最弱剣士とストーカー魔法使い

カエル

第1話 付きまとう恐怖

 安藤優斗あんどうゆうとは幸せだった。


 一か月ほど前、安藤は幼馴染である三島由香里みしまゆかりに告白した。

「由香里、お、俺と付き合ってくれ!」

「……うん!喜んで!」

「よっしゃああ!」

 安藤に初めの恋人が出来た瞬間だった。


「ねぇ、今度遊園地行こうよ!」

「おっ、いいね!行こう!」

 学校帰りの電車の中で安藤と三島は次のデートの約束を取り付ける。

(ああ、幸せだ!)

 こんなに幸せでいいのだろうか?安藤は思わずニヤつく。

「何、笑ってるの?」

「い、いや、別に」

「えー、何、何?」

「何でもないって!」

 電車の中で楽しく笑いあう安藤と三島。やはり、幸せだなぁと安藤は思った。


「じゃあ、今度の日曜日にね」

「おう!」

 電車の扉が閉まる。安藤と三島は笑顔で別れた。電車が発車しても、安藤と三島は互いに手を振り続けた。

(可愛いな……)

 顔を紅くしながら、安藤は小さくなっていく三島の姿を見続けていた。


 その様子を後ろから見ている影があった。その影はクスリと笑うと、ゆっくりと安藤の後ろに立った。


                 ***


(三島、やっぱり可愛いな。日曜日楽しみだなぁ……うん?)

 

 安藤は体に違和感を覚えた。臀部に何かが触れている。

(なんだ?これ?)

 最初は何か分からなかったが、やがて自分の体に触れているものの正体を安藤は、理解した。

(ま、まさか……手?)

 間違いない、人の手の平が自分の臀部に触れている。

(偶然か?……いや、違う!)

 臀部に触れている手が次第に動き始めた。手の平が臀部を撫でる。

(マジかよ!?)

 安藤は身をよじるが、手の平は安藤の臀部を撫で続ける。

(くそっ、誰だ?)

 安藤は首を動かし、後ろを見る。そこにいたのは……。


「先輩」


「ひ、菱谷!?」

 安藤が名前を呼ぶと、菱谷忍寄ひしたにしきはニコリと笑った。


                 ***


「安藤先輩、好きです。私と付き合ってください!」


 菱谷忍寄に告白されたのは、安藤が三島に告白した少し後のことだった。

 

 安藤は現在、文芸部に入っている。本にはあまり興味がなかったが、友人にどうしても入って欲しいと頼まれて、入部したのだ。


 そこに、入学したばかりの菱谷が入部してきた。


「どんな、本が好きなの?」

「えっと……推理小説とか」

「へぇ!」

 安藤は菱谷とすぐに仲良くなり、主に本の話題で盛り上がった。

 ただし、あくまで安藤は菱谷のことを部活の後輩としてしか見ておらず、安藤は、菱谷に対して恋愛感情を抱いていなかった。


 しかし、菱谷は違った。

 菱谷は優しく接してくれる安藤に恋心を抱いていた。


 そして、菱谷は安藤に告白した。だが、菱谷の告白に対して、安藤は「ごめんなさい」と言って、断った。

「俺、今、彼女がいるんだ。だから……ごめん」

「……」

 菱谷は俯いたまま動かない。

「じゃ、じゃあな」

 罪悪感を感じながらも、安藤はその場を去った。


 それから、安藤と菱谷は、ほとんど話していない。


                 ***


「先輩、先輩!」

「ひ、菱谷……くっ、やめろ!」

 菱谷の手が安藤の臀部を撫でる。安藤が手を払っても、菱谷はすぐにまた、安藤の臀部を撫でてくる。

「な、何してるんだよ!」

「大きな声出さないでください。他の乗客に聞こえますよ?」

 菱谷は、安藤の耳元でクスクスと笑う。その声に妙なくすぐったさを感じる。

「菱谷。や、やめろよ!」

 安藤は、声を小さくして、菱谷に話し掛ける。菱谷も小声で返す。

「先輩、好きです。好きです。大好きです!」

 安藤の臀部を弄りながら、菱谷は囁く。その声に背筋がゾクゾクする。

「やめろ、やめてくれ、やめ……」

「好きです」

 菱谷は安藤を抱きしめた。菱谷の大きな胸が安藤の背中に押し付けられる。

(うぉあ!)

