第92話 会話

「会いたかったです。ユウト様!」


 抱き付いたホーリーの大きな胸が、安藤の体に押し付けられる。自分に抱き付くホーリーに安藤は尋ねた。

「ホーリーさん。どうして、此処に……?」

「ユウト様……」

「んっ!?」

 ホーリーは安藤の唇に、自分の唇をそっと重ねた。甘い快感が口の中に広がる。

 長い口づけの後、ホーリーはゆっくりと唇を離した。

「……ホーリーさん」

「フフッ」

 ホーリーは、次に安藤の首筋に口づけをした。生暖かい感触が首筋から脳へと伝わる。

 さらにホーリーは、安藤の首に舌を這わせ始めた。

「ホ、ホーリーさん……―――ッッ!」

 くすぐったい様な、何とも言えない感触と体が溶けそうな快感が同時にやってくる。

 目を逸らし、顔を紅くする安藤を見て、ホーリーはクスリと笑った。

「どうですか?気持ち良いですか?ユウト様」

「ホーリーさん。ちょっと待ってくだ……んんっ!」

 顔の紅い安藤に、ホーリーは二度目の口づけをした。 

「ユウト様、愛しています」

「ホーリーさん……」

 口を開けたホーリーは、そのまま安藤の首筋に甘噛みをした。

 チクリと首筋が痛む。


 その瞬間、安藤の全身にゾクリと冷たいものが走った。


「―――――ッッ!!!」

 安藤はとっさにホーリーから離れた。

 ホーリーは不思議そうに首を傾げる。

「ユウト様、どうかされましたか?」

「違う……」

「えっ?」


「貴方は、ホーリーさんじゃない!」


「……」

 ホーリーは安藤をじっと見つめる。

「貴方は……貴方は……」

 冷や汗を流しながら、安藤は言った。


「貴方は……吸血鬼ですね?」


「あはっ!」

 ホーリー・ニグセイヤは……いや、姿は、楽しそうに笑った。

「よく分かりましたね」

 ニコニコと笑うホーリーの姿をした吸血鬼。

 安藤は自分の首筋に触れる。そこは、前に吸血鬼に噛まれた場所だった。


「今、貴方に首筋を噛まれた時、前に此処で首を噛まれたのと……」

「同じ感覚がしましたか?」

「……はい」

「なるほど、なるほど」


 ホーリー・ニグセイヤの姿をした吸血鬼は、優雅に礼をする。

「ユウト様。貴方がおっしゃる通り、私は『吸血鬼』です。数日ぶりですね」

 吸血鬼は口を開け、笑う。


 口の中には、先程まで無かった四本の長い牙が見えた。


***


「ユウト様。ではこちらにお座りください」


 ホーリーの姿をした吸血鬼は、店員が客を案内するかのように、丁寧な動作で安藤をソファーへと誘導した。

 その態度を不審に思いながらも、安藤は言われた通りソファーに座る。

「ユウト様、何か飲まれますか?お茶などは……」

「……要りません」

 安藤はきっぱりと断る。

「そうですか、残念です。美味しいお茶があったのですが……」

 ホーリーの姿をした吸血鬼は息を付くと、安藤の対面にあるテーブルを挟んだソファーに座った。そして、自分のカップにだけお茶を入れる。

 注がれたお茶は、まるで血のように赤かった。


 座る時の仕草や、お茶を入れる時の動作。姿形だけではなく、細かい動きまで、吸血鬼はホーリーそっくりだった。


 安藤は疑問を口にする。

「どうして、ホーリーさんの姿をしているんですか?それにさっきは、なんであんな事を……」

「『あんな事』とは?」

「……キスとか」

「フフッ」

 からかうように、ホーリーの姿をした吸血鬼は笑った。

「この姿の方が、ユウト様が話やすいと思ったからです」

 吸血鬼は優雅にお茶を飲む。お茶を飲む仕草もホーリーそっくりだ。


「前にお会いしたモルク……失礼、あの少年の姿ですと、ユウト様を怖がらせるかもしれないと思いました。ですので、ユウト様の知り合いである『聖女』の姿になっていたのです。口づけは、ユウト様の緊張を解くためにしました」

