日が沈む時刻だ。

 この辺りで切り上げた方がいいだろう。

「そうですか……仕方がありませんね。では、テレポートで家までお送りします」

「ありがとうございます。今日はとても楽しかったですよ」

「本当ですか?」

「はい、もちろん」

「よかった」

 ホーリーはポツリと何かを唱える。おそらくテレポートの呪文だろうと、安藤は思った。


 その時だ。今まで晴天だった空が突然、曇りだした。

 そして、凄まじい量の雨が降ってきた。


「雨!?」

「わぁ、結構強いぞ!」

 突然降りだした雨は、あっという間に豪雨になる。その場にいた人々は皆、慌てて家の軒下などに避難した。

「私達も行きましょう」

「は、はい」

 安藤とホーリーも雨を凌げる場所を探す。

「あそこで雨宿りできそうです」

 ホーリーが安藤の手を引く。やっと雨を凌げる場所に避難できた。

 しかし、既に二人ともずぶ濡れだ。

「参ったな。突然、雨が降るなんて……」

 さっきまで、雨が降る気配など微塵もなかったのに。

(まぁ、前の世界でもゲリラ豪雨とかあったもんな)

 安藤はホーリーに目をやる。

「大丈夫ですか?」

「はい、何とか」

 ホーリーは顔を上げ、安藤を見る。

「―――……ッ!」

 その姿に安藤は息を飲んだ。


 全身が濡れたホーリーの姿は、先程までの爽やかな印象とは打って変わっていた。

 濡れた髪やなまめかしく、何とも言えない色香を放っている。

 服は透け、うっすらと白い下着が見えてしまっていた。


 安藤はホーリーから視線を外す。ジロジロ見ていたら、彼女にとても失礼だ。

 なにより、これ以上見ると変な気分に……。

「私達、ずぶ濡れですね」

「は、はい」

「買ったばかりの服が、こんなに濡れてしまいました」

「そうですね……」

「ユウト様?どうして、目を逸らされるのですか?」

「そ、それは……えっと……」

 安藤は、ウウンと咳払いする。

「あっ、そうだ。ホーリーさんテレポートを……」

「申し訳ありません。ユウト様。私は今、テレポートが使えません」

「えっ?どうしてですか?」

「雨の日は空間にノイズが多く混じるので、テレポートが出来ないのです」

「そうなんですか……じゃあ、テレポートで濡れていない服を持ってくるなんてことも……」

「出来ません」

「……そうですか」

 安藤は少し考える。

「じゃあ。魔法で服を乾かせませんか?」

 魔法は戦場で武器になるものから、日常に使えるものまで、多種多様だ。服を乾かせる魔法ぐらいあるだろう。

 だけど、ホーリーはまたしても頭を下げる。

「私、服を乾かせる魔法が使えないんです」

「えっ?あっ、そ、そうですか……」

「はい。申し訳ございません」

「あっ、いえ、謝らないでください。出来ないのなら仕方ありません!」

 安藤は慌てて両手を振る。

 テレポートが出来るのに服を乾かす魔法が使えないというのもなんだか変だけど、本人が出来ないと言うのなら、出来ないのだろう。

「しかし、困りましたね……」

 このままでは二人とも風邪を引いてしまう。どうすれば……。

「あの……」

 ホーリーは安藤の服の裾を引っ張る。

「中に入りませんか?」

 ホーリーは自分達二人が雨宿りをしている建物を指差した。

 安藤は「あっ」と声を漏らす。


 雨を凌ぐことしか考えておらず、この建物が何かということまでには頭が回っていなかった。

 二人が雨宿りをしている建物は、宿だった。三階建ての、観光者などが泊まる宿だ。


「このままでは、二人とも風邪を引いてしまいます。どうか」

 ホーリーの言う通り、このまま此処に居ては二人とも風邪を引く。

 自分はともかく、ホーリーに風邪を引かせるわけにはいかない。

「分かりました。中に入りましょう」

「はい」

