第19話 仮面の下

 時は一カ月以上前に遡る。


「じゃあ、行ってきますね。先輩!」

「ああ……うっ!」


 菱谷は安藤の首に両手を回し、自分の唇を安藤の唇に押し付けた。

 短くない時間、口づけを交わした後、菱谷はゆっくり唇を離す。


「じゃあ、行ってきます!」

 菱谷はニコリとほほ笑むと、小さく呪文を唱えた。

 次の瞬間、菱谷はまるで煙のように消えた。


 そして、距離も時間も無視して、菱谷はある国に一瞬で移動した。


 ラシュバ国。


 人口、約二億八千万人。

 面積、七十八万平方キロメートル。

 島国。

 おもな産業……観光業、漁業、貴金属の輸出など。

 魔物……多くの固有種を有する。


 身分:王、貴族、僧侶、兵、上民、平民、下民の7つの階級に分かれる。


 魔法使いのほとんどは、兵士、または上民に属している。一部の優れた魔法使いだけが、僧侶となれる。


 だが、この国にはただ一人だけ、貴族並みの地位を王に与えられた魔法使いがいる。しかも、その人間はたった一年でその地位まで上り詰めた。


 その魔法使いは、『大魔法使い』と呼ばれ、民たちは慕われ、同じ魔法使い達からは尊敬と嫉妬の目で見られている。


 しかし、その正体を知っている者は誰もいない。


               ***


 ラシュバ国王宮。


 国の中央に位置する。政治の中心であり、王の居城でもある。

 王宮は民から搾り取った税であらゆる贅沢が施されていた。


 菱谷は、その王宮の内部に転移魔法で跳んだ。


 その場に佇んでいると、やがて二人の兵士がやって来た。兵士二人は仮面を被り、顔を見せないようにしている。

 兵士達は、菱谷の前で立ち止まると、深く頭を下げた。

「お待ちしておりました」

「菱谷様」


 王宮の中を二人の兵士に連れられ、菱谷は歩く。

 途中、多くの兵士と目が目が合った。王宮直属の兵士達だ。しかし、菱谷はまるで自分こそが王宮の主であるかのように、堂々と歩く。

 やがて菱谷は、ある扉の前に案内された。

「どうぞ」

「こちらへ」

 兵士二人は同時に扉に手を掛ける。


「「王がお待ちです」」


 扉が開かれると、そこには異様に広い空間が広がっていた。

 天井は高く、豪華なシャンデリアが吊り下げられている。部屋の中心には赤い絨毯が部屋の端まで敷いてあり、大勢の兵士達が両側の壁に沿って、並んでいた。

 菱谷を案内した兵士達二人も菱谷が部屋の中に入ると、素早く列に並んだ。

 此処にいる兵士達も、先程の二人の兵士と同じく皆、顔に仮面をつけている。どうやら、この国の兵士達は、皆、顔に仮面を付けているようだ。

 さらに、兵士に混じり、僧侶も何人かいる。

 そして、部屋の奥にこの部屋の……いや、この国の主が座っていた。


 此処は玉座の間。

 王が人と謁見する場所だ。


「よくぞ来られた。ヒシタニ殿」


 よく通る大声が響き渡った。

 魔女の名を呼んだのは王の傍らに立っている大臣だ。

「さぁ、こちらへ!」

 菱谷は、一瞬だけ、チラリと並び立つ兵士に視線を向けたが、直ぐに前を向いて歩き始めた。


 王の近くまで歩み寄ると、菱谷は膝を付き、深く頭を下げた。


 王は階段の上の玉座から菱谷を見下ろしている。

 傍らにはこの国で二番目の地位にある大臣。さらに、その下には王の寵愛を受けている貴族達が控えている。

