第31話 聖女の誘惑①

 安藤とホーリーは、三階の角部屋まで来ると渡された鍵を使い、中に入った。


「中は結構広いんですね」

「……そうですね」

 ホーリーの言う通り、一人部屋にしては広い。だが、安藤は別のことが気になった。

(やっぱり、ベッドが一つしかない)

 部屋の中心に置かれたベッドは、受付の老婆が言っていたように一人用にしては広い。詰めれば二人でも寝られるスペースは十分にある。


(いや、いや、二人で寝ることはない。俺は床に寝るのだから)

 安藤は頭を振る。

「ユウト様」

「は、はひっ!」

 不意に名前を呼ばれ、声が裏返ってしまった。

「ど、どうしました?」

「お風呂はどうしますか?」

 風呂……そうだ。濡れた体を温めるためにも風呂に入る必要がある。

「ホーリーさんが先に入ってください。俺は後で入ります」

「いいのですか?」

「はい、もちろん」

「では、お先に」

 頭を下げ、ホーリーは風呂場に消えた。

「さてと」

 部屋の隅に、小さなストーブがある。ストーブに火を点けると、徐々に熱を帯び始めた。温かい。

「これで服を乾かすか……」

 部屋の中には、服を吊るすための紐がある。安藤は自分の服を脱ぎ、その紐に服を吊るした。時間は掛かるが、ストーブの熱で服が乾くだろう。

 乾かそうと吊るしてあった服がストーブの上に落ちて、火事になることがあると前の世界で聞いたことがある。ストーブの上に服が落ちないように注意しなければ。

 服を乾かしている間、安藤はベッドの上に置いてあった部屋着に着替えた。

 他にすることもないので、ストーブの火を眺める。外は相変わらず凄い雨だ。


「お待たせしました」

 しばらくすると、ホーリーが風呂から上がってきた。

「あっ、いえ。お気に……」

 なさらないでください。そう言おうとしたが、安藤はそれ以上の言葉を続けることができなかった。


 ホーリーは、バスローブを一枚だけ身に纏った姿で現れたのだ。

 

 スラリと伸びた生足が見える。

 バスローブ一枚だけでは、大きく膨らんだ胸を全て覆うことは出来ないのか、開いた隙間から胸の谷間も見えた。

 ホーリーの体からはまだ若干湯気が出ており、顔はほんのりと紅い。

「申し訳ありません。こんなはしたない格好で……代わりの服がなかったもので……」

「あっ!」

 迂闊だった。ここは一人部屋だ。当然、部屋着も一人分しかない

「す、すみません。俺が部屋着を着てしまって……俺は脱ぎますので、ホーリーさんはこれを……」

「私は大丈夫です。それはユウト様が着ていてください」

「ですが……」

「ユウト様が着ていてください」

 ホーリーは頑として譲る気はない。安藤はしぶしぶ折れた。

「分かりました」


 ホーリーも安藤と同じように、脱いだ服を紐に吊るす。

 先程、購入したばかりの白い服。そして、白い下着も一緒に吊るした。 

 バスローブを纏うホーリー。そして、吊るされた下着。部屋の中には見てはいけないものばかりだ。目のやり場に困る。

「じゃ、じゃあ、俺も風呂に入ってきますね!」

 耐えられなくなった安藤は、「はははははっ」と乾いた笑い声を出しながら風呂場に消えた。


「落ち着け、落ち着け……」

 湯船に浸かりながら、安藤は小声で何度も呟く。

「大丈夫だ。一晩だけ一緒に居ればいいだけだ。俺は何もしない。大丈夫だ。大丈夫……」

 安藤は何度も何度も繰り返し、自分に言い聞かせる。

(そういえば、さっきまで、ホーリーさんも同じ湯船に浸かっていたんだよな……)

 体温が上がる。安藤はバシャンと自分の顔にお湯を掛けた

(馬鹿か、俺は!気持ち悪いことを考えるな!ホーリーさんに失礼だろ!)

 安藤は手早く体を洗い、急いで風呂から上がった。


「早かったですね。温まりましたか?」

 ホーリーは、部屋の中に一つしかないベッドの上に座っていた。

 安藤は思わず息を飲む。

「あっ、はっ、はい!」

 引きつった顔で安藤は近くの椅子に座った。ホーリーと目を合わせないように、意味もなく壁を見つめる。


 そこで、安藤は部屋の中に甘い香りが漂っていることに気付いた。


「この匂い……」

「そのキャンドルの匂いですよ」

 テーブルの上にはキャンドルが一つ置いてあった。この世界にもキャンドルがあるらしい。

「このキャンドルには魔法が込められており、普通のキャンドルよりも良い匂いを部屋の中に漂わせられます。先程、町で買いました」

「そうだったんですね」

 キャンドルの炎が幻想的に揺れる。

 確かに良い匂いだ。甘く、まるで花のような香り……。

(あれ?なんだろう?なんだか体が熱くなってきたような……?)

