第48話 医師の決断
「おはよう。昨日はよく眠れた?」
朝になり、シェンドナー医師が仕事場にやって来た。
「……いえ、正直あまり」
安藤は首を横に振る。
「そうか、まぁ、最初は仕方ないね。その内慣れるさ」
シェンドナー医師は安藤の肩をポンと叩く。
「ところで、昨日の夜は何も変わったことはなかった?」
そう訊かれた安藤は、ぎこちない動作で頷く。
「はい。何もありませんでした」
「うん、なら良かった。アンドウ君は今日休みだね。家に帰ってゆっくりすると良いよ。初めての泊まり、ご苦労様」
「はい……」
安藤はシェンドナー医師に頭を下げ、そのまま診療所を後にした。
「ふぅ……」
安藤が帰った後、シェンドナー医師は深いため息を付いた。
昨日の夜は安藤の元に『聖女』が訪れたはずだ。
「ごめんよ。アンドウ君……でも、診療所を守るにはこうするしかなかったんだ」
***
ある日、シェンドナー医師は冒険者ギルドに呼び出された。
また、診療所の経営状況についてだろう。
シェンドナー医師が経営する『第七冒険者カウンセリング診療所』は、治療費を患者からあまり取っていない。そのため、やって来る患者は多いが、ほとんど利益には繋がっていない。
冒険者ギルドからは「治療費を上げろ」と何度も警告を受けているが、シェンドナー医師には、困っている患者から高額な治療費を取ることなど出来なかった。
かといって、このまま何もしなければ冒険者ギルドから業務をはく奪されてしまう。
「何とかしなきゃな……」
独り言を呟きながら、シェンドナー医師は冒険者ギルドへと足を運んだ。
「よく来たね。シェンドナー君。まぁ、掛けたまえ」
「失礼します」
冒険者ギルドの本部を訪れたシェンドナー医師は、応接室に通される。
応接室には見慣れた冒険者ギルドの職員ともう一人、女性が居た。
服装から「協会」の人間だと分かる。
「早速だが、シェンドナー君。今日君を呼び出したのは……」
「診療所の負債の件ですね。分かっています……」
シェンドナー医師は、身を乗り出す。
「ですが、何度も申し上げています通り、治療費を上げることは出来ません。負債は、治療費を上げる方法以外で必ず返済……」
「実は、今日君を呼び出したのはね。この事を通知するためだったんだ」
冒険者ギルドの職員は、シェンドナー医師に一枚の紙きれを渡す。
そこには『第七冒険者カウンセリング診療所』を閉鎖する。という旨の内容が書かれてあった。
「待ってください!」
「いや、もう待てない。君は冒険者ギルドからの命令を散々無視し、治療費を上げなかった。これ以上負債が膨らむ前に『第七冒険者カウンセリング診療所』を閉鎖することになった」
「……そんな……」
シェンドナー医師は呆然とする。『第七冒険者カウンセリング診療所』が閉鎖されるということは、そこに来る患者だけの問題ではない。
シェンドナー医師を手伝っている二人の人間も職を失うということだ。
「金はなんとかします。だから、もう少し猶予を……」
「あては、あるのかい?」
「それは……」
シェンドナー医師は黙り込む。
「ないんだったら、『第七冒険者カウンセリング診療所』の閉鎖は決まりだ」
「……くっ……!」
シェンドナー医師はガックリと肩を落とす。
冒険者ギルドの職員は、タバコに火を点け、フーと吐き出した。
「ただね。実は『第七冒険者カウンセリング診療所』が閉鎖しなくても済む方法があるんだ……」
その言葉を聞いたシェンドナー医師は、ハッと顔を上げる。
「どんな方法ですか!?」
「それについては、こちらの方に説明して頂く」
冒険者ギルドの職員は、隣に座る女性に視線を移す。
「紹介しよう。こちらは協会の……」
「ミケルド・ハーバンです。よろしく、シェンドナーさん」
ミケルドは椅子から立ち上がり、優雅な動作で一礼をした。
「よ、よろしくお願いします」
シェンドナー医師もミケルドに挨拶を返す。