「……」

「はっ!」

 王が何か大臣に耳打ちをする。すると、大臣が大声を張り上げた。


「そなたが、イア国の魔女……ヒシタニ殿か。と王は申されています」


「はい、私が菱谷です」

 菱谷は顔を伏せたまま答える。

「顔を上げよヒシタニ殿。と、王は申されております!」

 その言葉に従い、菱谷はゆっくりと顔を上げる。

「ニクケーチャ国王。お会いできまして、恐悦至極に存じます」

「……」

「はっ!」

 王がまたもや大臣に耳打ちする。

「私も貴殿に会えて嬉しい。と、王は申されております!」

「……」

「して、本日は何の用かと、王は申されております!」

「……」

「昨日、友好国であるミラッド王からどうしても、魔女と会って欲しいと懇願されたゆえ、本日は急遽時間を取った。と、王は申されております!」

「……」

「彼には借りがあるからな。王は申されております!」

「……」

「だが、私は忙しい身だ。この後、いくつもやらなければならないことがある。要件があるなら手早く済ませて欲しい。と、王は申されております!」

「かしこまりました」

 菱谷は、スッとその場に立ち上がった。


「では、手早く要件を済ませましょう」


「なっ!」

 立ち上がった菱谷を見て、貴族達が慌てふためく。

「ヒ、ヒシタニ殿!」

「王の御前であるぞ!」

「控えられよ!」

 貴族達は、菱谷に再び膝を付くように命じる。


 しかし、菱谷は一向に跪こうとしない。


 いくら、友好国からの客人とはいえ、あまりにも無礼な行為。

 見逃す訳にはいかない。

「くっ……兵よ!」

「この無礼者を捕えよ!」

 貴族が兵士達に命じる。貴族の命を受け、兵士達が一斉に動き出した。


「『全員、動くな』」


 兵士達の動きがピタリと止まった。兵士達はまるで人形のように動かなくなる。

 兵士の中に混じっていた僧侶もピクリとも動けない。

「こ、これは?」

「い、一体!?」

 兵士達や僧侶だけではない。貴族達も王も動けずにいる。

「ヒ、ヒシタニ殿。これは貴殿がやっているのか?」

「魔法か?」

「魔法ならば、今すぐ解け!さもなければ……」


「『黙れ』」


「……ぐっ!」

「……むっ!」

 菱谷が命じた瞬間、騒ぎ立てていた貴族達が皆口を閉ざす。


「『私の質問にだけ正直に答えろ』」

 菱谷はまるで、自分が王であるかのように皆に命じた。


「カシム=ミヤリという人間を知っているか?」


 菱谷の質問に皆、キョトンとしている。

 質問に答えろと命じられたが、皆、思い当たることがないので答えることが出来ず沈黙している。


「ああ」

 すると、一人の人間が菱谷の質問に答えた。

「知っている」


 菱谷の質問に答えたのは、階段の最上。

 玉座の間に鎮座している王だった。


               ***


「お前はカシム=ミヤリという人間に、兵を貸したか?」


 菱谷は王を『お前』呼ばわりする。しかし、菱谷の言霊の魔法によって誰もそれを咎められない。


「ああ、貸した。『ホワイト・ウルフ』を……」

「『ホワイト・ウルフ』……確か、過酷な訓練を潜り抜けた者だけが選ばれるこの国のエリート部隊だったな」

「そうだ。その中の一小隊を貸した」

「何故、兵を貸した?」

「カシム=ミヤリには大恩がある。それ故に」