「ユウト様」

「はい!」

「ひとつ、ユウト様にお尋ねしたいことがあります」

「な、なんですか?」


「ユウト様は、この世界の人間ではありませんね……?」


「えっ!?」

 安藤は驚いて、ホーリーを見た。バスローブに身を包んだホーリーがベッドの上からこちらを見ている。安藤は、咄嗟に顔を逸らした。

「ど、どうして分かったんですか?」

 ホーリーはクスリと笑う。

「ユウト様は正直ですね」

「あっ……」

 しまった!異世界の人間だということは黙っていた方が良かったのか?

「えっ、えっと、あの……」

「大丈夫ですよ。異世界の人間だからといって、どうということはありませんから」

「そ、そうですか……?」

 安藤はホッとする。

「でも、どうして分かったんですか?俺が異世界から来たって」

「一つ目は名前ですね。アンドウ・ユウト様。こちらの世界ではとても珍しい名前です」

「あっ……なるほど」

 この世界にも様々な名前があるだろうが、異世界の人間の名前は、特に珍しいのかもしれない。

「二つ目は、オーラです」

「オーラ?」

「生き物の体からはオーラと呼ばれる『気』が微弱ながら出ています。私はそのオーラを見ることが出来るのです」

 ホーリーによるとオーラは人によって色や形、大きさが違うのだという。

「私は何人か異世界から来た方とお会いしたことがあります。その方々は皆、同じ特徴のオーラを出していました。ユウト様もその特徴をお持ちなのです」

「なるほど、だから俺が異世界の人間だと」

「はい」とホーリーは頷く。


「ユウト様のオーラはとても心地良いです」


 ホーリーはニコリと微笑む。

「異世界から来た方も含め、今までお会いした人々の中でユウト様のオーラが一番心地良いです。優しくて、温かくて……色で例えるなら『緑』でしょうか?私は……」

 ホーリーは一拍置いて、口を開く。


「私は、ユウト様のオーラをとても愛しく感じます」

 

「―――ッ!」

 安藤の胸がドクンと大きく跳ねる。


 今のは……『告白』ではないのか?


(いや、待て、違う。落ち着け、勘違いするな……)

 単なる社交辞令だ。きっとそうだ……。

 だから『ひょっとして、ホーリーさんは俺のことが好きなのでは?』などという、恥ずかしい勘違いをするな。

 そんなこと、あるはずがない。


「ユウト様」

 安藤が色々考えていると、ホーリーがもう一度、話かけてきた

「……せんか……」

「えっ?」


「こちらに来ませんか?」


「ええっ!?」

 安藤は驚いて椅子から立ち上がった。ホーリーを見ると、彼女は自分が座っているベッドをポンポンと叩いている。

「どうぞ、隣に……」

「えっ、いや、そ、それは……!」

 いくらなんでもそれはまずい。距離を取っている今でも胸がドキドキしているというのに、隣に座ったりしたら……。

「嫌……ですか?」

 ホーリーは潤んだ目で安藤を見つめる。頭がクラリとした。

 結局、安藤はその目に抗うことが出来なかった。


 安藤はホーリーに促されるまま、彼女の隣に座った。


***


「ハート・ヒール」


 ホーリーは安藤に手を翳し、魔法を掛けた。

「これで、大丈夫です」

「い、今のは?なんの魔法を掛けたんですか?」

「『心の傷を癒す魔法』です」

「心の傷を?」

「通常の治療魔法や薬草は、肉体の傷や病気を治します。しかし、心に負った『心的外傷』まで治すことは出来ません。この魔法『ハート・ヒール』は心的外傷を治す魔法なのです」

 心的外傷、別の言葉で言えば『トラウマ』。ホーリーは安藤が負っているトラウマを治したのだという。

「一目見た時から、ユウト様が何か大きな心的外傷を負っていることは分かっていました。心当たりがおありでは?」

「あっ!」

 ホーリーの言う通り、安藤には心当たりがある。


 安藤は三島と肉体的に結ばれそうになると、必ず正体不明の恐怖に襲われていた。

 キスをしたり、抱きしめ合ったりしたりする行為は平気なのだが、三島と本気で愛し合おうとすると、激しい恐怖が全身を走り、凄まじい吐き気を催す。


 他にも、名前も顔も分からない女性に襲われる夢を何度も見ており、その度に目を覚ましていた。


「何があったのか、話していただいてもよろしいでしょうか?」

「あっ、あの……えっと」

 安藤は話そうかどうか迷う。だが、本当にホーリーが魔法で安藤のトラウマを治してくれたのだとしたら、彼女は恩人だ。

 恩人には、きちんと話すべきだ。


「分かりました。お話します……」


***


「そうだったのですね……」

「はい、夢に出てくる女性も誰か分かりませんし、どうして由香里……妻と、あの……そ、そういうことをしようとすると訳も分からず恐くなるのか……原因が全く分からなかったんです」

