第89話 恋人になるね!

「ねぇ、アンドウ君に何してるの?」


 アイビーは暗く冷たい目で安藤と、安藤に密着するハナビシを見る。

 どうして、彼女が此処に?

「なんだ、チビ。なんか用か?」

 安藤との逢瀬を邪魔され、ハナビシは怒りを滲ませる。

「向こうに行ってろチビ。邪魔だ」

「何してるの?アンドウ君に何をしているの?」

 アイビーは壊れた機械のような声で、同じ言葉を繰り返す。

 ハナビシは「ハッ」と嘲る。


「女と男が誰も居ない場所で、何をしてたかなんて決まっているだろ?」


「……」

 アイビーの目がさらに暗くなっていく。

「なんだ、チビ。もしかして、お前もアンドウの事が好きなのか?」

「……」

「そうか、そうか!お前もアンドウが好きなのか!」

 ハナビシは笑う。

「大方、お前も自分を吸血鬼から助けてくれた此奴を好きになったんだろ?分かるぜ、その気持ち。私もそうだから……なっ!」

「うっ!」

 ハナビシは安藤の顔を自分の大きな胸の谷間に埋めると、その髪をゆっくり撫でた。

「だけど、残念だったな。此奴は、もう私のものだ」

「んんっ!やめっ……んんんっ!」

 胸の谷間から逃れようとする安藤を、ハナビシはさらに強く抱きしめる。

「分かったか?分かったら向こうに行け。私とアンドウの時間を邪魔す……」


「ファイアーボール」


「――――ッ!」

 アイビーは、手から炎の球体を放った。

 ハナビシは、その場から飛び退く。炎の球体は安藤の体スレスレを通り過ぎ、木に当たった。

 炎の球体が命中した木の幹は大きくえぐれ、焦げ跡が付く。


「てめぇ……!」

 ハナビシは、怒り心頭でアイビーを睨み付ける。空気が震えるほどの迫力。

「死にたいらしいな!」

 凄まじい怒りをアイビーに向けるハナビシ。対するアイビーは空虚な目をハナビシに向け続ける。

 ハナビシを見ながら、アイビーは安藤に訊く。

「アンドウ君。今、この人が言った事って……嘘だよね?」

「えっ、あっ……」

「そうだよね?」

「う、うん……」

「やっぱりね。アンドウ君。『やめて』って言ってたもんね。嫌がってたもんね」

 納得するように、アイビーは頷く。


「アンドウ君は嫌がってた。抵抗してた。貴方は嫌がるアンドウ君を無理やり自分のものにしようとしたんだ」


 アイビーはカタカタと体を震わせる。

「ア、アイビーさん?」

「大丈夫だよ。アンドウ君」

 アイビーは安藤に向かって微笑む。


「守るから。アンドウ君は私が守るから。命に代えても」


 狂気が混じる目で、アイビーは静かにハナビシを睨む。

「ユルサナイ。アンドウ君が嫌がる事をするなんて……絶対に許さない!」

「許さないだぁ?それは、こっちのセリフだ!」

 ハナビシは、悪魔のような表情になる。

「あとちょっとの所を邪魔しやがって、絶対に許さねぇ!」


 アイビーとハナビシ。二人が相手に向ける感情は敵意などという生易しい物ではない。

 二人が相手に向ける感情。それは紛れもなく『殺意』だ。


「待ってろよ、アンドウ。直ぐ此奴を片付けるからな」

「待っててね。アンドウ君。直ぐにこの人を倒すから」

「二人とも。待っ……!」

 安藤の制止を振り切り、ハナビシはアイビーに向かった。


「『肉体強化』……十倍」


 十倍に強化した肉体で、ハナビシはアイビーに殴り掛かる。

 完全に殺す気だ。

「死ね」

 拳がアイビーに触れる……刹那。


 ハナビシの体が宙を舞った。


「……ッッ!?……チッ!」

 ハナビシは空中で態勢を整えると、足から着地する。

 元居た場所から、ハナビシは二十メートル以上、飛ばされていた。安藤の目には何が起きたのか分からない。

 だが、飛ばされたハナビシ本人には、アイビーが何をしたのか分かったらしい。

「『流水』の魔法か、厄介な魔法使いやがって……」

「……」

「まぁいい。そっちが『流水』を使うってんなら、『流水』でも防げないスピードと力で殴ってやればいいだけの話だ」

 ハナビシの瞳孔が大きくなる。


「『肉体強化』……百倍」


 ハナビシを中心に風が吹いた。木々が揺れ、木の葉が舞う。

