第128話 魔女との再会

 クロバラは驚く。


 リームはクロバラにとって、『安藤を連れて来た夢魔』。ただそれだけの存在だった。

 故に解放した後のリームの動きに関しては何の注意もしていなかった。


 クロバラは、相手がどう行動するのかある程度、予測出来る目を持っている。

 カール・ユニグスを逃がした場合、安藤を助けるため、菱谷忍寄、三島由香里、ホーリー・ニグセイヤの誰か一人に助けを求めるのは予想出来た。

 だから、クロバラはカールを解放した。三人の内の一人をおびき寄せるために。


 しかし、リームがカールと同じ行動を取るとは、クロバラの目をもってしても予想出来なかった。


(まさか、あの夢魔が優斗を助けるとはね……) 


 リームは『自分の命を最も優先する者』だとクロバラは思っていた。事実、彼女は一度、自分の家族を見捨てて逃げている。


 だが、いくつかの出来事が重なり、リームは変わった。

 最初のきっかけは『聖女』に捕まり苦痛を味わった事。苦痛を受けながら、リームは『自分の家族もこんな目に遭っているかもしれない』と考えるようになり、家族を見捨てて逃げた事を激しく後悔した。

 その後、リームは安藤の優しさに触れた事で、さらに変わる。

 本来であれば、罵詈雑言を浴びせられてもおかしくないのに、安藤はリームを責めるどころか、彼女と彼女の家族を心配した。

 この時、リームは危険を冒してでも安藤を助けたいと思うようになる。


 菱谷、三島、ホーリーの前から安藤を連れ去ったリームは、三人から激しい敵意を向けられていた。

 三人の内の誰と接触しても自分の命は危ない事は分かっていたが、それでも安藤を助けるため、リームは危険を承知で菱谷に情報を渡した。

 その結果、菱谷忍寄が此処へやって来る。


―――でも、菱谷忍寄を連れて来たのは、あの夢魔じゃない。菱谷忍寄を呼んだのは…………優斗だ。 


 正確には菱谷を此処に呼んだのは、安藤の『特殊能力』だ。


(私は優斗の『特殊能力』を甘く見ていたようだ)


 クロバラは安藤の『特殊能力』を知っている。

 安藤は自身の『特殊能力』によって、『自分を好きになる者』を常に引き寄せる。それも無制限に。

 彼を愛する者から見れば、この『特殊能力』は非常に厄介極まりない。何しろ自分の敵となるライバルを引き寄せ続けるのだから。


 しかし、クロバラは安藤の『特殊能力』を利用しようと考えた。


 クロバラは安藤の『特殊能力』に引き寄せられる者全員の血を吸い、安藤へ向けられる愛を自分の中で一つにしようと目論む。

 安藤を愛する者を、世界で自分だけにするために。


 三島由香里がこの大森林に来たのは、クロバラが安藤の『特殊能力』を利用したからだ。


 菱谷、三島、ホーリーの誰かをおびき寄せるためにクロバラはカールを解放したが、いくらカールが独自の情報網を持っていたとしても、何処に居るかも分からない三人の誰かと必ず接触出来る保証はなかった。

 だが、クロバラはカールが三人の誰かと接触するのに、それほど時間は掛からないと予想した。

 何故なら、カールが菱谷、三島、ホーリーの誰かと接触しようとすれば安藤の『特殊能力』が働き、三人の内の一人を安藤の居るこの大森林に引き寄せる。そう確信していたからだ。

 

 その後、クロバラの思惑通り、三島が大森林へとやって来た。

 三島を倒したクロバラは、彼女の記憶と体を手にした上、さらに彼女が使っていた魔法も使えるようになる。

 

 しかし、菱谷まで大森林に来たのは、完全に誤算だった。


 クロバラはあくまで菱谷、三島、ホーリーの中の一人だけを此処におびき寄せるつもりだった。あくまで一人ずつ倒し、その血を吸うつもりだったのだ。

 

(優斗の『特殊能力』を甘く見ていたな)


