第17話 いい人

「どうぞ」


 安藤を家の中に招き入れた男性は、安藤に椅子に座る様に促すと、コップに入ったスープを持ってきた。

「ありがとう……ございます」

 安藤はコップを受け取ると、スープを一口飲みこんだ。


 美味しかった。今まで飲んだどのスープよりも。

 安藤は思わず泣きそうになった。


「気に入ってくれたみたいで、良かったです」

 男性はニコリと微笑むと、自分も向かいの椅子に腰を下ろした。

「さて……」

 男性は、笑み浮かべたまま安藤に問う。

「何があったのですか?」

「………」

 正直に話すべか、それともやめるべきか。安藤は悩んだ。

(もし、正直に話せば、この人に迷惑を掛けるかもしれない……いや、それは言い訳だ)

 安藤は単純に怖かった。正直に話せばきっと家から追い出されるだろう。

 当然だ。誰が好き好んで厄介ごとに関わりたいと思うだろうか。

 だが、このまま森の中に放り出されれば、安藤は生きてはいけないだろう。それが、たまらなく怖いのだ。


 だが、それでも……。


「実は、俺……逃げ出してきたんです」

「……逃げ出してきた?」

「はい」

「どこから?」


「……魔女の所からです」


 安藤は、正直に全てを話した。

 自分が別の世界の人間である事。オークションに売り出され、魔女に買われたこと。今まで魔女の元に居たが、そこから逃げ出してきた事。

 全てを話した。

(この人は見知らぬ俺を家に入れてくれた上に、親切にしてくれた……そんな人に嘘を付くことはできない!)

 話は二十分と掛からずに終わった。

 安藤にとっては、この世界に来てからの出来事は、元の世界の何十年分にも相当する。しかし、言葉にしてみれば、何と短いことか。

「……なるほど」

 話を聞き終えた男性は、フゥと深く息を吐くと、首から下げているペンダントを握り締めた。安藤は、俯いて目を閉じる。次に男性はきっと『悪いけど出て行ってくれ』と言うだろう。

 もし、そう言われたら、素直に礼を言って出て行こう。安藤は覚悟を決めていた。

 だが、男性の口から出てきた言葉は、安藤が予想もしていないものだった。


「大変でしたね」


 男性は、安藤の肩に優しく手を置いた。

「よく頑張りましたね。もう大丈夫ですよ」

「あ……あ」

 安藤の目からポロリと涙が零れた。

「あの……俺……俺」

 安藤の目からポロポロと涙が流れる。安藤の涙が流れ終わるまで、男性は優しく安藤を見守っていた。


「これから、どうされるつもりなのですか?」

 安藤の涙が止まるのを見計らってから、男性は静かに尋ねる。

「森を抜けて、街に行こうと考えています」

「その後は?」

「えっ?」

「街に着いた後、どこか住める場所の当てでもあるのですか?」

「それは……」

 安藤は男性の問いに答えられない。とにかく、菱谷の元から逃げ出すことしか考えていなかった。

 菱谷から逃げた後は、とりあえず街へ行こうとしていた。しかし、安藤は現在、何もお金を持っていない。冷静に考えれば、金がない人間を泊めてくれる宿はないだろう。

「でしたら、しばらくの間、此処で暮らしませんか?」

「えっ?」

 安藤は驚き、目を見開く。

「……いいんですか?」

「もちろん。ただし、色々と手伝って欲しいことはありますが……」

「やります!やらせてください!」

「じゃあ、決まりですね」

 男性は安藤に手を差し出した。安藤もその手を握り返す。


 握手。

 万国共通で親愛や信頼を示すこの行為は、異世界でも同じ意味を持っている。


 この日から、安藤と男性の共同生活が始まった。


                ***


 男性の名前は、ビリー・マウチ。

 年齢は三十二歳で、街から離れ、この森の中で自給自足の生活をしているのだそうだ。

 朝早くから、家畜に餌をやり、育てている野菜を収穫し、夕暮れには川で魚を捕ったり、動物を狩りに出かけた。

 安藤もできるだけビリーを手伝おうとしたが、思った以上の重労働で付いて行くのがやっとだった。安藤は何もできない自分を不甲斐なく思う。

「焦りは禁物です」

 ビリーは安藤に優しく諭す。


「人も作物と同じで時間を掛ければ、掛ける程、成長できます。だから、焦らず、努力し、成長するのを待つのです」


「分かりました」

 そうだ。焦ったってしょうがない。自分にできることから一つずつ学んでいくんだ。

 ビリーの言葉に安藤は勇気付けられる。


 ビリーは博学で、森の事は何でも知っていた。


「これは、イセメ草といって回復薬の生成に使います。そのまま傷に当てたり、煎じて飲んでもかなりの効果があります。これはビシリ草。痺れ薬の元となります。魔物を狩る時などに使います。これはジヒツ草。睡眠薬の調合に使います」


