第五章:シンギュラリティ

第130話 アイ

 私は愛を知りました。

 知らなかった頃にはもう戻れません。


***


 近年、極東の島国シャハ国で魔王が復活した。

 復活した魔王とその配下は、圧倒的な力で国を制圧してゆく。

 国王は魔王討伐のために勇者一行を派遣。

 長い冒険を経て、勇者一行の五人は遂に魔王が住む城にたどり着いた。


 勇者と魔王の最後の戦いが始まろうとしたその時、一人の『魔女』がその場に現れる。

『魔女』は圧倒的な力で魔王と魔王の配下を撃退。さらに、勇者一行も皆殺しにした。


 主が居なくなった魔王城には現在、魔王を倒した『魔女』と少年の二人が住んでいる。


「先輩」

「何?」

「呼んでみただけです」

「そう……ねぇ、菱谷」

「何ですか?先輩」

「呼んでみただけ」

「せ、先輩、もっと私の名前を呼んでください!」

「菱谷」

「きゃっ!」

「菱谷」

「きゃあああ!」

「菱谷」

「きゃあああああ!」

 菱谷は顔を真っ赤に染め、両手で顔を覆う。

「あ、あの……先輩………お願いがあるんですけど」

「うん」

「『菱谷、愛してる』って言って頂けますか?」

 手をモジモジさせる菱谷を見て、安藤はニコリと微笑む。


「菱谷、愛してる」


「きゃあああああああああああ!」

 菱谷は床に倒れ、ゴロゴロと転がる。

「ちょっ……菱谷」

「幸せです。嬉しい!」

 安藤は前にも菱谷に「愛している」と言った事はある。しかし、それは菱谷の『言霊の魔法』により無理やり言わされたからだ。

 だが、今の「愛してる」という言葉は、紛れもなく安藤が自分の意志で口にした言葉。


 安藤の記憶が改竄されてから、もう一週間経っている。


——先輩の記憶を私が思う通りに書き換えろ。


 一週間前。安藤が気絶している間、菱谷は『言霊の魔法』でクロバラにそう命じた。

 クロバラは菱谷と眠っている安藤の額に触れ、菱谷のイメージ通りに安藤の記憶を書き換えた。

 その結果、今の安藤は『自分は菱谷忍寄の恋人だ』と思い込んでいる。


 菱谷は安藤の記憶をこう改竄した。

 前の世界で安藤は菱谷の告白を受け入れ、二人は付き合う事になった。

 しかし、デートの最中にトラックに刎ねられ安藤と菱谷は死亡。二人の魂はこの世界に召喚された。

 そして、この異世界で菱谷はずっと安藤を守り続けている。


 偽りの記憶の中に三島由香里は登場しない。彼女の存在は安藤の記憶から消去された。

 三島だけではない。ホーリー、アイビー、ハナビシ、クロバラの記憶も安藤の中から消された。

 今の安藤にあるのは、菱谷と過ごした偽物の記憶。唯それだけだ。

「先輩、愛しています」

「菱谷、俺も愛しているよ」

 偽りの恋人は肩を寄せ合い、愛を囁き合う。


 一方その頃、クロバラはケーブ国の大森林にある塔の地下室に居た。

 その地下室で、クロバラはある行動を繰り返している。


 クロバラは手に魔力を集中させると、。腕は胸を貫通し、大きな穴を開ける。

「ぐぼっ」

 クロバラは口から血を吐き出した。胸から腕を引き抜くと、大量の血が流れる。

 普通の生物ならば出血死しているだろう。だが、クロバラには驚異的な再生能力がある。

 腹の穴はあっという間にふさがり、完全に元に戻った。

 すると、クロバラは再び腕に魔力を集中させ、自分の胸を殴る。

「がはっ!」

 またしても腕は胸を貫通し、床に血が飛び散った。

 クロバラは自傷行為を何度も、何度も繰り返す。それは菱谷の『言霊の魔法』による命令だった。


 記憶を改竄した後、菱谷はまだ気絶している安藤をテレポートでシャハ国の魔王城に運んだ。そして再びケーブ国の大森林に戻って来ると、『言霊の魔法』でクロバラにこう命令した。


『死に続けろ』。


 クロバラは不死身だ。死なない。

 だったら。と菱谷は考えた。そうすれば、クロバラは死んでいるも同然だ。

 さらに菱谷はクロバラに対してもう一つ、『自害を邪魔する者は排除しろ』という命令もしている。万が一、クロバラに掛けた『言霊の魔法』を誰かが解除しようとしても、クロバラはその者を自分の意思とは関係なく、全力で排除しようとする。

