第116話 結婚式

『世界が欲しいか?』


 黒い魂が私に問い掛ける。 


『我が主となれ、さすればこの世界は其方のものとなる』


「世界?そんなものいらない」


 私は唇の端を上げた。


「世界など欲しくない。私が欲しいのは一つだけだ」 


 私は黒い魂に向かって叫ぶ。


「力を―――力を寄越せ!彼を私のものに……私だけのものにする力を!」


 黒い魂はニヤリと笑った。


「邪悪な心の持ち主よ。その願い、聞き届けよう!」


 黒い魂は翼を広げ、雄叫びを上げた。 


「今より、其方は我が主だ!」


 こうして、私は怪物となった。 


***


 吸血鬼、クロバラが支配している大森林には式場がある。

 クロバラ曰く、いつか『静かで優しい愛』を持つ者が自分の前に現れた時、その者と結婚するために建てさせていたとの事。


 その式場で、安藤とクロバラの結婚式が行われた。


「この日、この時。汝ら二人は『誓いのキス』をもって夫婦となる。新婦、クロバラ」

 祭師のような格好をした魔物が吸血鬼、クロバラに問う。

「汝はこの男、アンドウ・ユウトを夫とすることに、異論はあるか?」

「ありません」

 ホーリー・ニグセイヤの姿をしたクロバラは、祭師の問いに即答する。


 それはまさに、本物のホーリーとの結婚式を再現した様な光景だった。


 吸血鬼は血を吸った相手の記憶を見る事が出来る。

 この結婚式は、おそらく安藤の記憶を参考にしているのだろう。


「では、アンドウ・ユウト」

 祭師の格好をした魔物は、次に安藤に問う。 

「汝はこのお方、クロバラ様を妻とすることに異論はあるか?」

「……」

 安藤はぐっと歯を噛みしめ、答えた。

「いいえ、ありません」

「よろしい!」

 祭師の格好をした魔物は式場に響き渡るほどの、大きな声で言った。


「では、二人とも『誓いのキス』を!」


 安藤とクロバラは互いに向き合う。

 目を閉じるクロバラに、安藤はキスをした。 

 