「お前の貸した兵士達が私の屋敷を襲った。それは知っているか?」

「知らぬ。私はただ、頼まれて兵を貸しただけだ。カシム=ミヤリが兵士達に何を命じたのかは、私は知らぬ」

「そうか……」

 菱谷はフゥと息を吐く。

「カシム=ミヤリに恩があると言ったな」

「ああ、言った」

「それは、どんな恩だ」

「どんな……?」

 王が初めて言葉に詰まった。


「……どんな、恩?私は、どんな恩を受けた?思い出せぬ。だが、確かにあったはずなのだ。大きな恩が」

「なるほど……」

 菱谷は納得するように深く頷いた。


「『動いていい』」


「くはぁ……」

 菱谷の魔法が解かれ、王や貴族。兵士達や僧侶が束縛から解放された。

 多くの人間が、菱谷のあまりの力の巨大さに恐れおののく。

「くっ……!」

 だが、勇気ある数名の兵士達は自由になった瞬間、菱谷に襲い掛かった。


 ブシュ。


 勇気ある者達の剣が菱谷に届く前に、彼らは口や目、鼻から大量の血を吹き出し、その場に倒れた。


「くそ!」

「魔女が!」

 倒れた仲間を見て、恐怖から解放されたさらに数人の兵士が菱谷に襲い掛かろうとする。

「や、やめよ!」

 突如、大臣を通さず王が声を荒げた。

「手を出してはならぬ。よいか、手を出すでない!」

 王の命令とあれば兵士は従うしかない。兵士達は武器を収め、後ろに下がった。

「ヒシタニ殿!」

「ん?」

「聞きたいことは、もうないか?」

「ああ、聞きたいことは大体聞いた。予想通りの答えだったよ」

「そうか……ヒシタニ殿、無茶を承知で頼みがある!」

 王は菱谷の目をまっすぐ見る。

 まっすぐ自分の目を見てくる王の目を、菱谷は空虚な表情で見返していた。


「見逃しては、もらえないだろうか?」

「……」


「我が『ホワイト・ウルフ』が貴殿の屋敷を襲った件については全面的に謝罪しよう。どうか許してほしい」

 王は玉座から立ち上がり頭を下げた。兵士達は目を大きくして驚き、周囲の貴族達は慌てふためく。

「お、王!」

「王が頭を下げるなど、そのような……!」

「良いのだ。こちらに非があるのならば謝罪するのは当然であろう!」


 ラシュバ国の国王ニクケーチャは、歴代の国王の中で最も優秀だと言われており、頭の回転は特に速かった。

 この魔女は、その気になればこの場にいる全員を皆殺しにできる。


 常識的に考えれば、当然、そんなことをするはずがない。

 兵士はともかく、国の王や貴族を殺せば、外交問題どころか確実にイア国とラシュバ国の間で戦争になる。

 そんなことが分からない程、この魔女は愚かではないだろう。

 

 それでも、この場は王である自分が直接謝罪せねばならない場面だ。

 魔女の言っていることが本当であろうとも、嘘であろうとも。


「貴殿がたった今、殺した兵士達への罪も不問にする」

 王の言葉に兵士達がざわめく。当然だ。目の前で仲間が殺されたのに、その犯人の罪を不問にすると宣言したのだから。

 兵士達の不満は十分承知だ。だが、それは後で何とかなる。

 それよりも、今は、この魔女の怒りを鎮めるのが先だ。

「出来るだけ賠償もする。カシム=ミヤリが何故、貴殿の屋敷を襲うように我が兵に命じたのかは分からぬが、理由も必ず明らかにすると誓う。ただ、信じてくれ。私は何も知らなかったのだ。だから……」