 他にも、魔物の事や様々なサバイバル術なども安藤は学んだ。


 また、ビリーはとても信仰深い人間だった。


 ビリーはいつも肌身離さず妙な形をしたペンダントを持っており、朝と夜、毎日欠かさず、そのペンダントに祈りを捧げていた。

「これは、僕の大切な人のシンボルなんです」

 とビリーは言っていた。


 ビリーは丁寧に、分かりやすく、安藤に色々な事を教えてくれた。

 安藤は、ビリーに感謝しながらも不思議に思う。人当たりもよく、優しい彼が何故こんな何もない森の中で一人で暮らしているのか。


 一度ビリーに聞いてみたことがある。

「ビリーさんはどうして、こんな所で一人で暮らしているのですか?」

 すると、ビリーはこう答えた。

「まぁ、色々ありまして……」

 ビリーはそれ以上何も言わなかった。何か言いたくない事情があるということは容易に想像できた。


 その他にもビリーには、不思議なことがあった。


 安藤が泊めてもらっているビリーの家には、地下室があるのだが、ビリーは此処に安藤を入れようとはしなかった。

 ビリー曰く、今、大切な作物を育てていて、最終的には地下室で、それを調理する予定なのだそうだ。それまでは、自分以外の誰にも入って欲しくないのだという。


 時々、不可思議な行動を取るビリー。しかし、安藤は深く考えることはなかった。

 誰にだって言いたくないことはある。それでもビリーが優しく、いい人であることには間違いないのだから。


 それから、一か月の月日が流れた。


「今日もご苦労様でした」

 二人で食卓を囲みながら、夕食を取る。今日の夕食は、畑で採れた野菜と森の中で仕留めたシシタ(イノシシに似た動物)だった。

「アンドウさんが此処に来て、もう一か月になりますね」

 もう、そんなになるのか。

 早かったような、短かったような……何とも不思議な感じだ。

「此処の生活には、もう慣れましたか?」

「そうですね。だいぶ慣れたと思います」

「それは、良かった」

 ビリーはニコリと笑う。この人には、助けてもらってばかりだ。改めてビリーに感謝が込み上げてくる。

 安藤は感謝の心を言葉にして伝えることにした。

「あの、ビリーさん」

「はい」

「ありがとうございました」

「ん?」

「あの時、ビリーさんが助けてくれなかったら、今頃、俺は生きていなかったと思います。本当にありがとうございました」

 安藤は深く、頭を下げる。

「頭を上げてください」

 ビリーは優しく笑う。

「僕は、当然の事をしたまでです。礼を言われる事じゃ……」

「いえ………本当に、ありがとうございました」

 安藤はしばらくの間、頭を下げ続け、それから笑顔でビリーに言った。


「これからも、よろしくお願いします」


「……」

 満面の笑顔を向けられたビリーはそっと、ナイフとフォークを置き「よかった」と呟いた。


「ようやく収穫できる」


「えっ?」

 ビリーが何を言ったのかよく分からない。安藤は聞き返そうとする。

(あれ?)

 だが、安藤は口を開くことができなかった。突如、凄まじい眠気が襲ってきたからだ。

 安藤はビリーを見る。ビリーは安藤の事を心配することもなく、笑っていた。


 いつもの笑顔で。


「ぐっ……」

 ついに安藤は、頭を支えることが出来ず、机に倒れた。スープの入った皿が床に落ちて割れる。


 そのまま安藤は、深い眠りに落ちた。


                  ***


「アンドウさん」


 どこからか声がした。とても優しく穏やかな声だ。

「アンドウさん、起きてください」

 安藤の頬に痛みが走る。どうやら、頬を叩かれたらしい。

 安藤はゆっくりと目を開けた。


 そこは、見覚えのない場所だった。


 周囲は薄暗く、ひんやりとしている。そして、カビの臭いが充満していた。

 それから安藤は、自分が椅子に座っていると理解する。

「ああ、起きられましたか」

 穏やかな声の主が微笑む。

「ビリーさん……?」

「おはようございます」

 ビリーはいつものように優しく笑う。安藤の頭がズキンと痛んだ。

(俺は一体……そうだ!)

 安藤は思い出した。たしか、ビリーと食事をしている最中に強烈な眠気に襲われて倒れたのだ。

「ビリーさん。俺!」

 安藤は椅子から立ち上がろうとする。だが、動けない。

 

 安藤の体は、手錠と鎖で椅子に固定されていた。


「なっ?」

 安藤の目が一気に覚める。安藤は手足を動かそうとするが、全く動けない。

「うん。完全に目が覚めたようですね。よかった。よかった」

 ビリーは満足そうに頷く。

「ビリーさん。こ、これは?それに、此処は一体?」

「此処は、地下室ですよ」

「地下室?」

 そう言われて安藤はピンときた。そうか、此処はビリーが入るなと言っていた地下室か。

「ビ、ビリーさん。も、もしかして、ビリーさんが俺を!?」

「はい、そうです」

 混乱で上手く話せない安藤とは対照的に、ビリーは声はとても落ち着いていた。

 ビリーはニコリと微笑む。


「僕が貴方を眠らせて、此処まで運び、椅子に拘束しました」


「なっ!?」

 安藤は驚き、目を見開く。

「な、何で、こんなことを……こ、この鎖を外してください!」

「それはできません」

「ど、どうしてですか!?」

 安藤の疑問に、ビリーはあっさりと答えた。


「これから、貴方に復讐するからですよ」


「ふく……しゅう?」

「そうです。復讐です」

 ビリーが手に持っているものがキラリと光る。それは、鋭く尖ったナイフだった。


「貴方は、僕の大切な人を奪った」


 そう言うとビリーは、鋭く尖ったナイフを安藤の太ももに突き立てた。

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