「死にやがれ、チビ!」

 百倍に強化した肉体で、ハナビシはアイビーに襲い掛かる。

「『流水魔法』発動」

 アイビーもカウンター魔法、『流水』を発動。ハナビシを迎え撃とうとする。

 その時。


「やめてください!」


 安藤が、二人の間に割って入った。

「アンドウ!?」

「アンドウ君!?」

 ハナビシとアイビー。両者とも目を大きく見開く。

「チイイイ!」

 ハナビシは辛うじて拳を止めた。衝撃波がパンと音を鳴らす。

 アイビーも魔法の発動を中断した。

「アンドウ。退け!」

「アンドウ君、そこを退いて!」

「退きません!」

 二人は安藤に退くように言うが、安藤は頑として退こうとしない。


「もし、戦いを続けたいのなら……俺を殺してからにしてください!」


「「―――ッッ!!!」」

 安藤は本気だ。その姿を見て、二人は動きを止める。

「アンドウ……」

「アンドウ君……」

 ハナビシとアイビーはしばらくの間、沈黙した。


「チッ!」

 最初に口を開いたのはハナビシだった。

 彼女は不満げに舌打ちをしながらも、拳を収める。その体から、急速に殺意が消えていくのが安藤にも分かった。

「命拾いしたな。チビ」

 ハナビシはアイビーに言う。

「今日はアンドウに免じて、命は取らないでおいてやる。そいつの優しさに感謝しな」

「……」

「だが、次に邪魔した時は容赦しねぇぞ」

 ハナビシは、アイビーから安藤に視線を移す。

「ごめんなアンドウ。とんだ邪魔が入って白けちまった。続きは、また今度にしようぜ」

「ハナビシさん……」

「じゃあな。アンドウ。愛してるぜ」


 ハナビシは片手を振りながら、この場から去った。


***


「ふぅ……」


 なんとか、殺し合いを止めることが出来た。安藤は、ほっと息を付く。

「アンドウ君!」

 ハナビシの姿が完全に見えなくなると、アイビーは安藤に駆け寄り、その顔をペタペタと触りだした。

「大丈夫だった?あんなことされて、怖かったよね?苦しかったよね?嫌だったよね?」

「ちょ、アイビーさん……」

「ごめんね。私がもうちょっと早く来ていたら、アンドウ君に嫌な思いをさせずに済んだのに……」

 アイビーの目に涙が浮かんだ。安藤は慌ててフォローする。

「あの……だ、大丈夫ですよ!酷いことはされませんでしたし……」

「でも、アンドウ君。あんなに嫌がってたじゃない!何度も「やめて!」って言ってたじゃない!」

「それは……」

「ううっ、やっぱり、もっと早く私が来ていたら……」

 アイビーはまた泣き出す。困った安藤は、話題を変えることにした。


「と、ところで、アイビーさんはどうして、此処に居るんですか?」

「もう、アンドウ君!私と話す時は敬語抜き、って決めたでしょ!」

「あっ……はい。いや、うん。そうだったね」

 安藤とアイビーは同い年。敬語は抜きで話そうという事になったんだった。

 ううんと咳払いをして、安藤は言い直す。

「アイビーさんはどうして、此処に居るの?」

「休憩時間になったから、アンドウ君を探したの。そしたら、アンドウ君の作業場が変更になったって聞いて……」

 そうだったのか。と安藤は頷く。

「それで……俺に何か?」

「あのね……」

 アイビーはモジモジと指を動かす。

「さっき、あの人が言ってたから、もう言う必要はないかもしれない……でも、ちゃんと自分の口で言いたいから……」

 安藤は、アイビーが何を言おうとしているのかを察した。だが、あえて口を閉ざす。

 顔を真っ赤にしながら、アイビーは安藤に告げた。


「私、アンドウ君が好き!」


 今日、二度目の告白を安藤は受ける。

「アンドウ君は、私を助けてくれた。そのせいで、私の代わりに血を吸われる事になったのに、アンドウ君は一度も私を責めなかった。アンドウ君は本当に優しくて、素敵な人だと思う!」

 アイビーは、やや早口で自分の想いを安藤に伝えた。


「私は、アンドウ君が好き。だから私、アンドウ君の恋人になるね!」


「……えっ?」

 一瞬、聞き間違いかと思った。今、アイビーは『恋人になりたい』でも『恋人にして』でもなく、『恋人になるね』と言ったのか?

