第18話 狂信者

(……えっ?)

 

 一瞬、何が起きているのか分からなかった。

 安藤はただ、自分の足に深々と突き刺さたナイフをキョトンとした表情で見つめていた。ナイフが刺さった足から、タラリと血が流れ落ちる。


 その直後、凄まじい痛みが安藤を襲った。


「がああああああ!」

 あまりの痛みに安藤は叫び、暴れた。だが、いくら暴れても鎖や手錠は切れることなく安藤を椅子に拘束し続ける。

「……」 

 暴れる安藤を静かに見ていたビリーは、ナイフをゆっくりと、安藤の足から抜いた。すると、栓となっていたナイフがなくなったことにより、血液が一気に流れ出す。

「うぐあああああああ!」

 安藤は自分の足から大量に流れ出る血を見て、パニックになる。このまま血が流れ続ければ、出血多量で命が危ない。

「……」

 ビリーは、暴れる安藤を見つめた後、懐から小瓶を取り出した。ゆっくりとした動作で蓋を開け、安藤の傷口に中の液体を垂らす。

 肉の焼けるような匂いが充満する。

「があああああ」

 まるで、傷口に塩をたっぷりと塗られ、火で焼かれたような痛みだ。

 安藤は気を失いそうになる。


 すると、不意に痛みが消えた。


「はぁ、はぁ……?」

 安藤はナイフの刺さった傷口を見る。

 あれほど、流れ出ていた血がピタリと止まっており、さらに傷口は何事もないように消えていた。

「驚きましたか?」

 ビリーはニコリと笑う。

「これは、僕が製造した回復薬です。どんな傷でも……とはいきませんが、ある程度の傷なら治すことが出来ます」

 ただし、凄まじい痛みを感じますがと、ビリーは楽しそうに付け足す。


 そして、流れるような動作で、今度は安藤の手の甲にナイフを突き刺した。


「がああああ!」

 安藤は再び叫ぶ。ビリーは、ナイフを抜くと再び回復薬を安藤の手の甲に垂らした。凄まじい痛みと引き換えに、手の甲の傷が跡形もなく消える。


「今から、これを繰り返します」


 ビリーは静かに、そう言った。

「刺しては回復させ、刺しては回復させる。これを何度も何度も繰り返します。ああ、ご心配なく。回復薬はまだまだタップリありますから」

 ビリーはニコリとほほ笑む。その表情は慈愛に満ちていた。とても、人を刺した直後の人間の顔には見えない。

「……してですか」

「ん?なんです?」

「どうして、こんなことをするんですか!?」

 安藤は勢いよく顔を上げる。表情は絶望に染まっていた。

「いい表情です」

 ビリーは満足そうに笑う。


「今まで、我慢してきたかいがありました」


「……我慢?」

「はい、本当は直ぐにでも貴方を拷問に掛けたかったのですが、それでは、駄目です。より深い絶望を与えるには、まず希望を見せねばなりません」


 そのために、貴方の中にある希望を育てました。と、ビリーは言った。


「僕が何故、貴方を助け、世話を焼いたのだと思います?それは、貴方の中の希望を育てるためです。希望が大きければ大きいほど、信頼していればいる程、裏切られた時の絶望もまた大きくなる」