 安藤の『特殊能力』は三島だけでなく、菱谷までも大森林に呼んでしまった。

 クロバラは安藤の『特殊能力』の強さを見誤っていた。クロバラが思うよりも安藤の『特殊能力』は、ずっと強かった。


「さて、それじゃあ……」

 菱谷はクロバラに手を伸ばす。

 その時、頭上から声が聞こえた。 

「ん?」


 菱谷が空を見上げると、そこには大量の魔物が浮かんでいた。


 彼らはクロバラ配下の魔物。ケーブ国の人間との戦いに勝利し、戻って来たのだ。

「クロバラ様!」

 一匹の魔物がクロバラの名を叫ぶ。

 彼女の名はキキョウ。クロバラ配下の魔物の中で最も忠誠心が高い魔物だ。

 キキョウはほとんど人と変わらない外見をしているが、背中から白く大きな二つの羽が生えている。

 その様は、まるで天使だ。


「クロバラ様!ご無事ですか!?」

 キキョウはクロバラに向かって叫ぶ。今、クロバラは三島由香里の姿をしているが、たとえどんな姿をしていたとしても、キキョウにはクロバラが分かる。

「クロバラ様?」

「………」

「クロバラ様?いかがされましたか!?」

 キキョウの言葉にクロバラは答えない。いや、答えられない。

 何故なら、クロバラは菱谷の『言霊の魔法』によって話す事を封じられているからだ。

「貴様!クロバラ様に何をした!」

 キキョウは菱谷に向かって叫ぶ。

 クロバラが『言霊の魔法』によって操られている事をキキョウは知らないが、自分の問いにクロバラが答えないのは菱谷のせいだと直感で分かった。

「答えろ!クロバラ様に何をした!」

 菱谷は返事をしない。

 その代わり、邪悪な笑みをキキョウに向けた。

「貴様ぁあ!」

 キキョウは急降下して菱谷に襲い掛かる。周囲を飛んでいた他の魔物もキキョウに続いた。

 菱谷はニヤリと嗤い、クロバラの耳にそっと囁く。


『あいつらを殺せ』


 数秒後、魔物達はクロバラの放った魔法でバラバラの肉片に変えられた。

 唯一生き残ったキキョウも、血まみれで地面に倒れている。

 

