第75話 中編

「お、お願い?一体なんだ?」


 父が私に質問する。私が目を向けると、父は私から視線を逸らした。すっかり、怯えている。

 母はというと、ずっと黙って話さない。


「私、お金が欲しいんだ」


「金……だと?」

「うん」

「……一体、何に使う気だ?」

「決まってるじゃない。先輩のためだよ」

 私は続ける。


「デートの前には美容院に行ったり、新しい服とか買ったりしないといけないし、デート中も遊園地に行ったり、食事をしたりでお金が掛る。プレゼントもいっぱい渡したいしね。あと、今まで一度もオシャレをしたことが無いから、雑誌を買って勉強したいんだ。そして先輩に『綺麗だ』って言ってもらいたい」


 父は意味が分からない。という顔をしている。

「さっきから何を言っている?先輩って誰だ?」

「ああ、そうか。お父さんは、先輩のこと知らなかったんだね」

 どうやら私と先輩を引き離そうとしたのは、母の独断だったらしい。

 私が横目で見ると、母はビクッと震え、下を向いた。

「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……」

 母は壊れた玩具のように「ごめんなさい」を繰り返す。


 てっきり、父も先輩を知っていて、母と一緒に私と先輩を引き離そうとしていると思っていた。だから、父も母と同じように殴って拘束したのだ。

 何も知らないのなら、少し悪いことをしたかな?

 まぁ、どうでも良い。

 

「お父さん私ね……好きな人が出来たんだ」


 父は眉根を寄せる。

「……好きな人、だと?」

「うん」

 私は満面の笑顔で頷く。

 

