第四章
第78話 勇者と魔王:前編
愛が欲しい。
燃えるような愛はいらない。
激しい愛もいらない。
静かで優しい愛が欲しい。
風に揺れる木の葉のような。
川のせせらぎのような。
小鳥のさえずりのような。
流れる雲のような。
シンシンと降る雪のような。
そんな静かな愛が欲しい。
***
シャハ国は、極東の島国だ。
他の国との交流はあまりない。
この国で近年、魔王が復活した。
復活した魔王とその配下は、圧倒的な力で国を制圧しつつあった。
国王は魔王討伐のために勇者一行を派遣。
長い冒険を経て、勇者一行の五人は遂に魔王が住む城にたどり着いたのだった。
「ついに、この日が来たな」
勇者ルイールがそう言うと、仲間達が口を開く。
「長かったな……」
「うん。長かった」
戦士ガンドと、魔法使いトイズも感慨深そうに頷く。
「緊張してますか?マーラ」
僧侶ケンカイが二人目の魔法使いマーラに優しく声を掛ける。
「は、はい……」
マーラは俯く。
すると、勇者ルイールは不思議そうに首を傾げた。
「なんで、マーラは緊張してるんだ?」
「なんでって、それは……」
魔王はこれまで戦った相手とは比べ物にならない力を持っている。
もしかしたら、自分達は此処で死ぬかもしれないのだ。緊張しないわけがない。
だが、勇者ルイールは笑う。
「俺はワクワクしてるぜ?」
「えっ?」
「だって俺達、これから世界を救うんだぞ?ワクワクするしかないだろう?」
マーラは、ぽかんとした表情でルイールを見る。
「はぁ……」
「全くルイールは……」
仲間達は皆で、ため息を付く。
「まぁ、でもルイールらしいね」
「そうですね」
「そうだな」
「何だよ。皆して……」
ルイールは頬を膨らませた。
戯れる四人を見て、マーラもクスリと笑う。
「フフッ。あははっ!」
笑うマーラを見て、勇者ルイールと仲間達は微笑む。
「そうだぜ、マーラ。世界を救う時は、笑顔でないとな!」
「はい。そうですね」
マーラの胸に渦巻いていた恐怖心は、勇者ルイールによって払拭された。
「そうよ。このバカ勇者みたいに能天気でいなさい」
「能天気って……!」
ルイールはまた頬を膨らませる。
すると、マーラがポツリと言った。
「ですが、私はそんなルイール様の事が……」
「えっ?」
「おっ?」
視線がマーラに集まる。
マーラは「あっ!」と声を出した。その顔はみるみる紅くなっていく。
「マーラ。もしかしてお前、ルイールの事が……」
「―――ッッ!ち、違います!い、今のはその……言い間違えで……」
「えっ、嘘?そうなのマーラ!」
「違いますって。私は別に……」
「ほんと?本当に違うの?」
「違います!」
「そう……」
トイズは「ホッ」と息を付いた。
「おっ、なんだトイズ。もしかしてお前さんも……」
「……あっ、うっ……」
今度はトイズの顔が紅く染まる。
「えっ、そ、そうなんですか?トイズさん!」
「ち、違うわ!私、ルイールのことなんて……ごにょごにょ」
「ふふっ、青春ですね」
僧侶ケンカイは微笑ましいとばかりに、ニコニコ笑う。
「だから違うって!」
「ですから違いますって!」
二人の魔法使いは、顔を紅くしながら同時に叫んだ。
「皆、さっきから何の話をしてるんだ?」
話に入っていけない鈍感な勇者は、頭に「?」マークを浮かべながら、首を傾げた。
それから皆で、ひとしきり笑った後、勇者ルイールは剣を高く掲げた。
「さぁ、行こう皆。世界を救いに!」
「おおっ!」
「ええっ!」
「うん!」
「はい!」
「いくぞ!突撃!」
最後の決戦。勇者達は魔王城に突入した。
***
第一階層『氷結の間』突破。
第二階層『力の間』突破。
第三階層『知恵の間』突破。
第四階層『死の間』突破。
