第79話 勇者と魔王:後編

 魔王とその幹部達は滅ぼされた。


「……ッ」

 もし、自分達の手で魔王を滅ぼしていたのなら、勇者一行は涙を流しながら歓喜していただろう。

 しかし今、勇者達五人の中で、喜んでいる者は誰一人として居なかった。

(これが……魔王の最後なのか?)

 あまりにもあっけなく、惨めな最後。皆、言葉に出来ない。

「無駄な時間を過ごさせやがって……」

 黒髪の少女は「チッ」と軽く舌打ちをする。


「君は何者だ!?」

 ルイールは魔王と同じように少女に問う。

「魔王を倒してくれたことには礼を言う。しかし、君のその力。黙って見過ごすわけにはいかない。一体君は……」


「うるさい。黙れ」


 少女はボソリと呟くように言った。

 その声は、魔王の雄叫びとは比べ物にならない程小さい。

 だが、その声は勇者達五人の背筋を凍らせた。


「先輩とあのサキュバスの事を知らないのは許そう。少しでも知っていそうな奴がいれば、手当たり次第に聞いてきたが、知っている奴は今まで誰も居なかったからな」


 黒髪の少女はブツブツと喋りだす。

「『魔王』と『勇者』なんて大層な名前を持っている奴らがいると聞いて、こんな国まで跳んだが無駄足だった。なんの情報も持っていなかった。でも、仕方ない。仕方ない。知らないのが当然なんだ。だから、もしやと期待した私の方が馬鹿だった。うん、私が悪い。それに関しては私が悪い」

 黒服の少女は頭を押える。


「だけど、私が先輩を探しに行こうとするのを邪魔したのはどういう訳だ?」


 黒服の少女は勇者一行をギロリと睨む。

「時間は限られている。時間は有限だ。なのに、何故邪魔をした?なんで『待て、小娘!』なんて言って、私を引き留めた?先輩の事を何か思い出したのかと思ったが、全く違った。ふざけるな。おかげで、先輩を探す時間が三分も少なくなってしまったじゃないか。あいつらの相手をしている間、もしかしたら、先輩に関する有益な情報を得られたかもしれなかったのに。いや、ひょっとすれば、先輩本人を見付けられたかもしれないのに。その貴重な時間を何故、なぜ、ナゼ、私から奪った?」

 歯を食いしばり、黒髪の少女は怒りを露にする。


「私が先輩を探すことを邪魔する奴らは、生かしておけない」


 ルイール達には少女が何を言っているのか分からない。

 だが、魔王が自分を引き留めたことに、黒髪の少女が激しい怒りを覚えたということだけは理解出来た。


 不意に少女の顔から表情が消える。

 黒髪の少女は無表情のまま、勇者達に言った。


「お前らも同罪だ」


「なっ?」

 黒髪の少女の言葉に勇者は耳を疑う。

「馬鹿な……どうして俺達も同罪なんだ?」

「決まっているだろう。お前らがあの魔物を止めなかったからだ」

 黒髪の少女はこの国を恐怖に陥れた魔王を、唯の『魔物』と言い捨てた。


「お前らは、あの魔物が私を呼び止めるのを止めなかった。止めなかった以上、お前らもあの魔物と同じだ」


「待て!俺達は魔王の仲間じゃない。俺達はあいつを倒しに……」

「黙れ」

 黒髪の少女は凄まじい殺気を勇者達に向ける。


「先輩を探す時間を私から奪った罪は重い。死んで償え」


「……くっ!」

 ルイールは少女に剣を向けた。

「ダメ、ルイール!」

 戦おうとするルイールを魔法使いのトイズが止めた。

「戦っちゃダメ。私達じゃ此奴に勝てない!」

「トイズの言う通りです!」

 僧侶ケンカイもルイールを止める。


「撤退しましょう。ルイール!」


「ケンカイ……」

「もし、さっき私達が魔王達と戦っていたら、負けていたかもしれません。勝っていたとしても仲間の誰かを失っていた可能性が高い。魔王達はそれ程の力を持っていました。ですが、あの少女は『無傷』で魔王を倒したのです!」