「―――痛ッ!」
その時、ミケルドが突然、頭を押えた。
「どうしました?」
「いえ、お気になさらないでください。最近頭痛が多いもので」
「病院か、治療魔法が使える魔法使いの所には行かれましたか?」
「いえ……」
「出来れば早めに行かれることをお勧めします。慢性的な頭痛を放っておくと、大変なことになる場合がありますから」
「……ご忠告、胸に留めておきます」
数秒待つと、ミケルドの頭痛は収まった。
「失礼しました。では、始めましょう」
ミケルドは、ゴホンと咳払いをする。
「シェンドナーさん。二つ、貴方にやって欲しいことがあります」
「私にやって欲しい事?なんですか?」。
「まず一つ目。『第七冒険者カウンセリング診療所』で男性を一人、雇って欲しいのです」
この要求を聞いたシェンドナー医師は「無理です!」と言った。
「お聞きになったと思いますが、うちの診療所はギリギリなのです。とても後一人雇う余裕なんてありません」
しかし、ミケルドはシェンドナー医師の言葉を予想していたように頷く。
「大丈夫です。その方の給料は協会が負担します」
「協会が?」
シェンドナー医師は驚く。
何故、協会が給料を出してまで『第七冒険者カウンセリング診療所』で、その人間を働かせようとするのか?
「その人は……一体誰なんですか?」
シェンドナー医師は、当然の疑問をミケルドにぶつけた。
「今から話すことは、決して人に漏らさないようにお願いします」
「……分かりました」
カウンセラーには患者の事を他人に話してはいけない守秘義務がある。
職業柄、秘密を守ることには慣れている。
「雇って欲しい男性は、ある方の『想い人』なのです」
「『想い人』……」
意外な言葉だと、シェンドナー医師は思った。
「……ある方とは?」
シェンドナー医師の質問にミケルドは一拍置き、答える。
「聖女様です」
「聖女様!?」
「はい、雇って欲しい男性というのは、『聖女様』の想い人なのです」
協会が寄付をしているという事もあり、今まで、『聖女』は『第七冒険者カウンセリング診療所』を何度か視察に来ている。
シェンドナー医師が治療について説明すると、『聖女』はいつも、にこやかな表情でシェンドナー医師の話を聞いた。
その姿はとても美しく、魅惑的だった。
「そこで、二つ目のお願いです」
ミケルドは、真剣な表情でシェンドナー医師に言う。
「こちらが指定する日時に、その方を診療所に泊まらせるようにしてください」
「どうして、そんな事を?」
「『聖女様』が空いている時間に、その方と会えるようにするためです」
ミケルドは続ける。
「『聖女様』はとある事情により、その方と表立って会うことは出来ません。ですので、貴方の『第七冒険者カウンセリング診療所』を二人の『逢引』の場所にしたいのです」
「逢引の……場所?」
あまりに突飛のない話に、流石のシェンドナー医師も混乱する。
職業柄、妄想や支離滅裂な事を話す患者は何人も見てきたが、今のミケルドの話は、どの患者が話した妄想よりも現実味がない。
しかし、目の前に居るのは『協会』の人間。それに横に居るのは紛れもなく冒険者ギルドの人間。
とても信じられないが、この話は妄想や嘘ではないだろう。
「ど、どうして『第七冒険者カウンセリング診療所』を逢引の場所に?」
シェンドナー医師は混乱する頭を落ち着かせ、何とかミケルドに訊くことができた。ミケルドは答える。
「『聖女様の想い人』が『人を助ける仕事』にとても興味を持たれているからです」
「―――ッ!」
「『彼』はとても優しい人間です。そして『自分は人のために何かをしたい』と思っている。ですから、人を助ける仕事をさせてあげたい。それが聖女様の望みです」
「……つまり、逢引の場所にうちの診療所を選んだのは、その人のためだと?」
「はい、その通りです」
ミケルドは続ける。
