第20話 三島由香里①

 三島由香里は幸せだった。


 ついこの間、三島は幼馴染である安藤優斗に告白されたからだ。

『由香里、お、俺と付き合ってくれ!』

『……うん!喜んで!』

『よっしゃああ!』

 三島に初めの恋人が出来た瞬間だった。


 それから、三島と安藤は何度も遊びに出かけた。その日もデートの帰りだった。

「家まで送ろうか?」

「ここでいいよ」

「でも、この先暗いし、人通りあまりないし……」

「名は体を表すって言うよね」

「えっ?」

「優斗は名前の通り、優しいね」

「むっ、んんっ」

 安藤は顔を真っ赤にした。三島は思わずクスリと笑う。

「大丈夫だよ。この道何度通ってるし、家もすぐそこだから」

「……分かった」

 安藤はしぶしぶといった表情で頷く。

「じゃあ、また明日な!」

「うん、また明日!」

 別れを告げた後も、何度も振り返り、ブンブンと手を振る安藤を三島は微笑ましく見ていた。

(可愛い) 

 幸せそうな安藤を見ていると自分まで幸せになる。彼は天使か何かではないだろうか。

(……長かった)

 ここまで来るのに本当に長かった。でも、振り返ってみるとあっという間だった気もする。

 安藤の姿が見えなくなると、三島はフッと笑った。


 さぁ、帰ろう。家でまだやることがある。

 三島は家へと帰ろうとする。


 その途中、暗い道の端に人が立っているのが見えた。

 三島がふとその人影に目をやると、向こうも三島を見た。


 目と目が合う。すると、その人影は三島に向かって歩き出した。

 人影は三島のすぐ目の前で止まり、ゆっくりと口を開いた。


「三島由香里さんですね」


「……はい、そうですけど」

 三島が答えると、その人物は自己紹介をした。


「私は安藤先輩の後輩で、菱谷と言います。」


 菱谷は感情のこもっていない目で三島を見つめる。

「三島由香里さん。実は、貴方にお願いがあって来ました」

「私に……?」

「はい」

「なんですか?」

 一瞬、辺りが静寂に包まれた。風が二人の髪を揺らす。

 風が収まるのと同時に、菱谷は『お願い』を口にした。


「安藤先輩と別れてください」


 にど静寂が辺りを包んだ。遠くで鳴っている車のクラクションの音が嫌に大きく聞こえてきた。


「私が……優斗と別れる?」

「はい」

「どうして?」

「貴方は先輩の相手に相応しくないからです」

「私が優斗に相応しくない?」

「はい。貴方は先輩に相応しくありません。先輩に相応しい人間は別にいます」

「別にいる?誰?」

「私です」

 初めて、今まで無表情だった菱谷の顔に笑みが生まれた。


「先輩に一番相応しいのは私です。だから、先輩とは私が付き合います」


 菱谷は静かに宣戦布告をした。


「……」

 三島はじっと菱谷を見つめる。

「貴方、優斗が好きなの?」

「もちろんです」

 菱谷は誇らしげに、語る。

「あんなに優しくて、素敵な人は他にいません。私は先輩を愛しています」

「そう……」

 三島は少し間を置いた後、口を開く。

「でも、優斗に一番相応しいのが貴方っていうのは、間違ってる」

 三島はニコリと笑う。


「優斗に一番相応しいのは、私だよ」


 空気が凍った。

 今度は、ヒンヤリとした風が二人の髪を揺らす。


「いいえ、違います。先輩に相応しいのは私です」

「私だよ」

「私です」

「私だよ」

「私です」

「私だって」

「私です」

「私なんだよ」


「私だ!!」


 菱谷は突然、獣のように声を荒げた。

 夜の静寂が破られる。


「私だ!先輩に相応しいのは私なんだ!お前じゃない!!」


 菱谷はポケットに手を入れると、中から何かを取り出した。

 それは、刃渡り十センチ以上ある折り畳みナイフだった。

 菱谷は折り畳みナイフをゆっくり起こす。そして、それを三島に向けた。


「ちょ、ちょと!」

 ナイフを向けられた三島は、一歩ほど後ずさる。すると、菱谷は二歩、前に出た。

「お前は、邪魔なんだ。お前さえ、いなければ、先輩は私の物になる」

 菱谷は殺意にあふれた目を三島に向ける。

「先輩と別れると言え、さもないと……」

