第36話 ロカ②
「カンパーイ!」
今日は、年に一度村で行われる祭りの日だ。
優雅な舞、豪華な料理、酒。それらを海神に捧げ、感謝を示し、漁の安全祈願を祈る。
祭りの行事が一通り終わると、後は宴の時間だ。祭りそのものよりも、この宴を楽しみにしている者も多い。
「いやぁあ、めでたい!」
「ロカちゃんが来てくれてから、毎日大漁だよ!」
「あんまり、大漁過ぎて値崩れするんじゃないかって心配だよな!」
「それな!ハハハハハッ」
漁師達は酒が入っていることもあって、とても上機嫌だった。その上機嫌な漁師達の中心に、ロカの姿がある。
ロカは酔っ払い達に対して、「そうですね……」とか「はははは……」という愛想笑いしかできていない。
それでも、漁師達は孫を可愛がるような感覚でロカと接する。
いつもなら同居人であり、友人であり、この村の長であるサフィアが助けてくれるのだが、あいにく彼女は祭りの後始末で、席を外している。
ゆえに、酔っ払いどもを止める人間は誰も居ない。
「いやぁ、ロカちゃんは本当に美人だよね」
「俺も、あと三十年若かったらなぁ」
「お前は、三十年どころか前世まで戻らんとダメだろ」
「俺の前世知っとんのか、お前」
「知らん。ガハハハハッ!」
「知らんのか。グハハハハッ!」
酔っ払いの会話はこのように支離滅裂だ。
ロカは心の底から願う「サフィア、早く来て」と。
***
「ふう、ようやく終わった」
祭りの後始末を終えたサフィアは、急いでロカがいる宴へと向かう。
「うちの村の漁師ども酒癖が悪いからなぁ。ロカ困ってないといいけど」
「おう、サフィア」
「あっ、先生!」
サフィアを呼び止めたのは村唯一の医者だ。サフィアは医者に小走りに駆け寄る。
「どうしたの?こんな所で」
「見回りだ。祭りの日には酒を飲み過ぎてぶっ倒れる奴や、はめを外し過ぎて怪我する奴が必ず出るからな」
「あはあはははっ、確かにそうだね。皆お酒大好きだもんね。でも、先生もいい加減タバコ、止めた方が良いよ。早死にするから」
「はん、俺の唯一の楽しみを奪わんでくれや」
「人には、タバコ止めろっていつも言うくせに」
「諺にもあるだろ?『人は人、俺は俺』」
「ないよ。そんな諺」
サフィアと医者は同時にフッと笑った。
「あの子……ロカの様子はどうだ?」
「―――うん、元気にやってるよ。ただ……」
「記憶は戻らない……か」
「うん」
サフィアと医者、二人の間に重い沈黙が流れる。
ロカがこの村に来てしばらく経つが、未だに彼女の記憶は戻らない。
サフィア達、村の住人がロカについて知っていることは一つだけ。彼女の魔法が凄いということだ。
サフィアも含め、この村には魔法を使える人間がほとんどいない。使えるのは村唯一の医者ぐらいだ。その医者の魔法も、治療系の魔法がほとんどで、低レベルのものばかりだ。
だが、ロカが使う魔法はそれとは、ケタ違いだ。魔法の知識が全くないサフィア達にも、ロカが天才魔法使いだと十分に理解できた。
一体、ロカは何者なのか?