「私、その人と結婚するから。色々とよろしくね?」


 よっぽど驚いたのか、父はしばらく呆然としていた。

「ば、馬鹿な!何を言っている!」

 拘束されたのも忘れ、父は私に詰め寄ろうとして床に倒れた。

「お前はまだ高校生だろう。そんなことッ……」

「勿論、今すぐにじゃないよ」

 私だって、それくらい考えている。


 結婚する前に、私は先輩の事をたくさん知らなくてはならない。


「最初は、デートをしてお互いの事をもっと、もっと、もっと、もっと、もっと、知らないといけないよね。まずは先輩の好きな食べ物と嫌いな食べ物が知りたいなぁ。うっかり、先輩の嫌いな食べ物を作っちゃったら大変だもん。先輩、どんな料理が好きなんだろう?やっぱり、肉料理かな?それとも魚料理?結婚して一緒に暮らすようになったら、毎日先輩の好きな物作ってあげるんだ。そしたら先輩、毎日私の料理を『おいしい!』って言って食べてくれる。きっと、言ってくれるよね!ああ、でも先輩の好きな物ばかり作ってたら、先輩太っちゃうかな?太った先輩も素敵だろうけど、やっぱり健康面が気になるから、栄養にも気を付けないとね。栄養バランスが良くて、先輩が好きな料理を考えなくちゃ!先輩には長生きしてずっと一緒に居て欲しいからね。これから料理の勉強をたくさんするよ!あとは、先輩の好みの髪型とか、服装とか、そういうものも知りたいな。私と先輩は運命で結ばれた仲だけど、やっぱり、先輩にはもっと喜んで欲しいし、私をもっとたくさん見て欲しいから。先輩、髪はどれぐらいの長さが好きなんだろう?ロングかな?それともショート?短くするならどれぐらいの長さまで切ろうかな?あんまり短すぎると、男の子みたいになっちゃうからね。でも、先輩が『男の子みたいな女の子』が好きだっていうんなら、迷わずバッサリ切るけど。ロングの方が良いんだったら、ストレートとパーマはどっちが好きだろう?あ、思い出した。男の人はポニーテールが好きってどこかで聞いたことがある!それなら、髪は縛った方が良いよね!いや、だけど決めつけちゃダメ。髪を縛らない方が好きだってこともあるからね。そこはちゃんと先輩の好みを聞かないと。髪はどんな色が好きなんだろう?黒髪が好きだったら、このままでいいけど、茶髪や金髪の方が好きなら染めなくちゃ。そうだ!確か先輩が好きだって言っていた漫画のキャラの髪の色が赤だった!だったら赤く染めた方が喜んでくれるかも!あっ、でも銀髪のキャラも好きだって言っていたなぁ。銀色の髪も神秘的でいいかもね。服はどんな服が好きなんだろ?清楚な感じの方が先輩は好きそうだけど、どうかな?もしかしたら、カジュアルな方が好みなのかもしれない。意外と、大人っぽくて露出の多い服装が好きなのかも!もしそうだったら、ちょっと恥ずかしいけど、頑張って着なきゃ。メイドとか、警察官とか、看護師とか、チャイナ服とか、そういうコスプレが好きな人も居るけど、先輩はどうなんだろう?メイドの恰好をして帰ってきた先輩に『お帰りなさいませ、ご主人様!』とか言ったら喜んでくれるかな?先輩が好きな漫画のキャラの恰好をしてそのキャラの決め台詞を言っても喜んでくれそうだよね!洋服よりも和服が好きってこともあるかもしれない。先輩が和服好きならいつも和服を着て過ごすよ。着付けが大変そうだけど一人で出来るように勉強する!あと、スーツ姿の女の人が良いって人も居るかもね。スーツは私には早いけど、先輩が望むのならいつでも着てあげる。もし、先輩に髪型や服装を褒められたらとても嬉しいだろうな。『今日の髪型可愛いね』とか、『その服似合ってるね』とか言われたら…………きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!どうしよう。凄く嬉しい!想像しただけで興奮しちゃう!でも、言われたとしても、その場で気絶しないようにしなきゃ。先輩を心配させちゃうもんね。そういえば、先輩ってどんな体型が好みなんだろう?痩せてる方?それともポッチャリした体型が好きなのかな?胸は大きい方が良い?それとも小さい方が好き?男の人って、痩せていて胸が大きい方が好きだって聞くけど……これも決めつけちゃだめだよね。世の中には太った女や胸が小さい女が好きって男の人もいるだろうし。私は痩せ型で胸は大きいから、先輩の好みが『痩せていて胸の大きな女』だったら良いけど、もし『太っている方が良い』とか『胸は小さい方が良い』って考えだったらどうしよう……『太る』のはたくさん食べれば良いけど胸は……う~ん。まぁ、それは先輩の好みの体型を聞いた後に考えることにしよう。うん、そうしよう!体型といえば身長差はどれくらいあった方が良いんだろうね?自分よりも小さい方が良い?それとも、同じぐらい?それとも自分より高い方が良い?小さい方が可愛く見られそうだけど……私は先輩より背が低いから、背が低い方が好みだったらこのままでも良い。だけど、先輩が自分よりも同じくらいか自分よりも背が高い方が好みなら……ヒールを履いて調整しなくちゃ。履いたことないから上手く歩けるかな?転ばないようにしないとね。他には先輩の好きな映画とかドラマなんかも知りたいな。先輩の好きな本や漫画の事は結構聞いたけど、映画とかドラマの事とかはまだ聞いてないから。映画とかでもアクションものだったり、ファンタジーものだったり、サスペンスものだったり、ホラーものだったり、恋愛ものだったり、色々あるからね。映画を観に行って先輩と一緒にポップコーンとか食べたいな。映画館って薄暗くてムードがあるよね。恋愛映画観に行って、そっと先輩の手を握ったり、ホラー映画を観に行って、先輩に抱き付いたりしちゃおうかな?先輩、きっとドキドキしてくれるよね。それとも先輩、映画とかドラマは見ないのかな?もしかしたら、映画やドラマよりも、ネットの方が好きなのかもしれないね。先輩が好きな動画があったら、チェックしておかないと……。先輩って好きな音楽はあるのかな?静かな音楽が好きそうだな。クラシックとか。目を閉じて静かな音楽を聴いている先輩、素敵!ううん。もしかしたら激しい音楽が好きかもしれないね。それはそれでギャップがあって素敵だなぁ。先輩、スポーツは好きかな?野球とか、サッカーとか。私は全くスポーツの事は知らないけど、先輩がどこかのチームを応援しているとか、誰かのファンなら、一緒に応援したいな。おっと、その前にルールを覚えないとね。先輩、動物はどうだろう?犬と猫だったら、どっちが好きかな?犬は懐いて、猫は懐かないって聞くけどやっぱり人に懐く犬の方が好きかな?でも、猫のマイペースな所が好きかもしれないよね。それとも犬や猫以外で好きな動物がいるかな?兎とか可愛いよね。鳥だとインコとかもいいかも!言葉を覚えさせるのは楽しそう。こっそり『安藤先輩、愛してます』って教えて先輩を吃驚させちゃおうかな。最近じゃ、蛇とかトカゲとか、亀とか、フクロウとか、そう言う動物を飼っている人も居るから、もしかしたらそういう珍しい動物が好きかもしれないね!でも、動物を飼うならきちんと最後まで面倒見なきゃいけないから、全部は飼えないよね。ペットを飼うならよく考えなくちゃ!先輩、アウトドア派かな?それともインドア派かな?アウトドア派ならキャンプとか一緒に行きたいな。焚火を起こして、料理をして、星を見上げるの。ロマンチックだよね。一緒に山登りするのも楽しそうだな。山の頂上から先輩と見る景色、きっと綺麗だろうな。先輩がインドア派ならゲームを一緒にしたいな。ゲームとかしたことないけど、先輩と一緒なら楽しいに決まってるもんね!オンラインゲームとかしてみたいな。先輩と一緒に協力して敵を倒したり色んなことしてみたい!ああ、本当に知らなくちゃいけないことがたくさんあるな。付き合っている間に、たくさん先輩の好みを知らなくちゃ!勿論、付き合っている間に結婚した後の事も良く話し合わないとだよね。子供の事とか、何処に住むのか?とかね。当然、先輩のご両親にも挨拶しないといけないね。先輩のご両親はどんな人なんだろう?先輩と同じように優しい人なのかな?それとも厳しい人達なのかな?まぁ、先輩のご両親なんだから、きっと良い人達には違いないだろうね。そう言えば、先輩って兄弟は居るのかな?今度聞いておかなくちゃ。先輩の兄弟なら、私にとって義兄弟になるからね。先輩、子供は何人欲しいんだろう?私としては、子供は十人くらい欲しいんだけど、先輩がそれ以上欲しいのなら、産みたいな!名前はどうしよう?全員の名前考えるのは大変そうだけど、一人一人、元気に育つような名前にしたい。それで子供が産まれたら、皆を平等に愛してあげるんだ!でも、子供がパパの事が大好きになったらどうしよう?ううん。きっとなるよね。だって先輩、子供は全員大切にするに決まってるから。そんなパパを好きにならないわけないよ。そうしたら、子供と私で先輩の取り合いになるのかぁ。先輩は子供よりも私の事を選んでくれるから、子供に悲しい想いをさせちゃいそうだね。だけど、仕方ないよね。先輩、私の事大好きだから。私、先輩と子供達と一緒に絶対に幸せになるんだ。絶対に、絶対に、絶対に、ぜったに、何があってもゼッタイにどんなことをしても幸せになるんだ!」


