第34話 偶然ではない


 ホーリーが協会本部にテレポートすると、一人の従者が彼女を出迎えた。


「お帰りなさいませ。ホーリー様」

「ただいま帰りました。ミケルド」

 ホーリーは、自分を出迎えた従者の女性に笑顔を向ける。

 とても、幸せそうな笑顔を。

「その様子ですと、上手くいったのですね」

「はい、上手くいきました」

 年相応の少女のようにはしゃぐホーリーは、その場でクルリと一回転した。

「その服は町で?」

「そうです。ユウト様も気に入ってくださいました」

「……少々胸元が強調されているデザインですが、わざとですか?」

「もちろんです」

 ホーリーはニコリと笑う。

「ユウト様は見ないようにしていましたが、時々、無意識に視線が私の胸元に向くことがありました。その度にユウト様は慌てて視線を逸らされました。その様子がとても可愛らしくて」

 ホーリーはキャッと頬を紅くする。


「ああっ、しかし本当に幸せな時間でした」


 ホーリーは両手を組み天を仰ぐ。

「この世界にあんなに幸せな時間があるとは……神に感謝いたします」

「神様に感謝するのは良いですが、私にも感謝して良いのですからね?」

「もちろんですよ、ミケルド。貴方には深く感謝しています」

 満面の笑顔をホーリーはミケルドに向ける。ミケルドは、「はぁ」とため息を付いた。


「本当に大変でしたよ。


 ミケルドは、「はぁ」と再度ため息を付く。

「いくらギルド内部に『協会』の信者が大勢いるといっても、それなりの賄賂は必要でした。ギルド上層部に握らせた賄賂だけで、豪邸が建てられますよ」

「それは、仕方がなかったのです。だって……」

 ホーリーは静かに、口を開く。


「あの『大魔法使い』をユウト様から遠ざけるためですから」


 ミケルドは真剣な表情でホーリーに尋ねる。

「ホーリー様。本気であの『大魔法使い』からその男性を奪うおつもりなのですか?」

「はい」

 ホーリーは、当然とばかりに即答する。


「ユウト様は私の『運命の相手』ですから」


 ホーリーの言葉に、ミケルドはゾクリと背筋を震わせた。


***


「宿への根回しもご苦労様でした」

「ちゃんと泊まれましたか?」


「はい。貴方が宿おかげで、私はユウト様と至福の時間を過ごすことが出来ました」

 ホーリーはうっとりと頬に手を当てる。


「ギルドへの根回しに比べれば、そちらは何ともありませんでした。それよりも、大変だったのは、あれですよ」

 ミケルドの視線の先には、縦・横・高さが約二メートル程の檻があった。

 檻の中には人型の魔物が鎖に繋がれ、閉じ込められている。


「このサキュバスの捕獲が一番大変でした」


 夢魔。夢の中で相手を誘惑し、精気を吸い取る魔物。

 男型の夢魔をインキュバス。女型の夢魔をサキュバスと呼ぶ。


「優秀な従者を持てて、私は幸せです」

 ホーリーは檻の中に近づき、中に閉じ込められているサキュバスを見る。

 サキュバスは檻の中でビクリと怯えた。

「怖がらなくていいですよ」

 ホーリーはポケットの中から何か小さなものを取り出した。そして、それをサキュバスに見せる。


「貴方の血と肉で作られたこのキャンドル。これのおかげで、あの方は私を抱いてくださいました」


 ホーリーがあの宿で使ったキャンドル。ホーリーは町で買ったものだと安藤に説明したが、実は違う。

 このキャンドルは、あらかじめホーリーが用意していたものだった。


『サキュバスのキャンドル』

 古くから伝わる魔法道具で、女性が意中の相手を誘惑する時に使う。

 サキュバスの血肉で作られたキャンドルに自分と意中の相手の肉体の一部を入れ、魔力を注ぎ、火を点ける。すると、キャンドルから漂う香りを嗅いだ意中の相手は、自分を激しく求めるようになる。