 

 ホーリーの姿をした吸血鬼は、妖艶な雰囲気で自分の唇を指でなぞる。まるで吸い寄せられるかのように、安藤の視線は自然と吸血鬼の唇に向いた。

 安藤は「ハッ」とし、慌てて目を逸らす。

「……ホーリーさんを知っているんですか?」

「いいえ」

 ホーリーの姿をした吸血鬼は、首を横に振る。

「数十世代前の『聖女』とは面識がありますが、今の『聖女』とは面識はありません」

「えっ?じゃあ、どうやってホーリーさんの姿を……」

「貴方です。ユウト様」

 吸血鬼は安藤を見つめる。


「私は、『貴方の記憶』を元にこの姿を再現したのです」

 

「俺の……記憶?」

「私は魔法ではない能力を二つ持っています。一つは自分の姿を自由に変えられる能力。もう一つは血を吸った相手の全ての情報を得られる能力です」

「―――ッ!」

 安藤は目を見開く。

 その能力は、まるで……。


「私みたいだと思ったかい?優斗」


「―――ッッッ!由香里!」

 一瞬で、吸血鬼はホーリー・ニグセイヤから三島由香里へと姿を変えた。


「この姿も、君の記憶から再現したものだよ。優斗」

 三島由香里となった吸血鬼は、自分の胸に手を当てる。

「この『大魔法使い』は、『記憶を操作する魔法』が得意なようだけど、私は相手の記憶を操作する事は出来ない。ただ、血を吸った相手の記憶を読み取るだけさ」

 今の吸血鬼は先程、ホーリーの姿をしていた時と同じように、姿も話し方も仕草も、完全に安藤の知る『三島由香里』となっていた。

「勿論、この姿は優斗の記憶から再現したものだから、あくまで『安藤優斗』の知る範囲でしか再現出来てないけどね」

 それはつまり、本人だけしか知らない記憶や、本人が頭の中だけで思っている事など、安藤の知らない情報は再現出来ないと言う事か。


「でも、記憶だけで再現した人間であっても、普通は十分相手を欺けるんですよ。先輩」


「菱谷……」

 吸血鬼は、今度は菱谷忍寄の姿になる。

「さっき先輩は、私の変身を見破りましたが、あれはとても誇って良いことなんです」

 菱谷の姿をした吸血鬼は、菱谷の仕草で笑う。


「……貴方が自分の姿を変えられる事と、血を吸った相手の記憶が読める事は分かりました」

 震える体を抑えながら、安藤は単刀直入に尋ねた。


「それで、俺を此処へ呼んだ目的は何ですか?」


「フフフッ」

 菱谷の姿になった吸血鬼は、安藤を見て幸せそうに笑う。

 その姿は、安藤の記憶にある菱谷そのものだ。

「先輩と話がしたかったんです」

「……俺と?」

「はい!」

 菱谷の顔で、吸血鬼はニコリと笑った。


「……何の話をすれば良いんですか?」

「なんでも良いですよ?私に言いたい事があれば言って良いですし、聞きたいことがあれば何でも聞いてください」

「……」

 吸血鬼が何を考えているのか分からないが、とりあえず質問してみる。

「さっき、貴方は言ってましたよね。『血を吸えば、相手の情報が全て分かる』って」

「ええ」

「じゃあ、俺の記憶も全部?」

「はい、私は先輩の記憶を全て持っています」

 菱谷の顔をした吸血鬼は、同情するような視線を安藤に向けた。


「随分と大変な目に遭いましたね。この世界に来てからも、この世界に来る前も」


「はい、まぁ……」

 安藤は複雑な表情を浮かべる。

「貴方が今、『なっている』菱谷に殺されてから、俺は……」

「それもありますが、他にも苦労されていたでしょう?」

「えっ?」


「ご家族の事とか……『妹さん』の事とか」


「―――ッ!」

 家族の話題をされ、安藤は一瞬呼吸の仕方を忘れた。

「……本当に、俺の記憶を全部知っているんですね」

「はい」

「だけど、家族の事は……話したくありません」

「そうですか。分かりました」

 菱谷の顔をした吸血鬼はそこで一旦、話を区切った。


