第85話 アイビー・フラワー

「……ちゃん。おい、……ちゃん」


 暗い闇の中で、誰かが安藤を呼ぶ。

「兄ちゃん、おい、兄ちゃん!」

 誰だ?


「兄ちゃん!」


「ハッ!」

 安藤は目を開ける。光が目に入って眩しい。

「おおっ!兄ちゃん、良かった。目を覚ましたか!」

「カールさん……?」

「良かった。本当に良かったよ」

 安藤はベッドに横になっている。その傍らにカールが居た。

「俺は、一体……」

「礼は、この姉ちゃんに言いな」

「姉ちゃん?」

 カールの目線の先には一人の女性が居た。女性は、安藤のベッドにもたれ掛かるようにして寝ている。

「この人は……」


 確か、吸血鬼に血を吸われそうになっていた小柄な女性だ。


「んっ……んん?」

 女性の目がゆっくり開き、安藤と目が合う。

「ああっ!」

 小柄な女性は声を上げ、安藤の手を握った。

「意識が戻ったんですね。良かった……」

 心底安心したように、小柄な女性は「はあああ」と息を吐く。

「貴方は……」

「何があったか、思い出せますか?」

 小柄な女性に尋ねられ、安藤は自分の記憶を辿った。

 確か、あの時、吸血鬼に血を吸われて……そして……。

「あっ!」

 安藤は、小柄な女性に顔を近づける。


「大丈夫でしたか?どこか、お怪我は?」

「だ、大丈夫です。私は平気です」

「他の皆さんは、ご無事ですか?」

「あっ、うっうう……」

 安藤がさらに顔を近づけると、小柄な女性の頬が紅くなった。


「兄ちゃん、ちょっと落ち着きな。顔を近づけ過ぎだ」

「あっ……」

 興奮気味の安藤を、カールがなだめる。

 カールの言葉で、安藤は落ち着きを取り戻した。


「すみません。取り乱して」

「いいえ」

 小柄な女性はニコリと微笑む。

「安心してください。他の皆さんも怪我はしていませんよ」

「そうですか……良かった」

 安藤は、ほっとする。

 吸血鬼は言っていた。『僕は、約束は必ず守る』と。

 どうやら、その言葉は嘘ではなかったらしい。


「全く、自分が死にそうになったっていうのに、目を覚ましてまず心配するのが、自分の事じゃなくて、他人の事とは……まぁ、兄ちゃんらしいけどな」


 カールはフッと笑った。

「あの、カールさん」

「なんだい?」

「すみませんでした。『何かあれば、まず自分の命を第一に考えろよ』って言ってくださったのに、守れなくて」

「そうだなぁ。本当は『自分の命を無駄にするな!』って説教したい所だけど……」

 カールは、少し困ったような顔をする。

「でも、姉ちゃんから聞いたぜ。皆を守るために自分を差し出したんだってな」

「……はい」

「だから、怒るに怒れねえんだよなぁ。ま、俺から言えることは『もう無茶すんなよ』って事ぐらいだな。はっはっはぁ!」

 カールはニカッと笑う。

「まぁ、ともかく兄ちゃんが生きて帰って来てくれて、俺は嬉しいぜ」

「カールさん……」

 安藤は頭を下げる。

「ご心配をお掛けして、すみませんでした」

 カールは「おう!」と笑顔で頷いた。


 やはり、カールは良い人だ。と安藤は心の底から思った。


「だけど、どうして、俺は生きてるんでしょう?」

 てっきり、死んだとばかり思っていたのに……。

 安藤の疑問に小柄な女性が答える。

「確かに吸血鬼は、貴方の血を吸っていましたが、途中でやめたんです」

「やめた?どうして?」

「分かりません。途中で血を吸うのをやめて、私達に言ったんです」


『お疲れ様、もう戻っていいよ。彼を連れてね』


 そうして、吸血鬼の元に連れて行かれた七人は全員、檻の中に戻されたのだという。

「なんで、吸血鬼は俺を殺さなかったんだろう?」

 途中で、満腹になった?いや、最初は六人の血を吸おうとしたんだ。

 一人分にも満たない血を吸っただけで満腹になるとは思えない。

「だとしたら、俺の血がそんなに不味かったんでしょうか?」

 安藤は考えるが、答えは出ない。

「まぁ、いいじゃねえか。助かったんだから。な?」

 カールは、安藤の肩をポンと叩く。

「……そうですね」

 考えても、分からないものは仕方がない。

 カールの言う通り、まずは助かったことに感謝しよう。


「ところで、貴方はどうして此処に?」

 安藤は小柄な女性に尋ねる。

 男性と女性は分けて閉じ込められている。一緒になるのは、奴隷として働かされる時ぐらいだ。

 何故、女性の彼女が男性専用の檻に居るのだろう?


