第76話 後編

 その日、私は体育館裏に先輩を呼び出した。


 どのように告白しようか迷ったが、結局ありきたりな場所で自分の気持ちをそのまま言う事にした。


 告白は、恋人になるための大切な儀式。

 相思相愛の先輩と私だが、この神聖な儀式は執り行わなければならない。


「菱谷、こんな所に呼び出して、どうかしたのか?」

 やって来た先輩は、心配そうに私を見る。

 どうやら先輩は、私が何か相談をするために呼び出したと思っているらしい。

 そういう優しい所、狂わしいほど好きだ。


 私は胸に手を当て、軽く深呼吸する。

 そして、先輩の目をまっすぐ見た。


「安藤先輩、好きです。私と付き合ってください!」


 言った。ついに言った。私は先輩に告白した。

 先輩は目を大きくして驚いている。


 私は先輩が「うん」と頷くのを待つ。

 先輩が「うん」と頷けば、その瞬間、私と先輩は恋人になる。


 ああ、先輩と恋人になったら、まず何をしよう?

 今度の休みの日にデートに誘って、それから……。


「ごめんなさい」


 ………………………………………えっ?


 えっ?あれ?先輩……今なんて言った?

「俺、今、彼女がいるんだ。だから……ごめん」

 先輩は頭を下げる。


 まるで魔法で石にされたみたいに、私は呆然とその場に立ち尽くした。

 分からない。分からない。分からない。

 大好きな先輩の言っていることが分からない。


 あれ?もしかして今、私は先輩に振られたのか?


「……菱谷」

 とても辛そうに、申し訳なさそうに先輩は私の名前を呼ぶ。

 だけど、私は反応出来ない。

 先輩は、何か言おうと口を開きかけたけど、結局何も言わなかった。 


「じゃ、じゃあな」

 先輩は、静かにその場を去る。


 どれぐらいの時間、そこに居ただろう?

 短い時間だったような気もするし、長かったような気もする。

「先輩に……彼女がいる?」

 私の他に好きな人間がいる?


「嘘だ!」


 嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ……嘘に決まっている。

 そんなの何かの間違いだ。そんなことあるはずがない。


 先輩が愛しているのは、私なんだ!


***


 それから、先輩と話すことはほとんど無くなった。


 あの告白以降、先輩が私を避けるようになったからだ。

 私と目が合うと、先輩は決まって申し訳なさそうな顔をした後、目を逸らす。

 話し掛けようとしても、先輩はその場を離れてしまう。


 嫌だ。苦しい。嫌だ。


 地獄だ。いや、地獄よりも辛い。

 先輩と話せないなんて、地獄の業火で焼かれた方がまだましだ。


 どうして、こうなった?

 何故、なんでこうなった?

 誰のせいだ?


 決まっている。

 先輩と付き合っている女。


 そいつが全ての元凶だ。


 私は先輩が付き合っている女の事を調べた。

 そいつは『三島由香里』という女だった。先輩とは幼馴染らしい。


 この女か。この女が私から先輩を奪ったのか!