「こちらの頼みを聞いてくだされば、『第七冒険者カウンセリング診療所』には『彼』の給料やいつもの寄付金の他に、多額の協力金を払うつもりです」
「そ、それは―――!」
「協力金は、『第七冒険者カウンセリング診療所』の負債を差し引いても大きな利益が出る金額です」
「―――ッッ!」
シェンドナー医師は自分の口を手で押さえる。
この話が本当なら、『協会』の要求を飲めばこれからも『第七冒険者カウンセリング診療所』を続けられるだけでなく、最新の設備を整えることすら出来る。
そうすれば、もっと沢山の患者を救うことが出来る。
しかし―――。
「一つ聞かせてください」
「何ですか?」
「その……『聖女様の想い人』は、この事を知っているのですか?」
「……いいえ」
ミケルドは首を横に振る。
「『聖女様の想い人』は『冒険者カウンセリング診療所』で働く事しか、知りません」
「何故、教えないのですか?」
「残念ですが、これ以上はお話しできません」
「どうしても……ですか?」
「どうしてもです」
「……」
何故、『聖女』の相手にこの事を知らせないのか。シェンドナー医師は考える。
知らせることで、何か不都合なことがあるのか?
もし、その『聖女の想い人』を何かの罠に掛けるのが目的なのだとしたら……自分は、人を傷付けることに加担してしまうことになる。
「その頼みを断ったら……どうなるのですか?」
「別の『冒険者カウンセリング診療所』に頼むだけです。もちろん、協力金は私達の頼みを聞いてくださった『冒険者カウンセリング診療所』にお渡しすることになります」
「―――ッ!」
「そうなれば、『第七冒険者カウンセリング診療所』は、このまま、閉鎖……ということになりますが、よろしいですか?」
「……―――ッッ!」
シェンドナー医師は悩む。しかし、直ぐに答えは出た。
多くの人が『第七冒険者カウンセリング診療所』を必要としている。この話を受けなければ、『第七冒険者カウンセリング診療所』が無くなる。
ならば、仕方がない……。
「分かりました。その話、お受けします」
***
「本当にごめんよ。アンドウ君」
安藤は真面目で、優しい人間だ。
人に寄り添うことが何よりも大切なカウンセラーの資質を持っている。
それだけに、申し訳なく思う。
協会の人間から安藤が『聖女の想い人』という事は聞いている。しかし、安藤の方が聖女をどう思っているのかは聞いていない。
そこで、シェンドナー医師は安藤に直接聞いてみた。
「アンドウ君には恋人は居るの?」と。
安藤は顔を紅くしながら「はい」と答えた。
シェンドナー医師は、てっきり『聖女』の事かと思ったが、安藤の恋人は全くの別人だった。
話を詳しく聞いても、安藤がその恋人と『聖女』の二人と付き合っているという訳でもない。安藤は自分の恋人は、その女性一人だけだと思っていた。
協会が安藤に何も知らせていない事。
安藤には『聖女』とは別の恋人がいるという事。
そして、安藤の様子を見るに、安藤と『聖女』は両想いという訳ではなさそうだ。
おそらく『聖女』の方が、安藤に対して一方的に想いを抱いているのではないか?シェンドナー医師は、そう思った。
『聖女』が普通の男性に一方的に好意を抱くなど、普通はあり得ない事だろう。だが、考えれば考える程、シェンドナー医師にはそうとしか思えなかった。
となれば、昨日の夜。『聖女』が安藤に何をしたのか予想出来る。
おそらく、『聖女』は安藤を……。
だが、そうだとしてもシェンドナー医師は協会に従うだけだ。
「全てはこの『第七冒険者カウンセリング診療所』を守るために」
シェンドナー医師は患者のため、そして二人の従業員のため、協会に従う道を選んだ。
たとえそれで、一人の心優しき若者が犠牲になるのだとしても。
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