 私は先輩について知りたいこと、そして先輩との幸せな未来を語った。

 そんな私を、何故か父は化け物を見るような目で見ている。

「ねぇ、お父さん」

 私は父の頬にそっと触れた。父はビクリと体を硬直させる。


「先輩と私の幸せのために、協力してね」


 プレゼントをねだる子供の如く、私は父にお願いした。


「そ、そんなこと出来るわけないだろう!」


 父は怒りを露にする。

「なんでそんな知らない男と付き合うための金を出さなければならないんだ!」

「そう……」

 私は椅子から立ち上がると、携帯を父と母に向けた。

 そして、何枚も写真を撮る。

「何をするんだ。やめろ!撮るな!」


 数枚、写真を撮ると私は父に言った。


「もし断るなら、この写真、お父さんの会社に送りつけるから」


「―――ッ!なっ!」

 父は大きく目を見開いた。

「ば、馬鹿な!そんなことしたら!」

「うん、こんな写真が出回ったら、お父さんは会社でどうなるかな?」

 私がそう言うと、父は口をパクパクとさせた。

「まぁ、クビにはならなくても娘がこんなことをしたって会社の人達に知られたら、間違いなくお父さんの立場は無くなって出世の道は閉ざされる。降格させられたり、どこかに飛ばされるかもね」

「……くっ……あっ……」

 父は絶望に顔を歪めた。

 会社で出世することに父は命を掛けている。もしかしたら、私や母よりも仕事を愛しているかもしれない。

 会社での居場所を失う。父にはとても耐えられないことだろう。


「お父さん、お母さん。本当は私だってこんなことしたくないんだよ?先輩とデートするお金だって、本当は自分で稼ぎたいし……」

 私は真っすぐ父と母の目を見る。

「でも、うちの高校バイト禁止なんだ。それに、バイトすると先輩と会う時間が減っちゃうから」

 私は、両手を組む。


「というわけで、先輩と幸せな交際をするために色々と協力してね。お父さん、お母さん」


 私が笑顔でそう言うと、父も母も力なく頷いた。


***

 