 王はさらに頭を深く下げる。


「我らを許してもらえぬか?」


 しばらく待ってから、王は頭を上げた。

 菱谷は王に対して、ニコリと微笑んでいた。王も菱谷に笑みを返す。


「何を言っている?」

 菱谷は軽く首を傾げた。その顔から一瞬で笑顔が消える。


「知っていようが、知っていまいが、私と先輩の愛の生活を壊そうとした者に手を貸したお前を私が許すと思っているのか?」


「え?」

 王はキョトンと呆ける。その顔はこの国の頂点に立つものとは思えない程マヌケなものだった。

「さらに、王に止めるよう助言できなかったお前ら貴族も、兵士達も当然、皆同罪だ」

 菱谷は、まるで朝の挨拶をするかのような軽い口調で命じた。


「『全員、死ね』」


 菱谷が命じるのと同時に、歴史に残る惨劇が始まった。


                 ***


「ぐわっ!」

「ぎゃああ!」

 悲鳴が聞こえた。王は驚き、悲鳴のした方を見る。


 兵士達が持っていた剣で自分の喉を突き刺していた。


 兵士達がその場に倒れる。

 兵士に混じっていた僧侶達は、一斉に呪文を唱えた。すると、僧侶達は、口から大量の血を吐き出し、倒れた。


 床は兵士達と僧侶達の血であっという間に赤く染まった。


 今度は、貴族達が倒れている兵士達の元に走り出した。

「ひいいいい!」

「あ、足が勝手に!」

 貴族達は倒れている兵士達の元に駆け寄ると、落ちていた剣を拾い、自らの首を掻っ切った。

「ぎゃああああ」

「ぐぶぁ」

 貴族達の喉から勢いよく血が飛び出す。

「ばっ、馬鹿な!?」

「ぐあああ!」

 今度は、王の直ぐそばで悲鳴がした。王に大量の血が降り注ぐ。

 王の隣にいた大臣が自らの短剣で、喉を掻っ切っていた。

「ヒューヒュー」

 大臣は奇妙な呼吸音をもらし、倒れる。その体は階段を転がり、菱谷の足元で止まった。

「なっ、そ、そんな……うっ!」

 王はいつの間にか、大臣が落とした短剣を拾っていた。

 そして、その短剣を自分の喉に向けた。

「う、うあああああ!」

 王は短剣を離そうとする。しかし、手は王の意思に反して短剣を強く握りしめ、決して離そうとしない。

「ヒ、ヒシタニ殿。魔法を止めよ!魔法を止めよ!」

 王は菱谷に魔法を止めるように言う。しかし、菱谷は王の言葉が聞こえていないように、何もせず、ただ立っていた。。

「ま、魔法を止めてくれ!王である私を殺せば、貴殿の国と我が国との間で戦争となるぞ!分かっているのか?」

「……」

「まっ、待ってくれ!謝罪ならいくらでもする!欲しいものは何でもやる!な、何が欲しい?何が望みだ?な、何でもやるぞ!財宝でも、豪邸でも豪華な服でも何でもだ!だ、だから、頼む。私を殺さないで……助けて……」 

 王はその先を話すことが出来なかった。自分の喉に短剣を突き刺したからだ。

「ゴフッブハァ!」

 王が喉から短剣を引き抜く。虹が出来そうなほど大量の血が舞った。

 見苦しく喘ぎながら、王は階段から足を滑らせた。そして、先に床で倒れていた大臣の上に覆い被さった。


 ニクケーチャ国王。

 

 歴代の国王の中でも、最も優秀だと謳われたその男は、賢王にふさわしくないあまりにもあっけない惨めな最後を迎えた。


                  ***


「……」

 菱谷は、死んだ王に一瞥もくれない。魔女にとって、一国の王の死など、どうでも良いことだった。

 王を殺したことで、自分がいる国と他の国との間で戦争が起きようと知ったことではない。


 菱谷が見ていたもの。それは血まみれで死んでいる兵士達だった。


 菱谷の言霊の魔法は強力だ。一度魔法に掛かれば望んでいなくとも、菱谷の言葉を必ず実行する。

 兵士達は、全員が死に絶えたように見える。しかし、菱谷は兵士達の死体から目を逸らさない。


 やがて、菱谷は兵士達の死体に向けて、ゆっくりと口を開いた。


「そろそろ、起き上がったらどうですか?」


 バレバレですよ。と菱谷は言う。


 すると兵士の死体の内の一体が、ピクリと動いた。

 死体はゆっくりとした動作で立ち上がる。


 それは、死体ではなかった。

 それは、生きている人間だった。


 兵士は起き上がると、手に持っていた剣を捨て、背伸びをした。

「やっぱり、バレてたか」

 その人間は、兵士達の死体を平気で踏み、血に染まった床をまるで何事もないように歩いた。

 その人間の顔は仮面に隠れて分からない。

 だが、その仮面の下は恐らく笑っているだろうことは分かった。


「久しぶりだね。菱谷忍寄」

 

 相手は自分の仮面に手を掛け、静かに外した。

 仮面で隠れていた顔が露わとなる。


 その顔を見て、菱谷は感情を全く込めない声で、こう言った。










「お久しぶりですね。三島由香里さん」

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