第118話 花畑
「今こそ、吸血鬼から大森林を奪い返すのだ!」
ケーブ国政府最高責任者バルリメスは突如、そう宣言した。
「再び吸血鬼に大攻勢を仕掛ける。準備せよ!」
「お、お待ちください!」
家臣達は慌てて進言する。
「今、吸血鬼と戦ってもまた返り討ちに遭うだけです!」
「そうです!無駄に兵の命を失う事に……」
「ええい。黙れ!」
バルリメスは、ドンとテーブルを叩いた。
「吸血鬼に攫われた我らが人民を見捨てて良いのか?」
「いえ、それは……」
「人民は国の宝ぞ!何としても吸血鬼から取り戻す!」
獣のような声で叫ぶバルリメスを見て、家臣達は唖然とした。
「い、一体どうなされたのだ。バルリメス様は」
「あんなに吸血鬼を恐れていたのに……」
「ああ、まるで人が変わったようだ」
バルリメスは、腰に差している剣を抜いた。
「吸血鬼に大攻勢を懸け、囚われた人民を救う。そして我らが大森林を取り戻すのだ!」
***
「さて、今日君達に来てもらったのは他でもない。ちょっと、用事で出なくちゃいけなくなってね。僕が居ない間、ユウトの護衛を二人に任せたいんだ」
少年の姿をした吸血鬼クロバラは、呼び出したアイビーとハナビシにそう言った。
「どこに行かれるんですか?」
アイビーが尋ねると、クロバラは答える。
「ケーブ国の人間達が攻めて来てね。その退治さ」
「ケーブ国の人間達が?」
「うん」
クロバラは頷く。
「僕はこれから攻めてきた人間達を返り討ちにしてくる。君達は念のため、ユウトを今居る家から安全な塔へ連れて行って欲しいんだ。僕が戻るまでの間、二人でユウトを守ってくれ」
「分かりました」
「分かっ……じゃなかった。はい」
「頼んだよ」
クロバラはアイビーとハナビシの前から姿を消した。
大森林にはテレポートを妨害する魔法が掛かっているが、クロバラだけは例外らしい。
アイビーとハナビシはそのまま、安藤が住む家へと向かう。
「いよいよだな」
「うん」
護衛役にすると言われて随分時間が経ったが、ようやくまた安藤に逢える。
「それにしても、なんでケーブ国の連中は攻めてきたんだ?また吸血鬼に負けるって分かってるのに……」
「さぁ?」
ケーブ国は吸血鬼に大敗してから、ずっと沈黙したままだった。
それが何故、今頃?
「―――なぁ、吸血鬼は今居ないんだよな」
「うん」
「それなら……」
「無理だよ」
アイビーは首を横に振る。
「吸血鬼は居ないけど、それでもまだ大森林には、たくさん吸血鬼配下の魔物達が居る。私達だけじゃアンドウ君を連れて大森林から逃げられない。吸血鬼だって、それくらいの事は考えているよ」
「……チッ」
「せめて大森林を覆っている『飛行妨害魔法』さえ、なんとか出来ればね……」
アイビーは空を見上げた。
雲一つない青空が広がっている。
やがて、森の中にポツンと建っている家が見えてきた。
「家って、あれだよな」
「うん」
「何か……普通の家って感じだな」
その家は、禍々しいあの塔とは違い、二階建てのどこにでもあるような一軒家だった。
「この家は吸血鬼とアンドウ君のプライベート空間らしいからね」
アイビーとハナビシは玄関ドアの前に立つ。ドアの隣には、住人に訪問者が来た事を知らせる呼び鈴が付いていた。
アイビーはその呼び鈴を押そうとしたが、何故か動きを止める。
「どうした?」
「いえ……久しぶりにアンドウ君に逢えると思ったら、ちょっと緊張して」
アイビーは呼び鈴を押せずに固まっている。
「ち、仕方ねえな。代われ」
アイビーを退けてハナビシが呼び鈴を押そうとする。
しかし、彼女も固まってしまった。
「ハナビシさんも緊張してるじゃない」
「う、うるせえ!」
ハナビシはまるでリンゴのように顔を紅くした。
「やっぱり、お前が押せよ!」
「代わるって言ったじゃない!ハナビシさんが押してよ!」
しばらくの間、二人はどちらが呼び鈴を押すかで揉める。
無駄な時間が過ぎた。
「ねぇ、早くしないと……」
「そうだな」
ハナビシはゴホンと咳払いをする。
「なぁ、『せーの』で一緒に押そうぜ?」
「そうだね……そうしよう」
アイビーとハナビシは人差し指を呼び鈴に向けた。
「いくぞ」
「うん」
「せーの……」
アイビーとハナビシが同時に呼び鈴を押そうとした時。
ガチャという音と共に玄関ドアが開いた。
開いたドアの先には安藤優斗が立っている。
安藤は目を大きく見開いた。
「アイビーさん?それに、ハナビシさんも……」
「ひ、久しぶりだね。アンドウ君」
久しぶりに逢う安藤に、アイビーはぎこちなく微笑んだ。
***
「あの塔まで人間の護衛と一緒に行けって、吸血鬼に言われたんだけど……それがまさか、アイビーさんとハナビシさんだったなんて……」
安藤は未だに驚いた表情を浮かべている。
そんな安藤を、アイビーとハナビシは挟むようにして歩く。