「ク……クロバラ様…………何故……?」

 キキョウの問いにクロバラはやはり何も答えない。

『あいつらを殺せ』

 菱谷の命令に、クロバラは粛々と従う。

 巨大な黒い槍を創り出したクロバラは、それをうつ伏せで倒れているキキョウの背中に突き刺した。

 巨大な黒い槍はキキョウの体を貫通し、地面に突き刺さる。 

「グボッ……!」

 キキョウは口から血を吐き出すと、そのまま息絶えた。


「邪魔な奴らは消えたな……それじゃあ……」

 菱谷はクロバラに命令する。


『先輩の居る場所に案内しろ』


***


 大森林の巨大な塔。安藤はその地下に居た。


『ユウト様、しばらくの間、此処に居てください』

 安藤は、クロバラにそう言われた。地下にある部屋は安藤が暮らしやすいように色々と手が加えられている。

 魔法で腐らないようにしてある飲み物や食べ物があり、トイレや風呂も完備されているため、生活する分には困らない。

「でも、いつまで此処に居ればいいんだろう?」

 クロバラはその時が来れば迎えに来ると言っていたが、いつ来るのかは言わなかった。

 暇つぶしに腕立て伏せでもしようとした時、

 カッ、カッ、カッ、カッ、カッ、と誰かが階段を下りて来る音が聞こえた。

 足音は部屋の前で止まる。


 ガチャッ。

 鍵が開いた。ギイイイという音を立て、ゆっくりと部屋の扉が開いていく。


 部屋の前には一人の少女―――菱谷が居た。


「先輩!」

 菱谷は安藤を見るや否や嬉しそうに抱き付いた。

 安藤は不思議そうに言う。


「今日は、菱谷の姿をしているんですね」


 安藤は自分を抱きしめている少女が、菱谷に変身した吸血鬼クロバラだと思った。

 普段、クロバラは安藤の前では『聖女』ホーリー・ニグセイヤの姿をしている事が多い。菱谷の姿になったのを見たのは数回、それもほんの僅かな時間だけだ。

 だから、安藤はクロバラが菱谷の姿をしているのを不思議がった。


「ふっ……あははははは!」

 菱谷の姿をした少女が、おかしそうに笑う。

「ははははは。先輩、私ですよ。わ・た・し」

「えっ?」

「私です」

 少女は、安藤の耳元に唇を寄せ、囁く。


「本物の菱谷忍寄です」


「―――ッ!?」

 安藤は驚いて少女の顔をよく見るが、目の前に居る少女が本物の菱谷なのか、それともクロバラが変身した姿なのか分からない。

 クロバラが自分をからかっているのではないかと安藤は疑う。

「―――冗談……ですよね?」

「冗談じゃないですよ。確かめてみます?」

「えっ?………うっ!?」


 菱谷の姿をした少女は、安藤の唇に自分の唇を重ねた。


「ん……んん……っ」

「んんんんっ!?」

 少女は安藤の顔を両手で挟むと、さらに強く唇を押し付ける。そして、自分の舌を安藤の口の中にねじ込んだ。

 強烈な感覚が、口の中に広がる。

「~~~ッッッッッ!んんんっ―――や、やめてくれ!」

 安藤は少女を突き飛ばした。

 突き飛ばされた少女は、自分の唇を指でそっとなぞる。

「どうでした先輩?私のキスの味、思い出しましたか?」

 少女は唇の端を上げ、妖しく微笑んだ。


「――――菱谷?」


 安藤は半ば放心状態で言葉を口にする。

「まさか……本当に……菱谷……なのか?」

「はい!」

 菱谷はまた安藤を抱きしめた。大きな胸が安藤の体に押し付けられる。

「先輩、会いたかった。会いたかったです!」

「ひ、菱谷……お、お前……どうして、此処に?」

「勿論、先輩を連れ戻しに来たんです!」

 菱谷は目から涙をこぼす。

「嬉しい。本当に嬉しいです。先輩……無事で良かった」

「………なんで、俺が此処にいるって分かったんだ?」

「あの夢魔に訊いたんです。先輩が此処に居るって」

「―――夢魔?」

 安藤は目を大きく見開く。

「夢魔って……まさか!」

「そうです。先輩を攫ったあの夢魔です」

 

(間違いない!リームさんだ!)


 以前、リームは安藤の夢の中に出てきて、自分がした事を謝罪した。

 夢から覚める直前、リームは何かを言った。あの時の言葉を、安藤はハッキリと思い出す。


『私は必ず貴方を助けて見せる!』


「あの夢魔が私に言ったんです。先輩は吸血鬼に捕まっている。助けて欲しいって」

「―――ッ!」

―――リームさん。本当に俺を助けようと……。

 思わず目頭が熱くなる。 

 リームが自分を助けようとしてくれた事、それが嬉しかった。

 しかも、菱谷に助けを求めるなんて……自分が菱谷に恨まれていると知っているはずなのに……。 


 そこで、安藤の背筋に冷たいものが走った。


(そうだ。菱谷はリームさんを恨んでいる……)

 安藤は菱谷に訊く。

「なぁ、菱谷……」

「はい」

「リームさんはお前に俺が此処に居るって教えたんだよな?」

「はい」

「その後、リームさんはどうしたんだ?」

 安藤の問いに、菱谷はあっさり答える。


「あの夢魔なら、殺しましたよ?」


 安藤の体から血の気が引いた。

「………嘘……だろ?」

「本当ですよ」

 菱谷はまるで、今日の天気を話しているような口調だ。

 そこに罪悪感は一切無い。

「お前……なんてことを!」

「あの夢魔は私から先輩を奪いました」

 菱谷は安藤の頬に手を添える。

「あいつは私から先輩を引き離したんです。そのせいで、先輩は酷い目に遭ったんですよね?許せませんよ」

「だ、だけどリームさんは自分の家族を助けるために……」

「関係ありません」

 菱谷は、黒い目で安藤を真っすぐ見つめる。


「たとえどんな理由があろうと、私から先輩を奪う奴は許しません。私の先輩を傷付ける奴も許しません。絶対に、絶対に、絶対に、絶対に、絶対に、絶対に、絶対に、絶対に、絶対に、絶対に―――許しません」


