第47話 二度目の過ち

「……結婚?」


 安藤は、ホーリーの言葉を思わずオウム返しする。

「ほ、本気……ですか?」

「はい」

「そ、それは……由香里と別れろ……という事ですか?」

「はい、そうです」

 ホーリーは頷く。


「ユウト様は、私と共に生きるべきです」


「で、出来ません!そんな事!」

 安藤は首を横に振る。

「どうして、ですか?」

「どうしてって……それは……」

 由香里を愛しているから……今までの安藤なら、迷わずそう答えていただろう。

 しかし、安藤はその言葉を口にすることが出来なかった。

(俺に……由香里を愛しているなんて言う資格があるのか?)


 由香里は俺を愛していないかもしれないのに?

 俺は由香里を苦しめているかもしれないのに?


 嫌がっている相手の気持ちを考えず、一方的に『愛している』と自分の気持ちを押し付けてしまえば、それは―――。


 それは、


「ユウト様。私は『聖女』です。多くの人を救わなければなりません」

 ホーリーは安藤の手をそっと握った。

「私は、『ユウト様と一緒に』多くの人を救いたいと考えています」

「俺と……一緒に?」

「はい」

 ホーリーの笑顔は、まるで真冬の焚火のように温かい。

「傷付いた人々を魔法で癒すのは、私がやります。ユウト様には、私と一緒にどうすれば多くの人を救うことが出来るのか、考えて欲しいのです」

「お、俺が?」

 安藤は自分を指差す。

「俺は『普通の人間』です。前に居た世界でもそうでしたし、この世界でもそうです……俺に誰かを救うアイデアなんて……」

「だからこそです。ユウト様」

「えっ?」

「私はずっと、協会の中で育ちました。私の周囲に居る人間もそうです。私は出来るだけ信者の方々に寄り添いたいと考えていますが、協会の中で暮らしていた私と、そうでない人々とでは、どうしても考え方などに違いが出ます」


 ですから、ユウト様が必要なのです。


「俺が……」

「はい」

 ホーリーは真剣な目で安藤を見る。

「協会信者の方々は、ほとんどがユウト様の言う『普通の人間』です。ユウト様なら私達が気付けなかった信者の方々の気持ちにも気付けるかもしれない」

「……」

「ユウト様。

 ホーリーの言葉が、安藤の心に沁み込む。

「貴方は、自分の事を『何も出来ない人間』だと思っています。ですが、だからこそユウト様は、『自分は何も出来ないと思っている人達』を理解する事が出来る。そして、その人達に『共感』する事が出来るのです」


『大切なのは、相手の話をよく聞いて共感してあげること』


 シェンドナー医師の言葉が蘇る。

「最も、私はユウト様が何も出来ない人間だとは思っていません。前にも言いましたが、貴方は―――」

「『人を助けることが出来る人間』……ですか?」

 安藤がそう言うと、ホーリーはニコリと花のように笑い、頷いた。


***


「でも、俺みたいな奴が意見を言ったとしても、誰も……」

「大丈夫ですよ。ユウト様」

 ホーリーはクスリと笑う。


「貴方は『聖女』の夫になるのです。皆が、貴方の言うことに耳を傾けますよ」


 安藤は、ハッとなる。

 そうだ。目の前に居る少女は、世界中に信者が居る『協会の聖女』なのだ。

 その夫になるという事は、それだけの権力を持てるという事。 

「だけど、それは……」

「権力を持つことに抵抗がありますか?」

 ホーリーは安藤の心を見透かす。

「この世界にはたくさんの不条理があります。そして、その不条理を正すには、力が必要なのです」

 力のない正義に意味などない。

 昔、読んでいた漫画にそのようなセリフが載っていたのを安藤は思い出した。

「ですが、『力』というものは凶悪な魔物と同じぐらい質が悪い。自分の事しか考えていない人間が力を持てば、必ずその力を弱者に向け、搾取します。ですから……」

 ホーリーは安藤にそっと囁く。


「権力を持つのはユウト様のような、弱い人達の事を考えられる優しい人間であるべきなのです」


 そこまで話すと、ホーリーはベッドの横にあるテーブルに何かを置いた。

 見覚えのある『キャンドル』だった。

「それは……」

「そうです。あの夜、使った『キャンドル』と同じものです。前にも言いましたが、このキャンドルには魔法が込められており、普通のキャンドルよりも良い匂いを部屋の中に漂わせられます。

 そう言うと、ホーリーは魔法でキャンドルに火を点けた。良い香りが部屋中に広がる。

 安藤の脳裏に、あの日の夜の出来事が再生された。

「ユウト様……」

 ホーリーがベッドに手を置き、安藤に近づいてくる。ベッドがギシリと鳴った。

 キャンドルの火に照らされたその顔は、美しく、そして妖艶だった。

「だ、ダメです……ホーリーさん。こ、来ないでください……」

 安藤は首を横に振るが、ホーリーは構わず安藤に顔を近づけてくる。

「ホ、ホーリーさん……」

 体が熱い。頭が……クラリとする。

「ユウト様」

 ホーリーは上半身を起こしていた安藤の両肩に手を置き、ベッドに押し倒す。そして、上から安藤の頬に軽くキスをした。

 胸がドクンと高鳴る。体がさらに熱くなり、何も考えられなくなる。

(ダメだ……これじゃあ……)

 あの日の夜と同じだ。


 過ちを犯してしまったあの日の夜と……。


「くっ……うっ……」

「ユウト様」

 ホーリーは安藤に甘く囁く。


「ユウト様がもし、私の事を嫌いだとおっしゃられるのなら、私を拒絶してください。ですが、ユウト様が私の事を好きだと思われるのなら、このまま私を受け入れてください」


「―――ッ、ホ、ホーリーさん……」

 安藤はホーリーの事を嫌ってなどいない。

 むしろ、道を示してくれるホーリーに安藤は好感を抱いている。

 だけど―――。


「愛しています。ユウト様」

 ホーリーは静かに安藤に口づけをする。甘い快感が口の中に広がった。

「んっ……んんっ!」

 しかし、安藤はその快感を拒否した。

(ダメだ。やっぱり俺は……由香里以外の人とは……)

 安藤は押し返そうと、口づけをしてくるホーリーの肩に手を乗せる。


 その時、キャンドルの炎が大きく揺れた。

 今までよりも強く、キャンドルから良い匂いが発せられる。

 すると、安藤の口の中に広がる快感が、何倍にも増した。


(あっ……)


「ユウト様」

 唇を話したホーリーが安藤に微笑む。

「愛しています」


 その瞬間、安藤の頭は真っ白になった。


 そこから先は、あの日の夜の再現となった。

 安藤は自分の上に乗るホーリーの肩を掴み、横に倒す。そして、その上に覆いかぶさった。

 今度は、安藤がホーリーの上に乗る形となる。

「ホ、ホーリー……さん」

「嬉しいです。ユウト様」

 ホーリーは安藤の頬にそっと手を添え、ニコリと笑った。


「私を選んでくださるのですね?」


 美しかった。

 その笑顔は、この世のどんなものよりも美しく思えた。

 この美しい人が欲しい。安藤はそう強く思った。


 それ以外の事は、何も考えられなくなった。


「んっ!」

「んっ……」

 安藤はホーリーの唇に自分の唇を重ね、その体に触れた。

 自分の体を触る安藤の手に、ホーリーは幸せそうに応える。

 ベッドはきしみ、キャンドルの炎がさらに大きく揺れた。


 そして、安藤は二度目の過ちを犯した。

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