「この姉ちゃんはな。吸血鬼に頼んだんだとよ。『この人が目を覚ますまで、傍に居させてください』ってな」


「ええっ?本当ですか?」

「はい」

 安藤は驚く。

 あんなに吸血鬼に怯えていたのに、その吸血鬼に意見を言うなんて……。


「私、回復魔法が使えるんです。あんまり強くないから、怪我を治したり、体力を回復させたりするのは、時間が掛かりますが……」

 吸血鬼は『彼が目を覚ますまでなら良いよ』と、特別に男性の檻に入る許可を彼女に与えたらしい。

 当然、女性が来たことで一部の男達は騒いだ。

 だが、彼女の監視で一緒に来た魔物が「彼女は吸血鬼様の許可を貰って此処に来た」と告げると、騒いでいた男達は全員黙った。

 吸血鬼の許可を貰って来た女性に手を出せば、どうなるか。想像するのは容易だっただろう。


「姉ちゃん、ずっと兄ちゃんに回復魔法を掛けてたんだよ。さっきまでずっとな」


「そうでしたか。ありがとうございます」

「いえ、お礼なんて……当然の事をしたまでです。貴方が居なければ、私は死んでいたかもしれないのですから」

 小柄な女性はリンゴのように顔を紅くする。


「私の方こそ、まだお礼を言っていませんでした。助けてくださって、ありがとうございます」


 小柄な女性は安藤に頭を下げた。

「俺こそ、礼なんて……吸血鬼は俺を殺さなかったのですから、もしかして最初から誰も殺すつもりはなかったのかもしれませんし……」

「いいえ、それは分かりません」

 小柄な女性は、首を横に振る。


「どうして、吸血鬼が貴方の血を飲み干さなかったのかは、分かりません。ですが、それが単なる気まぐれなのだとしたら、私の血は全部吸われていたかもしれないんです」


 安藤は血を全部吸われず助かった。

 だが、安藤ではなく『当たり』を出した者達が、もし血を吸われていた場合、吸血鬼は安藤と同じように、彼らを殺さずにいたかは分からない。

 もしかしたら、『当たり』を出した者達全員の血を飲み干し、殺していたかもしれないのだ。


「ですから、私が貴方を助けるのは当然なんです。貴方が助けてくださらなければ、私は死んでいたかもしれないのですから」

吸血鬼を前に怯えていた人間と同一人物とは思えない程、彼女の目にはとても強い力が宿っていた。


「あ、あの!」

「はい」

「お名前を訊いても?」

「俺の名前ですか?」

「はい!」

「勿論良いですよ」

 安藤はニコリと微笑む。


「安藤優斗。これが俺の名前です」


「アンドウ・ユウトさん……その発音、もしかして……」

「はい、俺は異世界から来ました」

「そうだったんですね」

 小柄の女性は少し驚いた様子だったが、そこまで気にしていないようだった。

「じゃあ、貴方のお名前も訊いて良いですか?」

「えっ、あっ、はい!」

 小柄な女性は、自分の名前を安藤に教える。


「私の名前は、アイビー・フラワーです!」


「アイビーさん……素敵な名前ですね」

「あっ……あっ……!ありがとうございます!」

 アイビーは、マグマのように顔を真っ赤にすると、名前以外の情報もペラペラと話し始めた。


「歳は十六で、身長は百五十センチ、体重は四十二キロで、スリーサイズは……」


「ちょ、ちょっと待ってください。ストップ!」

「えっ、あっ!ああ!私ったら……!何言ってるんだろ?すみません。つい興奮してしまって……」

「いえ……」

 アイビーは恥ずかしそうに、両手で顔を覆う。

 安藤も顔を紅くした。


 黙ってしまった二人に、カールが助け舟を出す。

「そういえば聞いてなかったが、兄ちゃんはいくつ何だい?」

「俺も十六です」

「そうか、兄ちゃんと姉ちゃん。同じ年なんだな。なら、敬語抜きで話せよ。な?」

「そ、そうですね」

「は、はい!」

 安藤とアイビーは共に頷く。


「じゃあ、アイビーさんって呼んで良いですか……呼んで良い?」

「はい。じゃなくて、う、うん。勿論!」

 アイビーは何度も頷く。

「じゃあ、私もアンドウ君って呼んでも良い?」

「うん。勿論」

「やった!」

 アイビーは、顔を紅くしながら嬉しそうにグッと両手の拳を握る。


「おい、そいつ目を覚ましたんだろ?だったら、もう行くぞ!」

 檻の外から、アイビーを監視していた魔物が声を上げた。

「はい……分かりました」

 アイビーは檻の外の魔物に向かって叫ぶと、安藤の手をギュッと握った。


「じゃあまたね、アンドウ君。作業の休憩時間にでも、また話そうね!」

「うん、じゃあね。アイビーさん」

 アイビーは名残惜しそうに、安藤の手を離す。


 そして、満面の笑顔で手を振りながら、女性用の檻へと戻って行った。


「良い子だったな。アイビーちゃん」

「はい。とても良い人でしたね」

 