「……そんな」

「先程、僕は貴方を見て、貴方の中の希望が十分に育ったと確信しました。だから、今日。それを収穫することにしたのです」

「なんで……なんで、俺を……」

 安藤とビリーは、ほんの一か月前に会ったばかりだ。

 何故、これほど憎まれているのか。安藤には理解できない。

「理由はさっき、言いましたよ?」

 ビリーはナイフの切っ先をそっとなぞる。


「貴方は、僕の大切な人を奪った。その復讐ですよ」


「大切な人……?」

「まだ分かりませんか?」

 ビリーは優しく微笑むと、いつも身に着けているペンダントを首から外す。

 そして、ペンダントの蓋を開けた。


 その中には小さな一枚の紙が入っていた。ビリーはその紙を慎重に広げる。


「ひっ!」

 その紙を見て、安藤は思わず悲鳴を上げた。

「分かりましたか?貴方が僕から奪った大切な人が誰なのか……」


 紙には一人の女が描かれていた。


 見る人が見れば、その絵はとても美しく見えただろう。しかし、安藤には違った。安藤には、その絵がとてもおぞましいものに見えた。

 安藤は思わず、その女の名前を口にする。


「菱谷……」


 菱谷忍寄。この世界では魔女と呼ばれている存在が、紙の中で満面の笑みを浮かべていた。


                 ***


 ビリー・マウチは、元々、薬の研究員だった。 

 彼は優秀で、多くの新薬を作り、数多くの人を助けてきた。だが、同時にビリーには別の顔もあった。


 彼は新薬を作る際、無断で多くの人間を人体実験にしてきたのだ。

 その数は二百人を超え、内、五十八人が薬の後遺症で命を落とした。


 ある日、彼はそのことを同じ職場の同僚に知られてしまう。


 彼は、口封じのためにその同僚を手に掛けた。これで、自分の罪は暴かれないと思ったが、結局、人々を人体実験にしてきた事と、同僚を手に掛けたことは憲兵に知られてしまう。

 

 ビリーは憲兵に捕まる前に逃亡。それ以来、ビリーは憲兵から逃れるため、この森の中で生活し続けている。

 

「森での生活は地獄そのものでした。食料は自分で捕らなければならず、夏は熱中症になりそうなほど暑く、冬は凍死しそうなほど寒い。嵐が起きれば家のあちらこちらが壊れ、自分で直さなければならない。いっそ、自首するか死のうかと思ったことも一度や二度ではありません」

 ビリーは丁寧に、菱谷の絵が描かれた紙を折り畳むと、ペンダントに戻した。

「そんな生活を続けていれば、当然病気にも掛かります。幸い森の中には薬草になる植物が大量に生えており、僕には薬を作る知識があった。しかしある時、僕は森の中の薬草では作ることのできない病気に掛かってしまいました。その病気を治す薬を手に入れるには、町まで行かなければならなかった。僕は止むおえず、捕まる覚悟で街に戻ることにしました。ですが、その時、森の中で魔物に襲われたのです」

 ビリーは過去を思い出すように、遠くを眺める。


「流石に、もうダメだと思いました。ですが、そこに彼女が現れたのです!」


 ビリーは頬を紅くさせ、興奮しながら話す。

「あの日の事は、今でも鮮明に覚えています。彼女は強かった。魔物をあっという間に倒し、僕を助けてくれたのです。それから、彼女は僕に尋ねました。『この近くに何処か広い立派な屋敷はありませんか?』と。僕は、森のさらに奥に貴族が住んでいる豪邸があると、答えました。彼女は『ありがとうございます』と言い、僕の前から去りました。僕はずっと、その後ろ姿を見ていました」

 それからビリーは顔を隠し、なんとか街で薬を手に入れ、一命を取り留めたのだという。

「病気から回復すると、僕は直ぐに彼女の絵を描きました。それから、いつでも彼女と共にいられるように、このペンダントを作り、彼女の絵を中に入れました。このペンダントの形はこの国に古くから伝わる神話に出て来る『魔女』のシンボルをモチーフにしているのですよ」

 ビリーは、まるで宝物を自慢する子供のように目をキラキラとさせている。


「僕は彼女に、恋をしました。僕は彼女を心から愛しています」


 その後、顔を隠しながら街を降りたビリーは、新聞などから、自分を助けてくれた魔女の活躍を知ることになる。

「彼女に出会ってから、地獄のような森での生活が一変しました。僕は、朝起きた時と夜眠る時、一日の始まりと終わりにこのペンダントに向けて祈りを捧げることにしました。毎日、毎日、僕は彼女に感謝と愛を捧げ続けました。ペンダントに祈りを捧げると、とても幸せな気持ちになるのです。彼女の事を考えるだけで、どんな地獄にも耐え抜くことが出来ました」