 魔法を使える人間なら、防御魔法で抗うことが出来るが、魔法を何も使えない人間が『サキュバスのキャンドル』の効果に抗うことは、不可能だ。


 ホーリーはサキュバスに、ニコリと微笑みかける。

「貴方には深くお礼を申し上げます。私は『誘惑』の魔法が使えませんので、あのキャンドルが必要だったのです。ありがとうございました」

「だっ、だったら!」

 サキュバスは檻を掴み、叫ぶ。

「私をここから出して!もう目的は果たしたんでしょ?お願い!私をここから出して!助けて!」

 サキュバスは必死にホーリーに懇願する。ホーリーは「そうですねぇ」と首を傾げながら、口に手を当てた。

「確かに『ユウト様と結ばれる』という目的は果たしました」

 しかし、とホーリーは続ける。

「一度だけでは不十分です。このキャンドルは一回しか使えませんので、もっとたくさん作る必要があります」

 ですから……。

「貴方には、もう少し協力してもらいますね」

 ホーリーは指をパチンと鳴らした。するとサキュバスを閉じ込めた檻がひとりでに動き出す。

「嫌だ!嫌だ!もう痛いのは嫌だ!お願い助けて!私をここから出して!出して!お願い!助けてえええええええ!」

 檻はサキュバスの懇願を無視し、協会の奥へと消えた。

「イヤアアアアアアアアア!」

 協会の奥からはサキュバスの悲痛な悲鳴が聞こえたが、それもすぐに消えた。


***


「ああっ、愛は良いですよ。ミケルド」


「そうですか」

 はしゃぐホーリーにミケルドは呆れた顔を向ける。

「『裏工作』を仕掛けた甲斐がありましたね」

「裏工作とは人聞きが悪いですね。『愛の駆け引き』と言ってくださいませんか?」

 ホーリーは、ムッと頬を膨らませる。

「『愛の駆け引き』ですか……そう表現するには、少々……いえ、だいぶやり過ぎですが……」


 一人の男と結ばれるために、ギルドを買収したり、サキュバスを捕え魔法道具を作ったり、する行為は明らかに『愛の駆け引き』から逸脱している。


 昨日、起きた出来事のほとんどは『偶然ではない』。

 昨日、起きた出来事のほとんどは


 ホーリーは『運命の啓示』により、安藤の性格を把握している。 

 だから、全てを計算することができた。


***


「ドア・イン・ザ・フェイス」と呼ばれるテクニックがある。


 まず相手に聞き入れられない程大きな要求をする。それが断られると、次に先程よりも小さな要求を相手にする。すると、相手は小さな方の要求を受け入れる確率が高くなる。それを利用したテクニックだ。

 断られることを前提に最初に大きな要求をして、次に本命の要求をすることで、本命の方の要求を通しやすくする。


 ホーリーは最初に、一般人では買えない程高価な宝石をお礼として安藤に渡そうとした。安藤の性格からして、当然そんな高価な宝石のプレゼントは断る。

 それを断られれば、次に「プレゼントを選びたいので、二人で町まで出掛けませんか?」と誘う。

 ホーリーが普通に「二人で町まで出掛けないか?」と誘っても安藤は断っただろう。

 だが安藤に『このままホーリーから高価な宝石を受け取るよりも一緒に町まで出掛け、そこでプレゼントを選んだ方が良い』と思わせることによって、安藤を町まで誘い出すことに成功した。


 その後は、プレゼントを選ぶという名目でしばらくの間、デートを楽しんだ。


 だがデート後、安藤とそのまま結ばれることはないとホーリーは思っていた。

 安藤は必ず日が沈む前に「帰ります」と言い出すと予想したからだ。その予想通り、安藤は日が沈む前に「そろそろ帰ります」とホーリーに言った。

 そこで、ホーリーはある魔法を使う。

 

 その魔法は、天候を操る魔法「ウエザー・コントロール」。

 


 あの時、ホーリーは安藤とテレポートをする振りをして、天候を操り豪雨を降らせた。そして、「雨宿りをする」という理由で、目的の宿に安藤を連れて行った。

 