「でも、俺の記憶を全部知ったのなら、こうして俺と話す必要はないのでは?」

「ただ単に情報だけ知りたい。というのなら、そうですね」

 吸血鬼の姿がまた変化する。


「『俺』は血を吸えば、その人間の情報を全て知る事が出来る」


「―――ッ!」

 変化した姿に安藤は目を見開いて驚く。


 吸血鬼が次に変身した人間。それは『安藤優斗』だった。


「血を吸う事で得られる情報は、記憶だけじゃない。本人も知らない身体的特徴や、遺伝、病気の有無に魔力の量、その全てが分かるんだ」

『安藤優斗に変化した吸血鬼』が、安藤優斗に説明する。

「さっき変身した『聖女』、『大魔法使い』、『魔女』は、あくまで『俺』の……安藤優斗の記憶から再現したものだった。だけど今、此処に居る『俺』は君の血から得た情報を元に再現している。つまり……」

「今の貴方は……『俺』そのものだと言う事ですか?」

「うん、そうだ」

『安藤優斗』は首を縦に振る。


 安藤の血を吸った吸血鬼は、単に安藤優斗の姿になれるだけではない。

 完全に安藤優斗の記憶、遺伝、身体的特徴までも再現している吸血鬼は、最早『もう一人の安藤優斗』と呼べるだろう。


 もし、本物の菱谷、三島、ホーリーが、この『安藤優斗』を見たら、一体どのような反応をするだろうか?


「相手の記憶や情報だけを知りたいのなら、こうして会話をする必要はない。相手の血を吸えば良いだけだ。でも……」

 吸血鬼は安藤優斗の姿から、再びホーリー・ニグセイヤに姿を変える。


「相手と『会話を楽しみたい』場合は違います」


 ホーリーの姿になった吸血鬼は、フワリと微笑む。

「ユウト様、私は貴方と会話を楽しみたいのです」

「―――ッ!」

 安藤は思わず胸を押さえた。目の前に居るのが、本物のホーリーではないと分かっていても、胸が高鳴る。

「お……俺なんかと会話をして楽しいんですか?」

「ええ、とても」

「……」

「他に質問はありますか?私はまだ沢山、ユウト様と話したいです」

「じゃ、じゃあ……」

 高鳴る心臓を抑えながら、安藤は吸血鬼に尋ねた。


「どうしてあの時、俺を殺さなかったんですか?」


 前にこの部屋に来た時、安藤は吸血鬼に血を吸われた。しかし、吸血鬼は安藤を殺さなかった。

 安藤は、いくら考えても分からなかった。

 何故、吸血鬼は自分を殺さなかったのか。


「ユウト様。私が何故、あのゲームをしたのか分かりますか?」

「楽しむためじゃ?言っていましたよね。『これは、実験を兼ねた退屈しのぎ』だと」

「あれは半分嘘です」

「嘘?」

「『実験』というのは本当でしたが、『退屈しのぎ』と言うのは嘘です」

 実験は本当だが、退屈しのぎと言うのは嘘。ということは、あのゲームは明確な目的があって行われたということか?

「一体、何の実験だったんですか?」

「貴方です」

「えっ?」

 ホーリーの顔で吸血鬼は微笑む。


「あのゲームは、ユウト様がどのような行動を取るのか観察するための実験だったのです」


***


「俺の……行動?」

「あのゲームの事を、ユウト様は覚えていますか?」

「勿論です」


 あの時、吸血鬼は安藤を含めた七人に、箱の中から紙を引かせた。


 箱の中には『当たり』と書いてある紙が六枚と、『はずれ』と書いてある紙が一枚、合計七枚の紙が入っていた。

 安藤は『はずれ』の紙を、他の六人は『当たり』の紙を引いた。

 箱から紙を引く前、吸血鬼は安藤達にこう言った。


『このゲームに勝った人間は、無傷で檻に戻すことを約束しよう。ただし、負けた人間は……僕のエサになってもらう』


 安藤達はてっきり『当たり』を引いた者が助かり、『はずれ』を引いた者が吸血鬼に食われると思っていた。

 だが実際は逆で、吸血鬼に食われるのは『当たり』を引いた六人で、助かるのは『はずれ』を引いた一人だけだった。

 