 小柄な身長に、茶色でセミロングの髪型。そして、あのあどけない笑顔。

 アイビーは、どこかリスを彷彿とさせる。


「友人に慣れそうで良かったです」

 安藤がそう言うと、カールは複雑そうな顔をした。

「友人……ね」

「どうかしたんですか?」

「……兄ちゃん、気付いてなかったのかい?」

「何をですか?」

 首を傾げる安藤に、カールはハッキリと言った。


「アイビーちゃん。兄ちゃんに惚れてるぜ」


「ええっ!」

 安藤は思わず大声を上げた。

「なんだ、なんだ?」

 檻の中に居た他の男性達がこちらを見る。安藤とカールは声を潜めた。

「ほ、本当なんですか?それ……?」

「長年、人の顔色を伺う商人をやってきた俺が言うんだから間違いない。あの子は兄ちゃんに惚れてる」

「でも、アイビーさんとは初対面ですし……俺、好かれる事なんて何も……」

「いやいや、してるだろ」

 カールは思わずよろけた。


「吸血鬼に殺されるかもしれなかった所を、兄ちゃんは自分の命も顧みず助けたんだ。惚れる理由としては、十分過ぎると思うぜ?」


「……」

 安藤は静かにカールに尋ねた。

「カールさん。これってやっぱり……」

「ああ、それも間違いないな」

 カールは頷く。


んだ」


 安藤の『特殊能力』。

 それは『自分を好きになる者を引き寄せる能力』。

 安藤と少しでも一緒に過ごせば、必ず安藤の事を好きになる。そういう者を安藤は自らの意志とは関係なく、引き寄せてしまう。


「そんな……」

 安藤は頭を抱えた。

「言っただろ?『兄ちゃんはこれから一生、自分を好きになる者を引き寄せ続ける』って」

「……はい」


『特殊能力』は一生消えない。

 つまり、安藤は『自分を好きになる者』を一生引き寄せ続ける運命なのだ。


 安藤はカールに訊く。

「どうしたら良いと思いますか?」

「とりあえずは、様子を見るべきだと思うぜ」

 カールは安藤にアドバイスを送る。

「アイビーちゃんが兄ちゃんに惚れているのは、まず間違いないが、あの子がこれからどういう行動を取るのかは分からん。まだ兄ちゃんに告白したわけでもないしな」

「……そうですね」

「ところで、兄ちゃん。一つ聞きたいんだが」

「何ですか?」

「兄ちゃんが魔物に連れて行かれた時、アイビーちゃんの他に、もう一人女が居なかったか?」

 安藤は頷く。


「はい、居ました。金髪で長い髪をした背の高い女性が」


「その女、どんな様子だった?」

「どんな……えっと、皆と同じでとても怯えていましたけど」

「……そうかい」

「それがどうかしましたか?」

「いや、何でもない」

 カールは首を横に振る。


(アイビーちゃんはおそらく、兄ちゃんが自分や皆を吸血鬼から助ける所を見て、惚れたんだろうな。そして、金髪の女も兄ちゃんが皆を助けている所を見ている。となれば……)


 カールは安藤に聞こえないように、静かに息を付く。


(何事も起きなければ良いがな……)


***


「えへ、えへへへ」