最初は、確かに彼女のことを気味が悪いと思う人間も居た。
しかし、最近ではそう言った声もあまり聞こえなくなった。今では、ほとんどの村人がロカに対して好意的だ。
その一番の理由は、とれる魚の量が激増したことだ。
ロカは魔法を使い、魚が多く集まる場所を探したり、人の力では引き上げられない巨大な網を魔法で引き上げることが出来た。
魔法による漁は、この村に大きな恩恵をもたらした。
暮らしているほとんどの住民が漁業を生業としているこの村では、とれる魚が増えることは、それだけ得られる収入が増えることを意味している。
「ロカちゃんは、きっと海の神様の使いに違いない!」
ほんの少し前まで、冗談で言われていたこの言葉を、最近では本気で信じ掛けている人間も出始めている。
「なぁ、サフィア」
先程までとは違う。重い雰囲気で医者は言った。
「実は、あの子の事なんだが……お前や他の村の奴らには言っていないことがある」
「言っていないこと?何?」
「最初に、あの子の診察をした時、妙な事に気付いた」
「妙な事?」
医者は人差し指で自分の頭を指した。
「ロカは魔法によって記憶が失われたのかもしれん」
医者の言葉を聞いたサフィアの目が、大きく見開かれる。
「魔法で?どういうこと?」
医者は患者に病気を説明するように、ゆっくりとした口調で話す。
「俺は、レベルは低いが治療に使える魔法を一通り持っている。その中に、人体を透視し、筋肉や骨を診れる魔法がある。それで、あの子の脳を診てみたんだ。そしたら、脳に『魔法を掛けられた痕』があった」
「魔法を掛けられた痕……」
サフィアはゴクリと唾を飲みこむ。
「魔法を掛けられた場合、体質にもよるが、体に魔法を受けた痕が出来ることがある。その痕があの子の脳にもあった。極々小さかったがな」
「―――ッ!」
「しかも、その痕が出来ていたのは、脳のどこだと思う?」
サフィアは「分からない」と言う代わりに、首を横に振った。
「『海馬』だよ」
「海馬……って?」
「脳は様々な部位に分けられる。そして、部位ごとに役割が違う。欲望を司る『視床下部』や好き嫌いを判断する『偏桃体』とかな。そして……『海馬』は脳の記憶を司る部位だ」
「記憶を……じゃあ、やっぱり?」
「ああ、ロカは魔法で記憶を失った。その可能性は極めて高いと俺は思う」
「魔法って……記憶を消すことも出来るの?」
「可能だ……ただ」
「ただ?」
「『相手の記憶を操作する魔法』は使うことが出来る人間が限られている上級魔法だ。普通の魔法使いでは記憶を消すどころか、相手の記憶を見ることすら出来ない」
「じゃ、じゃあ、ロカはそんな凄い相手から記憶を消されたっていうの?どうして?」
「そこまでは、分からん。こんな辺鄙の村じゃ、上級魔法使いの情報なんてほとんど入ってこないからな。特に『他国』の魔法使いの情報はな……」
医者は、タバコに火を点け深く吸った。そして、フーと煙を吐き出す。
「あの子を憲兵に引き渡すことも、考えた方が良いかもしれないな」
「―――ッ!?な、何言ってるの?先生!ロカを憲兵に差し出すなんて……本気!?」
サフィアは勢いよく医者に詰め寄る。
「あの子は……ロカはとても良い子なんだよ?臆病なところもあるけど、いつも優しくて……村の皆もロカに救われてる。もちろん、私も!」
「落ち着け、サフィア。あの子が優しいことなんて俺だって知ってる」
「だったら、どうして!?」
医者はタバコを吸い、口から煙を吐く。
「確かにロカは優しい。だが、それは今の記憶を失った状態でのことなんだ」
「……記憶を消される前のロカは、今のロカとは違うかもしれないってこと?」