「今、二人は夫婦となった!皆、祝福の拍手を!」


 結婚式場に居た魔物達が一斉に祝福の拍手を送る。クロバラは拍手をする魔物達に笑顔を向けた。

 この場に居る者達は皆、笑顔だ。安藤優斗を除いて。


 こうして、安藤優斗は吸血鬼クロバラの伴侶となった。


***


「お疲れさまでした。ユウト様」


 式場から少し離れた場所。そこにクロバラが新しく建てさせた家がある。

 この家は安藤とクロバラ。二人だけのプライベート空間だ。


「結婚式でのユウト様、とても素敵でしたよ」

「……ありがとうございます」

「私はどうでしたか?変ではありませんでしたか?」

「……いいえ、とても綺麗でしたよ」

「そうですか?嬉しいです」

 ホーリーの顔で、クロバラはニコリと微笑む。 

「あの『誓いのキス』も素敵でした。ユウト様のキスはとても優しくて、心が満たされます」

「……そうですか」

 楽しそうに話すクロバラに対し、安藤は心ここにあらずという様子で応える。

「……ユウト様、こちらへ」

 クロバラは安藤の手を掴むと、別の部屋に移動した。


 そこは、大きなベッドが一つある寝室だった。


 クロバラは安藤をベッドに投げると、四つん這いでその上に跨った。

「な、何を……!」

「ユウト様、今日は私達が夫婦となって過ごす初めての夜です。『初夜』に夫婦がする事と言ったら……お分かりですね?」

「―――ッ!」

 クロバラは安藤の頬にそっと手を添える。

「ユウト様、貴方がまだ私を愛していないのは分かっています。しかし、いずれ必ず私が貴方を愛しているのと同じぐらい、貴方も私の事を愛するようになります」

 クロバラは体を密着させ、大きな胸を安藤に押し付ける。

 そして安藤の体を触りながら、何度もキスをしてきた。

「―――ッ……くっ……!」

 ビクンと反応する体。

 安藤は咄嗟に拒絶しようとして、クロバラの肩を掴んだ。

「ユウト様、抵抗しないでください」

 ホーリーの姿をしたクロバラが安藤の耳元で囁く。


「カール・ユニグスの自由と引き換えに、ユウト様は私の伴侶となる。それがユウト様と私の間で交わされた『約束』です」


 安藤は「ハッ」となる。

 カール・ユニグスは、安藤がクロバラの伴侶になるという条件で解放された。

 クロバラは解放したカールを再び攫う事はしないと『約束』したが、此処でもし、安藤がクロバラを拒めば、またカールを攫って来るように部下の魔物に命令するかもしれない。


 それだけは……それだけは、絶対にダメだ。  


 安藤はクロバラの肩から手を離し、抵抗するのをやめた。

 ホーリー・ニグセイヤの顔をした吸血鬼がクスリと笑う。

「愛しています。ユウト様……」 

「―――ッッ……うっ……くっ……」

 ベッドが大きく軋む。何度も、何度も。


 こうして一晩中、安藤はクロバラの愛に耐え続けた。


***


「あの話聞いた?吸血鬼が人間と結婚したんだって!」 


 吸血鬼と人間の結婚。この話は、その日の内に人間達の間に広まった。


「それは……嘘だろ……」

「いや、本当なんだって!」

「魔物達が話しているのを聞いた奴がいるらしいよ!」

「どうして、吸血鬼が人間と?」

「なんでも、その人間の事を吸血鬼が凄く気に入ったらしい。相当な入れ込みようって話だぜ」

「はぁ~上手くやったな。そいつ」

「吸血鬼と結婚したのなら、此処での生活は天国だろうよ。美味い食い物をたらふく食えるだろうぜ」

「前に比べたら此処の環境は断然良くなったけど、それでも外に比べたら全然だしな……」

「羨ましいぜ」

「そういえば、吸血鬼って男にも女にもなれるんだろ?吸血鬼の相手って男?女?」

「男だってさ」

「へえ、吸血鬼が惚れるぐらいだから、相当なイケメンなんだろうな」

「だな。一目見たいぜ」

「んで、そいつの名前は?」


「確か……『アンドウ・ユウト』って言ってたな」


 その名前に二人の女性がピクリと反応した。

「少し、良いですか?」

「なぁ、ちょっと良いか?」

 

 二人の女性―――アイビー・フラワーとハナビシ・フルールが同時に尋ねる。


「その話、もっと詳しく教えてくれませんか?」

「その話、もっと詳しく教えてくれないか?」

 二人は女性達の輪に加わり、じっくりと話を聞いた。


 話を聞き終えたアイビーとハナビシは自分達の部屋に戻る。

 ほんの少し前までは皆が一つの場所に押し込まれて寝食を共にしていたが、今では待遇が改善され、二人に付き一部屋が与えられている。態度の良い者には個室まで用意するとの事だ。

 現在、アイビーとハナビシは同室となり、一緒に生活している。


「まさか、吸血鬼がアンドウ君を好きになるなんて……いや、アンドウ君の魅力を考えれば、当然か……迂闊だった」

 頭を押さえるアイビーに、ハナビシは尋ねる。

「なぁ、もしアンドウが吸血鬼と結婚したって話が本当なら……」

「うん」

 アイビーは首を縦に振った。


「アンドウ君とは……もう会えなくなるかもしれない」


「―――ッ!」

 アイビーの言葉に、ハナビシは顔を大きく歪めた。

「吸血鬼と結婚したアンドウ君は、私達とは違う立場になる。住む場所も変わるだろうし、労働に駆り出される事もなくなるだろうから、私達がアンドウ君と逢える機会はもう無いかも……」