 制服越しにも感じる柔らかな感触。菱谷は何度も、何度も胸を押し付けてくる。

「菱谷、やめろ!」

 安藤はきつく菱谷を睨む。しかし、菱谷の表情は変わらない。トロンとした目で安藤を見つめている。

「ふふっ……先輩」

 菱谷は、安藤の耳をペロリと舐めた。

「ひぃ!」

 安藤は思わず悲鳴を上げた。周りの乗客がチラリと安藤を見る。安藤は思わず自分の口を手で抑えた。

「先輩、好きです。大好きです……愛しています!」

「ん~!」

 臀部を撫でられ、胸を押し付けられ、耳を舐められる。

 抵抗しなければ、と頭では思うが、それに反して、体中が熱くなる。

(こ、このままじゃ、まずい!)

 安藤は、意を決して言う。


「やめてくれ!言っただろ?俺には……彼女がいるんだ!」


「……」

 菱谷の動きがピタリと止まる。臀部から、手がゆっくりと離れた。

(分かってくれたか……)

 安藤は、ほっと息をつく。

 だが……。

「うぉ!?」

 菱谷は安藤の肩に手を置くと、無理やり後ろを向かせた。安藤と菱谷が向かい合う形になる。

 さらに、菱谷は安藤に抱きつくと、安藤の体を無理やりドアに押し付けた。

「な、何を……」

「……」

 菱谷はさらに、制服のボタンを外し始めた。外れたボタンの隙間から、大きな胸とそれを包む黒い下着が見える。

「先輩……」

 菱谷は安藤の手を掴むと、自分の胸に押し付けた。

「ちょ、お、おい!」

 安藤は菱谷の胸から手をどけようとする。しかし、菱谷は手を離さない。さらに、混んでいるせいで、手を思うように動かせない。

「やめろ……は、離せ!離してくれ!」

「嫌です」

 菱谷は自分の足を安藤の股下に入れる。そして、足を絡ませた。

「くっ、お、ちょっ、おい!」

 混乱する安藤に菱谷は囁く。

「どうですか?私の胸。大きくて柔らかいでしょ?」

「やめろ、やめてくれ!」

 安藤は何とか逃げようとするが、混んでいるせいで逃げられない。なんとか、菱谷にやめてもらうしかない。

「お、俺には彼女がいるって言っただろ?き、聞いてないのか?」

「勿論、聞きましたよ?」

 菱谷は安藤の耳元に口を寄せ、囁く。

「ずっと見てました。さっき先輩の隣にいた人ですよね?可愛い人ですね」

「そ、そうだよ。だから……」

「確かに最初はショックでした。先輩に彼女がいるって聞いて」

 菱谷は目を少し伏せる。安藤の胸がチクリと痛んだ。

「菱谷……」

「でも、気づいたんです。そんなの、どうでもいいって!」

 菱谷は、勢いよく顔を上げた。その顔は笑顔に戻っている。

「どうでも、いい?」

「はい」

 菱谷はニコリと笑う。


「先輩が他の人の物になったのなら……奪えばいいって!」


 菱谷の言葉を聞いた安藤は愕然とする。

「う、奪うって、お前、自分が何言ってるのか分かっているのか?」

「はい、もちろん!」

 菱谷は笑顔のままだ。

「先輩、私、綺麗じゃないですか?」

「えっ?」

「私、綺麗じゃないですか?」

 菱谷はじっと、安藤を見つめる。安藤はゴクリと唾を飲んだ。


 菱谷は美人だ。


 恋人である三島を可愛いと思うのに対して、菱谷は美人だ。と、安藤は思う。

 黒髪に切れ長の目、整った鼻と口。スタイルよく、胸も大きい。どうして、こんな美人が自分のことを好きだというのか、不思議でならない。

「先輩、私、綺麗じゃないですか?」

「そ、そんなこと……ない。菱谷は……綺麗だよ」

 菱谷の表情がパァと明るくなる。

「嬉しい!」

 菱谷はさらに強く安藤に抱きついた。大きな胸が安藤の体に強く密着する。足はさらに絡み付き、甘い匂いもする。

(や、柔らかい。あ、温かい……)

 心臓が飛び出しそうな程、鼓動を早める。快感が脳を支配する。

(ああ……もう、どうでも……いいか……)

