第86話 ハナビシ・フルール

 安藤が目を覚ます少し前。

 金髪で長身の女性「ハナビシ・フルール」は自分のベッドの上に座っていた。


 彼女は、吸血鬼の元に連れて行かれた七人の内の一人で、無事に女性用の檻に戻っていた。


「畜生……」

 ベッドの上で一人、ハナビシは呟く。


 彼女は、親の愛を知らずに育った。

 父親は彼女に暴力を振るい、母親はそんな父親を止めることもせず、見て見ぬ振りをした。

 そんなハナビシには、ある魔法の才能があった。


 その魔法とは『肉体強化魔法』。

 名前の通り、自分の肉体を大幅に強化する魔法だ。


 その才能を見込まれ、彼女はある魔法使いに弟子として引き取られた。

 父親は「これでタダ飯喰らいが居なくなる」と喜び、母親はいつも通り何も言わなかった。

 引き取られた彼女は、魔法使いの指導で『肉体強化魔法』の力を伸ばしていく。


 ハナビシに魔法を教えた師匠は、彼女にいつもこう言っていた。

『強さとは、争いに勝つことではありません。本当の強さとは、誰かを守る心の強さのことを言うのです』

 しかし、師匠の言葉はハナビシに届かなかった。


 彼女は、その力を復讐に使ったのだ。


 ある日、ハナビシは師匠の家を飛び出すと、実家に向かった。

 彼女は、自分の父親を半殺しにして家の金を盗み、逃げた。

 それからハナビシは、各地を転々とする生活を送る。魔法を教えてくれた師匠の所には、二度と戻らないと決めた。

 

 師匠の下で『肉体強化魔法』の才能を伸ばした彼女は、喧嘩では負けなしだった。

 

 男だろうと、女だろうと、格闘家だろうと、憲兵だろうと、相手が何人いようと、彼女は負けなかった。

 気に入らない人間は、誰だろうと拳で黙らせた。


 そんな事を繰り返していた時、彼女の前に複数の魔物が現れた。

 それは吸血鬼の配下となった魔物達だった。


 魔物はハナビシを攫おうと、襲い掛かった。

 だが、彼女はその魔物を逆に返り討ちにして全滅させてしまう。


 その数か月後、彼女は再び魔物の襲撃を受けた。

 二度目の襲撃では、五十体の魔物に襲われる。流石に多勢に無勢。ハナビシは敗れ連れ去られた。

 それでも、彼女は五十体の魔物の内、四十二体を素手で殺した。


 一人で多くの魔物を殺したハナビシは、此処に連れて来られた後も、魔物達から恐れられる稀有な人間となっている。


『私は……強い!』。

 人間はおろか、魔物を大量に返り討ちにしたことで、ハナビシは自分の力に絶対の自信を持つようになった。

 今日、吸血鬼の所に連れて行かれると知った時、彼女はチャンスだと思った。

(こんな所に自分を連れてきた魔物の親玉を討ち取ってやる!)

 自分の力に絶対の自信を持つハナビシは、一対一であれば吸血鬼も簡単に討ち取れると考えていた。


 だが、そんな甘い考えは吸血鬼を前にして吹き飛ぶ。


 吸血鬼は文字通り次元が違った。

 今まで戦った相手が、まるで虫に見えるほど、吸血鬼の力は絶対だった。


 ハナビシは恐怖した。吸血鬼という、圧倒的な存在に。


 吸血鬼が『ゲーム』を提案した時も「ふざけるな!」と抗議の声を上げるのがやっと。

『静かにして』と吸血鬼が言えば、ハナビシは口を開くことすら出来なくなった。


 ハナビシは吸血鬼の言う通り『ゲーム』に参加した。


 箱から紙を引いた後は、「『はずれ』来るな。『はずれ』来るな……」と祈り、自分が『当たり』を引いたと知った時には、「『当たり』だ!良し!」と言って喜んだ。


 だが、吸血鬼はあろうことか『はずれ』を引いた一人を助け、『当たり』を引いた六人をエサにすると言った。


 これにはハナビシも抗議したが、吸血鬼を止める事は出来なかった。

 ハナビシは戦う事もせずに吸血鬼から逃げようとしたが、拘束具のせいで逃げられない。

『嫌。や、やめて!お願いです。やめてください!』

 吸血鬼は、最初に小柄な女に目を付け、血を吸おうとする。

 その時だ。


「やめろ!」

 小柄な女の悲鳴をかき消すほどの大声で、誰かが叫んだ。

「その人から離れろ!」


 叫んだのは、若い男だった。

 小柄な女を救おうと、その男は吸血鬼に声を上げたのだ。

(あいつ……)

 吸血鬼に向かって叫んだ男を見て、ハナビシは目を見開く程、驚いた。

 

 吸血鬼に逆らったその男は、


***


 喧嘩ばかりしていたハナビシは、その経験から、戦わずとも相手の強さがなんとなく分かるようになっていた。


 その男は、明らかに連れて来られた七人の中で最弱だった。


 しかし、恐怖で体を震わせていたにも拘らず、最弱の男は吸血鬼に対して一歩も引かなかった。

(なんなんだ。こいつ?)