 吸血鬼は、『当たり』を引いた者……アイビーの血を吸おうとしたが、それを安藤が止めた。


 すると、吸血鬼は「安藤が自分を犠牲にするのなら、『当たり』の紙を引いた者達を助ける」と言った。

 安藤は、自分の命と引き換えに『当たり』を引いた六人の命を助ける選択をする。

 吸血鬼は何度か安藤に「答えを変えても良い」と言ったが、安藤は決して答えを変えなかった。

 そして、安藤は吸血鬼に血を吸われた。


「実はあの紙、箱の中に入っている時点では、『当たり』とも『はずれ』とも書いてなかったのです」


「―――ッ!?どういう……事ですか?」

「箱に入っている時点では、あれは白紙でした。箱から取り出し、折り畳まれた紙が開かれる前に、使

「……そ、それじゃあ!」

「はい、ユウト様が引いた紙には『はずれ』の文字を、他の人間が引いた紙には『当たり』の文字を浮かび上がらせました」


 つまり、出来レース。

 最初から安藤が『はずれ』となるのは決まっており、安藤以外の人間が『当たり』となるのは決まっていたのだ。


「どうして、そんな事を?」

「先程も申しましたが、あのゲームは、ユウト様がどのような行動を取るのか観察するための実験だったのです」

「俺の……何を見ていたのですか?」

「観察したのは、次の二点です」


 私が他の人間の血を吸おうとした時、ユウト様は、その者を助けようとするのか?

 ユウト様は、他の人間のために自分の命を捨てる事が出来るのか?


「以上の二点を見ていました」と、吸血鬼は言う。


「二つの内どちらか……いえ、もしかしたら二つともユウト様は拒否されるかもしれない。その可能性も考えていました。しかし……」

 吸血鬼は、首を横に振る。

「ユウト様はどちらも拒否されませんでした。私が血を吸おうとした人間を助け、自分の命と引き換えに、他の六人の命を助ける選択をしました。中々出来る事ではありません」

 吸血鬼は、パチパチと安藤に拍手を送る。


「特に、一度命の危機を迎えて助かったのにも関わらず、その後すぐにご自身を犠牲にしてでも、他人を助けようとなさった点が素晴らしい」


 安藤は『はずれ』の紙を引いた自分は死ぬと、一度は覚悟した。

 だが、吸血鬼は『はずれ』を持つ安藤ではなく『当たり』を引いた他の六人の血を吸うと言った。


 吸血鬼が、その事を伏せていたのは、『当たり』を引いた人間の表情が喜びから絶望へと変わる瞬間を見たかったからだと安藤は考えた。

 しかし、どうやらそうではなかったらしい。


(あれは俺に『助かった』と思わせるためだったのか……)


 一度命が助かれば、人は自分の命を何よりも大切に感じるようになる。

 そうなれば、自分の命を危険に晒してまで、他人を助けるのを躊躇してしまうようになるかもしれない。と、吸血鬼は考えていたようだ。


 だが、安藤は違った。自分の命が助かったと思った後も、他人の命を自分の命より優先して行動した。

「素晴らしいです」

 吸血鬼はさらに笑みを深める。

「俺以外の六人は、どうやって選んだんですか?」

「ユウト様以外の番号が書かれた紙を箱に入れて、そこから六枚引いただけです。彼らが選ばれたのは偶然です」


 安藤は最も疑問に思った事を口にする。

「なんで……俺を試すような事を?」

 すると、ホーリーの姿をした吸血鬼の顔が、ほんのりと紅く染まった。


「貴方が、私の伴侶の条件『静かで優しい愛』を持っている人間かどうかを見るためです」

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