第五階層『竜の間』突破。
第六階層『運命の間』突破。
そして、勇者達は第七階層『魔王の間』にたどり着いた。
その部屋は禍々しく、まさに魔王の住む場所だった。
部屋はとてつもない広さで、奥に階段がある。
階段の一番上に置かれた椅子に魔王は腰かけていた。
その下には、魔王軍幹部である四体の人型魔物もいる。
「よく来たな勇者。そして、その仲間達よ」
階段の上から魔王は高らかに言った。
「魔王!」
勇者は剣を魔王に向ける。
「今日、俺達は貴様を撃ち滅ぼす!」
勇者の言葉に、魔王幹部四体は噴き出した。
「クックック。魔王様を滅ぼす?」
「フッ、馬鹿なことを……」
「キャッキャッキャッ!無理無理!」
「愚かすぎて哀れになるわ」
幹部四体は勇者を馬鹿にしたように笑う。
「静まれ」
魔王が手を上げた。幹部達はピタリと笑うのをやめる。
「のう、勇者……いや、ルイールよ」
「なんだ?魔王」
「そなた、我が部下にならぬか?」
「何?」
魔王の思わぬ提案。勇者達だけでなく、幹部四体も驚きの表情で魔王を見た。
「魔王様……それは!」
「黙れ、クレシャ。余はルイールと話しておる」
「も、申し訳ございません!」
魔王幹部の一体、クレシャは頭を下げ、口を閉ざした。
「我はこの国を制圧した後、次は世界を手に入れるつもりでいる。もし、我が部下になるのなら、そなたに世界の半分をやろう」
魔王は勇者に向かって手を差し出す。
「どうだ?ルイール。勇者など辞めて我と共に世界を……」
「断る!」
勇者は魔王の提案をバッサリと斬り捨てた。
「たとえ、どんなことを言われようとも、何を差し出されようとも、俺はお前の部下になるつもりはない!」
「どうしてもか?」
「どうしてもだ!」
「……そうか、残念だ」
魔王はフウと息を吐く。
「うぬと共に、世界を征服したかったのだがな……」
本当に残念そうな表情を魔王は浮かべた。
「では、仕方ない。仲間もろとも此処で死ぬがよい!」
魔王が椅子から立ち上がる。凄まじい魔力が部屋中を覆った。
「勇者よ。うぬの魂は、何処にも行かせはせぬ。氷漬けにして死体と共に永久に保存しておいてやろう。お前は永遠に我の物となるのだ!」
「はっ、そんなのはごめんだな!」
勇者は叫ぶ。
「行くぞ、魔王!」
「来い。勇者!我が永遠の宿敵にして、我が永遠の伴侶よ!」
勇者とその仲間、合わせて五人。
魔王とその幹部、合わせて五体。
二つの巨大な力が、今まさにぶつかろうとしていた。
だがその時、何の前触れもなく、突然……。
勇者一行と魔王達の間に『黒髪の少女』が現れた。
***
(な、なんだ?あの子……?)
その少女にルイールは目を奪われる。
黒髪に切れ長の目、整った鼻と口。胸は大きく、スタイルも良い。
勇者ルイールが思わず見惚れてしまう程、その少女は美しかった。
「ハッ!」
我に返ったルイールは、慌てて仲間達に命じる。
「皆、攻撃を止めろ!」
このままでは少女に攻撃が当たってしまう。ルイールの声に、仲間達は辛うじて攻撃を止めることが出来た。
「どうして、こんな所に少女が?」
テレポートの失敗で迷い込んだのか?いや、今はそんなことどうでもいい。
「急いで保護を……」
「待ってください!ルイール」
少女の元に走ろうとしたルイールを僧侶ケンカイが止めた。
ケンカイの額からは、大量の汗が流れている。
「どうした?ケンカイ」
ケンカイはゴクリと唾を飲んだ。
「あの子から、とてつもなく禍々しい魔力を感じます。まるで魔王のような……」
「なんだって!?」
ルイールの目には、普通の少女にしか見えない。
しかし、これまでにケンカイが言った事が間違っていたことは一度もない。
(だとしたら……まさか、彼女は魔王の仲間か?)