 女性用の檻に戻る途中、アイビーの心臓は高鳴りっぱなしだった。


 顔は信じられないくらい熱く、自分でも紅くなっているのが分かる。

 足は軽やかで、監視の魔物が居なければ、スキップしていたかもしれない。


(これが……恋!これが……運命!)


 アイビーは大きな幸福感に包まれていた。

 魔物に攫われた時は、絶望した。

 吸血鬼に血を吸われそうになった時は、死ぬかと思った。


 でも、彼が助けてくれた。

 まるで、物語に出てくる騎士のように。


 眠っている安藤に回復魔法を掛けている間、アイビーはずっと不安だった。

 目を覚ました安藤に、罵倒されるかもしれないと思っていたからだ。


 安藤は、凄まじい苦痛と死への恐怖を味わった。

 吸血鬼に血を吸われている時、安藤は後悔していたかもしれない。


 他の人間のために、犠牲になんてならなければ良かった。とか、

 なんで、自分がこんな目に遭わなければならない?とか、

 俺は、本当は助かっていたはずなのにバカなことをしてしまった。とか、


 そんな事を考えても全く不思議ではない。いや、むしろそう思って当然だろう。

 目が覚めた安藤は、アイビーに向かって、「俺は、お前のせいでこんな目に遭ったんだ!」と罵倒していてもおかしくなかった。


 だが、目が覚めても、安藤はアイビーに文句一つ言わなかった。

 それどころか、安藤は自分の事より、アイビーや他の人間の心配をしたのだ。


(なんて……なんて優しい人なんだろう……)

 益々顔を紅く染めるアイビー。


(アンドウ君の恋人になりたいな……)


 その時、アイビーは気付く。

「あっ!」

 思わず声を上げたアイビーを監視役の魔物が不思議そうに見た。

「んっ?どうした?」

「いえ、何でもありません」

 アイビーは慌てて誤魔化す。


(そうだ……もしかして、アンドウ君には、もう恋人が居るんじゃ……)


 あんなに優しくて、素敵な人だ。恋人が居る可能性は十分にある。

(どうしよう。もし、アンドウ君に恋人が居たら……)

 不安がアイビーの心に広がっていく。

(で、でも、まだ居るって決まった訳じゃ……ううん、楽観的に考えちゃ駄目!)

 アイビーは首を横に振った。

(もし今、アンドウ君に恋人が居ないのだとしても、これから出来るかもしれないじゃない!)


 アンドウ君は優しいから、きっとこれからも困っている人を助ける。

 そうしたら、私みたいにアンドウ君を好きになる人が現れるかもしれない。

 そして、アンドウ君はその人と付き合うかもしれない。


(嫌だ。そんなの!)

 

 初めての恋なのだ。

 初めて感じた運命なのだ。

 簡単に諦めたくない。

 何としても、これからもアンドウ君と一緒に居たい。

(良し!決めた!)

 アイビーはグッと拳を握る。


(次に会ったら私、アンドウ君に告白する!)


 アイビー・フラワーは、拳をさらに強く握り、固く決意するのだった。

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