「なんで、二人が俺の護衛を?」
「それはね……」
アイビーは安藤に、ハナビシと二人でブルー・ドラゴンを倒した事。
そして、その褒美として安藤の護衛を任された事を説明した。
話を聞き終えた安藤は、アイビーとハナビシを心配する。
「二人とも大丈夫だったの?」
「うん、平気だよ。私もハナビシさんも、もう怪我は治っているから」
「そう。良かった」
安藤は、ホッとする。
「アンドウ君こそ大丈夫?少し痩せた?」
「俺も大丈夫だよ。ありがとう」
それから少しだけ歩くと、生い茂った森から急に開けた場所に出た。
「此処って―――」
「ビックリした?」
アイビーは「うん」と頷く。
「大森林にこんな場所があったなんて―――初めて知った」
そこには、一面に広がる花畑があった。
花畑には色とりどり、様々な花が咲いている。
「俺も、吸血鬼に連れてきてもらって知ったんだ」
安藤は近くに咲いている一輪の花にそっと触れた。
前に安藤が居た世界には無い、この世界だけに存在する花。
「綺麗だよね」
安藤は、アイビーとハナビシにニコリと微笑む。
「はぁ……はぁ……」
すると、先程からずっと黙っていたハナビシが急に体を震わせ、ブツブツと何かを言い始めた。
「だめだ……もう……無理だ……その笑顔は卑怯だろ……反則だ……」
「ハナビシさん?」
「……もう、我慢出来ねぇ!」
「な、何を―――?」
ハナビシは安藤の腕を掴むと、そのまま花畑の中に押し倒した。
「アンドウ……アンドウ……」
「ハ、ハナビシさん。やめて!」
「嫌だ!」
ハナビシは逃げようとする安藤を強く押さえつけ、身動きを封じる。
「何してるの?ハナビシさん!」
アイビーは、安藤に馬乗りになっているハナビシの肩を揺すった。
「今は、そんな事してる場合じゃ……早く、アンドウ君をあの塔に連れて行かないと!」
「分かってる……はぁ……はぁ……それは、分かってるんだ……」
息を荒げながら、ハナビシはアイビーを見る。
「だけどよ。もう、我慢出来ねえんだ!」
ハナビシは自分の胸を押さえた。
「久しぶりにアンドウを見た時から、胸の鼓動が止まらねぇ。全身が熱くて沸騰しそうだ。目を合わせたり、喋らないようにして何とか我慢してたけどよ。もう無理だ。限界だ。あんな笑顔見ちまったら、我慢なんて出来るわけねぇ!」
「ハナビシさん。だけど……」
「アイビー、お前はどうなんだ?お前も我慢してるんじゃないのか?」
「―――ッ!」
「お前も、もう限界なんだろ?」
「そ、それは―――」
アイビーは自分の腕を強く掴み、ギシリと歯を強く噛みしめた。
「……そうだよ」
アイビーは大声で叫ぶ。
「私も、もう我慢なんて出来ない!」
ハナビシの言う通り、アイビーも我慢の限界だった。
アイビーはハナビシとは反対に、安藤と話す事で理性を保っていたが、それももう限界だ。
花に触れた時に見せた安藤の笑顔。
あんな笑顔を見せられて我慢出来る人間が居るだろうか?いや、居るわけがない!
ハナビシが何もしなかったら、きっとアイビーが安藤を押し倒していた。
「アンドウ君……アンドウ君……」
ハナビシと同じくらい顔を紅くしながら、アイビーは安藤の手を握る。
「私もお前も限界だ。だったら此処で……」
「うん。そうだね―――」
アイビーは頷く。
「此処でアンドウ君と……その後、アンドウ君を塔に連れて行けば―――」
「ああ、そうだ。そうしよう。アンドウを塔に連れて行くのは……この後でも良いだろ」
二人は頷き合うと、とろける様な目を安藤に向けた。
「アンドウ……」
「アンドウ君……」
アイビーとハナビシは安藤の体中を触り、顔に唇を付けた。
「二人とも、やめ……んっ!」
叫び声を上げようとする安藤の口を、ハナビシは手で塞ぐ。
「静かにしろよ。アンドウ」
「静かにして、アンドウ君。大丈夫だから」
「ん―――!」
悶える安藤の上着を、二人は脱がし始めた。
その時―――。
ザワッ。
アイビーとハナビシの背筋に、凄まじい悪寒が走った。
「――――ッッ……!!??」
「……なんだ!?」
アイビーとハナビシは立ち上がり、空を見上げた。
上から―――何か来る!
次の瞬間、『それ』は空から降ってきた。
「きゃ!」
「くっ!」
空から降ってきた『それ』は、アイビー達のすぐ近くに落下した。
落下の衝撃で土煙が舞い、風が大森林の木々や花を大きく揺らす。
「アンドウ君!」
「アンドウ!」
二人は咄嗟に安藤を守るように立つと、落ちてきた『それ』を見据えた。
舞い上がった土煙が晴れていき、落ちてきた『それ』の姿が徐々に明らかになる。
「えっ?」
「なっ!」
その姿を見たアイビーとハナビシは大きく目を見開いた。
空から落ちてきた『それ』は―――。
【人間の少女】だった。
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