第46話 プロポーズ
安藤が三島と最初に出会ったのは、小学三年生の時だ。
三島は小学校二年生の段階で、一流大学の入試レベルの問題を難なく解くことが出来るほどの『天才少女』だった。
同じクラスの子供達は、そんな三島を『羨ましい』とか『凄い!』などと言って称えた。
しかし、安藤にはそんな彼女が孤独に見えた。
最初は三島と仲良くしている子もやがて、三島と自分との差に絶望したり、親や教師に『三島さんは貴方とは違うから関わらないように』と言われ、離れていった。
そんな彼女を見て、安藤は出来るだけ三島に普通に接しようと思った。
「どこに住んでいるの?」とか「昨日のテレビ見た?」とか、出来るだけ普通の会話をしようと思った。
やがて、三島は安藤の前で笑うようになり、勉強まで教えてくれるようになった。
『安藤君、三島さんは貴方とは違うんだから、彼女の時間を奪わないように!』
他の子と同じように、安藤も教師にそう言われた。しかし、安藤はそんな教師の言葉を無視した。
三島からは「教師に反抗してまで、どうして私と話してくれるの?」と訊かれた。
安藤はその質問に答えられなかった。恥ずかしくて言えるわけがない。
君のことが好きだからなんて。
***
それからも、安藤は三島と友達で居続けた。
「はい、これあげる!」
安藤の誕生日に、三島は小さな熊のぬいぐるみをプレゼントしてくれた。
「あ、ありがとう!」
好きな人から貰うプレゼント。安藤は飛び跳ねる程、喜んだ。
そのぬいぐるみは、今でも安藤の部屋に飾られている。
それから数年が経ち、ようやく安藤は三島に告白することが出来た。
「由香里、お、俺と付き合ってくれ!」
「……うん!喜んで!」
「よっしゃああ!」
三島が自分の告白を受け入れてくれた。
安藤の人生で一番幸せな出来事だった。それは間違いない。
だが、同時に安藤の心の中には小さな不安が生まれていた。
(俺なんかが、三島と一緒に居ても良いのだろうか?)
その小さな不安は、少しずつ大きくなる。
異世界に飛ばされ、三島と共に過ごすようになってからは、不安はさらに大きくなっていった。
***
『奥様と一緒に居ることで、貴方は苦しんでいます』
心の奥底にある感情をホーリーに見透かされ、安藤は大きく狼狽した。
「お、俺は……」
「ユウト様、私は貴方が心配なのです」
ホーリーは安藤の頬にそっと触れる。
「このまま奥様と一緒に居れば、ユウト様は劣等感に押し潰されてしまいます。心に抱える不安は、やがて体を蝕みます。私はそれが心配なのです」
「ホーリーさん……」
じっと安藤を見つめるホーリーの目は、慈愛に満ちていた。
短い間だが、冒険者カウンセリング診療所で働いている中で、心を病んで体に変調をきたした患者を安藤は何人か見た。
心の病は、やがて肉体に悪影響を及ぼす。安藤もいずれは、体に何か異変をきたすかもしれない。
だが―――。
「それでも俺は、由香里と一緒に居たいです!」
「……」
「確かに俺は由香里に劣等感を持っています。何も出来ない俺と違って、由香里は何でも出来ますから……。ホーリーさんの言う通り、『俺なんかが由香里と一緒に居て良いのか?』って思ったことは一度や二度じゃありません」
ですが……と、安藤は続ける。
「それでも、俺は由香里と一緒に居たいんです……あ、愛していますから……」
消え入りそうな声だった。しかし、安藤は確かに自分の願いを口にすることが出来た。
三島と一緒に居たい。という思いを。
「ユウト様。貴方は、ご自身が奥様に対する劣等感で苦しんだとしても、奥様と一緒に居たい……そう、おっしゃられるのですね?」
「はい」
「そうですか……」
ホーリーはフッと息を吐く。
『自分が傷付いても好きになった相手と一緒に居たい』
これだけの想いを聞けば『この人の愛はこんなにも強いのか』、『自分が割り込める余地などない』そう考え、諦めて身を引く人間の方が多いのではないだろうか?