 雨宿りをしている最中、ホーリーは安藤に二つ嘘を付いた。

 一つ目は「雨の日は空間にノイズが多く混じるので、テレポートが出来ない」ということ。

 二つ目は「服を乾かす魔法は使えない」ということ。


 どんなに激しい雨の中でもホーリーはテレポートすることが出来るし、服を一瞬で乾かす魔法も使える。


「雨の日はテレポートできない」と言ったのは、もちろん安藤を帰らせないため。

 服を乾かす魔法が使えないと言ったのは、宿に泊まる口実を作るためと、安藤に濡れて透けた服を着た自分を見せ、誘惑するためだった。


 それから、ホーリーは「風邪を引くから」と言って安藤を宿の中に誘導した。

 その宿はあらかじめ、ホーリーの従者ミケルドが一部屋だけ開けておき、ホーリーともう一人の男が来たら二人を泊まらせるように金を渡していた宿だった。


 部屋の中に入ると、安藤が風呂に入っている間に、ホーリーは『サキュバスのキャンドル』に自分の肉体の一部と安藤の肉体の一部を入れ、魔力を注ぎ、火を点けた。

 肉体の一部には自分と安藤の髪の毛を使った。安藤の髪の毛は、彼が風呂に入っている間に彼の服から調達した。


『サキュバスのキャンドル』は、意中の相手が自分を意識していればいるほど、効果を発揮する。


 雨に濡れた服、一つしかないベッド、風呂上がりの石鹸やシャンプーの匂い、バスローブの隙間から見える胸の谷間や足。

 否が応でも安藤は、ホーリーを意識することになり、『サキュバスのキャンドル』の効果を何倍も大きくした。


 そして、ホーリーは安藤を誘惑しながら、自分が『聖女』である事と安藤を本気で愛している事を告白する。

 最初はホーリーの誘惑を拒絶することが出来た安藤だったが、やがて『サキュバスのキャンドル』の効果によって、理性は消え、欲望を抑えることが不可能になった。


 そして、ホーリーの計算通りに事は運んだ。


 安藤はホーリーの体を求め、ホーリーはそれに応えた。


***


「ユウト様はとても誠実な方です。いくら私があの方の『運命の相手』だとしても、既にいる相手を捨てて私と結婚するということはありえませんでした。ですので、まずはユウト様と既成事実を作る必要があったのです」


 重要なのは、安藤に『ホーリーを求めたのは魔法の力のせいだ』と思わせないことだった。安藤には『ホーリーを求めたのは、自分自身の意志だった』と思わせる必要があった。


 ホーリーは、安藤の性格を知っている。

 たとえ、ホーリーと安藤が最も相性の良い『運命の相手』だとしても、魔法の力を使われたと知られれば、安藤はホーリーに対し、強い不信感を抱くだろう。


「私とユウト様は、いずれ結婚することになりますが、不信感を抱かれることは好ましくありません。私はユウト様となんのわだかまりもなく結婚したいのです」

 あの時、豪雨が降ったことも、宿に泊まる事になったのも、安藤は、全て偶然だと思っている。

 そして、自分が『サキュバスのキャンドル』という魔法道具の効果を受けていたとは夢にも思っていない。


 安藤は自分が、ホーリーの体を求めたのは『自分自身の意志の弱さ』だと思っている。


 あとは、そこにつけこみ安藤を『大魔法使い』から奪う。


「……ホーリー様」

「何でしょう?」

「もしホーリー様が、その『ユウト様』と結ばれた場合、『大魔法使い』は諦めるでしょうか?」

「諦めないでしょうね」

 ホーリーは断言する。


「『大魔法使い』はユウト様を常に ”盗撮虫”で監視しています。山全体に結界を張っているのは、ユウト様を守る目的もあるでしょうが『ユウト様を逃がさない』ためでもあります。『大魔法使い』は相当独占欲が強く、ユウト様に執着していることが伺えます」


「『大魔法使い』はホーリー様の存在に気付いているのでしょうか?」

「結界は破らずに侵入しましたし、 ”盗撮虫”が見ている映像は偽の情報に改ざんしています。今は、まだ気づいていないでしょう。ただ、これからは分かりません」

「もし、気付かれたら当然……」

「戦うことになりますね。『大魔法使い』と」

 ミケルドはゴクリと唾を飲む。

「……ホーリー様」

「大丈夫ですよ。ミケルド」

 ホーリーは慈愛に満ちた目でミケルドを見る。


「私は負けませんから」


 ミケルドの顔が紅くなる。

 ホーリーは間違いなく『聖女』だ。神の教えを人々に広め、救済する『聖女』。

 実際、ホーリーに救われた人間は大勢いる。


 災害が起きれば、真っ先に駆け付け、怪我をしている人々を救った。疫病が流行れば、そこに駆け付け、病気を治した。

 魔物が人を襲っていると聞けば、魔物と戦うこともあった。

 災害や疫病によって引き起こされた『心的外傷』もホーリーは魔法で治療した。

 大切な者を亡くした人には、神の教えを説いた。死んだ人間を蘇らせることは出来ないが、神の教えを説くことで大切な者を亡くした人の心の穴を埋めた。


 ホーリーは間違いなく人々を救済する『聖女』だ。


 だが、慈愛や優しさだけでは『聖女』は務まらない。

 協会の教えとは相反するが、時に『聖女』には『苛烈さ』も必要になる。

 何が何でも自分の気持ちを押し通す『苛烈さ』。他者を押しのけても自分の欲しいものを手に入れようとする『欲望』。


 そういった顔も『聖女』には必要なのだ。


 ホーリーの従者、ミケルドは目を閉じ、片膝を付いた。

「分かりました。私はどこまでもホーリー様に付いて行きます」

「ありがとう。ミケルド」

 そして、ホーリーは妖艶に笑う。


「ああっ、ユウト様。早くまたお会いしたいです」

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