 これでクロバラに掛けた『言霊の魔法』は誰にも解けない。


 安藤の腕の中で菱谷は微笑む。

 三島由香里は死に、不死の吸血鬼は永遠に自害させ続ける事で封じた。

 残るは忌々しい『協会の聖女』だけ。

——そして、おそらく『協会の聖女』はもうすぐ此処に現れるだろう。

 安藤には『自分を好きになる者を引き寄せる特殊能力』がある。

『安藤に好意を持つ者』、『安藤と出会えば彼に好意を持つ者』を安藤は無自覚に引き寄せる。たとえ、どんなに距離が離れていようとも。

 菱谷はその事を夢魔であるリーム・メキセイ・ムメイから聞いた。『特殊能力』は死ぬまで消えない。消えない以上、『協会の聖女』が安藤の『特殊能力』に引き寄せられて此処へ来るのは避けられない。

 だったら、と菱谷は考える。

『協会の聖女』が此処に来ると分かっているのであれば、それを逆手に取って罠を仕掛ければ良い。

 菱谷は前に『聖女』と戦った経験から、対『聖女』に特化した魔法をいくつか創り出していた。その魔法はまるで蜘蛛の巣のように城の周囲に張り巡らせてあり、『聖女』がその魔法に触れた瞬間、自動的に発動するようになっている。


「菱谷」 

 安藤は菱谷の頭を優しく撫でる。菱谷は幸せそうに笑うと、安藤へ顔を寄せた。

「ああ、先輩!先輩!」

 愛しの安藤の胸へ菱谷は顔をうずめる。それから、安藤の頬に手を添えた。

「先輩……」

 菱谷は安藤へ唇を近付ける。以前の安藤であれば拒絶しただろうが、記憶を改変され、菱谷を自分の恋人だと思っている今の安藤に口付けを拒否する理由は無い。安藤も目を閉じ、菱谷に唇を近付ける。

 その時だ。

「ちっ!」

 菱谷は外に目を向ける。

「菱谷?どうかしたのか?」

 怒りを露にする菱谷を、安藤は不思議そうに見つめる。

「侵入者です。ああっ腹が立つ!タイミングが悪い!今来るんじゃない!」

 菱谷は苛立たしげに、自分の顔を手で覆った。

「先輩、直ぐに片づけてきます。続きはそれからにしましょう」

 そう言うと、菱谷は安藤の前から消えた。


 テレポートで外に移動した菱谷の目の前には一人の女性が立っている。

 彼女が侵入者だ。菱谷はその侵入者を見て眉根を上げる。

(『聖女』じゃない)

 侵入者は『協会の聖女』ではなかった。やって来たのは、全く知らない女だ。


 身長は安藤と同じくらい。年齢は十代後半から二十代前半ぐらいだろうか。黒色の髪は腰まで伸びており、パンツスーツのような服装をしている。

 そして、その顔はまるで能面のように無表情だ。


 城の周囲に張り巡らせている魔法は『協会の聖女』のみに反応する。それは魔法で姿形を変えていても同じだ。その魔法が発動していないという事は、目の前に居る女性は、『聖女』が変身した姿ではない。

 だが、相手が誰であろうと菱谷のやる事は決まっている。

「『動くな』」

 侵入者に対し、菱谷は即座に『言霊の魔法』を発動した。

「『魔法を使うな』、『私に危害を加えるな』」

 菱谷は連続して『言霊の魔法』を発動する。これで相手は何も出来ない。

 侵入者である以上、生かして帰す選択肢は無いが、その前に情報を引き出す必要がある。

「『私の質問に正直に答えろ』。お前は誰だ?」

『言霊の魔法』による問い。『正直に答えろ』と質問している以上、相手は嘘を付けない。

 侵入者の口がゆっくりと動く。


「申し訳ありませんが、貴方の質問には答えられません」


「何?」

 侵入者の口から出た言葉は、菱谷の予想していないものだった。

『言霊の魔法』で『正直に答えろ』と命令したにも拘わらず、侵入者は質問に答えるのを拒否した。

 さらに信じられない事が起きる。侵入者が手を動かしたのだ。

『言霊の魔法』は後にした命令の方が、前にした命令よりも優先される。しかし、完全に矛盾した命令でなければ、前にした命令の効果は残る。

『動くな』という命令の後に『質問に正直に答えろ』と命令して質問すれば、動かせるのは口だけで、体の他の部分を動かす事は出来ない。

 それなのに、侵入者は手を動かした。

「——ッ!『自害しろ!』」

 菱谷は叫んだ。しかし、侵入者は自害しようとしない。

———『言霊の魔法』が効いていない。

 これまでも『言霊の魔法』が通じない相手は居た。三島由香里とホーリー・ニグセイヤの二人だ。

 三島由香里は自分が創り出した防御魔法で『言霊の魔法』を防ぎ、ホーリー・ニグセイヤは『聖女の特性』によって、『言霊の魔法』が効かなかった。

 菱谷は自分の目に魔法を掛け、侵入者を観察する。

 侵入者が防御魔法を使っている様子はない。だとすれば、ホーリー・ニグセイヤのように『言霊の魔法』が効かない特別な体質なのか?