 怒りがフツフツと沸き上がる。先輩は今、この女と付き合っている。先輩は、私のものではなくなってしまった。

 ならば、私がすることは、ひとつだ。


「奪ってやる……」


 先輩が他人のものになってしまったのならば、奪えばいい。

 構うものか。本来のあるべき形に戻すだけだ。


『私と先輩が付き合う』という、あるべき形に。


 私は折り畳みナイフを用意した。

 これで、三島由香里に先輩と別れるように脅す。


 もし、応じなければ……。


 私は折り畳みナイフをポケットにしまう。念のため催涙スプレーも持って行くことにした。


 玄関の扉を開け、私は三島由香里の元へと向かった。


***


「くそっ!」


 失敗した。失敗した。失敗した。

 私は、三島由香里から先輩を奪うことに失敗した。


 最初は、言葉で先輩と別れるように言った。『先輩に一番相応しいのは私です。だから、先輩と別れてください』と。

 だが、三島由香里は応じなかった。

 それどころか『自分の方が優斗にふさわしい』などと言った。


 次に、ナイフで脅して先輩と別れるように言った。

 それでも、三島由香里は先輩と別れると言わなかった。


 ならば仕方ない。

 私は三島由香里を殺して先輩を奪うことにした。


 この女さえいなくなれば、先輩は私のものになる。

 私はナイフを振り上げ、三島由香里に襲い掛かった。


 だが、私は逆に返り討ちに遭ってしまう。

 ナイフを蹴り上げられ、腕の関節を取られ、地面に組み伏せられた。

 私が三島由香里を調べていたのと同じように、三島由香里も私の事を調べていた。

 三島由香里は、私が襲う事をあらかじめ予測していたのだ。

 催涙スプレーを使って拘束を振りほどき、何とかその場から離れることは出来たが、先輩と三島由香里を別れさせるという目的は果たせなかった。


「くそっ!」

 私はドンと壁を叩いてなんとか怒りを発散させる。

 三島由香里を脅し、先輩と別れさせる計画が失敗した以上、別の手段を考えなければならない。


 三島由香里には先輩と別れる意思が無い。

 だったら、先輩に三島由香里と別れて、私と付き合いたいと思わせればいい。

そのためには……。


「先輩を誘惑する」


 三島由香里の体よりも、私の体の方が魅力的なはずだ。

 私の体の魅力に気付けば、きっと先輩は三島由香里と別れ、私と付き合ってくれる。


 部活が終わると、私は気付かれないように先輩の後を付けた。

 先輩は途中で三島由香里と合流し、電車に乗る。それを見て、私も一緒に電車に乗った。

「ねぇ、今度遊園地行こうよ!」

「おっ、いいね!行こう!」

 三島由香里が先輩をデートに誘う。先輩は笑顔で了承した。

「何、笑ってるの?」

「い、いや、別に」

「えー、何、何?」

「何でもないって!」

 楽しそうな会話が耳に入ってくる。私は怒りを必死に抑え、じっと先輩を見続けた。


「じゃあ、今度の日曜日にね」

「おう!」

 三島由香里が電車から降りる。先輩と三島由香里はお互いの姿が見えなくなるまで手を振り続けた。

 やがて電車が遠ざかり、三島由香里の姿が完全に見えなくなる。

 今だ。


 私はクスリと笑い、静かに先輩の後ろに立った。


***


「ひ、菱谷……くっ、やめろ!」