 それから私は先輩のために、自分を変える努力をした。


 まず髪型を変え、姿勢を伸ばし、歩き方を矯正した。話し方も今までのオドオドした話し方から、堂々と自信を持って話すように心掛けた。

 先輩のためだと思うと、自分を変える行為は、全く苦にならなかった。

 そうしていると、周りの人間からよくこう言われるようになった。


「菱谷さん。変わったね」


 それまで私になんの関心も抱いていなかった人間が急に私をチラチラと見始め、話し掛けて来るようになった。

「菱谷さん。イメージ変わったよね」

「髪型変えたんだね。似合ってる」

「前はダサかったもんね」

「やっぱり、元が良いんだね。羨ましい~」

「俺、菱谷さんは前から美人だって思ってた!」

 などなど。


 さらには、こんな事も言われるようになった。


「菱谷さん……俺と付き合ってください!」


 私は今、人気のない場所で見知らぬ男子生徒に告白されている。

 こんな風に告白される事も増えた。時々、女子生徒にも告白される。

 告白される度に不思議に思った。何故、私が先輩以外の人間と付き合わなければならないのか?

 全くもって理解不能だ。

 私が変わろうとしたのは、先輩のためであって、決してお前らのためなんかじゃない。

 ほんの少し外見や話し方が変わっただけでチヤホヤし出す。

 こんな奴ら、先輩に比べればゴミだ。いや、こんな奴らと比べたらゴミに失礼か。

 今まで告白してきた人間達にしたのと同じように、私は見知らぬ男子生徒に頭を下げた。


「ごめんなさい。他に好きな人がいますので」


「えっ……?」

 その男子生徒は、まさか、自分が振られるなんて……という顔をしている。

 よっぽど自分に自信があったのか?そもそもお前は誰だ?

 名も知らぬ男子生徒は声を震わせながら、私に質問する。

「……好きな人って……誰?」

 私は、思わずため息を付きそうになった。こいつも、私が先輩を好きだと知らないで告白したのか。

 私に告白してきた人間は、皆私が先輩を好きだと知らなかった。

 なんでそんな当たり前の事を知らないのだろう?私が先輩を愛しているなど、世界の常識だろうに。

 私は渋々、名も知らぬ男子生徒に最愛の人の名前を教えた。

 

「安藤優斗先輩です」


「……あんどうゆうと……?」

 名も知らぬ男子生徒は少しの間考え、「あっ!」と叫んだ。

「安藤って……もしかして、あの安藤?」

 なんだ。こいつ先輩を知っているのか。

 だったら、私が先輩を愛していると分かるだろう。

 私が、あの人以外の誰を愛するというのか。


 名も知らぬ男子生徒は、信じられない。といった表情で私にこう言った。


「なんで?なんで、あんな奴が好きなの?」


 あんな奴。その言葉に、私は自分の顔面がピクリと動くのを感じた。

 名も知らぬ男子生徒はさらに続ける。


「あんな冴えない奴のどこが良いの?成績だって普通だし、顔だって、身長だって普通だ。あんな奴、君にふさわしくない。俺の方があんな奴より君にふさわ……」


 私は名も知らぬ男子生徒の顎を正確に殴り、脳を揺らした。


「はえっ?」

 名も知らぬ男子生徒は、グルリと目を回し、糸が切れた操り人形の如く、倒れた。

 私は倒れたそいつの頭を思いっきり蹴飛ばす。

「がっ!?ぐあっ!?」

 そいつは痛そうに呻き声を上げたが、構わず蹴り続ける。

「……がっ……ぐっ………やめ……がっ!」

 三十回ほど蹴った所で、そいつは完全に動かなくなった。


「二度と先輩を『あんな奴』なんて言うな!」


 私は名も知らぬ男子生徒にそう吐き捨て、その場を去った。


 その後、サッカー部のエースの誰々が暴行に遭い入院した。という話が学校中に広まった。

 サッカー部のエースの意識は戻っておらず、これからも一生戻らないかもしれない。奇跡的に戻ったとしても後遺症が残る可能性が高いそうだ。そうなれば、たとえ意識が戻ったとしても、二度とサッカーは出来ないかもしれないとの話だ。

 サッカー部のエースに暴行した犯人は、まだ捕まっていない。


「嘘でしょ……矢元君が……」

「信じられない……」

「どうして……」

「犯人絶対許さない!」

 どうやら暴行を受けたサッカー部のエースはかなりの有名人だったようだ。将来、間違いなくプロになる。そんな選手だったらしい。

 そんなサッカー部のエースを突然襲った悲劇。学校中が悲しみと怒りに包まれた。


 まぁ、そんな話はどうでも良い。


 私の頭の中は別の事でいっぱいだった。


「どうやって先輩に告白しよう……」


 そう。私はついに、先輩に告白すると決心したのだ。

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