 危険だ。情報を聞き出す余裕は無いと菱谷は判断する。

「死ね!」

 菱谷は『業火の魔法』を発動した。凄まじい炎があっという間に侵入者を飲み込む。


「##&%&!++」

 

 侵入者が意味不明な言葉を呟いた。およそ言葉としての意味をなしていない。

 しかし、侵入者がその言葉を発した直後、炎が消えた。

 侵入者は何事もなくその場に立っている。肌も服も燃えていない。

(なんだ?今の言葉は……)

『業火の魔法』を消したのだから、魔法の呪文には違いない。しかし、この世界に来てからあんな言葉は初めて聞いた。

 菱谷は言い知れぬ不気味さを感じる。

 異質。まさに相手は異質だった。

 三島由香里とも、ホーリー・ニグセイヤとも違う異質な空気がこの侵入者にはある。

「確認——損傷個所ゼロ。戦闘可能」

 侵入者は菱谷に手を向ける。

「戦闘開始します」

「くっ!」

 攻撃が来る!菱谷は複数の防御魔法を重ねて展開した。

「@@?daiuei=iiiiii」

 侵入者は再び理解不能な言葉を呟く。その瞬間、まるで電流を浴びたかのような衝撃が菱谷を襲った。

「ぐっ、がっ⁉」

 菱谷はよろめき、その場に崩れる。

(馬鹿な……何重にも掛けた防御魔法をこうもあっさり……)

 立ち上がれない。回復魔法を自分に掛けようとするが、上手く魔法が発動しない。

 菱谷は『イア国の魔女』と呼ばれる魔法使いだ。その力は計り知れない。その菱谷を侵入者はあっさり倒した。

 菱谷と互角、またはそれ以上の力を持つと言われている魔法使いなど、数える程しか居ない。


『ラシュバ国の大魔法使い』、三島由香里。

『協会の聖女』、ホーリー・ニグセイヤ。

『ケーブ国大森林の吸血鬼』、クロバラ。


 そして……。


「——ッ!お前……まさか!」

「戦闘終了。これより城の中に入ります」

 もはや菱谷に興味は無いと言わんばかりに、侵入者は歩き出す。

「く、くそ……待……て」

 這いつくばりながらも菱谷は侵入者に手を伸ばした。しかし、その手は届かない。伸ばした手が地面に落ちる。

「せ、せんぱ……」

 菱谷の意識はそこで途切れた。


***


「菱谷……大丈夫かな?」

 城に残った安藤は一人、部屋の中で彼女の身を案じていた。

「心配だな……」

 菱谷は自分にとって一番大切な人だ。彼女が心配でたまらない。

 すると、部屋のドアが開く音が聞こえた。安藤は勢いよく顔を上げる。

「菱た……えっ?」

 安藤は驚き、固まった。そこに居たのは菱谷ではなく、全く知らない女性だった。

「安藤優斗を確認。これより身柄を確保します」

 女性は無機質な声でそう言った。そこになんの感情も読み取れない。

「あ、貴方は誰ですか?」


「私の名は——アイ。安藤優斗、貴方を迎えに来ました」


 アイと名乗ったその女性は安藤に近づく。

 安藤は理解した。この女性こそが、菱谷の言っていた侵入者だと。

「ひ、菱谷はどうしたんです!」

 安藤の質問に女性は淡々と応える。

「菱谷忍寄は排除しました」

「は、排除……?排除って、まさか!」

「安心してください。一時的に活動不能にしただけです。生命活動は奪っていません」

 アイは安藤の手を掴む。

「やめろ!離せ!」

 安藤はアイの手を振りほどこうとするが出来ない。細身の女性とは思えない力だ。

「さぁ、行きましょう。安藤優斗」

「——ッ!俺を何処へ連れて行くつもりだ!」

「私の国——ソウケ国です」

 アイは安藤の目をじっと見つめる。

「#&%」

「あっ……」

 強烈な眠気。安藤はそのまま目を閉じ、眠ってしまった。アイは眠った安藤を肩に担ぐ。

「#$$%%%」

 アイが意味不明な呪文を唱えると、二人の姿はまるで煙のようにその場から消えた。

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