 安藤の体から抵抗する力が抜けていく。そんな安藤の様子を見て、菱谷はクスリと笑った。

「先輩……好きです」

 菱谷の手が安藤の下半身に伸びる。菱谷は安藤のズボンのベルトを掴むと、カチャカチャと緩めた。

 そして、緩んだ隙間から、ズボンの中に手を入れようとする。


 その時、電車が駅に到着した。アナウンスが流れ、ドアが開く。


「ハッ!」

 我に返った安藤は菱谷を突き飛ばすと、逃げるように電車から降りた。

「先輩!」

 後ろから、安藤を呼び止める菱谷の声がする。その声を無視して、安藤は駅のホームを走り抜けた。


「はぁ、はぁ」

 駅から出た安藤は、横断歩道の手前にある電柱に寄り掛かり、息を整える。


 危なかった。


 もう少し、駅に着くのが遅かったら……。安藤の背筋をゾクリと寒気が走る。

 あのまま電車の中にいたら、確実に誘惑に流されていた。一時の快感を求めたせいで、恋人である三島を裏切る所だった。

(そんなのダメだ。絶対ダメだ)

 三島を裏切るなんてこと、絶対にしてはいけない。安藤は電柱から体を離す。信号はまだ赤だ。

(これから、どうする?)

 菱谷は言った。『安藤が他人のものになるのなら、奪うまでだ』と。あれで諦めるとは思えない。

(もう、あいつとは会わない方がいいな)

 部活にいたら、また顔を合わせてしまう。友人には悪いが、部活は辞めるしかないだろう。

 信号が青に変わる。安藤が歩き出そうとした時、背後から声がした。


「先輩」


 安藤の顔から一気に血の気が引く。安藤は壊れたおもちゃのように、ぎこちない動きで振り返った。


 菱谷忍寄がそこにいた。


 安藤は短い悲鳴を上げる。

「ひっ!」

「やっと、追いつきましたよ。もう、酷いじゃないですか。逃げるなんて!」

 菱谷は安藤に抱きつく。胸が押し付けられ、電車の中で感じた快感が蘇る。

「や、やめろ!やめ……うぐぅう!」

「んっ、んんっ」

 菱谷は強引に自分の唇を安藤の唇に重ねた。両手で安藤の頭を掴み固定する。

「うぐっ、んんんっ!」

「んっ、んっ、んん」

 菱谷は安藤の口の中に自分の舌を滑り込ませた。口の中で二つの舌が絡み合う。

「ぐっ、やめ……ろ!」

 安藤は菱谷の肩を掴むと、自分の体から引き離した。

「やめろ、やめてくれ!」

「あはっ!」

 菱谷はまた安藤に抱きつく。

「やめろ……よ!」

 安藤は渾身の力で菱谷を突き飛ばした。菱谷は、数歩後ろによろめき、そのまま車道に出た。


 その時、トラックが猛烈なスピードで迫ってくるのが見えた。


 安藤は気が付く。いつの間にか、信号は赤に変わっていた。


「菱谷!」

 安藤は菱谷に手を伸ばす。菱谷はその手を力強く握った。

「よし!」

 安藤はほっと息を吐く。そのまま、菱谷を歩道に戻そうとする。


 しかし、菱谷は歩道には戻らず、逆に安藤を車道に引っ張った。


「えっ?」

 菱谷の思わぬ行動に不意を突かれた安藤は、菱谷と同じように車道に飛び出る。菱谷は安藤の体をしっかりと抱きしめた。

 トラックが目の前に迫る。逃げる時間はもうない。

「先輩」

 菱谷の声がやけにクリアに聞こえた。


「ずっと、一緒です」


 安藤の体を凄まじい衝撃が襲う。そのままプツリと途切れた。

                 

             












