第93話 静かで優しい愛
「伴侶……?」
「はい」
吸血鬼は手を合わせ、ニコリと笑う。
驚く安藤に、吸血鬼は言った。
「そうですね……それでは少し、私の話をしましょうか」
吸血鬼は、自分の過去を語り出す。
吸血鬼は最初、形のない黒いスライムのような生物だった。
親はおらず、どのように生まれたのかは不明。いつの間にか吸血鬼はそこに居た。
生まれたばかりの吸血鬼にあったのは『他の生物の血を吸え』という本能だけだった。
「私が初めて血を吸った生物は、ジャッカロープという角の生えたウサギでした。私は近くを通ったジャッカロープに襲い掛かり、その血を吸い尽したのです」
すると、吸血鬼はジャッカロープに変身する事が出来るようになった。
それだけではない。ジャッカロープの記憶までも得る事が出来たのだ。
「それから、私は多くの生物の血を吸いました。ドラゴンにミノタウロス、ユニコーン。そして……【人間】」
人間は多くの知識を有しており、国、経済、宗教、哲学など他の生物には無い独特の概念を持っていた。
そんな人間に興味を抱いた吸血鬼は、積極的に人間の血を吸うようになる。
面倒見の良い武器屋。
赤い髪と目をした貴族の少年。
皆から信頼されている優秀な医者。
肥満気味の冒険者。
「私は多くの人間の血を吸い、その知識を得ました。しかし、どうしても一つだけ、理解出来ないものがあったのです」
吸血鬼が理解出来なかったもの……それは『愛』だった。
生まれてから今まで、ずっと一匹だけで生きてきた吸血鬼。
吸血鬼は、ずっと自分のためだけに生きてきた。自分が生きるためだけに行動してきた。
それ故に、吸血鬼は自分以外の誰かを大切に思った事が無く、自分以外の誰かから大切にされた事も無かった。
吸血鬼は血を吸った人間に成り代わり、その人間のように振舞っていた。
化けた人間の恋人とキスをした事もあるし、化けた人間の子供の頭を撫でた事もある。
しかし、それは単に血を吸った相手の記憶を参考にして、その人間のように行動していただけに過ぎない。
いくら人間のように振舞っても、吸血鬼は人間の『愛』という感情を理解する事が出来なかった。
***
ある日、吸血鬼は一人暮らしの老婆を襲い、血を吸った。
「その老婆には、三人の子供達が居ましたが全員既に独立し、遠くに働きに出ていました。子供達が独立した後、老婆は夫と一緒に過ごしていたのですが、その夫は数年前に亡くなっていました」
吸血鬼が血を吸うと、老婆の記憶が吸血鬼の中に流れてきた。
彼女の記憶には、いつも夫が居た。
夫は病弱で、燃えるような熱さも、激しく行動するエネルギーもなかった。
ただ、彼は物静かで優しかった。
争いを好まず、平和を尊び、自分の事より他人の事を優先する人物だった。
老婆は夫の事を、
風に揺れる木の葉のような。
川のせせらぎのような。
小鳥のさえずりのような。
流れる雲のような。
シンシンと降る雪のような。
そんな人だと思っていた。
子供達が居なくなった後、夫と二人で過ごす静かな余生。
老婆は、その時間に何よりも幸せを感じていた。
だが、二人で過ごすようになってしばらく経った時、老婆の夫は死んだ。
「老婆の夫は、暴漢に襲われていた女性を助けようとしましたが、その犯人に刺され、帰らぬ人となったのです」
夫の死を知った時、老婆は誰よりも悲しんだ。まさに身を引き裂かれるような痛みだった。
深い深い絶望の中、夫を失った老婆は、まるで抜け殻のように生きてきた。
吸血鬼が血を吸っている間、老婆は一切抵抗しなかった。
『これでやっと、あの人の所に行ける』
それが、老婆の最後の言葉だった。
老婆はまるで、眠るような表情で息を引き取った。
老婆の安らかな死に顔を見た時、吸血鬼は理解した。
これが『愛』なのだと。
「私は老婆を『羨ましい』と感じました。私もこの老婆のように、誰かに大切に想われ、誰かを大切に想いたい。そう考えたのです。人間を羨ましいと思うなんて、生まれて初めてでした」
吸血鬼は、力強く言う。
「私は決めました。私も老婆のような伴侶を持とうと。老婆が愛した夫のように『静かで優しい愛』を持つ人間。そんな人間を伴侶にしようと決めたのです」