ルイールがそう考えていると、魔王が少女に言った。
「なんだ?貴様は。勇者の仲間か?」
「―――ッ!?」
ルイールは自分の考えを改める。
魔王は彼女を知らない。ということは、彼女は魔王の仲間ではないということだ。
「魔王、その子は俺達の仲間じゃないぞ」
「なに?」
魔王は眉根を寄せると、再び少女に言った。
「小娘、答えろ。貴様は何者……」
「『この場に居る全員、私の質問に答えろ』」
暗く冷たい魔王の言葉を、さらに冷たい少女の言葉がかき消した。
「安藤優斗、もしくはリームという名のサキュバスについて、何か知っていることはあるか?」
「知らない」
「知らぬ」
勇者と魔王が黒髪の少女の質問に答えた。
「知らないわ」
「存じません」
「知りません」
「知らないな」
「知りませんねぇ」
「知らねえよ」
「知らないわ」
「ギャハハハハ。知らねぇえええ」
勇者の仲間と魔王の幹部も全員、黒髪の少女の質問に答えた。
「―――ッ!何だと?」
「馬鹿な!?」
勇者と魔王を含めた皆が驚いている。当然だ。口が勝手に動いたのだから。
「またハズレか……」
黒髪の少女は「チッ」と舌打ちをする。そして、魔法を……おそらくテレポートを発動しようとした。
「待て、小娘!」
魔王の怒号が部屋中に響いた。勇者達だけでなく、幹部四体も緊張に体を強張らせる。
しかし、黒髪の少女だけは、平然としていた。
「小娘!貴様、我らに何をした?」
「……」
「答えよ!」
魔王はさらなる怒号を少女に浴びせる。普通の人間だったらショック死しているだろう。
だが、やはり少女は平然としていた。
「今のは……まさか『言霊の魔法』?」
僧侶ケンカイは、目を見開いている。
「言霊の魔法?ケンカイ。なんだ、その魔法は?」
「最大級の上位魔法ですよ」
ケンカイはゴクリと唾を飲んだ。
「『言霊の魔法』は相手を言葉通りに操る魔法です。『言霊の魔法』の効果を受けた者は、どんな命令でもその言葉の通りに行動してしまいます。たとえ、それが自分の意志に反することでも……」
「馬鹿な。そんな魔法をあの子が!?」
「ええ。信じられませんが……」
「『言霊の魔法』……だと?」
ルイールとケンカイの会話を聞いていた魔王は体を怒りで震わせた。
「我を!この魔王たる我を!魔法で操ったというのか!」
魔王の右手に巨大な黒いエネルギーの塊が発生した。
「許さぬ。我を操ったこと。そして、我と勇者の戦いを邪魔したこと。絶対に許さぬぞ!」
魔王の『黒魔法』。まともに受ければ塵も残らない。
「危ない!」
勇者は少女に駆け寄ろうとする。しかし、それを仲間達が止めた。
「ダメ!ルイール!」
「貴方も巻き込まれます!」
「死ね」
溜まったエネルギーを魔王は少女に向かって放つ。
エネルギーは真っすぐ少女に直撃した。
「うわっ!」
「きゃあ!」
凄まじい轟音と爆風が起こる。煙が部屋中を包んだ。
「流石、魔王様!」
「いつ見ても魔王様の攻撃は美しい!」
「素敵です!」
「ギャアハハハハッ。すっげえええええ!」
幹部四体が魔王を褒め称える。
魔王は「フン」と鼻を鳴らした。
「愚か者が、我と勇者の戦いを邪魔するからこうな……」
次の瞬間、魔王の右腕が切断された。
黒い血が周囲に飛び散る。
「ぐおおおおおおお!?」
「魔王様!?」「魔王様!」
苦痛に顔を歪める魔王。幹部四体が魔王の元に駆け寄る。
「なんだ?何が起きた?」
驚いたのは勇者一行も同じだった。
「煙から光が出たと思ったら、魔王の腕が……」
「ケンカイ、分かるか?」
「……私もハッキリとは見えませんでしたが、おそらく、何らかの攻撃魔法と思われます」
「攻撃魔法って……それじゃあ!」
部屋中を包んでいた煙が晴れる。
するとそこには『無傷の』少女が立っていた。
「馬鹿な!」
「魔王様の攻撃を受けて無傷だと?」
「そんな……ありえない!」
「ひえええええ!」
幹部四体が呆然とする。
「魔王の攻撃を受けて平気なの?」
「信じられません……」
「化け物か?」
「魔王の攻撃魔法を上回る防御魔法を展開した?まさか……そんなこと……」
勇者一行も驚愕の表情を浮かべる。
「おのれえええ!」
魔王は、残った左腕を少女に向けた。
「くらえ。『ダーク・フレイム』!」