 最弱のくせに、どうして吸血鬼に逆らえる?

 そんなに震えているのに何故、吸血鬼を真っすぐ見れる?


 ハナビシには、その男が理解不能だった。


 すると何を思ったのか、吸血鬼は血を吸おうとしていた小柄な女を含め、『当たり』を引いた六人を助ける。と言い出したのだ。

 助かった。とハナビシは一瞬思った。


 だが、吸血鬼は『当たり』を引いた六人が助かるには、『はずれ』を引いたその男が自分自身をエサとして差し出す事が条件だと言ったのだ。


『な、なんだよ。それ……』

 ハナビシは声を上げる。

『そんなの……そんなの、自分が助かる方を選ぶに決まってるじゃねぇか!』

 六人の命と自分の命なら、自分の命を選ぶに決まっている。

 しかも、その男は『はずれ』の紙を引いていたため、助かる権利を持っているのだ。

 その権利を捨ててまで、他の人間を助けるはずがない。


 だが、その男はこう言った。

『俺の血を吸ってください。その代わり他の六人は助けてください』


 ハナビシは耳を疑った。

(こいつ……どうして?)

 男の行動に、ハナビシは困惑する。

 ハナビシとこの男は、初対面だ。吸血鬼に血を吸われそうになっていた小柄な女も、この男とは初対面だと言っている。他の男達とは同じ檻にいるので面識があるのかもしれないが、そこまで深い仲の人間がこの中に居るとは思えない。

 なのに、どうしてこいつは自分の命を投げてまで、他の奴を助けようとする?


