第117話 護衛

 一キロほど歩き、アイビーとハナビシは塔に連れて来られた。


「……また来ちまったな」

「……うん」

 二人はそびえ立つ塔を見上げる。

 

 二人がこの塔に来るのは二度目だ。一度目に来た時と禍々しさはまるで変っていない。

 塔の中に入ると、まるで巨大な魔物に飲み込まれたような悪寒が全身に走る。


 二人は階段を上り、最上階の奥にある部屋の前で止まった。

 アイビーとハナビシを連れてきた魔物は、部屋の扉を二度ノックする。

「入って良いよ」

「失礼します」

 魔物は部屋の扉を開け一礼した。アイビーとハナビシも一緒に部屋の中に入る。


 部屋の中に入ると、まず目に飛び込んできたのは『赤』だ。

 床、天井、壁の色は、ほぼ全て赤で統一されており、それは流れる血を連想させる。


 前に来た時には、五百畳ぐらいあるこの部屋に複数の魔物が居たが、今回部屋の中に居る魔物は一匹だけだ。


 その魔物は、美しい少年の姿をしていた。


 歳は十代程に見える。

 髪と目は部屋の色と同じく、まるで血のように紅い。

 服は、昔の英国紳士に似た格好をしていた。


 その美しさは、とてもこの世の者とは思えない。


 吸血鬼クロバラ。

 クロバラは以前、アイビーとハナビシと会った時と同じ少年の姿をしていた。

 

「君はもう帰って良いよ。ご苦労だったね」

「ハッ!」

 アイビーとハナビシを連れてきた魔物はクロバラに頭を下げ部屋の外に出ると、バタンと扉を閉めた。

「二人とも。さぁ、おいで」

 その声は、アイビーとハナビシの耳にハッキリと届いた。

「……はい」

 二人は吸血鬼の前まで歩く。

「アイビー・フラワー。そして、ハナビシ・フルール」

 名前を呼ばれ、アイビーとハナビシの心臓はドクンと高鳴る。


「二人ともよく来たね。あのゲームの時以来だ」


 クロバラは、クスリと笑う。

「まぁ、座りなよ」

 クロバラがパチンと指を鳴らすと、まるでキノコのように床から椅子が生えてきた。クロバラが椅子に座るのを見てから、アイビーとハナビシも椅子に座る。

 アイビーは吸血鬼に尋ねた。

「……私達が此処に呼ばれた理由は……なんでしょう?」

「ふーん」

 クロバラは興味深そうにアイビーを見る。

「君、変わったね。前より強くなった」

「……」

 クロバラはアイビーからハナビシに視線を移す。

「君も変わったね。僕に対する恐れがあの時よりも減っている」

「……」

「フフッ、そんなに緊張しなくて良いよ。君達を此処に呼んだのは他でもない。まだ渡していなかった報酬を渡すためだ」

「……報酬?」


「ブルー・ドラゴンを討伐した報酬だよ」


「……!」

「遅れてしまって、ごめんね。お詫びとして『此処から出して欲しい』って望み以外なら、なんでも叶えてあげるよ」


 クロバラの言葉を聞き、アイビーとハナビシは思わずお互いの顔を見る。

「さぁ、望みを言ってごらん?」

「それなら!」

 アイビーは勢いよく前に乗り出した。

「私達二人の望みを叶えて欲しいです」

「何だい?」

 アイビーは膝の上でぐっと拳を握ると、大きな声で言った。

  