「―――ッ!」

「今の私達では、絶対にあの少女に勝てません!」

 それは、当然ルイールも感じていたことだった。

 自分達が束になって掛かったとしても、この少女には傷一つ負わせられないだろう。

「なら、彼女と話し合って……」


 戦うだけが道ではない。

 力で勝てなければ話し合いで戦いを回避する方法もある。

 だが、僧侶ケンカイは激しく首を横に振った。


「あの少女は強さも異常ですが、精神はそれに輪を掛けて常軌を逸しています。話し合いは通じません!」

「……ッ」

「ルイール!」

「……分かった!」

 ルイールは、仲間達に命じた。

「撤退する。トイズ。マーラ。テレポートの準備!ケンカイとガンドは俺と一緒に時間を稼……」


「『………せ』」

 黒髪の少女が何かを呟いた。


 勇者ルイールは剣を高く掲げる。

 そして、そのまま僧侶ケンカイを斬った。

「えっ?」

 ケンカイは、ただ呆然としている。

 数秒後、ケンカイの体から勢いよく血が噴き出した。

 ケンカイは白目を剥き倒れる。

「きゃああああ!」

 皆の絶叫が木霊した。


 撤退を決断したルイール達の判断は正しい。

 だが、その決断はあまりにも遅すぎた。

 彼らは、黒髪の少女が魔王と戦っている間に逃げるべきだったのだ。


 これより始まるは絶望……。


 勇者による虐殺だった。


***


「きゃああああ!」

「ケンカイ!」

「は、早くヒールを!」

 魔法使いのマーラがケンカイに治療魔法を掛けようとする。


 そのマーラをルイールの剣が貫いた。


「ガッ……ル、ルイール様……どうし……」

 ルイールは倒れたマーラに剣を振り下ろす。

「ゲッグッ」

 ビクンと痙攣し、マーラは動かなくなった。


 ルイールは次に戦士ガンドに襲い掛かった。

 戦士ガンドは持っていた盾で何とか攻撃を防ぐと、ルイールに向かって叫んだ。 

「ルイール!どうしたルイール!」

「に、逃げろ……!」

「何!?」

「は、早く……体が言う事を……聞かない!」

 ルイールの言葉で、もう一人の魔法使いトイズは悟った。

「まさか、『言霊の魔法』にやられたの?」

 トイズは魔法の杖をルイールに向ける。

「『解除の魔法』をルイールに掛けるわ。ガンド!そのままルイールを押さえておいて!」

「おう!」

 トイズは『解除の魔法』を発動した。


「『リロース!』」


 光がルイールを覆う。

(これで、ルイールに掛けられた『言霊の魔法』の効果も失われるはず……)

 トイズはそう思った。だが……。

「ぐあああ!」

 戦士ガンドの両腕がルイールの剣で斬り飛ばされた。

 トイズは目を見開く。

「か、『解除の魔法』が効いてない!?そ、そんなに強い魔法なの?」

「ぐおおおお!」

 両腕を斬り飛ばされた戦士ガンドが膝を付いた。

 ルイールは剣を高く振り上げる。

「や、やめろ……ルイール……やめてく……ぎゃ!」

 勇者ルイールは戦士ガンドを鎧ごと真っ二つにした。

 二つに分かれた戦士ガンドの体が床に倒れる。


「い、嫌だ。やめてくれ……いやだ……もう、いやだ……やめてくれ……!」


 勇者ルイールは、魔法使いトイズを見た。

「逃げろ……トイズ……頼む。逃げてくれ……」

 言葉とは逆に、ルイールの体はトイズに剣を向ける。

「トイズ……頼む……逃げ……」

「嫌!」

 トイズは、逃げなかった。

「貴方を置いて、私だけ逃げるなんてそんなこと出来ない!」

「トイズ……」

「ルイール。さっきは違うって言ったけど、私……私ね。本当は貴方の事……ゴフッ」

「トイズ!」

 ルイールの剣は情け容赦なく、トイズを斬った。

 愛する人に斬られ、涙を浮かべながらトイズは死んだ。

「うおおおおお!」

 勇者ルイールは絶叫する。その時、体を支配していた力が消えた。

 

 黒髪の少女が勇者ルイールに命じた言葉は、『自分の仲間を殺せ』。


 ルイールが仲間を全て殺したため『言霊の魔法』の呪縛が解けたのだ。


「よくも……!よくもおおおおお!」

 ルイールは黒髪の少女に凄まじい勢いで斬り掛った。

「うおおおおおお!」

 勇者ルイールは渾身の力で剣を振り下ろす。それは、間違いなく、ルイールの生涯で最も威力のある一撃だった。


 キン。


 だが、ルイールの渾身の一撃は、少女の防御魔法にあっさりと弾かれた。

 黒髪の少女はルイールに対し、もう一度『言霊の魔法』を発動する。


「『死ね』」


「くっ!」

 ルイールの手は勝手に動き、自分に剣を向けた。

「くそっ!くそおおおおおお!」


 そのまま、ルイールは自分の胸に剣を突き刺した。

 剣は肋骨、横隔膜、左右の肺、肝臓、胃、背骨を貫き、外に出る。


「グブッ」

 痛みと息が出来ない苦しさ。そして、喉からせり上がる血の味を感じながら、ルイールは崩れた。

(皆……みんな……俺が皆を……ごめん……ごめん)

 ルイールの目から涙が流れる。

 そして、ルイールは黒髪の少女を睨んだ。

(よくも、よくも俺の手で皆を……くそ、くそおおお!)

 ルイールは黒髪の少女に向かって手を伸ばした。

(許さない。お前だけは、お前だけは絶対にいいいい!)


 黒髪の少女は何の感情もない目でルイールを見る。


「グッ!」

 大量の出血により、ルイールの心臓は鼓動を止めた。

 全身から力が抜け、黒髪の少女に伸ばしていた手が床に落ちる。


(くそっ、くそおおおおお……ちくしょおおおおお………おおおおお………おおお………おお…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………)


 仲間を殺した相手に何も出来ず、ルイールは息絶えた。

 その顔には、苦痛と怒りと後悔と絶望が入り混じっている。

 

 勇者の最後とは思えない、悲惨な結末だった。


 恐怖と悲鳴の象徴だった魔王。

 希望と勇気の象徴だった勇者。


 彼らとその仲間達は、黒髪の少女の手によって、共に全滅した。


***


「はぁ……」


 菱谷忍寄は大きなため息を付いた。

「先輩……」

 自分が殺した者達のことなど、彼女の頭には少しも残っていない。

 彼女の頭の中にあるのは愛する人間の事だけだった。


 巨大な悪も、純粋な正義も、彼女の『愛』の前では全く意味をなさない。

 

 愛に勝てるものなど何もない。

 悪だろうと、正義だろうと、

 愛に勝てるものなど、何もないのだ。


「先輩、先輩、先輩、先輩、先輩、先輩、先輩、先輩、先輩……」

 菱谷の目から涙が零れ落ちる。


「貴方は今、どこに居るのですか?」


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