「あ………ああ……」

 安藤は両手で頭を抱え、全身をガタガタと震わせる。

(俺のせいだ……俺のせいで……リームさんが……リームさんが……)

 自分を助けようとしたせいでリームが死んだ。その事実が安藤の心を容赦なくえぐる。

 そんな安藤を見て、菱谷は目を潤ませた。

「自分を酷い目に遭わせた夢魔の死を悲しむなんて―――先輩はなんて優しい人なんでしょう」

 安藤に顔を寄せ、菱谷はもう一度キスをしようとする。

「大丈夫ですよ。先輩。今、私が慰めてあげます」

「菱谷!やめ―――」

「先輩、『動かないでください』」

「―――ッ!」

『言霊の魔法』の効果で、安藤は動けなくなる。


 菱谷はそのまま安藤にキスをした。

 二度目のキスは先程のキスよりも長く、熱い。


「んっんっんんっ――――」

「菱谷、もう……やめ―――んんっ!」

 気が遠くなるほど長い口付け。菱谷はようやく唇を離した。

 解放された安藤は顔を上気させながら、肩で息をする。

「はぁ、はぁ、はぁ………」

「そうだ。先輩に会えた嬉しさですっかり忘れてました!」

 菱谷はパンと手を叩く。  

「実は先輩に見せたい奴がいるんです。『入って来い』」

 菱谷が叫ぶと、部屋の中にもう一人、少女が入ってきた。

 安藤は朦朧としながら少女を見る。


「由香里……?」

 

 安藤の前に現れたのは三島由香里だった。菱谷はクスリと笑う。


「先輩、こいつです。こいつが吸血鬼です」


 菱谷は三島の姿をした少女を指さす。

「……えっ」

 菱谷の姿になったのと同じく、クロバラは安藤の前で三島の姿に変身した事がある。その時も、三島にそっくりだと安藤は思った。

 だけど、クロバラが変身しているという目の前の三島は、前に見た時よりも、ずっと三島に近いと安藤は感じた。


 前と今の違いは、なんだ?


 確か、前に変身した三島の姿は『安藤の記憶』を元にしているとクロバラは言っていた。つまり、前にクロバラが変身した姿は、姿だった。

 血を吸っていないので、当然クロバラは三島の記憶は得られていない。つまり『完璧な三島由香里』では無かったのだ。


 しかし、今クロバラが変身している姿は『三島由香里そのもの』に見える。

 それはつまり―――――。 


「先輩」

 安藤が考えていると、菱谷が話し始めた。

「三島由香里を殺して血を吸ったこいつは、『三島由香里』の記憶を得ました。三島由香里が使っていた魔法も使えるようになったみたいです。三島由香里の姿と記憶を持ち、なおかつ三島由香里の使っていた魔法まで使える。こいつは本物の『三島由香里』と言っても良いかもしれませんね。ああ!安心してください!今は『言霊の魔法』で縛っていますから、こいつが先輩に手を出す事はありま―――」

「ま、待て!」

 安藤は思わず叫ぶ。

「菱谷……お前……今―――――」

「はい?」

「今何を……何て………言った?」

「何を言ったかですか?すみません、先輩。どの部分ですか?」

「由香里が………由香里がどうしたって………」

「ああ、三島由香里ですか?あの女は死にましたよ」

「…………………………………………………………………はっ?」

 呆然とする安藤に、菱谷はもう一度繰り返す。心底嬉しそうに。


「三島由香里は死にました。良かったですね。先輩!」 

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