 そうして、安藤とホーリーの二人は宿の中に入った。


***


 宿の中には一人の老婆が受付をしていた。安藤は老婆に雨が止むまで宿の中に居てもいいか尋ねる。すると老婆は首を横に振った。

「うちは宿屋だ。雨宿り屋じゃない。此処に居たいのなら、金を払って泊まりな」

 言葉は少々荒いが、老婆の言うことはもっともだ。

 雨は止む気配がない。おそらく、今夜はずっと降り続けるだろう。

「どうします?」

「私は構いません。泊めてもらいましょう」

「……分かりました」

 安藤は老婆に泊まれる部屋があるかどうか尋ねる。


「えっ?泊まれる部屋が一人部屋しかない!?」

「ああ、そうだ。今泊まれる部屋は一人部屋しかないよ」

 安藤は頭を抱える。一人部屋ということは、当然ベッドも一つしかない。

 となると、一つのベッドで二人が寝ることに……。

 いやいや、そんなのダメだ!

「何とか、二人部屋に泊まれませんか?」

「無理だね。一人部屋以外は全部埋まっているよ。今の時期に一つ部屋が空いているだけでも奇跡さ」

「そうですか……」

 泊まれる部屋は一つしかない。どうする?今から別の宿を探すか?

 でも、外は豪雨だ。この雨の中、またホーリーを連れ出すわけにはいかない。

「なんだい?何を悩んでいるんだい?あんたらは、恋人か夫婦だろ?だったら一人部屋でも問題ないじゃないか。うちの宿のベッドは広いから、詰めれば二人でも十分寝られるよ?」

「あっ、あの、俺達は恋人でも夫婦でも……」

「その部屋に泊まりましょう。ユウト様」

 ホーリーが安藤と老婆の会話に入ってきた。

「このままでは二人とも風邪を引きます。今は、一刻も早く着替え、体を温めるべきだと思います」

「ホーリーさん。でも……」

「この方のおっしゃられる通り、今の時期はどこの宿も埋まっています。空いているその部屋も、他のお客さんがやって来たら直ぐに埋まってしまうでしょう」

「う~ん」

「ユウト様」

「……分かりました」

 安藤は決めた。受付の老婆にお金を渡す。

「空いている部屋に一泊します」

 受付の老婆はニヤリと笑い、金を受け取る。

「ほら、これが部屋の鍵だ。部屋は三階の角部屋だよ」

「ありがとうございます」

 鍵を受け取ると、安藤はホーリーと一緒に階段を昇る。すると、後ろから老婆が大声で叫んだ。


「今夜は、いっぱい楽しみなよ!」


 安藤は後ろを振り向き、老婆を睨んだ。老婆はニヤニヤ笑っている。

 老人に強い怒りを覚えたのは生まれて初めてだった。

「……行きましょう」

「はい」

 安藤はズンズン階段を昇る。恥ずかしくてホーリーの顔を見れない。


 階段を昇りながら、安藤は思う。

(よく考えたら、別に二人でベッドに眠る必要はない。ホーリーさんをベッドに寝かせて俺は椅子や床に寝ればいいのだ。宿だから予備の毛布ぐらいあるだろ)

 うん、そうだ。そうしよう。

(そもそも、俺はホーリーさんとそんな関係になるつもりは全くない。ホーリーさんだってそうだろう。俺とホーリーさんはまだ出会って一日も経っていないんだ)


 ホーリーさんが俺に恋愛感情を抱くはずがない。


 冷静になれば慌てることなど何もなかったのだ。ただ一晩だけ、同じ部屋で眠る。それだけだ。何も問題はない。

 そう考えると、安藤の気持ちが少しだけ楽になった。


 しかし、安藤は間違えていた。


 出会ったばかりだから、自分にそんなつもりがないから……ホーリーとそのような関係になることはない。だが、それはあくまで『安藤の考え』なのだ。

 安藤はホーリーも自分と同じことを考えているに違いないと思い込んでいたが、それは間違いだった。


 ホーリーは安藤とは、反対のことを考えていた。

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