「皆さん、起きてください」


「う、ううん?」


「ほら、とっとと起きてください」


 微睡む意識の中、安藤は目を覚ます。目の前に女性が一人立っていた。

「さぁ、みなさん。早く起きてください!」

 みなさん?安藤は辺りを見渡す。周りには老若男女問わず、様々な人間がいた。安藤と同じく皆、困惑したように辺りを見渡している。


「ええと、では、みなさん、起きられたようなので説明しますね!」

 マイクを使っているような大声で女性は叫ぶ。


「皆さんは死にました」


 女性は笑顔でそう言った。意味が分からないのか、皆、呆けている。

「ですが、ご安心ください。皆様は生き返りました。魂をこの世界に召喚し、新しい肉体を与えたのです。あ、肉体は元の世界と全く同じですので、その点もご安心ください!」

 女性は両手を胸の前に組んでほほ笑む。

「さて、では次にどうして、皆様をこの世界に召喚したのか説明しますね」

 女性はテンション高く、手を上げる。


「皆様には魔物を討伐していただきます!」


 女性がそう言うと、皆が、ざわざわと騒ぎ出す。

「そうです。魔物です。これから皆様の適性を調べ、適切な職業に就いていただきます。それが済めば、早速、魔物の討伐に……」

「おい、姉ちゃん!」

 突然、一人の男性が立ち上がった。

 背が高く屈強で、目つきが鋭い。どう見ても裏の世界で生きる人間だ。

「はーい、なんでしょう?」

 しかし、女性は笑顔を崩さない。そんな女性にイラついたのか、男性は声を荒げる。

「此処は、どこだ?どうして、俺はこんな所にいる?」

「さっきも言いましたけど、死んだからですよ?」

 女性は笑みを深める。

「ざけんじゃねぇ!」

 男性の叫びにその場にいた。皆が息を飲む。

「すぐに、俺を元の場所に戻しやがれ!」

「それはできません。貴方はもう死んだのです。元の世界に戻ることはできません」

「えっ?」

 安藤は間抜けな声を出す。あの女性は何と言った?もう、戻れない?

「ええっと、貴方は……遠藤昭三さんですね?貴方は敵対する組織に銃で頭を打ち抜かれて死にました。ですので、もう元の世界には戻れません!」

「貴様、ふざけるなよ!」

 男性はさらに怒気を強める。

「今すぐ、俺を元の場所に戻せ!さもないと……」

「アー、もう、うっさい」

 女性は男性に人差し指を向ける。

「ドーン」

 女性がボソリと呟く。すると、女性の人差し指から光の弾丸が飛び出た。光の弾丸は男性の頭を貫通し、後方に消える。


 男性は、何が起きたのか分からないという顔をしたまま、後ろに倒れた。同時に大量の血が地面に広がる。


「ひいいいいい!」

「うわああああ!」

「きゃああああ!」


 一瞬にして、その場は阿鼻叫喚に陥る。安藤も急いで、倒れた男性から離れる。

(し、死んだ?)

 これは夢か?違う。鼻を突く血の匂い、パニックになる人々の声。これは絶対に夢なんかじゃない。


「皆さん、静かにしてください。しーずーかーにーしーろー」


 女性の声が頭に響いた。皆の動きが止まり、女性に注目が集まる。

「はい、ありがとうございます。説明が前後してしまいましたが、逆らったり文句言ったりする人間は、彼のように容赦なく殺していきます。この世界で死ぬと二度と生き返れないので注意してくださいね!」

 皆が口を閉じたのを見て、女性はニッコリとほほ笑む。


「それでは、今から皆様の適性を見ます。呼ばれた方は隣の部屋へどうぞ!」


                 ***


「な、何だよ。これ?」

 名前を呼ばれた人間達が次々と隣の部屋に消えていく中で、安藤は膝を抱え震えていた。

 人が死んだ。目の前で、訳の分からない力で。

「何もできなかった……」

 助けることも、手当てをすることもできなかった。怖くて動けなかった。

「ごめんなさい」

 安藤は何度も謝罪する。

「なんなんだよ。此処……」


 別の世界?魂の召喚?魔物退治?


「なんだよ、それ……」

 訳が分からない。

「いや、それよりも……」

 もう、元の世界には戻れない?

「そんなのってあるかよ!」

 もう会えないのか?両親にも兄妹にも友人にも……恋人にも。

「三島……」

 日曜日にデートをする約束をしたのに、やっと付き合うことができたのに。

「これから、どうなるんだ……」

 凄まじい恐怖が安藤を襲う。


 だが、次の瞬間、さらなる恐怖が安藤を襲った。


「先輩」


 安藤は後ろから両腕で抱きしめられた。大きな胸が安藤の体に押し付けられる。安藤は血の気の引いた顔で後ろを振り返った。


 菱谷忍寄がそこにいた。


「よかった。夢が叶った」

 菱谷忍寄は満面の笑みを安藤に向ける。

「先輩」

 菱谷は口元を安藤の耳元に寄せると、甘い声で囁いた。


「ずっと、一緒です」


 




 



 


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