「アイビーさん……俺は……」


「今度は私がアンドウ君を守る番。アンドウ君がくれた命は、アンドウ君のために使う。安心して、これからは私がずっとずっと、アンドウ君を守ってあげるからね!」


 アイビーの目は宝石のように輝いている。安藤はその目に圧倒された。

「あの……アイビーさん」

「あっ、アンドウ君!」

「な、何?」

「前髪に何か付いてるよ」

「えっ?」

「取ってあげる。少し屈んで」

「う、うん」

 言われた通り、安藤は屈む。


 すると、アイビーは安藤の両頬に手を添え、キスをした。


「んっ」

「―――ッ!?」

 安藤は思わずアイビーから離れる。

「な、何を……?」

「あの時、私を助けてくれたお礼。そして、上書きだよ」

「上書き?」

「アンドウ君。あの人にキスされてたでしょ?怖かったよね。苦しかったよね。嫌だったよね。でも、もう大丈夫だよ!私のキスで上書きしたから!」

 アイビーはニコリと笑う。何が大丈夫なのか、安藤には全く分からない。


「アイビーさん!」

「はい!何?アンドウ君!」

 安藤に名前を呼ばれ、アイビーはまるで子犬のように喜ぶ。

 そんなアイビーに安藤はハッキリと言った。


「ごめん、アイビーさん。俺、君とは付き合えない」


「……どうして?」

 アイビーはキョトンと首を傾げる。

 その仕草にショックを受けている様子はない。少し、ビックリしたといった感じだ。

「ねぇ、どうして?」

「それは……」

「もしかして、他に好きな人が居るの?」

「―――ッ!」

 安藤はどう答えようか迷った。


 さっきハナビシに告白された時、「他に好きな人が居る」と言って断ったら、無理やり誘惑された。

 アイビーにも、同じように答えて大丈夫だろうか?

「どうしたの?アンドウ君?」

 アイビーは不思議そうに安藤を見る。何か答えなければと、安藤は思うが良い答えが見付からない。

(……仕方ない)

 安藤は頷く。


「そうなんだ。俺には他に好きな人が居る」


 アイビーはまだキョトンとしている。

 正直、彼女が何を考えているのか、よく分からない。

「―――さっきの人じゃないよね。アンドウ君、嫌がってたもん」

「うん、違う。ハナビシさんじゃない」

「じゃあ、誰?此処に居る人?」

「違う。此処に居る人じゃない」

 その時、自分が誰を頭に思い浮かべたのか……安藤自身にも分からなかった。

「そっか……」

 アイビーは顔を伏せる。

 傷付けてしまっただろうか?と安藤は思った。


(ごめん。だけど……俺は、告白を受け入れるわけにはいかないんだ)


 これは仕方のない事なんだ。と、安藤は自分に言い聞かせる。

「そっか……そっか……」

 アイビーは何度か「そっか」と繰り返し、顔を上げた。


「良かった!」


 アンドウを見上げるアイビーの顔は、満面の笑顔だった。

「此処に、アンドウ君が好きな人は居ないんだぁ。良かったぁ……!」

「大丈夫って……何が?」


「だって、私と一緒に過ごせばアンドウ君は、!」


 彼女が何を言っているのか分からず、安藤は「えっ?」と呟く。

「アイビーさん!俺は君と付き合うつもりは……んっ」

「大丈夫だよ。アンドウ君」

 アイビーは人差し指で、安藤の唇に触れた。


「私の命は、アンドウ君のためにある。アンドウ君のためなら私、何でもするよ?これから、私が死ぬまでずっうううと、守ってあげるからね!」


 安藤は、自分の唇に触れているアイビーの人差し指をどける。

「アイビーさん!話を聞いて!俺は君とは……」

「じゃあ、またねアンドウ君。何かあれば必ず私が助けてあげるね!」

 そう言うと、アイビーは顔を紅くしながら走り去った。


「……なんで」

 一人残された安藤は、その場に座り込む。

 しばらくの間、安藤はそこから動く事が出来なかった。

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