「私達をアンドウ君の傍に置いてください!」


***


 広い部屋がシンと静まり返った。

 笑顔だったクロバラから表情が消える。


「君達を……ユウトの傍に?」

「はい」

 アイビーは力強く首を縦に振る。

 ハナビシもアイビーと同じように頷いた。


 アイビーの『安藤と共に居るための案』とはこれだった。


 クロバラと安藤が結婚してしまったら、アイビーとハナビシはもう二度と安藤に逢えなくなるかもしれない。

 それを防ぐにはクロバラを倒すか、安藤を連れて逃げるしかない。

 しかし、アイビーとハナビシがクロバラに勝てるはずもなく、この大森林から逃げる事もほぼ不可能だ。

 アイビーとハナビシが安藤の傍に居るためには、『自分達が安藤の傍に居ても良い』とクロバラに認めさせるしかない。

 なんとかクロバラと接触する方法はないかアイビーは考えていたが、まさか向こうから呼び出してくるとは思わなかった。


 このチャンスを逃す手はない。

 アイビーは吸血鬼にハッキリと自分達二人の意思を示した。 


 だが、それはまさしく命を懸けた要望。

 激高した吸血鬼に殺されてもおかしくない願いだった。


「ふむ……」

 クロバラは顎に手を当てる。

「君達はユウトが好きなんだね」

「はい」

「ああ」

 アイビーとハナビシは即答する。


「それは、僕が『ユウトの伴侶』になったのを知って言っているのかい?」 


 クロバラの雰囲気が変わった。黒い魔力が部屋中を覆う。

 邪悪で、禍々しい魔力にアイビーとハナビシは晒された。 

「うぐっ……」

 まるで、服を着ず猛吹雪の中に立っているかのような寒気。

 圧倒的な力を前に、ハナビシの体がガタガタと震えだした。 

「……ふっ……ふう……くっ……!」

「大丈夫」

 アイビーは震えるハナビシの手をギュッと握り、クロバラを正面から見据えた。

「はい。貴方がアンドウ君と結婚された事は知っています」

 強く、きっぱりとした口調でアイビーは言う。


「その上でお願い申し上げます。どうか、私とハナビシさんをアンドウ君の傍に置いてください」


「………」

 クロバラは冷たく、何を考えているのか分からない目でアイビーを見つめ返す。

 禍々しい魔力と吸血鬼の視線。普通の人間ならば発狂してもおかしくない。

 だが、アイビーはクロバラから目を逸らさなかった。

「……僕の」

 クロバラが口を開く。


「僕のユウトに手を出そうとする者は誰だろうと―――絶対に許さない」 


「「―――ッ!」」

 クロバラの殺意にまみれた言葉。

 アイビーは自分の死を覚悟した。

 一方、吸血鬼の禍々しい魔力に震えていたはずのハナビシは、アイビーを守ろうと両手を広げて彼女の前に立つ。


「と、言いたい所だけど……」


 クロバラの空気が再び変わる。

 同時に部屋中を覆っていた魔力が、煙のようにフッと消えた。

「さっき僕は、『此処から出して欲しい』という望み以外なら何でも叶えてあげると君達に言った。『約束』をした以上、それは守らなければならない」

 氷のような無表情から一転、クロバラはニコリと微笑む。

「良いだろう!」

 吸血鬼、クロバラはパチンと指を鳴らした。


「君達二人が、ユウトの傍に居る事を許可する」


「―――ッッッ!!!」

 アイビーとハナビシは大きく目を見開く。

「本当……か?」

「本当だよ。僕は『約束』は必ず守る」

「や、やった!」

 ハナビシは大きく両手を上げた。

「……ありがとうございます」

 アイビーはクロバラに頭を下げる。


「そうだな……君達二人は『護衛』という名目でユウトの傍に置くことにしよう」


 クロバラはポンと手を叩く。

「僕が何らかの用でユウトの傍に居られなくなった時、君達二人には僕の代わりに彼を守ってもらおう。ブルー・ドラゴンを倒し、僕の魔力にも耐えた君達二人になら、ユウトを任せられる」

 それで良いかい?クロバラは二人に問う。

「……はい」

「ああ!じゃなかった。はい!」

「よし、決まりだね」

 クロバラは頷く。


「アイビー・フラワー。ハナビシ・フルール。君達二人をユウトの護衛役に任命する」


***


「やったな!これで、これからもアンドウと一緒に居られるぞ!」


 吸血鬼の居る塔から自分達の檻へと戻ったアイビーとハナビシ。

 ハナビシは興奮した様子で、何度もガッツポーズをする。

「護衛なら、ずっとアンドウを見ていられるし、吸血鬼が居ない時なら、アンドウと色々する事だって出来る!」

「……そうだね」

「お前のおかげだ!ありがとうよ。アイビー」

「……うん」

「どうした?さっきから変だぞ?」

 大喜びするハナビシとは対照的に、アイビーの表情は何処かこわばっている。

「何か気になるのか?」


「ねぇ、どうして吸血鬼は私達がアンドウ君の傍に居る事を許したんだろう?」


 アイビーは口を手で押さえる。

「正直に言うとね。私は『アンドウ君の傍に居させて欲しい』って願いが吸血鬼に認められるなんて全く思ってなかったんだ。まず間違いなく吸血鬼を怒らせて死ぬことになるって思ってた」

「……」

「でも、アンドウ君と二度と逢えなくなるのは嫌だった。どうしても嫌だった。だから……」

「少しでも可能性があるならって思ったんだな?」

「……うん」

「そっか……」

「ごめんね」

「気にしなくて良い。死ぬかもしれないって話は事前に聞かされていたからな」

 ハナビシは首を横に振る。

「それに、私がお前でもそうした」


 安藤優斗ともう一度逢えるのなら、例えどんなに少ない可能性にだって命を懸けられる。

 アイビーもハナビシも、そこまで安藤優斗という人間に惹かれていた。


「もしかしたら、吸血鬼は?」


「最初から?」

「うん」

「だけどよ。お前が『私達をアンドウ君の傍に置いてください!』って言った時、吸血鬼は怒ったぞ?でも、約束したから仕方ないって……」

「あっさり要望を通したら、私達が怪しむ。そう思って芝居を打ったのかもしれないよ?」

 吸血鬼はアイビー達よりも圧倒的な強者。

 人間と交わした口約束など、吸血鬼が守る必要はない。


「もし、吸血鬼が私とハナビシさんがアンドウ君の事を好きだって知っていたとしたら、ブルー・ドラゴンを倒した報酬を『アンドウ君の傍に居る事』にするのは予想出来る。吸血鬼はもしかして、私達を利用して何かしようと―――」


「うーん」

 ハナビシは腕を組む。

「いや、だとしてもよ。別に問題はないだろう?」

「えっ?」

 キョトンとするアイビーに、ハナビシは言う。

「吸血鬼が何を考えていようと、私達二人が安藤の傍に居られるようになった事には違いないんだ。それは喜ばしい事だろ?」

「うん、まぁ……そうだけど……」

「一度は『死んでも良い』って覚悟はしてたんだ。今更、吸血鬼に何されたって後悔はしねえよ」

「……ハナビシさん」

「それに、吸血鬼が何かを企んでるって決まったわけじゃないだろ?お前の考え過ぎかもしれねぇぜ?」

「……」

 確かに、アイビーの考えには何の根拠もない。

 ハナビシの言う通り、考え過ぎという可能性だってある。

「ま、とりあえず今はアンドウとまた逢える事を喜ぼうぜ!なっ?」

「……うん。そうだね」

 アイビーは微笑む。

「ありがとうハナビシさん」

「ああ」

「それと、もう一つお礼を」

「ん?」

「さっき、吸血鬼から私を守ろうとしてくれてありがとう」

 少し照れながら、アイビーはハナビシに礼を言う。

「おう!」

 ハナビシはまるで子供のように笑った。


 ほんの少し前に殺し合いをしていたとは思えない程、アイビーとハナビシの仲は深まっている。


 その日、二人は眠るまで安藤の話をし続けた。

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