「先輩、好きです。大好きです……愛しています!」


 身動きの取れない満員電車の中で、私は先輩を誘惑した。

 自分の体を押し付け、先輩の体の至る所を隅々まで触わる。

 制服のボタンを外し、先輩にだけ見えるように、胸とそれを包む黒い下着を見せた。

 先輩の手を掴んで、私の体も触わってもらう。

 そして、耳元で愛を囁いた。


「菱谷……やめろ……やめてくれ!」

 先輩は私に「やめろ」と言う。

 だけど言葉とは逆に、先輩の顔はどんどん紅く染まっていく。


 私の誘惑に、先輩は興奮していた。


「先輩、私、綺麗じゃないですか?」

「えっ?」

「私、綺麗じゃないですか?」

 じっと、先輩を見つめる。先輩はゴクリと唾を飲んだ。

「そ、そんなこと……ない。菱谷は……綺麗だよ」

 天にも昇る気持ちとは、まさにこのことだろう。

「嬉しい!」

 私はさらに強く先輩に抱きついた。胸を強く密着させ、足を絡める。

 すると、先輩の体から抵抗する力が抜けていくのが分かった。

「先輩……好きです」

 私は先輩のズボンのベルトを掴み緩めた。そして、緩んだズボンの隙間から、中に手を……。


 その時、電車が駅に到着した。アナウンスが流れ、ドアが開く。


 先輩は「ハッ!」とすると、私を突き飛ばし、電車を降りた。

 私は「チッ」と舌打ちをする。

「いい所だったのに……」

 だけど、あと少しだ。あと少し誘惑すれば、先輩は私を受け入れてくれる。

 ドアが閉まる前に私も電車から降りた。そして、そのまま先輩の後を追う。


 絶対に、逃がさない。


 しばらく後を追うと、先輩は赤信号の前で止まった。

 信号が赤から青に変わる。私は歩き出そうとする先輩の後ろから、声を掛けた。

「先輩」

 声を掛けると、先輩はぎこちない動きで振り返った。

「ひっ!」

「やっと、追いつきましたよ。もう、酷いじゃないですか。逃げるなんて!」

 私は先輩に抱きつく。

「や、やめろ!やめ……うぐぅう!」

「んっ、んんっ」

 私は自分の唇を先輩の唇に重ねた。両手で先輩の頭を掴み固定する。

「うぐっ、んんんっ!」

「んっ、んっ、んん」

 私は先輩の口の中に自分の舌を滑り込ませた。先輩の口の中で二つの舌が絡み合う。

「ぐっ、やめ……ろ!」

 先輩は私の肩を掴み、引き離した。

「やめろ、やめてくれ!」

 先輩の顔は、まるでトマトのように紅い。私のキスで先輩が照れている。

 それがたまらなく嬉しい!

「あはっ!」

 私はまた先輩に抱きつく。

「やめろ……よ!」

 先輩はさっきよりも強く私を突き飛ばした。私は、後ろによろめき、そのまま車道に出てしまう。


 その時、トラックが猛烈なスピードで迫ってくるのが見えた。


 いつの間にか、信号は赤に変わっていた。


「菱谷!」

 先輩は手を伸ばし、私の手を力強く掴んだ。

「よし!」

 先輩はほっと息を付き、私を歩道に戻そうとする。


 その時、私は思った。


 このまま先輩を引っ張れば先輩と私は車道に倒れ、一緒にトラックに轢かれる。

 このスピードのトラックに轢かれればまず助からない。高い確率で二人とも死ぬだろう。

 そうすれば、私と先輩はずっと一緒に居られるのではないだろうか?


