第90話 謝罪
「……という事があったんです」
作業を終え、自分の檻に戻った安藤は、ハナビシとアイビーの事をカールに話した。
「……そいつは災難だったな。兄ちゃん」
「いえ……」
安藤は首を横に振るが、明らかに憔悴している。それは、昼間の作業の疲れだけが原因ではない。
(嫌な予感が当たっちまったな……)
吸血鬼の所に連れていかれた時、安藤はアイビーの他にもう一人、金髪で背の高い女が居ると言っていた。
カールは、アイビーが安藤に惚れたのは、安藤が自分や他の皆を吸血鬼から助けたからだと考えた。だとしたら、同じく安藤に助けられたその金髪の女も、安藤に惚れている可能性があると思っていた。
カールの予想通り、金髪の女―――ハナビシは安藤に惚れていた。
だが、まさか安藤と二人きりになるために魔物の買収までするとは……。
「俺は……二人が殺し合うのを止めたいです」
憔悴しながらも、安藤はハッキリとした口調でそう言った。
「カールさん。どうすれば良いと思います?」
「そうだなぁ……」
カールは悩む。
アイビーが安藤に惚れていると分かった時も、安藤はカールに「どうしたら良いと思いますか?」と尋ねた。
その時、カールは「もう少し様子を見た方が良い」とアドバイスした。
まだアイビーも安藤に告白していなかったため、彼女がどう動くのか分からなかったからだ。
しかし、アイビーもハナビシも、既に安藤に告白してしまった。二人ともあまりに行動が早過ぎる。こんなに早く、告白するとは思わなかった。
自分が今まで出会った女性達とは、あまりに違う。正直、カールには彼女達が今後、どう動くのか予想出来ない。
「どっちかを振って、どっちかと付き合う。そして、振った方には兄ちゃんの事を諦めてもらうように言う。ってのは、無理そうか?」
「……はい、無理だと思います」
安藤は即答する。
もしも、どちらかと付き合う事で殺し合いが止まるのなら安藤はそうする。
だが、直接二人と話をして、それは無理だと直感した。
「ハナビシさんは、とにかく強引です。俺が他に好きな人が居ると言っても、俺を奪って自分のものにしようとしました。仮に俺がアイビーさんと付き合っても、やはりアイビーさんから俺を奪おうとするでしょう」
「アイビーちゃんは?」
「彼女は、俺を守ることが自分の使命だと妄信している様子でした。仮に俺がハナビシさんと付き合っても、俺が脅されて付き合っていると考え、ハナビシさんを排除しようとすると思います」
カールは驚く。
「ほんの少し会っただけなのに、よく二人の事がそんなに分かるな」
「はい、まぁ……」
安藤の脳裏に、三人の女性の顔が浮かんだ。
「なるほど、『経験則』というわけか」
納得した様子で、カールは頷く。
「……なぁ、兄ちゃん」
「はい」
「兄ちゃん前に言っていたよな。兄ちゃんを巡って、三人の女が殺し合った。って」
「……はい、そうです」
「その時は、最終的にどうなったんだ?」
「……」
「すまねぇな。思い出したくない事だろうと思って、前は訊かなかったが、もしかして今回の問題を解決する糸口になるかもしれねぇ。どうしても嫌なら言わなくても良いが、話せるなら教えてくれねえか?」
「……」
数秒の沈黙の後、安藤は口を開く。
「……少し、長くなりますけど、良いですか?」
「おうよ。構わねえぜ!」
安藤は頷く。
「……分かりました。お話します。ですが、その前にお聞きしたいことがあります」
「なんだい?」
「カールさんは『魔女』って知ってますか?」
「『魔女』……イア国の『魔女』のことか?勿論、知ってるぜ!」
「じゃあ『大魔法使い』と『聖女』は?」
「その二人も勿論、知ってるぜ。ラシュバ国の『大魔法使い』も協会の『聖女』も、超有名人だ。まぁ、顔は見たことないけどな」
それがどうかしたのか?と、カールは安藤に尋ねる。
「その三人です」
「んっ?」
「俺を巡って、殺し合ったのは……その三人です」
「――――ッ!?」
息を呑むカールに、安藤はこれまでに起きた事を自分の分かる範囲で話した。
***
「そんな事が……」
驚きのせいか、普段は明るいカールの口調が何処か重い。
「俺の話、信じてくれますか?」
「あっ、ああ……信じるぜ」
カールはゆっくり首を縦に振る。
「って言っても、兄ちゃんが『特殊能力』を持っている事と、兄ちゃんが嘘を付く人間じゃない事を知らなければ、とても信じられなかっただろうがな」