「そうですか……でも、もう大丈夫ですよ」

 ホーリーは安藤を安心させるように、静かに言った。


「夢に出てくる女性や、ユウト様を襲っていた恐怖の正体は、残念ながら、私には分かりません。しかし、ユウト様の心的外傷は魔法で癒しました。もう二度とそのような恐怖を抱くことはありません」

「本当……ですか?」

「はい」

「あの、ありがとうございます」

 だとしたら、これで由香里とも……。


「ユウト様」

 ホーリーが優斗の名前を呼んだ。その声は先程までの声とは違い、何かを誘うような、そんな声だった。

 そこで、安藤は今の状況を改めて再認識した。


 部屋に一つしかないベッド。安藤はそのベッドに腰を下ろしている。

 隣には、バスローブ一枚に身を包んだホーリーが座っている。


 ホーリーの体からは、ほんの少しだけ湯気が昇っている。シャンプーの香りだろうか?彼女の白い髪から甘い匂いが漂う。

 視線を下に落とすと、バスローブの隙間から大きな胸の谷間がはっきりと目に映った。安藤は慌てて視線を逸らす。


「ユウト様……」

 ホーリーは安藤の頬に優しく触れ、自分の方を向かせる。

 そして、その唇に自分の唇をそっと重ねた。


「ホ、ホーリーさ……んぐっ」

「んっ……」

 ホーリーは抵抗しようとする安藤の両手を掴み、動きを封じる。

 そして、そのまま安藤をベッドに押し倒した。


 安藤は思う。一体、どうしてこんなことになってしまったのだろう?


「ちょっ、ホ、ホーリーさん!?」

「ユウト様……貴方の『心的外傷』は癒しました。私とこうしても恐くないはずです」

 確かに、ホーリーに押し倒されても恐怖感を抱くことはない。むしろ……。


「ユウト様」

 ホーリーは安藤の耳元で囁くと、その大きな胸を安藤の体に強く押し付けた。

「だ、ダメです。ホ……ホーリーさ……ん……」

 お、俺には……あいつが……由香里が……いる。

「分かっています。ユウト様には、他に大切な人がいらっしゃることは……ですが」


 気持ちが抑えられないのです。


 ホーリーはもう一度、安藤の唇に自分の唇を重ねた。

「んんっ、ぐっ……や、やめてください!」

 安藤はホーリーを押しのけ、ベッドから下りた。

「どうして、なんでこんなことを……」


「私が、ユウト様を愛しているからです」


 ホーリーの告白に、安藤は自分の耳を疑った。

「愛しているって……そんな訳ないじゃないですか……お、俺達会ったばかりなんですよ?愛しているなんてそんなこと……」

「いいえ、ユウト様。私は貴方を愛しています」

「―――ッ!ど、どうして!?」

 混乱する安藤にホーリーは言った。


「貴方が私の運命の相手だからです」


「運命の……相手?」

「はい」

 ホーリーはベッドから起き上がると、安藤の前に立った。安藤は後ろに下がろうとしたが、壁にぶつかり、それ以上下がれなかった。

「ユウト様」

「な、なんですか?」

「私は、貴方に隠していたことがあります」

「隠していたこと?」

「はい」

 ホーリーは、安藤をまっすぐ見つめる。


「私は、『聖女』です」


***


「ホーリーさんが……『聖女』?」


 あまりに衝撃的な告白。安藤の思考が一瞬停止する。

「そ、そんな……う、嘘で……」

「いいえ、嘘ではありません」

「―――っッ!」

 安藤はホーリーの目を見る。とても嘘を付いているようには見えない。


 だが、驚きながらも頭の片隅では納得していた。


 3000ゴールドの宝石を渡そうとしたり、町に来てからも高価な物を安藤に買おうとしたことからも、安藤はホーリーを協会でも高い位の人間か、資産家だと思っていた。


 しかし、まさか『聖女』だとは……。


「な、なんで『聖女』が俺なんかを……」

 安藤は当然の疑問をホーリーに……『聖女』にぶつける。

「『聖女』が特殊な魔法を使えることはご存じですか?」

「は、はい」

 前に見た本に『詳細は不明だが、聖女は他の人間には使えない魔法が使える』と書いてあった。

 ホーリーはゆっくりと口を開く。


「『聖女』は、自分の運命の相手が分かる魔法が使えるのです」

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