 ビリーはペンダントを握りしめ、幸せそうに笑う。


 しかし、次の瞬間、その表情が一変する。


「ですが、僕の幸せは長く続きませんでした」

 ビリーの顔が満面の笑みから、暗く冷たいものになる。


「その日、僕は彼女の活躍を知るため、街に降りていました。すると偶然、街の人間が今、この街に彼女が来ていると言っているのを耳にしたのです。僕は、歓喜に打ち震え、彼女か来ているという場所に走りました……でも!」

 ビリーは肩を震わせながら、目元を手で覆った。「うっ、うっ」とその口から嗚咽が漏れる。

 どうやら、泣いているらしい。


「か、彼女の……彼女の傍に……男が、男がいたのです!」


 ビリーは目元の覆っている手をどけた。その目からは大量の涙が溢れている。

「彼女は幸せそうでした。とても、とても幸せそうでした。彼女は……彼女は、僕以外の男と幸せそうに笑っていたのです!!」

 ビリーは涙を流しながら、ギシリと歯ぎしりをする。

「彼女は、その男を馬鹿にしたという理由で二人の男を殺しました。それ程までに……それほど程までに、その男を……くうううう!」


 ビリーは突如、自分の顔を掻き毟り始めた。


「そんなことがあるわけがない。あるわけがないのです。だって……だって、彼女は僕の……僕だけのうっ、うっ、ううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう!」

(あの時……か)

 恐らく、菱谷に初めて街に連れて行かれた時だ。

 あの場に、ビリーもいたのか。

「僕は、決意しました。必ず。必ず。あの男を殺すと!そうすれば、そうすれば、きっと彼女は、今度は僕を見てくれるようになるはずなのだから!ははっ、ははっはあっはっはははっはは!」

 ビリーは不吉な声で笑い始める。

 その表情は魔物そのものだった。


「ふう」

 ビリーはピタリと笑うのを止めた。そして、何事もなかったかのように、いつもの口調で言った。優しく、思いやりのある声で。

「そして、運命は僕の味方をしてくれました。殺したいほど憎い男が自分から僕の元に来てくれたのですから!」

「ひっ!」

 安藤は、恐怖に顔を引き攣らせながら、必死に暴れた。しかし、手錠も鎖も全く外れない。

「さぁ、今度はどこを刺しましょうか?また足がいいですか?それとも、今度は顔にしますか?鼻をそぎ落とすのも良いかもしれませんね?」

 ナイフを振りながら、ビリーはニコリと笑う。

「ひっ!や、やめて……やめてください!」

「あはっ、まだ『やめて』と言える内は幸せですよ?」

 ビリーはナイフを高く振り上げた。


「『殺してくれ』と言うようになってからが、地獄の本番ですからね!」


「や、やめて……や、やめろおおおおおお!」

 安藤は必死に叫ぶ。だが、その声を無視してビリーはナイフを振り下ろした。


(ああ、なんで、なんで、こんなことに……)

 せっかく、逃げられたかと思ったのに、今度は肉体的な苦痛の拷問を受けなければならないのか……。

 しかも、この拷問を耐え続けたとしても、その先にあるのは無残な『死』だ。


(なんで、何で俺が……こんな目に……)

 俺は何もしていない。なのに、なんでこんな目に遭わなければならないのか。

 自分のせいで、何人もの人が死んだからか?だが、それだって、決して自分が殺したのではない。


 安藤は、ただ前にいた世界で告白をされ、それを断っただけだ。


(それなのに、どうして……)