「……でしょうね」
カールの言葉に、安藤も同意する。こんな話、信じられない方が普通だ。
「『聖女』の結婚式で、その夫になる相手が行方不明になったことは聞いていた。だが、それがまさか、兄ちゃんだったとは……」
カールは「ハッ」とする。そして、おもむろに頭を下げた。
「申し訳ございませんでした」
「えっ?」
「知らなかったとはいえ、『聖女』様のお相手に対して、今まで生意気な口を聞いてしまいました。平にご容赦を……」
「ちょっ、やめてください。カールさん。どうしたんですか?」
「『協会』には大変お世話になっております故……」
「やめてくださいってば!俺は、何とも思っていませんから!」
安藤はカールの頭を上げさせる。
「だから、そんな態度はやめてください!いつも通りでいてください」
「しかし……」
「カールさん!」
「分かりまし……分かったよ。兄ちゃん」
カールは、いつもの口調に戻る。
「悪いな。兄ちゃんが『聖女』の相手だと知って、ついな」
「俺がホーリーさん……『聖女』の相手だと何かあるんですか?」
「そうか、兄ちゃんは知らないんだな」
カールは「フウ」と息を吐く。
「『協会』の力は絶大だ。『協会』が商業を全面的に取り仕切っている地域も少なくない。商売人は『協会』に絶対に逆らっちゃならねえんだ」
カールは遠くを見つめる。
「俺はこれまで『協会』の怒りに触れて商売が出来なくなった奴らを何人も見てきた。だからつい『協会』の関係者にはへりくだっちまう。他の商人も皆そうさ……」
「カールさん……」
「おっと、すまん。話しが逸れちまったな。悪い」
「いえ、こちらこそ、気を使わせてしまってすみませんでした」
今度は、安藤がカールに頭を下げる。
そんな安藤を見て、カールは「フッ」と笑った
「俺個人としては、兄ちゃんは是非『聖女』と結婚して欲しいな。そして『協会』を中から変えて欲しい。兄ちゃんが上に立つ『協会』なら、商人はだいぶ商売がやりやすくなりそうだ」
そう言うと、カールはさらに笑みを深めた。
***
それから、安藤とカールは、どうしたらハナビシとアイビーの殺し合いを避けることが出来るのかを話し合った。
「『聖女』や『魔女』、『大魔法使い』が兄ちゃんを取り合った時は、その『リーム』って魔物が、兄ちゃんを連れ去ったんだな?」
「はい、そうです。だから、今、彼女達三人が何をしているのか俺には分かりません。全員無事だと良いのですが……」
カールは「う~む」と考える。
「別の場所に隠れるってのは、いい案かもしれないな。二人が争いよりも、兄ちゃんを探す事に夢中になる可能性がある」
「でも……」
「そうだな。今は出来ない」
此処に閉じ込められている限り、遠くに隠れるというやり方は、実行不可能だ。
「それに、そもそも兄ちゃんが別の場所に隠れても、そのまま兄ちゃんを探すとは限らんからなぁ。邪魔な相手を殺した後に兄ちゃんを探すかもしれねぇ」
「……そうですよね」
それから夜遅くまで、安藤とカールは話し合った。
しかし、中々良い案は浮かばない。
「ふぁ……ヤバイ。眠気が限界だ」
「……俺もです」
作業の疲れもあり、凄まじい眠気が二人を襲う。
「続きは明日にするか……」
「そうですね……」
「あっ、兄ちゃん」
「はい?」
「兄ちゃんの話に出てきた『リーム』って夢魔の魔法―――『誘惑の魔法』だっけ―――は、もう解けているんだよな?」
「はい。もうリームの魔法は解けています」
『誘惑の魔法』を解く方法は三つ。
一つ目は、『誘惑の魔法』を掛けた本人が魔法を解く。
二つ目は、時間切れによる解除。個人差もあるが、『誘惑の魔法』は相手に魔法を掛けてから、十五時間から三十時間が経過すると、自然に解除される。
三つ目は、魔法を掛けた本人の『死』。魔法を掛けた本人が死ねば、『誘惑の魔法』は解除される。
リームが安藤に『誘惑の魔法』を掛けてからとっくに三十時間以上経過しているので、『誘惑の魔法』の効果は消滅している。
「兄ちゃん、その『リーム』って魔物の事、恨んでるか?」
「えっ?」
「だって、兄ちゃん。その魔物のせいで……」
「いいえ」
安藤は首を横に振る。
「俺は彼女を恨んでません」
「……そうか、ならいい。おやすみ、兄ちゃん」
「おやすみなさい。カールさん」
安藤とカールはそれぞれのベッドに戻り、眠りについた。
***
気付けば安藤は、暗闇の中に居た。
