第140話 後編

 少女の髪の色が変わる。黒から白へと。

 それはまるで雪のように綺麗だった。


「ホ、ホーリー・ニグセイヤ?」

 少女がその名を告げた時、ワールとマルコは大きく目を見開いた。『協会』の信者ではなくとも、その名はあまりにも有名だ。

「ま、まさかあんた……いや、貴方は!」

 震える手でワイルは少女を指差す。


「『協会』の聖女……」


 神々しい。

 あまりにも美しく、神々しいその姿にワイルは動けなくなる。


「ぐはっ!」

 突然、ワイルが血を吐き、その場に倒れた。巨大なザンダは崩れ、雪に戻る。

 ホーリーは防御魔法を解いた。

「村長!」

 マルコが倒れた村長に駆け寄る。

「村長!村長!」

「無茶をした反動です」

 ホーリーは淡々とした口調で説明する。

「貴方があんなにも巨大なザンダを操れるのは、一年間に溜めた魔力があればこそ。しかし、私との一度目の戦闘で溜めた魔力は既に尽きていたのです。さっきのザンダは溜めた魔力ではなく、生身の貴方の魔力で作り出したもの。生身の貴方の魔力ではあんなに巨大なザンダを維持する事は出来なかったのです」

 自分の限界以上の魔力を消費した事による反動。それはワイルの内臓に大きなダメージを与えた。

「もう私が手を下す必要はないですね。このまま静かに天へ召されると良いです」

「ま、待って下さい!」

 マルコがホーリーへ土下座した。

「お願いです。聖女様!どうか、村長を助けてください!」

 マルコは両手を合わせ、必死に懇願する。

「マルコさん、村長は貴方を殺そうとしました。それでも助けたいのですか?」

「はい!」

 マルコは即答する。

「たとえ、子供達を殺していたとしても、俺を殺そうとしたとしても、村長は大事な家族なんです!俺を育ててくれた親なんです!」

「……マル……コ」

 ワイルの目から一筋の涙が流れた。

「お願いです!聖女様、どうか、どうか村長を治して……」

「必要ない」

 氷のように冷たい声でニーナは言った。

 ニーナの手にはナイフが握られている。

 そのナイフを、ニーナは躊躇いもなくワイルの胸に突き刺した。ナイフは肋骨の隙間を通り、正確に心臓へと突き刺さる。


「ガハッ!」 

 ワイルはビクンと大きく痙攣すると、そのままあっけなく死んだ。


「ニーナ?お前……」

「許さない」

 呆然とするワイルを、ニーナはそっと抱きしめた。


「マルコを傷付ける者は……誰だろうと許さない」


 周囲が明るくなる。夜が明け、太陽が昇り始めたのだ。

 暖かな光りが全員を照らすが、その場に笑顔の者は誰も居なかった。

 

***

 

 日が完全に昇った頃、ホーリーは村人全員にザンダを退治した事を伝えた。

 もう二度とザンダは現れない。安心して良いと。


 子供達が殺される恐怖から解放された村人達は、大いに喜んだ。


 すると、村人の一人が「ワイル村長が見当たらない。どこに居るか知らないか?」と尋ねた。

 ホーリーは「彼はザンダに殺された」と答え、その遺体を村人に引き渡した。

 村人達は彼の遺体に縋り付き、泣いた。


 ワイルは本当に慕われていたらしく、村人は総出で彼の葬儀を行った。


 マルコとニーナは、村長と親しくしていた人間の元へ引き取られる事になった。


 ザンダを退治してから数日後、ホーリーが村を去る日がやって来る。

「もう、行くの?」

「はい、もう行かないといけません」

「そっか……」

 ニーナはホーリーに頭を下げた。


「ありがとうございます聖女様。マルコを助けてくれて」


「いいえ」

 ホーリーはニコリと微笑む。

「マルコさんは?」

「家に居る。貴方とはもう会いたくないって言ってた。ごめんなさい」

「お気になさらず。彼の気持ちを考えれば当然です」

 ホーリーが事件の真相を言わなかったのと同じく、マルコも事件の真相に関して口を閉ざした。

 ワイルが子供達を殺していた事も、ニーナがワイルを殺した事も、アイサ・ブラックの正体が聖女である事も、誰にも話していない。


 誰にも知られない方が良い事もある。


「ニーナさん。訊いても良いですか?」

「何?」

「村が魔物に襲われているので助けて欲しいと、『協会』へ匿名の手紙を送ったのは貴方だったのでは?そして……」

 ホーリーは続ける。


「貴方は知っていたのではないですか?あのザンダの正体が村長の作った人形だという事を」

 