医者は頷く。
「性格が遺伝で決まるのか、環境で決まるのかは、まだハッキリと分かっていない。しかし、これまでの『経験』が何かしら本人の性格に影響を与えるのだとしたら、『記憶喪失』になった人間の性格が大いに変わることも十分あり得る」
「先生は、ロカの記憶が戻ったら、今のロカとは違う人間になるかもしれないって考えているんだね?」
「……そうだ」
サフィアの言葉を医者は肯定する。
「記憶が戻ったロカがどういった人間になるかは分からない。だがもし、記憶が戻ったロカが殺人衝動や破壊衝動を持っていたりしたら、とても危険だ。あの子が本気になれば、この村の人間を皆殺しにすることはたやすい」
「―――ッ!!!!」
確かに、ロカの魔法ならば一時間……いや、きっとそれより短い時間で、村人全員を皆殺しに出来るだろう。
「記憶が戻ったロカが……そんなことをするって?」
「俺はこの村唯一の医者だ。村人全員の命を守る義務がある。そして、村人全員の命を守るには、あらゆることを想定しないといけない。どんなに考えたくないことでもな」
「……」
医者の言葉には覚悟がある。サフィアはそれを肌で感じた。
「……それでも、それでも私はあの子を信じる!」
サフィアは澄んだ目で医者を見る。
「たとえ、記憶が戻ったのだとしても、ロカはロカだ。私は村の長として、親友として、あの子を信じる!記憶が戻ったとしても、ロカはきっと優しいロカのままだ!」
「……そうか」
医者はポケットから携帯用の灰皿を取り出し、そこに火を消したタバコを入れた。
「お前が信じるのなら、俺も信じてみるよ」
「……先生」
医者はフッと笑いサフィアの頭をポンポンと叩く。
「この村の長は、お前だ。そのお前があの子のことを信じると言うのなら、俺も信じてみるよ」
「……先生」
サフィアは自分の頭を触った。
「タバコ臭い」
「そりゃ悪かったな」
「でも……ありがとう」
「おう」
医者は、ニヤリと笑う。サフィアもニコリと笑った。
「何かあれば、いつでも相談しろよ」
「うん」
互いに手を振りながら、医者とサフィアは別れた。
***
しばらくして、サフィアは宴が行われている場所に着いた。
「あれ?ロカは?」
「ああ、なんか気分が悪くなったとかで外に出たぞ」
「えっ?まさか、お酒飲ませたの?」
「そんなことはしねえよ!」
「そうだ。してねえよ!」
周りの村人もウンウンと頷く。
「大丈夫かな?ロカ……」
サフィアは遠くを見ながら、ポツリと呟いた。
***
「いつの間にか、あの子も大きくなったな」
暗い道を歩きながら、医者は昔のことを思い出していた。
サフィアとは、あの子の父親が生きていた頃からの付き合いだ。最初に会った時は、おとなしそうな子という印象だったが、それが今は村の長だ。
時間が経つのは早い。本当にそう思う。
「おっ、今日は星が綺麗だな」
雲一つない晴天。星がとても綺麗に見える。医者は夜空に輝く美しい星々を眺めていた。
それがきっかけとなったのか、医者はあることを思い出した。
少し前に、村人から日頃の感謝を込めて、旅行をプレゼントされたことがあった。その間、別の医者が代わりに村に派遣されることになったため、二泊三日の旅行に出かけることが出来たのだ。
その時に行った国の新聞で見たのだ。あの子の……ロカの顔を。医者は震える声で言う。
「そうか、確かあの子は……」
次の瞬間、医者の頭に凄まじい衝撃が走った。
「ガッ!」
医者はグラリとフラ付き、その場に倒れた。
「くっ……ううっ」
朦朧としながらも医者は、自分に何が起きたかを調べる。
頭を触ると、血がベットリと付いていた。
(殴られた!?誰に?)