「此処は……」
「安藤君!」
名前を呼ばれ、安藤は振り返る。そこには一人の少女が居た。
「山田さん!?」
「安藤君、久しぶり!」
山田は高校のクラスメイトだ。
よく話す間柄だったが、親の仕事の都合ということで、何の挨拶もなく急に転校して安藤の前から姿を消した。
「山田さん。どうして、此処に?」
「安藤君!」
山田はいきなり、安藤に抱き付いた。
「ちょっ……山田さん?」
「好き、好き、安藤君。大好き、好き!」
「山田さん。ちょっと、やめ……」
「安藤君……」
山田とは違う女性の声が背後からした。その声の主は、背後から静かに安藤を抱きしめる。
「田沼先生!?」
安藤を背後から抱きしめたのは、高校一年の時の担任である田沼という女性だ。
いつもメガネを掛けており、生徒に厳しい教師だったが、何故か安藤には優しかった。
田沼も、家の都合か何かで急に学校を辞め、安藤の前から居なくなった。
その田沼が、安藤を背後から抱きしめている。学校では絶対にしなかった、溶けるような表情で。
「安藤君。私ずっと、貴方の事が……」
田沼は、安藤の背中にその豊満な胸を押し付ける。
「先生、やめてください!山田さんも……」
安藤は何とか二人を引き離そうと抵抗する。
すると、
「安藤君……」
「優斗君……」
「安藤」
「お兄ちゃん」
「アン君!」
「ユウちゃん!」
安藤が知っている女性が、次々と目の前に現れる。
彼女達は皆、顔を紅くしながら安藤に抱き付き、その体に触れた。
「やめ……皆、やめ……!」
おかしい。自分の知っている人達が、こんなに異世界に居るはずがない。
それに、こんな事を絶対にしないであろう人まで、嬉しそうに安藤の体に触れている。
絶対におかしい。
安藤は思い出す。前にもこんな事があった。
―――此処は……夢の中だ!
安藤は大声で叫ぶ。
「やめて、リーム!」
安藤の体に触れていた女性達の動きが、ピタリと止まる。
そして、まるで煙のように、彼女達は安藤の前から姿を消した。
代わりに、一体の魔物が安藤の前に姿を現す。安藤はその魔物の名前を口にした。
「リーム……」
『夢魔』。
人間の夢の中で相手を誘惑し、精気を吸い取る魔物。
女性の夢魔を『サキュバス』。男性の夢魔を『インキュバス』と呼ぶ。
「アンドウ……」
リームという名の夢魔は、安藤をじっと見つめる。そして……。
「ごめんなさい」
リームは安藤に深く頭を下げ、謝罪した。
「ごめんなさい。アンドウ。本当にごめんなさい」
リームは安藤に何度も謝罪する。
「さっきのは、何のつもり?」
安藤は、静かな声でリームに問う。
「お詫び。せめて、夢の中だけでもアンドウには、いい思いをして欲しくて……あっ、もちろん精気は吸ってないよ!安心して!」
リームは両手と首を横に振る。
「前にアンドウの夢の中で会った時、たくさんの女を出したけど、アンドウ拒絶したでしょ?今度は全員、アンドウの知り合いの女を出してみたのだけど……これも気に入らなかった?」
「……うん」
「そっか」
リームはため息を付く。
「私は、夢魔だからこれくらいしかお詫びが出来ない。だけど、それもダメみたいだね」
「……リーム」
「アンドウ。私を恨んでいるでしょ?」
リームは悲しそうな顔で、安藤を見つめる。
「貴方は『聖女』から、私を自由にしてくれた。だけど、そんな貴方を私は吸血鬼に差し出した。そのせいで貴方は今、此処に居る」
「……」
「私は貴方から受けた恩を仇で返した。どんなに恨まれても仕方がないと思う」
リームはもう一度、安藤に頭を下げる。
「本当に、ごめんなさい。」
安藤は頭を下げるリームにこう言った。
「恨んでないよ」
「……えっ?」
リームは思わず頭を上げる。
「恨んでない。俺は君の事を恨んでなんかいないよ」
「嘘ッ!」
リームは、驚愕の表情をしながら叫ぶ。
「貴方がいくらお人好しでも、それはあり得ない!私は貴方に殺されてもおかしくない事をしたんだよ!」
「本当だよ。俺は君を恨んでもいないし、憎んでもいない。だから、謝る必要なんてないし、お詫びをする必要もない」
「……どうして?どうして、貴方は……」
「だって……」
顔を歪めるリームに、安藤は優しく言った。
「だって、家族を助けるためだったんでしょ?」
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