第91話 恐怖

 リームの故郷は、ケーブ国の大森林だった。


 ケーブ国の大森林に住む夢魔達は。日中は森の中で生活し、夜になると人間の夢の中に入って精気を吸うという生活をしていた。

 ケーブ国の大森林には夢魔の他にも、多種多様な魔物が生息している。


 そんなある日。吸血鬼の封印が解かれた。


 比較的平和だったケーブ国の大森林は、吸血鬼の復活によって一変する。

 吸血鬼はあっという間に大森林を支配し、多くの魔物を自身の配下に置いた。


 大森林に住んでいた夢魔達も、そのほとんどが吸血鬼に捕らわれる。

 吸血鬼は捕らえた夢魔達にこう言った。


『今からある一定数の夢魔を解放する。その夢魔達は、僕の言う条件を満たす人間を連れてきて欲しい。僕が言う条件に当てはまる人間を連れてくる事が出来た夢魔と、その夢魔の家族は全員解放してあげよう』


 リームは解放される夢魔に選ばれ、リームの家族は幽閉された。

 解放された夢魔達は、自分の家族を救うため、吸血鬼の言う条件を満たす人間を探しに各地へと散らばった。


 しかし、リームは吸血鬼の言う人間を探さず、そのまま逃走した。

 リームは家族よりも、自身の命を優先したのだ。


 彼女は怖かった。

 仮に吸血鬼の言う条件を満たす人間を連れて来ることが出来ても、吸血鬼が約束を守る保証はない。下手をすれば、用済みとばかりに殺されてしまうかもしれない。

 そう考えたリームは、吸血鬼の手が及ばない遠くへ逃げた。


 だが逃げた先で、リームはまたしても捕まってしまう。今度は人間に。

 リームを捕らえた人間の名はミケルド。彼女は『協会』の人間だった。


 ミケルドにサキュバスを捕らえるように指示したのは、『協会』のトップである『聖女』。

 サキュバスを捕らえた目的は、『サキュバスのキャンドル』という女性が意中の相手を誘惑する時に使う道具の材料にするため。


『聖女』には懸想している相手が居た。その相手を誘惑するために、『聖女』は大量の『サキュバスのキャンドル』を欲したのだ。


 そこからの日々は、リームにとって、まさしく地獄だった。

『サキュバスのキャンドル』は、サキュバスの血肉を材料としている。リームは毎日のように血肉を取られ続けた。


 苦痛と恐怖の日々に耐えながら、リームはこう思うようになる。

 これは罰だと。


 今、自分の身に降り掛かっている事は、全て家族を見捨てて逃げた罰だとリームは考えるようになった。

「ごめんなさい。ごめんなさい……」

 もしかしたら今頃、家族は自分と同じ酷い目に遭っているかもしれない。

 自分が助けに戻って来るのを待っているかもしれない。

 それなのに私は……。

「ごめんなさい。本当にごめんなさい」


 苦痛と恐怖。そして、家族への罪悪感でリームは毎晩泣いた。


 転機が訪れたのは、それから少し経ってからだった。

 リームは『聖女』が懸想している相手の夢へ、侵入する事に成功したのだ。


『聖女』が懸想している相手の名前は、安藤優斗。異世界の人間だった。


 夢の中でリームは、安藤に『誘惑の魔法』を掛けた。そして、『誘惑の魔法』に掛った安藤を利用し、リームは『聖女』の元から逃げ出す事に成功した。

 リームはテレポートーを使い、安藤と共に故郷であるケーブ国の大森林に跳んだ。


 そしてそのまま、リームは安藤を吸血鬼の部下に引き渡した。

 

 家族を救うため、リームは安藤を吸血鬼に渡した。


 だから今、安藤優斗は此処に居る。


***


「リーム。君の家族は、どうなった?」


 吸血鬼の部下に引き渡す時、リームは安藤にこう言った。


『ごめんなさいアンドウ。吸血鬼に私の家族が捕まっている。でも、貴方を渡せば、私の家族は解放されるかもしれない』


「家族は解放された?」

「……ええ」

 リームはゆっくりと首を縦に振る。


「私の家族は、さっき全員解放された。特に大きな怪我もしてなかった」


「それは良かった!」

 安藤は、ほっと息を付く。

「心配してたんだ。リームの家族はどうなったのかって。無事だったのなら本当に良かったよ!」

「良くない!」

 リームは怒鳴る。

「どうして、怒らないの?なんでそんなに笑っていられるの?こんなに酷い目に遭ってるんだよ?」

「……」

「どうして、私を怒らないの?」

「リームは、間違った事は何もしていない」

 相手を安心させるような声で、安藤は言う。

「赤の他人と……人間と自分の家族なら、家族を選ぶのは当然だよ」

「―――ッ!」

「だから、リームが謝る事は何もないんだ」

「……アンドウ」


「リーム。君はもう俺に罪悪感を抱く必要はない。これからは俺なんかよりも、家族を大事にしてあげて。せっかく皆、自由になれたんだから!」


「アンドウ、私は!」

『兄ちゃん、おい、兄ちゃん!』

 突然、上からカールの声が聞こえた。カールの声が聞こえるのと同時に、リームの姿が徐々に消え始める。

『兄ちゃん!おい、起きろ!兄ちゃん!』

 どうやら、カールが安藤を起こそうとしているらしい。ひどく慌てた様子だ。

 何かあったのか?