地面に倒れながら、医者は後ろを振り返える。
そこには、一人の人間が立っていた。
「お、お前……」
医者は驚愕の表情を浮かべる。
「ど、どうして……お前が……俺を」
体が動かない。立てない。自分に回復魔法を掛けようとしたが、意識が朦朧としているためか、回復魔法が発動しない。
医者を殴った犯人はニヤリと笑うと、倒れている医者に近づいた。
「や、やめ……ろ……く、来るな……来るなあああああ!」
ゴッ。
再び凄まじい衝撃が医者を襲う。医者は目を開けたまま、ピクリとも動かなくなった。
***
「あっ、お帰り、ロカ!」
「サフィア!」
サフィアの顔を見た瞬間、ロカはほっとした表情を浮かべる。
「もう大丈夫なの?」
「うん、やっと祭りの後始末が終わった。そっちこそ、大丈夫?気分悪くて外に出てたって……」
「うん、大丈夫だよ」
「この酔っ払い達に、お酒飲まされなかった?」
サフィアは、酔っぱらっている漁師達を睨む。
「大丈夫。ジュースしか飲んでない。お酒は一滴も飲んでないよ」
ロカは小さく微笑む。
「ほら、言ったろ!」
「俺達にもそんぐらいの分別はあらぁ!」
騒ぐ酔っ払い達をサフィアは鋭い目で睨む。酔っ払い達は「ヒッ」と悲鳴を上げ、一斉に目を逸らした。
「全く、はいはい皆!そろそろお開きにするよ」
「ええっ……」
「まだ飲み足り……」
サフィアがまた漁師達をギロリと睨む。
「そうだな……」
「そろそろ、お開きにすっか!」
酔いが醒めた漁師達は、いそいそと帰り支度を始めた。
家に帰ると、サフィアとロカは軽く風呂に入り、布団を敷いた。
「ごめんね。ロカ、私がもっと早くそっちに行っていれば……」
「ううん」
「あいつらに何かされたら、直ぐに言うんだよ?」
「大袈裟だよサフィア。漁師さん達は、絶対に変なことはしない。サフィアが一番分かってるでしょ?漁師さん達とは、昔からの付き合いなんだから」
「……まぁね」
照れた様子のサフィアを見て、ロカはクスリと笑った。
「さぁ、もう寝よう」
ロカが明かりを消すと、部屋の中は真っ暗になった。
「ねぇ、ロカ……起きてる?」
「うん……どうしたの?」
「ロカ……もし、記憶が戻ったら……どうするの?」
「えっ?」
「例えば、ロカに大切な人が居たとするよ?……もし、記憶が戻ったら、その人の所に行くのかなって……」
サフィアは、小声でゆっくりと探るように話す。
ロカは、しばらくの間黙っていたが、やがて「分からない」と答えた。
「私、記憶を取り戻すのが少し、怖いんだ」
「怖い?」
「記憶が戻った時、私はどうなるんだろうって、毎日思ってる。記憶が戻った私は、『今』の私と同じ人間なんだろうか?って」
あの医者が言っていた事と同じ事をロカも考えていた。
「もちろん、記憶は取り戻したいと思ってる。でも、同時に記憶を取り戻すのは……少し怖い」
「ロカ……」
サフィアは、ロカの布団の中に入る。そして、ロカをそっと抱きしめた。
「サフィア?」
「大丈夫だよ、ロカ。何が遭っても私が必ず貴方を守るから」
サフィアは、さらに強くロカを抱きしめた。
「ありがとう。サフィア」
ロカもサフィアをそっと抱きしめ返す。
「私、サフィアに出会えて良かった」
ロカは照れたような口調で話す。
「サフィアがさっき言ったことなんだけど」
「さっき?」
「もし私に大切な人が居て、その記憶が蘇ったら、その人の所に行くのかって質問」
「……ああっ、うん」
「私、行かないと思う」
サフィアは驚いた表情でロカを見つめる。
「大切な人って、サフィア以上に大切ってことでしょ?記憶を無くす前の私にサフィア以上の大切な人が居たとは思えない」
「ロ、ロカ……」
「あっ、もちろんサフィアがこのまま此処に住んでいて良いって思ってくれてたらだけど……」
「良いに決まってるよ!」
弾んだ声のサフィア。暗くて顔は見えないが、彼女はきっと満面の笑みを浮かべているだろう。とロカは思った。
「ずっと、一緒に暮らそう!ロカ!」
サフィアには家族が居ない。
サフィアは孤独だった。
両親を亡くした彼女にもう家族は居ない。村の人達は皆優しくしてくれる。
だが、一人でいると両親のことを思い出す。特に、夜寝る時は言いようのない孤独感がサフィアを襲った。
そんな孤独感がロカと一緒に住むようになってから消えた。
両親を思い出すことはだいぶ減ったし、寝る時もとても幸せな気分で眠ることが出来るようになった。
サフィアにとって、ロカはまるで妹のような存在だった。
何があろうと、誰からだろうと私がこの子を絶対に守る。
サフィアは固くそう誓った。
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