 ホーリーの言葉に、ニーナの無表情が少し揺れる。

「どうしてそう思うの?」

「マルコと違い、村長が犯人だと分かっても貴方はあまり驚いたようには見えませんでしたから」

 ニーナは基本的に無表情だが、全く表情が動かないわけではない。

 自分達を育ててくれた村長が犯人だと知っても、何の反応も示さないのは不自然だ。

「なので、もしかしたら、全て知っていたのではないかと」

「凄いね」

 ニーナの顔が、ほんの少しだけ柔らかくなる。


「うん、そうだよ。私は村長が子供を殺している事を知ってた」


 ニーナは魔法が使える。得意な魔法は『スティール・イヤー』。

 距離や障害物を無視して、半径二十メートル以内の声を聞く事が出来る魔法だ。

 ワイルも、長年の付き合いであるマルコも、ニーナがこの魔法を使える事を知らない。


 ニーナはこの魔法を使い、マルコの部屋を盗み聞きしていた。

 マルコの事を全て知りたいと思っていたニーナは、マルコの独り言をコッソリ聞くのが趣味だった。 


 だが、『スティール・イヤー』は特定の人物の声だけが聞こえるわけではない。半径二十メートル以内に居る人間の声は全て聞こえてしまう。

 つまり、同じ家で暮らしているワイルの独り言も聞こえるという事だ。

 そして、ニーナは知ってしまう。村長がザンダを操り、子供を殺している事実を。


「だけど、村長が子供を殺していると知っても特に何も思わなかった。村長が殺している子は嫌な奴ばかりだったから。特にマルコを馬鹿にしていた子が死んだって聞いた時はスカッとした」

「では、どうして『協会』に手紙を?」

「村長、マルコを殺そうとしていたの」

 ニーナはため息を付く。


『村の悪い子は全員殺した。村に悪い子はもう居ない。もう居ない。じゃあ、もう子供を殺せないのか?』

 ワイルの頭にマルコの顔がよぎる。

『マルコは良い子だ。私の宝物だ。だけど、昔は悪い子だった。だけど、今は良い子だ。悪い事もしたけど、それは自分が生きるためだった。じゃあ、悪い子じゃない?でも、悪い事をしたのは間違いない。昔は悪い子だった。それなら、悪い子と言えるんじゃないか?』

 その日から、ワイルは夜に一人でブツブツ呟くようになった。


『マルコは悪い子、悪い子は罰しなければならない。直ぐに罰したい。いや駄目だ。二十五日まで待つんだ。俺はザンダだ。悪い子を裁くのは十二月二十五日と決まっている』


 毎晩、毎晩、ニーナに聞かれているとも知らず、ワイルは呟き続けた。


「村から『悪い子』が居なくなると、村長は『悪い子』のハードルを下げた。今だけじゃなくて、昔悪い事をしていた子も殺そうとしたの」

「そうですか。村から『悪い子』が居なくなっても村長の子供への殺意は消えなかったのですね」


 ワイルは自分でも気付かぬ内に、子供を殺すだけの殺人マシーンとなっていたのだ。

 あのままではいずれ、罪を犯した事の無い子供も手にかけるようになっていただろう。


「だから、村長を排除しようとしたんですね」

「村長にはお世話になったよ。だけど、マルコを殺そうとするのは絶対に駄目。マルコを殺そうとする人間は誰であろうと絶対に許さない」

 ニーナの目には、揺るぎない決意と執念が見えた。

「最初は私が自分の手で村長を殺そうと思った。でも、私は子供で村長は大人。返り討ちに遭う可能性が高かった。だから、他の人の手を借りようと思ったんだけど、村の人はマルコも含めて皆村長の事を信用していた。誰も村長が子供を殺しているなんて信じない」

「それで、村の外の人間を頼ろうと思ったのですね」

 ニーナは首を縦に振る。

「冒険者への依頼は断られている事を知っていたから、『協会』を頼ろうと思った。だけど私は『協会』の信者じゃないし、この村にも『協会』の信者は居ない。きっと来てくれないだろうなと思ってた。もし、誰も来なかったら十二月二十五日になる前に村長を殺そうと思ってた。だけど、聖女様が来てくれた」

 ニーナは改めてホーリーに礼を言う。

「聖女様が来てくれなかったら、私は村長に返り討ちに遭って殺されていたかもしれない。もし、村長を殺せたとしても、捕まって二度とマルコと会えなかったかもしれない。だから聖女様には本当に感謝してる。貴方が来てくれたからマルコの命も守れたし、私はマルコと一緒に居られる」

