第2話 最弱剣士
「先輩!」
「ひ、菱谷!?」
「ああ、一年ぶりの先輩の匂い、先輩の体温、幸せ……」
「やめろ、離せ!」
安藤は後ろから抱き付いてくる手を振り払うと、勢いよく後ろを向いた。
「お前、いい加減に……菱谷?」
「はい、先輩」
「お、お前……」
後ろを振り向いた安藤は驚く。目の前にいるのは確かに菱谷だ。それは分かる。だが、雰囲気がまるで違っていた。
菱谷は元々美人だったが、その美しさの中にどこか子供っぽさがあった。しかし、今、目の前にいる菱谷からは、そういった子供っぽさが感じられない。
子供から羽化した大人の女性がそこにいた。
「お、お前、一体どうしたんだ?」
「フフッ、どうです先輩?私、綺麗になりましたか?」
菱谷はその場でクルリと一回転した。たったそれだけのことで、菱谷はこの場にいる全員の視線を集めた。
皆が一瞬、殺された男の事や、これから自分の身に何が起きるのかという不安や恐怖を忘れた。
それは安藤も例外ではない。
誰よりも一番、近くで菱谷を見ていた安藤が最も彼女に視線を奪われていた。
「ハッ!」
数秒後、我に返った安藤は菱谷の言葉を思い出す。
『一年ぶりの先輩の匂い』
菱谷は確かにそう言った。
「菱谷、どういうことだ!?一年ぶりって……」
狼狽する安藤を見て、菱谷はクスリと笑う。
「私、先輩より先に此処に来たんです。もう、一年になります」
そう言って、菱谷は笑みを深めた。
「一年って……まさか、そんな!」
にわかには信じられなかった。だが、より美しくなった目の前の菱谷を見ると、その言葉が嘘だとは到底思えなかった。
「あの後、私は此処で目が覚めました。先輩が言われたように、私も魔物を退治するように言われたんです」
「ま、まさか……本当に?」
「はい、魔物はいます」
菱谷はコクリと首を縦に振った。
「此処は、魔法や魔物が存在する世界なんです」
菱谷の言葉を聞いた安藤は、目を大きく見開いた。
「じゃ、じゃあ、さっきのあれは本当に魔法……」
「はい、そうです。トリックなんかじゃありません。正真正銘の光魔法です」
「そ、そんな!」
安藤は、頭を打ち抜かれた男のことを思い出した。
男の死体は、あの後、部屋に入って来た人間達によって、既に片づけられている。だが、男の頭が打ち抜かれるあの光景は、脳裏に焼き付いて離れない。
「ひ、菱谷。お、お前、一年も此処にいるって言ってたな……」
「はい」
「此処について、色々と知ってるんだよな?」
「まぁ、大体のことは」
「お、教えてくれ!どうやったら、元の世界に帰れるんだ!?」
詰め寄る安藤に菱谷は、あっさりと答えた。
「帰れませんよ?」
「えっ?」
「だって、先輩、私達は向こうの世界で死んだんですよ?」
そして、菱谷は極々当たり前のことを言った。
「死んだ人間は生き返りません」
***
「帰れない……?」
「はい」
「もう、二度と?」
「はい」
呆然とする安藤に菱谷は、話を続ける。
「この世界では定期的に、あちらの世界で死んだ人間の魂をこちら側に召還しています。この部屋にいる人間は全て、あちらの世界で死んだ人間なんです」
安藤は部屋の中を見渡す。
部屋の中には老人や若い男女が大勢いた。中には小さな子供までいる。
「でも、こちらに来た人間が向こうの世界に帰ることは出来ません」
一方通行なんです。と菱谷は言った。
「そんな……」
安藤の顔を絶望が覆う。反対に菱谷の顔には幸せが広がっていた。
「私、いつか、先輩の魂もこちらの世界に召喚されるんじゃないかと思って、この一年、生きてきました。諦めなければ、また先輩に会えるって信じていました」
菱谷は安藤にギュッと抱き付く。
「やっと夢が叶いました」
菱谷は安藤の耳元に唇を寄せる。
「愛しています。先輩」
「や、やめろ!は、離せ!」
強引に抱き付いてくる菱谷を安藤は引き剥がそうとする。その時、部屋の中に人が入って来た。
「はーい、次の人……じゃあ、そこの貴方、こっちに来てくださーい」
先程、男の頭を魔法で打ち抜いた女性だ。女性は、安藤を手招きをする。
「あっ、えっと……あ、あれ?」
いつの間にか、安藤に抱き付いていたはずの菱谷がいなくなっていた。安藤は部屋中を見渡したが、菱谷の姿は煙のように消えている。
「何してるの?は、や、く!」
「あっ、えっと、は、はい!」
男の頭を躊躇なく打ち抜いた女性に安藤は慌てて、付いて行く。
「では先輩、また後で」
安堵の耳元で、菱谷がそう言ったような気がした。
***
「はい、そこに座って」
別の部屋に通された安藤は、部屋の中央に置かれていた椅子に座る様に命じられた。部屋には男の頭を打ち抜いた女性の他に数名の男がいる。
「よし、じゃあ始めて『グレムリン』」
『了解だぜ、アンナ!』
どこからともなく声がした。部屋がキョロキョロと見ていると、さらに声が聞こえた。
『おい、此処だよ』
「え?」
『此処だよ。此処。鈍い奴だな』
安藤は、ハッとなる。声は『上』から聞こえてくる。
「ヒッ!」
上を見た安藤は思わず、息を飲んだ。
天井に魔物がいた。
その魔物は、どこか人に近い姿をしていた。しかし、どう見ても人間ではないことは明らかだった。
体中は緑色をしており、頭からは薄らと角が生えている。そして、口からは牙がはみ出していた。
さらに人間とは、決定的に違う点がある。人間は天井に上下逆さまの状態で立つことなどできない。
『人の顔見て悲鳴を上げるなんて失礼な奴だぜ。まっ、お前に限ったことじゃないけどな』
魔物は天井からヒラリと降りてきた。
『ケッ、マヌケそうな面だぜ!』
魔物は安藤の顔をジロジロと眺めている。
「グレムリン、後がつかえてるから早くね」
『ああ、分かってるよ、アンナ』
そう言うと、魔物は安藤をじっと見た。
『フン』
魔物の目が突如光りだした。光る目で魔物は安藤の体を頭からつま先まで、スキャンするように見てくる。
しばらく、安藤を見た後、魔物の目から光が消えた。女性が魔物に話し掛ける。
「どうだった?」
『……この男のクラスは“剣士”だ』
「剣士か。それでステータスは?」
『……』
「グレムリン?」
黙りこくる魔物を女性が訝しげに見る。魔物の肩はプルプルと震えていた。
『ハーハッハッハッハハ!』
突然、魔物は笑い出した。魔物は、両腕で腹を抱えて笑い続ける。
「どうしたの?」
女性が尋ねると、魔物は目に涙を溜めながら答えた。
『攻撃力1:防御力1:剣力1:技能1:修練力1……その他もろもろ、全て1だ!』
魔物は、クックックッと再び笑い出す。
「って、ことはつまり」
『そうさ!』
魔物は安藤に人差し指を向け、大笑いしながらこう言った。
『こいつ“最弱剣士”だ!』
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