「アンドウ―――私は―――あ―――」

 リームが何か言っている。しかし、よく聞こえない。

「私は―――必ず―――貴方を―――」

 リームの姿が完全に消える。


 そして、安藤は目を覚ました。


***


「兄ちゃん!」

「ハッ!」

「おお、兄ちゃん!起きたか!」

「カール……さん?どうかしたんですか?」

 

 今日は、月に数回の貴重な休日だ。

 日頃の疲労から、休日はほとんどの者が昼近くまで寝る。

 時計を見ると、まだ朝の七時前だった。


「兄ちゃんに迎えが来てる」

「迎え?」

「あれだ」

 カールの指先には、二体の魔物が居る。

「あの魔物……」

「ああ、吸血鬼直属の魔物だ」

 二体の魔物は、前に安藤達を吸血鬼の元に案内したのと同じ魔物だ。

 ということは……。


「俺はまた、吸血鬼の所に連れて行かれるんですね」


「……どうやら、そうらしいな」

 カールは顔を歪める。


 二体の魔物は何も言わず、黙ってこちらをじっと見ている。不気味だ。

 前に来た時は、かなり威圧的な態度だったのに。


「行ってきます」

「待て、兄ちゃん!」

 カールは安藤を引き留める。

「今回呼ばれたのは、どうやら……兄ちゃん一人だけみたいなんだ」

「……俺だけ?」


 前に吸血鬼に呼ばれた時は七人だった。しかし、今回は安藤一人だけ。


「兄ちゃん。良かったら俺も一緒に行こうか?」

「えっ?」

「俺にあるのは『特殊能力』と少しの腕力ぐらいだ。戦闘では、全然役に立たねぇ」

 カールは安藤と同じく魔法は全く使えない。剣や武器を多少扱えるくらいだ。

 吸血鬼と戦っても一秒も持たない。

「だが、俺は元商人だ。自分で言うのもなんだが、弁が立つ。もし、吸血鬼に襲われそうになっても、上手く言い包める事が出来るかもしれねぇ!」

「カールさん……」

「だから俺も一緒に行ってやるよ。な?」

 カールは安藤の両肩に手を置く。

「ありがとうございます。カールさん」

 安藤は頭を下げた。


「でも、大丈夫です!心配しないでください」


 穏やかな表情を作り、安藤は微笑む。

「前に俺の血を吸った時、吸血鬼は俺を殺しませんでした。もし、俺を殺すつもりなら、あの時殺していたはずです」

「だけどよ。それは……」

「大丈夫です」

 安藤は頷く。

「俺は、絶対帰ってきますから!」

「………」

 数秒の沈黙の後、カールは一言「分かった」と言った。

「絶対帰って来いよ。兄ちゃん」

「はい!」


 檻を出た安藤は、再び吸血鬼の元へと向かう。


***


「はぁ……はぁ……」


 ドクン、ドクンと心臓の鼓動が大きくなる。呼吸は早くなり、手には汗が滲む。

 まるで、人を背負っているかのように足取りが重い。


 檻を出て、カールと離れた安藤は、今はたった一人だけだ。

 正確には魔物が二体同行しているが、彼らは安藤と口を聞こうとしない。

 一人になった瞬間、凄まじい恐怖が安藤を襲った。


 前に吸血鬼の元に連れて行かれたのは、安藤を含め七人。自分と同じ人間が複数居たので、安藤の恐怖心は少しだけ和らいでいた。

 しかし、今は一人だけで恐怖に耐えなければならない。


 怖い、怖い、怖い……。

 怖くて仕方がない。


 先程、安藤はカールに『前に俺の血を吸った時、吸血鬼は俺を殺しませんでした。もし、俺を殺すつもりなら、あの時殺していたはずです』と言った。

 だが、吸血鬼が安藤を殺さなかったのは、ただの気まぐれだったのかもしれない。

 今回、安藤を呼び出したのは、気が変わって安藤の血を全て飲み尽くしたくなったから。という可能性も十分ある。


 もしそうだとすれば、安藤は今日、死ぬかもしれない。


 安藤は最初から、その可能性に気付いていた。しかし、カールを心配させないように出来るだけ平静を装った。

 カールも、吸血鬼の気が変わった可能性に気付いていた。

 だが、『カールを絶対に巻き込まない』という安藤の強い意志を感じ、何も言わずに送り出した。

 安藤が戻って来ると信じて。


 しばらく歩くと、吸血鬼の住む塔に着いた。


 塔の長い階段は、まるで死刑台に続く階段のように思える。安藤はその階段を、一歩ずつ上っていく。

 そうして、安藤はまたしても塔の最上階の奥にある部屋の前に連れて来られた。


 今まで口を閉じていた二体の魔物が言葉を発する。

「我らは、ここまでだ」

「我らが去った後、扉を叩け」

「吸血鬼様が「入れ」と言われたら扉を開け、中に入るのだ」

 二体の魔物はそれだけ言うと、安藤を残し立ち去った。


「すううう、はぁあああ」

 二体の魔物が立ち去ると、安藤は大きく深呼吸する。ほんの少しだけだが、震えが収まった。

(良し!)

 覚悟を決めた安藤が扉をノックすると、部屋の中から声がした。


「どうぞ。お入りください」


「……えっ?」

 部屋の中から聞こえた声は、前に聞いた吸血鬼の声ではなかった。


「この声……まさか!」


 安藤は勢いよく扉を開ける。

 扉を開けると一人のが立っていた。その女性を見て、安藤は息を呑む。


「……ホーリーさん?」


 そこに居たのは、ホーリー・ニグセイヤ……『協会の聖女』だった。


「ユウト様!」

 ホーリーは笑顔で安藤に駆け寄ると、勢いよく抱き付いた。

 安藤の胸の中で、ホーリーは幸せそうに言う。


「会いたかったです。ユウト様!」

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