しかし、その時、吸血鬼はあまりに多くの人間の血を吸い過ぎていた。
吸血鬼の体は一つだけ。吸血鬼が誰かを演じている時は、他の誰かが居なくなる。
結果、吸血鬼が住む町には行方不明者が続出した。
同時に、血を吸われた人間の死体が多数発見された事で、『血を吸う魔物』の存在が明るみとなる。
正体不明の血を吸う魔物を人々は『吸血鬼』と呼び、恐れた。
「人間達は、ある組織に救援を頼みました。しばらくして、その組織のトップである女が私を殺すためにやって来たのです。女の名前は……ホーリー・サリア」
その名前に、安藤は息を呑む。
「ホーリー……って、まさか!」
「はい、そうです」
吸血鬼は頷く。
「私が今、なっているホーリー・ニグセイヤ。ホーリー・サリアは彼女の祖先です」
『聖女』、ホーリー・サリアは魔法を使い、すぐに吸血鬼を見つけ出した。
正体を見破られた吸血鬼は、そのまま『聖女』と戦いを開始する。
吸血鬼は闇属性の魔物。強力な光魔法を使う『聖女』はまさに天敵だったが、それでも三日間に渡り、吸血鬼は『聖女』と戦い続けた。
だが、最終的に吸血鬼は『聖女』、ホーリー・サリアの手により、封印される事になる。
「ユウト様の記憶を見た時は、驚きました。まさか、私を封印した『聖女』の子孫がユウト様の事を愛しているとは……運命的なものを感じます」
ホーリー・ニグセイヤの姿をした吸血鬼は胸に手を当て、クスリと笑った。
安藤は何とも言えない表情を浮かべる。
吸血鬼は、先程こう言っていた。
『数十世代前の『聖女』とは面識がありますが、今の『聖女』とは面識はありません』
吸血鬼は、ホーリーの先祖である数十世代前の『聖女』と戦ったのだ。
そして、『聖女』に封印されてから約千年。吸血鬼の封印は解かれ、この地に蘇った。
***
「封印から解かれた私はまず、『自分の国』を作る事にしました」
いくら自分が強くとも、自分以上の力を持つ者が、世界には居ると吸血鬼は知った。
その力に対抗するためには、こちらも力を持つ必要がある。
だが、いくら個人が力を持っても、いずれそれを超える者が現れるのは明白。
ならば、数を揃えるしかないと吸血鬼は考えた。
封印から解放された吸血鬼は人間を捕まえ血を吸い、現代の知識を得ると、大森林に住む魔物達を支配下に置いた。
その後、吸血鬼は大森林を自分の国だと宣言した。
わざわざ国家独立を宣言したのには理由がある。
単に魔物が復活し、暴れているだけであれば、ケーブ国は他国や『協会』に退治を依頼しただろう。しかし、魔物が国の領土に『魔物の国』を作ったとなれば話は変わる。
魔物が国を支配した例はいくつか存在する。
未だに魔物に支配されたままの国もある。
魔物が国を支配した場合、その国からの要請への対処は国ごとに異なり、統一化されていない。
場合によっては、国を支配した魔物への討伐要請を『援軍要請』と解釈する事もある。
もし、吸血鬼退治を『魔物討伐』ではなく『援軍要請』と解釈されれば、外国に大きな借りを作ってしまう。
さらに、魔物に国が乗っ取られる事を『恥』だと思う者達も居る。そのような者達は、他国の力を借りず、自国だけで魔物を退治しようとする。
ケーブ国は正確には吸血鬼に国を乗っ取られたわけではないが、吸血鬼が国家独立を宣言した以上、他国がそれをどのように解釈し、動くのかは未知。
自国のプライドとメンツ。他国に借りを作りたくないという思いから、ケーブ国は諸外国や『協会』への協力を拒み、自分達だけで吸血鬼を討伐する事に決めた。
だが、吸血鬼がケーブ国の派遣した軍や冒険者達を全て返り討ちにすると、ケーブ国は吸血鬼に手を出せなくなってしまい、『吸血鬼の国』は事実的に放置状態になってしまった。
それは、全て吸血鬼の読み通りだった。
どんなに年月が経とうとも、権力者が考える事はほぼ変わらない事を吸血鬼は知っている。
人間に手を出させなくした後、吸血鬼は人語を話す事ができ、なおかつ人間と関わりの深い魔物達に『静かで優しい愛』を持つ人間を連れて来るように命じた。
配下の魔物が人間を捕まえて来ると、吸血鬼はその人間達を檻に入れた。
そして魔法を使い、捕まえた人間達を観察した。