しかし、ホーリーは安藤を諦めない。
歴代の『聖女』は『運命の啓示』という自分の『運命の相手』が分かる魔法を生まれながらに持っている。
そして、歴代の『聖女』は皆、例外なく『運命の啓示』によって導かれた相手を必ず自分の伴侶とした。
たとえ『運命の啓示』が示した相手に既に恋人が居たとしても、
たとえ『運命の啓示』が示した相手が既に結婚していようとも、
歴代の『聖女』は奪ってでも必ず『運命の啓示』が示した相手を自分の伴侶とした。
その歴代の『聖女』の血がホーリーにも流れている。
ゆえに、ホーリーに
自分が傷付いたとしても、三島とずっと一緒に居たい。そう安藤が思っているとしても、安藤の方から三島と別れるように誘導する方法はある。
「ユウト様と奥様は昔から一緒におられるのですか?」
「はい。出会ってから七年ぐらい、一緒に居ます。告白したのは、つい最近ですけど」
「どちらから告白を?」
「俺からです」
「ユウト様が告白するまでの間、奥様からの告白はなかったのですね?」
「はい、そうです……それが何か?」
「貴方は奥様を愛していると言います。しかし―――」
ホーリーは静かに口を開く。そして、安藤の心臓をえぐるような質問を投げかけた。
「奥様の方は、ユウト様を愛しているのでしょうか?」
***
時間が静止した。
安藤はホーリーが何を言ったのか直ぐには理解できなかった。
やがて、その言葉が理解できると、思わず叫んでいた。
「も、もちろんそうです。由香里だって、俺を愛してくれているに、決まって……」
「どうして、そう言えるのですか?」
「そ、それは……由香里が、俺の告白を受け入れてくれたからです!」
好きでもない相手の告白を受け入れるはずがない。
だから、安藤は「由香里は自分の事を愛している」と自信を持って言えた。
しかし、ホーリーは首を横に振る。
「告白を受け入れたからといって、その人が相手のことを愛しているとは限りません。人によっては、相手の告白を断り切れずに受け入れてしまう人も居るのです。たとえ、自分が愛していない相手からの告白だったとしても」
「―――ッ」
確かに、そういう人も居るのかもしれない。だが―――。
「由香里は……由香里は……そんな奴じゃ……!」
「ユウト様、貴方は『心が読める』魔法を使えますか?」
予想外の質問に、安藤は一瞬固まる。
「い、いいえ……使えません」
安藤は『心を読む魔法』どころか、普通の魔法も使えない。
「ユウト様」
ホーリーは安藤の目をまっすぐ見つめた。
「人と長く一緒に居れば、その人が何を考えているのか、ある程度理解することは可能です。ですが、完全にその人を理解することは、相手の『心を読む魔法』でも使わない限り、絶対に出来ないのです」
「―――ッ!」
安藤は三島が自分の告白を受け入れてくれたのは、三島も安藤の事が好きだからだと思っていた。
だが、必ずしもそうとは限らない。
『心を読む魔法』を使えない安藤には、三島の心の中を完全に理解することは出来ない。
三島の心の中を完全に理解できない以上、三島が、安藤の告白を断り切れずに受け入れた可能性を否定することは出来ない。
「私には、不思議なのです。何故、奥様はユウト様に告白されなかったのでしょう?」
ホーリーは、首を少しだけ横に傾げる。
「私は、ユウト様を愛しています。ですから、私はユウト様に告白しました。もし、奥様がユウト様を愛しているのであれば、自分からユウト様に告白をされると思うのです。しかし、ユウト様が告白するまで、奥様からの告白はなかった。お二人は何年も一緒に居たのに」
「……」
「ですから、私は疑問に思ったのです。『ユウト様の奥様は本当にユウト様を愛しているのだろうか?』と」
「―――うっ……」
安藤が三島に告白するまで何年も掛ったのは、告白する勇気が持てなかったからだ。
もし、告白を断られたら?告白をすることで、告白前の関係に戻れなかったら?
そう考えるだけで、不安だった。だから、告白できなかった。
(じゃあ、由香里は?由香里も俺に振られるのが怖くて、俺に告白できなかった。そう前向きに考えることは出来る。でも、それよりこう考える方が自然じゃないか?)
由香里が俺に告白しなかったのは、俺に好意を抱いていなかっただけ。単純に俺の事が、好きではないから、俺に告白をしなかったのではないか?
そんな思いが安藤の頭の中をよぎる。
だとしたら、やはり……。
(由香里は……俺を愛していない?)
前に三島は、『優斗は私の傍に居てくれればいい。私は優斗が此処に居てくれるだけでいいの』そう言ってくれたが、あの言葉が本心だったのかどうかも、安藤には分からなくなった。
前に居た世界で、勉強を教えてくれたのも、プレゼントをくれたのも、自分に好意を持っていたからではなく、単なる友人として接しただけではないのか?
異世界に来てからずっと助けてくれたのも、愛していたからではなく、単なる親切心からだったのではないのか?
だとしたら……。
(俺は……もしかして、ずっと由香里を苦しめていたのか?)
もし、三島が好きでもない安藤からの告白を断り切れずに受けてしまったのだとしたら……。
もし、三島が安藤に別れを切り出せずにいるのだとしたら……。
それは、とても苦痛なことだ。
三島に対する劣等感で安藤が苦しんでいるのと同じように、安藤の事で三島も苦しんでいるのではないか?
安藤の頭に、そのような間違った考えが浮かんだ。
そして、安藤は日頃から三島に対して抱いていた劣等感から、その間違った考えを信じ初めてしまっていた。
ホーリーが誘導した通りに。
「ユウト様」
ホーリーは安藤の手をギュッと握る。
「私と結婚しましょう」
「……………………………………………………えっ?」
唖然とする安藤の手に、ホーリーは軽くキスをした。
「私と結婚しましょう、ユウト様。必ず貴方を幸せにします」
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