第35話 ロカ①
アイレン国の東の外れの海岸。ケソウ村。
この村では、全体のほとんどの収益を漁業により得ている。
今、一隻の船が漁をしていた。
「よし、ロカちゃん!頼む!」
「は、はい!」
船の上で、漁師に促された『ロカ』という名の少女が魔法を唱えた。
すると、海に沈められた網がひとりでに一気に引き上げられた。中には大量の魚が入っている。
「おおっ!」
「今日も大量だぁな!」
「ああ、ロカちゃんのおかげだ!」
船に乗っている漁師達が口々にロカを褒める。ロカは顔を紅くして目を伏せた。
「い、いえ……私なんて……」
「謙遜しなくていいって!」
「そうだ。そうだ!」
「今のは、ものすごい魔法だよ!」
漁師達は褒めるのをやめない。ロカの顔が益々紅くなる。
「ちょっと、皆!」
船の奥から、活気の良い声が聞こえてきた。
「ロカは、恥ずかしがり屋なんだから、あんまり話し掛けたら駄目でしょ!」
その言葉を聞いた漁師達は、次々に不満を口にする。
「なんでぇ、ちょっとくらいいじゃねぇか!」
「そうだ。そうだ!」
「一番の功労者を褒めて何が悪い!」
「ロカちゃんは、俺達の太陽なんだ!」
「褒めるとこっちも元気になるんだよ!」
「俺達もロカちゃんと話させろ!」
「過保護!」
ブーブーと不満の声が船中から沸く。
「ほぉ、皆ダイヤモンド・シャークのエサになりたいらしいねぇ」
凄まじい殺気を向けられ、荒くれ者の漁師達が怯む。
「や、やめろって!」
「ほ、ほんの冗談じゃねえか、なぁ」
「そ、そうそう!」
漁師達は一斉に態度を変えた。
「まったく、後三か所回らなくちゃいけないんだ。とっとと持ち場に戻りなよ!」
「「「へっ、へい!」」」
怒鳴られた漁師達は、一斉に持ち場に戻る。
「今日もありがとうね。ロカ」
「ううん。お礼を言うのはこっちの方だよ。サフィア」
ロカはペコリと頭を下げる。
「記憶のない私の面倒を見てくれて……本当に感謝してる」
「いいよ。お互い様だ。ロカが漁を手伝ってくれるようになって、毎日魚が大量に取れるようになったんだから!」
サフィアという名の少女は、爽やかな笑顔でロカに笑い掛けた。
***
時間は少しだけ過去に戻る。
「大変だ―大変だ―」
「どうした?」
「浜辺に女の子が倒れてる!」
「何!?」
報告を受けた村人達が急いで駆け寄ると、そこに一人の少女が倒れていた。
「この村の人間じゃねぇな」
「見事な黒髪だ」
「生きてるのか?」
「ああっ、まだ息がある」
「おおっ、良かった!」
「よし、あのヤブ医者の所まで俺が運ぶぞ!」
男の一人が少女をおぶさり、医者の元まで走った。
「命に別状はないね」
少女を診たのは、ケソウ村唯一の医者だ。診察を終えた医師は、フゥと息を吐く。
「今は、気を失っているだけだ。その内目を覚ますだろう……おっと、言ってる傍からだな」
横たわっていた少女がゆっくりと目を開けた。少女は不安そうにキョロキョロと周囲を見回す。
「此処は……?」
少女の疑問に医者が応える。
「此処は、ケソウ村だ。あんたはこの村の海岸で倒れていた所を助けられたんだよ」
「そう……だったんですか……ありが……とうございます」
少女は頭を下げる。少女の頭が上がるのを待って、医者は尋ねた。
「あんた名前は?どこから来た?」
「わ、わたし……は」
少女は医者の質問に答えようとする。しかし、何も言えない。
「わ、分からない……」
少女は顔を真っ青にして、体を震わせる。
「何も思い出せない」
***
「記憶喪失だな」
少女とその場にいた全員に、医者は告げる。
「記憶喪失……」
「何らかのショックを受け、記憶を無くしているんだろう。頭に外傷は見られないから、おそらく心因性のものだと思うがね」
医者は少女の頭を診ながら、自身の見解を述べる。
「―――んっ?」
「どうした先生?」
「……いや、何でもない。気のせいだったようだ」
医者は少女の頭から、静かに手を放す。一人の村人が少女に訊いた。