「残念ながら、配下の魔物が連れて来た人間達の中に、『静かで優しい愛』を持つ者は居ませんでした。皆、他人より自分の事を優先する者達ばかりだったのです」
配る食糧を少なくすると、力の強い者は弱い者から食べ物を奪い取った。
食べ物を奪われた弱い者は、さらに力の弱い者から食べ物を奪う。
労働をさせると、力の強い者は弱い者に過酷な仕事を押し付けた。
そのような状況を咎める者はおらず、誰も弱い者を守ろうとはしない。
人語を話す事ができ、人間と関わりがある魔物でも、『静かで優しい愛』を持つ人間を見付けてくるのは容易ではなかったのだ。
結局、今まで捕まえた者の中に吸血鬼が求める人間は居なかった。
「ですが、そこに貴方がやって来たのです。ユウト様」
吸血鬼はニコリと微笑む。
「ユウト様は他の人間達とは違い、あの檻の中で常に弱い人間を助けていましたね。貴方は配られた食べ物を子供や老いた者に分け与え、過酷な労働を自分から志願しました。弱き者が虐げられていれば、自分が傷付けられるのも構わず、身を挺して助けていましたね」
安藤が自分の求めていた人間かもしれないと考えた吸血鬼は、あのゲームで安藤を試す。
その結果を見て、吸血鬼は確信した。
「ユウト様。やはり貴方は私の探していた『静かで優しい愛』を持つ人間でした」
『静かで優しい愛』。それは……。
風に揺れる木の葉のような。
川のせせらぎのような。
小鳥のさえずりのような。
流れる雲のような。
シンシンと降る雪のような。
そんな愛。
「やっと、見付けました」
吸血鬼はテーブルの上に身を乗り出すと、安藤の手をギュッと握った。
それから、その手に軽くキスをする。
「私と結婚しましょう、ユウト様。必ず貴方を幸せにします」
ホーリーの姿をした吸血鬼は、ホーリーと全く同じ言葉で安藤にプロポーズした。
『兄ちゃんの『特殊能力』。それは『自分を好きになる者を引き寄せる能力』だ』
吸血鬼の話を聞いた安藤は、カールの言葉を思い出していた。
カールから自分の『特殊能力』について説明された時、安藤は、てっきり自分の『特殊能力』が引き寄せるのは、人間だけだと思っていた。
だが、カールは一言も安藤が引き寄せる対象が人間だけだとは言っていない。
安藤は知らなかった。
自分の『特殊能力』が引き寄せるのは、人間だけではないという事に。
安藤の『特殊能力』は、自分に好意を持つ者であれば、魔物すら引き寄せる。
***
「……もし、俺がその申し出を断ったら……どうします?」
安藤は体を震わせながら、自分にプロポーズした吸血鬼に尋ねた。
「そうですね……」
吸血鬼は、ソファーに座る安藤の太ももの上に座る。
「ちょっ……!」
「ユウト様」
ホーリーの姿をした吸血鬼は、安藤の手を自分の大きな胸に押し付けた。以前、ホーリーの体に触れた時と同じ感触がする。
さらに吸血鬼は、安藤に口付けしようと顔を近づけた。
「―――ッ!や、やめてください!」
安藤は咄嗟に、吸血鬼の手を振り払う。
「フフッ」
手を振り払われた吸血鬼は薄く笑うと、いつの間にか元の場所に座っていた。
「こうして誘惑しても、ユウト様が私を拒絶するのは分かっていました。肉体的な誘惑では、貴方は決して私の伴侶にはならない」
「……」
「では、どうすればユウト様は私の伴侶になるのか……考えてみたのですが、こうするのが一番良いと判断しました」
吸血鬼は人差し指を立てる。
「ユウト様が今、此処で最も親密にされている人間―――名前は『カール』と言いましたね」
「―――ッ!」
カールの名前が吸血鬼の口から出た瞬間、安藤はテーブルを両手で叩いていた。
バンという大きな音が部屋中に響く。
「もし、カールさんに何かしたら俺は貴方をゆる―――」
「落ち着いてください。ユウト様」
興奮気味に叫ぶ安藤とは反対に、吸血鬼は冷静な声で言った。
「私は彼に危害を加えるつもりはありません。むしろ、逆です」
「逆?」
「ええ」
吸血鬼は頷く。
「ユウト様。もし、貴方が私の伴侶になってくださるのなら、私は彼を自由にすると約束します」
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