真っ黒な炎が少女に襲い掛かる。
黒い炎は、あっという間に少女を包み込んだ。
「見たか!これぞ、我の真のちか……」
光る何かが黒い炎の中から飛び出した。
「があああああああ!」
今度は魔王の左腕が切断された。
「魔王様あああ!」
「そんな!」
「あああああ!魔王様!」
「ひよええええ!」
幹部四体が叫んだ。
暗黒の炎が消える。
先程と同じく、黒髪の少女は全くの無傷で立っていた。
僧侶ケンカイの顔は驚愕を通り越し、青ざめている。
「魔王の攻撃を二度も受けて無傷……それどころか、これまで誰も突破することが出来なかった魔王の防御魔法をあんなにも、いともたやすく……」
それは、黒髪の少女の攻撃魔法、防御魔法が共に魔王のそれを圧倒的に上回っていることを示していた。
「クレシャ!早く魔王様にダーク・ヒールを!」
「ええっ!分かったわ!」
ダーク・ヒール。
闇魔法の一種。通常のヒールとは異なり、『闇属性の魔物』にしか、効果を発揮しない。
ただし、その効果は絶大で、切断された腕ぐらいなら簡単に再生させることが出来る。
魔王幹部の一人、『拷問のクレシャ』はダーク・ヒールを発動しようと魔王に手を翳し、叫んだ。
「『ダーク・インパクト』」
クレシャの手から放たれた魔法は、『ダーク・ヒール』ではなく、攻撃魔法の『ダーク・インパクト』だった。
「ぐおおおおおお!」
魔王の防御魔法は両腕を斬り飛ばされたダメージで弱まっている。クレシャの『ダーク・インパクト』は魔王に大きなダメージを与えた。
「クレシャ!?」
「何をしている!?」
「ち、違う。こ、これは私の意志では……『ダーク・ライトニング』!」
黒い稲妻が魔王に向かって走った。黒い稲妻は魔王の全身を焼く。
「がああああ!」
「ま、魔王様。これは……私は……嫌あああ!」
クレシャは泣き叫ぶ。
「ぐうう、おのれええ!」
魔王は黒髪の少女を睨んだ。
「あやつだ!あの小娘がクレシャを操っておる!」
魔王は配下の三人に命じる。
「ダイダロス、セルカイ、マシカムル。あの小娘を殺せ!」
「「「承知!」」」
魔王に命じられた幹部三人は即座に黒髪の少女に攻撃を開始しようとする。
「『自分の主を殺せ』」
黒髪の少女は、小さな声で呟いた。
「『ダーク・ボム』!」
「『ダーク・ブレイド」!」
「『ダーク・シャドー』!」
魔王幹部三人は黒髪の少女ではなく魔王に攻撃した。
「がああああ!」
魔王の肉体がさらに大きくえぐれる。
「魔王様!『ダーク・リゲイト』!」
「我らは……『ダーク・マーター』!」
「魔法で操ら……『ダーク・ジュゲム』!」
「いやあああ……『ダーク・インパクト』!」
悲痛な声を上げながらも、幹部四体は魔王に対する攻撃を止めない。
どんなに拒否しても『言霊の魔法』の呪縛からは逃れられない。
そして、遂にその時が訪れる。
魔王の体が崩壊し始めたのだ。
「ぐおおおおおおおお!」
魔王の大絶叫が広い部屋の中を震わせる。
「おのれ……おの……れ………」
崩壊していく魔王。魔王は勇者に視線を向けた。
「ゆう……しゃ……ル……イール……」
「魔王……」
自分の名を呼び、崩れ行く魔王。そんな魔王を勇者ルイールは複雑な表情で見ていた。
「『ダーク・インパクト』!」
クレシャの放った攻撃魔法が魔王の頭に直撃した。
それがトドメとなった。
「ぐおおおおおおお!」
凄まじい断末魔の声を上げながら、魔王は消滅した。
魔王が消滅するのと同時に、魔王幹部四体の体にも異変が生じる。
「うわあああ!」
「きゃああああ!」
魔王幹部四体の体がサラサラと砂になっていく。
ケンカイが言った。
「魔王幹部は、魔王が直接魔法で作った存在。魔王が居なくなれば、魔法の効果が切れて消滅します」
魔王幹部四体は、どんどん砂に変わっていく。
「いやだあああ!」
「くそそおおおお!」
「あああああ!」
「魔王様アアアア!」
悲鳴を上げながら魔王幹部四体は完全に砂となった。
長い間この国の人間達を苦しめていた魔王とその幹部達は、あまりにもあっけなく滅ぼされた。
死神のような、黒髪の少女によって。
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