「あんた、本当に何も分からないのか?」
「はい……私……何も覚えて……いないです」
少女はそう言って項垂れた。
「でも、どうすっかな」
「そうだなぁ、憲兵に連絡すっか?」
「憲兵か……俺はあんまり好かんな」
記憶喪失の少女をどうするかで、村の者達は話し合う。
「あ、あの……!」
「なんだい?」
「よろしければ………此処に置いてくださいませんか?」
全員が一斉に少女に目を向ける。
「此処に?」。
「もちろん、働きます!なんでもします!なので、お願いです……どうか、私を此処に置いてください」
「う~ん」
村人達は「どうする?」と隣同士、顔を見合わせた。
「いいじゃない。この村においてあげようよ!」
発言したのは現在の村の長であるサフィアだ。
「……サフィア……お前……」
彼女は、前長の一人娘だ。
小さい時から、父に漁を仕込まれており、その才能は村一。さらにリーダーシップもある。前の長が亡くなり、次の長に誰がなるか?となった時、村の人間の半数以上がサフィアを指名した。
結果、サフィアは僅か十七歳という若さで村の長になった。
「この人記憶を無くしてるんでしょ?憲兵に引き渡したりしたらどんな目に合うか……」
サフィアは少女の手を優しく握る。
「記憶が戻るまで此処に居なよ。ねっ?」
すると、その場にいた村人達がサフィアに尋ねた。
「暮らすったって……どこでだ?」
「そうだ。俺の家じゃ無理だぞ」
「俺の家も無理だ。子供が八人いるからな」
自分の所では、少女を引き取れないと言う村人達。
「私の家で暮らせばいい」
サフィアはその場にいた村人全員に聞こえるように、きっぱりと言った。
「記憶が戻るまで、私の家に居ればいい。私、一人暮らしだし、ちょうどいいよ」
「あ、ありがとう……ございます」
少女は嬉しそうにサフィアの手を握り返す。
手を握り合う二人の少女。それを見た周りの大人達も決心する。
「そうだぁな。あんた、此処に居ればいいよ」
「うん、うん」
「記憶が戻るまで、此処で暮らせばええよ!」
少女は「ありがとうございます……ありがとうございます」と何度も村人達に頭を下げた。
「よし、決まり!」
サフィアはパンと手を叩く。
「ただし、此処で暮らすからにはビシビシ働いてもらうからね?覚悟しておいてね!」
少女は「はい!」と首を縦に振る。
「じゃあまずは……あっ、そうだ。貴方、名前は?」
「……ごめんなさい……」
「そっか、自分の名前も分からないのか……」
サフィアは腕を組み「う~ん」と考える。そして、ポンと手を叩いた。
「そうだ!私が貴方の名前、考えてあげるよ!」
「私の……名前を……?」
「うん、名前が無いと呼ぶ時に不便でしょ?名前、私が考えてあげるよ!」
サフィアは改めて少女を見る。
記憶を無くした少女は、美人だった。
切れ長の目、整った鼻と口。スタイルはよく、胸も大きい。中でも目を引くのが、その黒髪だった。
サフィアも含め、この地域に住んでいる人間は皆、髪が白い。純粋な黒色の髪はとても珍しかった。
「黒い髪……黒髪……クロカミ……ロ……カミ……ロ……カ……。『ロカ』……。うん、そうだわ!『ロカ』、貴方の名前は『ロカ』がいいわ!」
「ロカ……それが、私の名前……」
「どう、気に入った?」
「はい……とても良い名前だと思います」
黒髪の少女……ロカは嬉しそうに頷いた。
「よし、それじゃあ、貴方の名前は『ロカ』に決定!いいよね?皆?」
「ああっ!」
「良い名前だ!」
周囲の村人も頷き、同意する。
「私の名前はサフィア!」
「サフィア……さん」
「サフィアでいいよ。これから、よろしくね。ロカ!」
サフィアはロカに手を伸ばす。
「こちらこそ、よろしくお願いします……サフィア」
サフィアとロカ、二人の少女は固い握手を交わした。
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