 そう言ってニーナは微笑んだ。それはホーリーが初めて見るニーナの笑顔だった。


「聖女様、私も訊いて良い?どうして村に来てくれたの?」

「皆さんの願いを聞くのが聖女の役目ですから。困っている人が居たら助けに来るのは当然です」

「嘘、本当は別の目的があったんじゃないの?」

「どうしてそう思うのですか?」

「『協会』には強い人が何人も居るって聞いた事がある。そういう人達を送ってくれば良いのに、わざわざ聖女様本人が村に来たのは何か理由があったからなんじゃないの?」

「やはり、ニーナさんは頭が良いですね」

 ホーリーはクスリと笑う。

「おっしゃる通りです。この村へはある目的のために来ました。貴方の手紙がきっかけではありましたが」

「目的って?」

 ニーナの問いに、ホーリーは答える。


「私の大切な人がこの村に来ているかもしれない。その可能性があったので、来たのです」


「大切な人……それって前に言ってた世界で一番愛しい人の事?」

「ええ、そうです」

「その人の名前は?」

 ホーリーはゆっくりと、最愛の人の名を口にした。


「アンドウ・ユウト様です」


 安藤優斗。

 ホーリー・ニグセイヤにとってこの世で一番大切な運命の相手。 


 リームという夢魔に攫われて以来、安藤優斗の行方は掴めていない。

 聖女の仕事をこなしながら、ホーリーは必死に安藤を捜していた。


 グリズマ村を助けて欲しいという匿名の手紙が来た時、ホーリーは放っておこうかと思った。だが万が一、この村に安藤が居る可能性も捨てきれない。


 ホーリーはテレポートを使ってグリズマ村に飛んだ。

 聖女と気付かれると面倒なので、偽名を使い、魔法で髪を黒く染めた。


 そして、村に安藤が居ないかワイルに訊いた。

『ところで、魔物とは関係なく、もう一つ訊きたい事があります』

『何でしょう?』

『この村にアンドウ・ユウトという人は居ますか?』

『いいえ……』

 期待はしていなかったが、それでも村に安藤が居ないと知った時は少し落ち込んだ。


「大切な人が村に居ないと分かったのなら、なおさらどうして依頼を受けてくれたの?」

「それはですね……」

 ホーリーはニーナをじっと見る。

「ニーナ、貴方を助けたくなったからです」

「私を?」

「はい、一途にマルコを愛する貴方を見ていたら、どうしても助けたくなったのです」

 きっと貴方と自分を重ねてしまったのでしょうね。とホーリーは言った。

「それにアンドウ様でしたら、きっと、村の子供達を見捨てないでしょうから」

「優しい人なんだね」

「はい、とても優しい人なんです。あっ、取ったら駄目ですよ?」

「取らないよ。私にはもう、好きな人が居るから」

 ホーリーとニーナは楽しそうに笑った。


「では、私はそろそろ行きます。ニーナさん、マルコさんとお幸せに」

 ホーリーはテレポートを発動しようとする。

「会えると良いね。その人に!」

 ニーナは叫んだ。

 ホーリーは「ありがとうございます」と言った。


 直後、テレポートが発動し、ホーリーの姿がその場から消える。


「さて、帰ろう」

 ホーリーを見送ったニーナは、最愛の人が居る家へと帰る。


 マルコを傷付けようとする人間は全て死んだ。

 これでずっと、彼と一緒に居られる。


 ああ、幸せだ。

 なんて幸せなんだろう!


 一秒でも早く最愛の人に会うため、ニーナは雪道を走る。


 ***


「ホーリー様!」

「ホーリー様がお戻りになられたぞ!」


 グリズマ村から『協会』の本部がある場所にテレポートしたホーリーを、『協会』の幹部達が出迎える。


「ホーリー様!皆、心配したんですぞ!」

「どこかに行く際は、行き先を言っておいてください!」

「ごめんなさい、心配させてしまいましたね」

 ホーリーは幹部達に謝罪する。

「また、アンドウ・ユウト様を探しに行かれていたんですか?」

「はい」

「アンドウ様は見付かりましたか?」

「いいえ、見付かりませんでした」

「そうですか……」

 幹部達は暗い顔をする。

「皆さん、夫の身を心配して下さり、ありがとうございます。ですが、大丈夫です。私には分かります」

 ホーリーは両手を組み、目を閉じた。


「ユウト様は生きています。近いうちに必ず会えるでしょう」


 幹部の一人が尋ねる。

「それは、お告げでしょうか?」

「いいえ、勘です」

「勘……ですか?」

「はい、私の勘は良く当たるんですよ?」

 ニコリとホーリーは笑う。

「ホーリー様!」

 すると、別の幹部が慌てた様子でホーリーの元へ駆け寄って来た。

「どうかしました?」

「見付かりました!」

 ホーリーの心臓がドクンと高鳴る。

 はやる気持ちを抑え、ホーリーは冷静な口調で尋ねた。


「ユウト様が見付かったのですか?」

「はい!」


 ホーリーは微笑む。

 ほら、やはり自分の勘は良く当たる。

「それで、ユウト様は今どこに?」

 ホーリーの問いに、幹部は答えた。


「ソウケ国の『大賢者』の所にアンドウ様は居ます!」

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最弱剣士とストーカー魔法使い カエル @kaeruu

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