 振り下ろされたナイフが目前に迫る。その位置から考えて、今度は安藤の目にナイフを突き立てるつもりだ。

「うわあああああああああああああ!」

「はははははははっはは!」

 安藤の悲鳴とビリーの笑い声が、薄暗い地下室に響き渡る。


 コツン。


 その足音は、嫌に大きく聞こえた。


「!?」

 ビリーがナイフをピタリと止めた。ナイフは安藤の目に突き刺さる寸前の所で停止している。


 コツン。コツン。


 さらに、足音は続く。その音は、地下室の外から聞こえてきた。


 誰かが、地下室に続く階段を降りてきている。

「だ、誰だ!?」

 ビリーは思わず振り向き、ナイフを扉に向けた。


 コツン。コツン。


 その誰かは、ゆっくりとさらに降りてくる。


 コツン。コツン。コツン……。


 足音が止まった。

 どうやら、足音の主は扉のすぐ向こうにいるらしい。


「だ、誰だ!?誰だって聞いているだろう!」

 先程までの余裕が消え、ビリーは大量の汗を流しながらナイフを扉へと向ける。

 しかし、扉の前にいる人間は答えない。沈黙し続ける。


「く、くそう!」

 パニックになったビリーは、ナイフを振り回しながら勢いよく扉を開いた。


 地下室が一瞬、太陽のように光った。


 それから、ドンと床に何かが落ちる音がして、地下室の中を焦げ臭い肉の焼ける匂いが充満した。


(な、何だ?何が起こった!?)

 あまりの光に安藤の目がくらむ。目を開けられず、何が起きたのか分からない。


 やがて、またコツン、コツンという足音がした。


(へ、部屋に入って来た!)

 安藤は混乱する。さっきからビリーの声がしない。

(ま、まさか。さっきの光……)

 地下室に広がった凄まじい光と、肉の焼ける匂い。


 安藤は直感する。ビリーは殺されたのだ。

 声を出す暇も与えられずに。


 一瞬で人間を焼き殺す。そんなことが出来るのは……魔法しかない。


 コツン、コツン。

 足音が、さらに少しずつ安藤に近づいて来る。


「ひいいっ!」

 目を開けられない安藤は恐怖する。このまま自分も殺されてしまうのか?


 そして、足音が安藤の前で止まった。

「フッ」

「―――ッ!?」

 耳に息を吹きかけられた。全身がゾクリと震える。

「なっ!?うっ!」

 安藤の唇が、柔らかいもので塞がれた。

 この感触は―――人の唇だ。

「くっ、や、やめ……んんっ!?」

「んっ」

 安藤の唇にさらに唇が押し付けられる。安藤は首を逸らして逃れようとするが、相手は安藤の頬を両手で挟み、抵抗を防ぐ。

 未だ目を開けられない安藤は、相手の顔を確認できない。だが、自分の唇を強引に奪う人間には、一人しか思い当たらなかった。

(ま、まさか!?)

 安藤の血の気が引く。だが、相手はお構いなしに安藤の唇を奪い続けた。

「んっ」

「んっ、くっ……ふはぁ……ハァ、ハァ」

 安藤が解放されたのは、それから数分後の事だった。相手はようやく、安藤の唇から自分の唇を離す。

「―――ッ」

 解放された安藤だったが、未だに体から血の気が引いている。

 ひとまず命は助かった。しかし……。

(終わった……何もかも)

 おそらく、もう二度と逃げ出すことは出来ない。安藤はあの屋敷に連れ戻され、一生囚われ続けることになる。

 そして、また無理やり体を弄ばれ続ける日々に逆戻りとなるだろう。

(嫌だ、そんなの……嫌だ)

 安藤は顔を上げることが出来ずに俯く。

 すると、パキンという音と共に、安藤の体を拘束していた手錠と鎖が地面に落ちた。どうやら、魔法によって手錠と鎖が切られたらしい。

 

 安藤は、ゆっくりと顔を開け、目を開けた。


 強い光を浴びて一時的に目が見えなくなっていたが、今は回復し、いつもと同じぐらいに見えるようになっていた。


 目の前に、安藤が良く知る女性が微笑みながら立っていた。

 女性は、ニコリと微笑むと安藤に手を差し出し、こう言った。


「さぁ、行きましょう!」

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