 一緒に死ぬことで、私と先輩の魂は永遠に結ばれる。


 そう考えた私は、先輩を引っ張った。

 先輩は「えっ?」と声を上げる。

 私と先輩の体が車道に倒れる。私は先輩の体をしっかりと抱きしめた。

 トラックが目の前に迫る。

「先輩」

 耳元で囁く。


「ずっと、一緒です」


 死の恐怖は全く無い。

 先輩と永遠に結ばれる嬉しさで、私は歓喜していた。


 体を凄まじい衝撃が襲う。そのまま私の意識はプツリと途切れた。


***


「皆さん、起きてください」


 気付けば、私は異世界に居た。


「皆さんは死にました」

 異世界の女は、笑顔でそう言った。

「ですが、ご安心ください。皆様は生き返りました。魂をこの世界に召喚し、新しい肉体を与えたのです。あ、肉体は元の世界と全く同じですので、その点もご安心ください!」

 女は両手を胸の前に組んでほほ笑む。

「さて、では次にどうして、皆様をこの世界に召喚したのか説明しますね」


 女は言った「皆様には魔物を討伐していただきます!」


 異世界であるこの国に召喚された人間は、まずグレムリンという魔物に体を調べられる。

 グレムリンは最初に人間を『剣士』や『魔法使い』といったクラスに分類する。

 次に、攻撃力や防御力といったものをステータスという数値で表す。どうやって数値にしているのかは不明だ。


 そして、ステータスを元に人間をA~Eに分ける。

 Aは破格の戦闘能力を持つ者。Bは才能がある者、Cは平均的な能力、Dは平均より劣る能力。そして、最低ランクのEは才能、能力ともに皆無な者。


 最低ランクのEになった者は奴隷としてオークションに出品される。

 奴隷に人権は無い。奴隷は奴隷を買った者の所有物となる。

 所有者が奴隷に何をしようと、罪に問われることは一切ない。


 召喚された人間達が、次々とグレムリンに調べられる。

 私の番が来た。グレムリンが目から光を出し、私の体を調べる。

『……この女のクラスは“魔法使い”だ』

「魔法使いか。それでステータスは?」

『……』

「グレムリン?」


 黙りこくるグレムリンを女が訝しげに見る。グレムリンの肩はプルプルと震えていた。


「う、嘘だろ……なんだ?この数値……」

「どうしたの?」

「け、計測不能……」

「何?」

「この女、『魔力』の量が異常だ。計測出来ない。こ、これはまさか……!」

 どうやら、私の魔力は群を抜いて凄かったらしい。


 Aよりもさらにずっと上の才能を持つ者、「SSS」の魔法使いに私は分類された。


 それから一年ほどは、特に語ることは無い。

「SSS」の魔法使いに分類された私は、誰も倒せなかった三つ首の巨大な犬や、雪女、炎と雷を操るドラゴンなどを退治した。

 他にも戦争を勝利に導いたり、百年続いた内乱を一日で収束させたりもした。

 誰も使えない魔法を使いこなし、新しい魔法も創った。


 そうしている内に私はいつの間にか『魔女』と呼ばれるようになっていた。


 私は貴族並みの地位と領地、莫大な金、豪邸を王から与えられた。

 勿論、そんな物、先輩に比べれば道端に落ちている小石程度の価値しかない。


 だか、いずれこの世界にやって来る先輩と一緒に暮らす時のために、金や地位はあった方が良い。


 死んだ人間が必ずこちらの世界に来るわけではない。

 こちらの世界に来るのは、あくまでこの世界の人間によって召喚された人間だけだ。

 どんな人間が来るのかは召喚するまで分からないらしい。


 そして必ずしも、先に死んだ者から召喚されるわけではない。

 向こうの世界で遅く死んだ者が、早く死んだ者よりも、先にこちらの世界に召喚されることもある。

 

 こちらの世界に先輩は来ていない。

 だが、きっと先輩も、いずれこちらの世界に来るはずだ。


 何故なら、私と先輩は運命で結ばれているのだから。


 私は異世界で先輩が来るのを待ち続けた。


 先輩と再会する。

 それが、この世界に来てからの『夢』になった。


***


 一年後。


 「……来た」

 私はこちらの世界に先輩が召喚されたことを感じた。

 すぐさまテレポートを使い、立ち入りが禁止されている召喚場所に跳ぶ。


 テレポートで跳ぶと、大勢の人間が向こうの世界から召喚されていた。頭から血を流し死んでいる人間も居る。だけど、そんな人間どうでも良い。

 私は探す。最愛の人を。


「居た」


 私は背後から最愛の人をゆっくりと抱きしめた。

「先輩」

 ブルブルと先輩は震えていた。可哀そうに。よっぽど怖い思いをしたのだろう。

 でも、これからは私が居る。だからもう大丈夫。

「よかった。夢が叶った」

 先輩と再会するという『夢』を私は叶えた。私は満面の笑みを先輩に向ける。

「先輩」

 口元を先輩の耳元に寄せると、私は甘い声で囁いた。


「ずっと、一緒です」


 その後、先輩が最低ランクのEになったことを知った。

 最低ランクのEになった人間は、すぐに奴隷としてオークションに出品される。


 私はオークションに飛び入りで参加し、先輩を50,000ゴールドで購入した。

 周囲の人間は驚いていたが、何も驚くことはない。むしろ、こんな安い金額で先輩を買って良いのだろうかとすら思う。


 そして、先輩は私の元にやって来た。

「ようこそ、先輩」

 満面の笑顔で、私は先輩に微笑んだ。


 こうして、私と先輩は異世界で再開した。

 私は確信する。やはり、私と先輩は運命で結ばれていると。

 この世界で、必ず私は先輩と幸せになる。


 邪魔する者は、誰だろうと許さない。

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