「ま、待ってって!」

「早く言え、先輩と別れると!」

「お、落ち着いて!」

「早く!」

「危ないから、まずはそのナイフを下ろそう。ね?」

「そうか……」

 菱谷はナイフを向けたまま、さらに三島に近づく。

「先輩と別れるつもりはないんだな」

 菱谷は、走り出した。あっという間に菱谷の目と鼻の先まで距離を詰める。


「死ね」


 菱谷は迷いのない動作で、三島にナイフを振るった。


                ***


「お久しぶりですね。三島由香里さん」

「うん、本当に久しぶり。あの時以来だね」


 血の匂いが充満する玉座の間で、二人は平然と話す。

「何故、兵士の振りを?」

「君の様子を伺おうと思ってね。まぁ、直ぐにバレたみたいだから意味はなかったけど」

 三島は顔から外した仮面を投げ捨てた。カランという音を立て、仮面が床に落ちる。

「顔も仮面で隠していたのに、どうしてわかったの?」

 三島は不思議そうに首を傾げる。

「この世界の人間は、私や先輩の名前を上手く発音できません。おそらく、異世界の人間の名前の発音は難しいのでしょう。しかし、貴方は私の事を正しい発音で呼んだ」


『ヒシタニ様』ではなく、『菱谷様』と貴方は呼んだ。と、菱谷は言う。


「なるほどね。そういうことか」

 三島は納得したように頷く。

「本物かどうか、確認したくて、つい声を掛けてしまった。失敗だったね」

「三島さん」

「何?」


「王の兵を動かし、先輩を攫おうとした人物『カシム=ミヤリ』とは、貴方ですね」


 菱谷は温度のない声でそう言った。

「どうして、そう思ったの?」

「先輩を連れ去ろうとした襲撃者達。あいつらは、屋敷を襲撃するように命じた首謀者の記憶を失っていました。姿形はおろか、性別等もあいつらは覚えていなかった。首謀者が自分の情報を襲撃者達の記憶から消したからです。ですが、何故かあいつらは、首謀者の名前だけは覚えていた」


 カシム=ミヤリ。

 襲撃者達は、首謀者の名をそう言った。


「首謀者は何故、自分の名前だけ襲撃者の記憶から消さなかったのか。自分が関わった痕跡を消したいのなら、当然名前に関する記憶も消すはずです。しかし、首謀者はそうしなかった。それは、何故か?首謀者は、自分の痕跡を消したかったのではなく、名前に注目させるために、ワザと自分の名前を残したのだと、私は思いました。そして、気が付きました『カシム=ミヤリ』という名前はアナグラムだと」


 アナグラムとは文字を入れ替えて、別の言葉を作る事だ。

 作家のペンネームなどで使われたり、推理小説にもトリックとして出てくることが度々ある。


「『カシム=ミヤリ』という名前をローマ字に変換すると、『kashimu=miyari』となります。これを並び替えると……」


『kashimu=miyari』⇒『mishima=yukari』


「『三島由香里』。貴方の名前になる」


「実に下らない、初歩的な暗号です」と菱谷は吐き捨てた。


 三島はニコリと微笑む。

「君は推理小説が好きらしいからね。気付いてくれる可能性は高いと思っていた」

「もしも、私が気付かなかったらどうするつもりだったのですか?」

「その時は、その時。また、別の方法で君にだけ分かるように伝えるつもりだった。もっとも、君が直ぐに気付いてくれたから、他の方法は使わずに済んだけどね」


「私だけに分かるようにしたのは、先輩に気付かれたくなかったからですか?」


「そうだよ。私がこっちの世界に来ていることを優斗が知ったら、君は彼に何をするか分からないからね。最悪、君は優斗を連れて、どこかに逃げるかもしれない。でも、私がこっちの世界に来ていることを君だけが知れば、君はきっと優斗に知られる前に行動を起こすと思った」


 あの時と、同じようにね。


「……」

 菱谷は静かに三島を見つめる。

「こちらの世界にいるということは、元の世界で貴方は……」

「うん、死んだよ」

 三島はあっさりと語る。


「私も、死んでこの世界に来たんだ」




 

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