「ふざけるなよ!」

 ハナビシは頭をガシガシと掻く。

「二度とアンドウに会えない?そんなの認められるか!」

「勿論だよ。私だって、絶対に認めない」 

 アイビーはハナビシに同意する。

「そのためにも、まず現状を整理しよう。その上でアンドウ君と逢う方法を考えなきゃ」

「ああ、そうだな……」

 アイビーの言葉で冷静になったハナビシは「フウ」と息を吐く。


「まず、私達二人じゃ一生掛かっても吸血鬼には勝てねぇ」

「うん。そうだね。二人掛りで挑んでも一秒も持たないだろうね。『アンドウ君を吸血鬼から力ずくで奪い返す』のは絶対無理」


「吸血鬼の目を盗んでアンドウを連れて三人で逃げる。ってのも無理だな」

「うん。吸血鬼を欺くのがまず不可能に近いし、万が一アンドウ君を連れ去る事が出来たとしても、大森林には吸血鬼配下の魔物達がそこら中に居るからすぐに捕まってしまうでしょうね」


 ハナビシは腕を組む。

「『テレポート』はどうだ?お前、テレポートは使えないのか?」

「私は使えない。例え使えたとしても、此処―――大森林の中ではテレポートは発動しない」

「なんで?」

「大森林には『テレポート妨害魔法』が張り巡らせてあるから」


 アイビーは、まるで教師のように説明する。

「『テレポート妨害魔法』のせいで、外からテレポートで大森林の中に入るのも、テレポートで大森林の外に出る事も出来ないようになっているの。大森林の上空には『飛行妨害魔法』も張ってあるから、大森林の中に入るには歩いて来るしかない」

「そっか……まぁ、そりゃそうだよな」

 捕まえた人間達を逃がさないためにも、外から奇襲を掛けられないためにも、テレポートの対策をしておくのは至極当然だ。


 アイビーとハナビシでは吸血鬼に勝てない。

 安藤を連れて逃げても、直ぐに捕まってしまう。

 アイビーもハナビシもテレポートは使えないし、例え使えたとしても大森林の中ではテレポートを発動する事は出来ない。

 

「だったら……どうする?」

 ハナビシに尋ねられ、アイビーは考える。

「……これが一番かな」

「何か思いついたのか?」

「うん。だけど……」

「だけど?」

 アイビーはハナビシを見上げた。


「失敗すれば死ぬと思う」


 一瞬、部屋の中がシーンとなる。

「……それは吸血鬼に殺されるかもしれないって事か?」

「そう。もしかしたら吸血鬼を凄く怒らせるかもしれない」

「……」

「それでも、やる?」

「お前は、やるのか?」

「やるよ」

 アイビーは即答する。


「このまま、アンドウ君に会えなくなるなんて絶対に嫌だ。たとえ死ぬかもしれなくても、アンドウ君にまた会えるのなら、私はやるよ」


 アイビーはハナビシを真っすぐ見つめる。

「……よし!」

 ハナビシは自分の拳と拳を合わせた。

「私もやる」

「まだ何をするかも聞いてないのに?」

「私は殴る事しか能が無い馬鹿だからな。いくら考えた所で、お前よりも良い案が思い浮かぶとは思えねぇ」

「死ぬかもしれないよ?」

「構やしねぇよ」

 ハナビシは「フッ」と笑う。


「私もお前と同じ気持ちだ。このまま二度とアンドウに会えないなんて、絶対にごめんだ」


 ハナビシもアイビーをまっすぐ見つめる。

「……分かった。アンドウ君とまた逢うため、一緒に頑張ろう!」

「おう!」

 アイビーとハナビシ。二人は固い握手を交わした。


「それで?具体的には何をするんだ?」

「まずは……」

 アイビーが説明しようとしたちょうどその時、部屋の扉が開いた。

「九八七三番と九八八一番、出ろ」

 開いた扉の向こうには、吸血鬼直属の魔物が立っている。

 魔物は低い声でアイビーとハナビシに言った。


「吸血鬼様がお呼びだ。来い」

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