 吸血鬼は男に「答えを変えても良い」と言ったが、男は変えなかった。

『俺は、自分の答えを絶対に変えません』

『……そうかい』

 吸血鬼は頷くと、今度は『当たり』を引いた六人を見た。


『なら、次は君達に訊こう。彼の他に『自分が犠牲になるから、他の六人を助けて欲しい』って人間は居るかい?居るなら手を上げて』


『………ッッ』

 皆は沈黙し、誰も手を上げない。


 ハナビシも、恐怖のあまり手を上げることが出来なかった。


 それを見た吸血鬼は、最弱の男に言う。

『君は言ったね。『殺されそうな人を助けるのは、当然だ!』って。だけど、君以外の人間は皆『自分だけ助かれば良い』という奴らばかりだよ?』


 吸血鬼の言葉がハナビシの胸に突き刺さる。


『良いのかい?こんな人間達のために、犠牲になるなんて』

『……』

『最後のチャンスをあげるよ。答えを変えるなら……』

『変えない!』

 男は首を大きく横に振る。

『もう一度言います。俺は自分の答えを絶対に変えたりしません!』

『君が助けようとしているのは、自分が助かる事しか考えていない奴らなのに?』


『俺は、『自分だけが助かりたい』と思う事が、悪いとは思いません』


 男がそう言うと、吸血鬼は『……分かった』と言って笑った。

『君がどうしても答えを変えないと言うのなら……望み通りにしてあげよう』

 吸血鬼は男の首筋に噛み付こうとする。


 すると、吸血鬼に血を吸われそうになっていた小柄な女が叫んだ。

 小柄な女は、自分が男の代わりになろうとする。


 すると、最弱の男は『ダメだ!』と叫び、小柄な女を止めた。

『俺の事は気にしないでください!』

『だけど!』

『いいんです』

 男は小柄な女に、ニコリと微笑んだ。

 優しく、穏やかに。


『貴方は生きてください』


『―――ッ』

 小柄な女は目から涙を流した。

『他の皆さんも、俺の事は気にしないでください。これは俺が決めた事です。皆さんは、自分の命を第一に考えてください!』

 男がそう言うと、皆が頭を下げた。

『すまん……』

『ごめん。ごめんよ』

『ありがとう。ありがとう』

 皆が、涙を流しながら男に謝罪や礼の言葉を言う。

 ハナビシも『悪い……』と言って、男に頭を下げた。


『さぁ、早く俺の血を吸ってください!その代わり、約束通り他の六人は助けてください』

『分かっているよ』

 吸血鬼は、男の首に顔を近づける。


『僕は、約束は必ず守る』


 そして、最弱の男は吸血鬼に血を吸われた。


***


 結論から言うと、その男は助かった。

 吸血鬼が途中で男の血を吸うのを止めたからだ。理由は分からない。


 最弱の男は今、檻に戻されている。

『回復魔法』が使えると言う小柄な女は、特別に男が目を覚ますまで付き添って良いと吸血鬼に許可を貰い、今は男用の檻に居る。


「……くそっ」


 ベッドの上でハナビシは俯く。


 喧嘩や殺し合いだったら、あの男は私の足元にも及ばないだろう。

 だが、私の心の強さは、あの男の足元にも及ばない。


『強さとは、争いに勝つことではありません。本当の強さとは、誰かを守る心の強さのことを言うのです』

 ハナビシは師匠の言葉を思い出した。

 理解出来なかった師匠の言葉が、今なら理解出来る。


 あれが強さ。

 誰かを守るために、恐怖に打ち勝つ事が出来る。

 あれこそが本当の強さ。


「くそっ、畜生……」

 圧倒的な敗北感。ハナビシは枕を何度も叩く。

「畜生……畜生……」

 ハナビシは自分の胸を抑えた。

「畜生……体が……体が……」


 体が熱い。


 全身が熱い。ドクン、ドクンと心臓の音もうるさい。

 鏡を見なくても分かる。自分の顔は今、真っ赤に染まっているだろう。

 あの男の顔を思い出す度に、体中が熱くなる。

「畜生……私……そうなのか……?畜生………」

 ハナビシは、自覚する。この感情が何なのか。


(これが……恋……なのか?)


 誰からも愛されずに育った。

 誰も愛さずに育った。

 そんな自分がこんな……こんな……。


「くっ……あっ……あああああああああああ!」

 ハナビシはベッドに横になり、枕で顔を覆った。

 同じ檻に閉じ込められている他の女性達が何事かと彼女を見るが、そんな事全く気にならない。

 枕で顔を覆いながら、ハナビシはベッドの上をゴロゴロと転がる。


「くあああああ。熱い!熱い!くそっ、畜生!体が熱い、熱いいいい!」


 ハナビシはベッドの上で悶え、絶叫する。

「あれ、大丈夫なの?」

「よっぽど酷い目に遭ったのかな?」

 周りがヒソヒソと、自分の事を話している。

 普段のハナビシなら、そんな人間が居たら迷わず「私に何か用か?ああん!?」と言いに行くが、今は周りの声など耳に入らない。

「ああああああああああああああ!」

 ハナビシはベッドの上で転がったり、足をバタバタさせたりする。

 しばらくそうした後、彼女はピタリと停止した。


「欲しい……」


 ハナビシの中に強烈な欲求が生まれる。

(欲しい。あの男の強さが欲しい。いや、違う……)


 あの男、そのものが欲しい。


 優しいまなざしも、暖かな声も……そして、あの強い心も。

 あの男の全てが欲しい。


 自分ではどうすることも出来ない欲求。

 他の事など、どうでも良くなる程の想い。


(これが……恋!これが……運命!)


 ハナビシはベッドの上でまたしても悶える。

 そして、彼女は決断した。


「あの男に告白する」


 今までの彼女なら、例え恋を自覚したとしてもこれ程早く行動に移そうとはしなかっただろう。

 照れや羞恥から、告白するまでにかなりの時間を要したはずだ。


 彼女がこれ程までに早く行動しようとするのは、先程の経験が関係している。


(私は、今まで自分が死ぬなんて考えた事すらなかった。自分はこのまま年を取って、最後は寿命で死ぬって、信じて疑わなかった)


 自分が寿命を迎えるのは、まだ何十年も先の話だ。

 自分はまだまだ生き続けることが出来る。ハナビシはそう思っていた。


(だけど、あの男が自分の命を差し出そうとしなかったら、私は今、生きていないかもしれない。吸血鬼に血を全部吸われて、死んでいたかもしれない)


 ハナビシは気付いたのだ。

『人は、いつ死ぬか分からない』ということに。


 今日はたまたま助かった。だが、此処に閉じ込められている以上、明日も生きていられるとは限らない。

(だから、のんびりしている時間は無い)

 好きだと自覚したら、即行動に移さなければならない。

 ハナビシは自分の拳を固く握り、両手を合わせた。パシッという音が響く。


(私は美人だ。顔や体には自信がある。告白を断られる事はないはず)


 ハナビシの考えは、決してうぬぼれではない。本人の言う通り、彼女はとても美しい女性だ。

 長くて綺麗な金髪に、整った顔立ち。

 背は高く、体型はモデルのようにスラリとしていて、なおかつ胸はとても大きい。


 その美貌は多くの異性を引き寄せた。

 これまで、何人もの男が彼女に言い寄り、ボコボコにされている。


(だけど、もし告白を断られたら?)


 あの男には既に、恋人が居るかもしれない。

 あり得る。自分が惚れた男なのだから、他の女が惚れていても何の不思議もない。

 ハナビシは「フッ」と笑った。


「関係ない。あの男に恋人が居ようと、他に好きな女が居ようと関係ない」


 もし、あの男に恋人や他に好きな女が居たとしても、この体を使って誘惑すればいい。

 そうすれば、恋人や他に好きな女が居たとしても、そいつから私に乗り換えるはずだ。


(私には『肉体強化』の魔法がある。たとえ抵抗されたとしても力で抑え込める)


 初めての恋なのだ。

 初めて感じた運命なのだ。

 絶対に諦めない。

 どんな手段を使っても、あの男と一緒になる。

 自分の告白を拒ませたりしない。

 

 告白するのは男女で一緒に作業をする時の休憩時間。そこで自分の想いを伝える。

 ハナビシは最弱の男の顔を思い浮かべた。


「楽しみにしてろよ。もうすぐ、お前を私のものにしてやる」

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