第65話 ブラッディ・ウエディング⑫

「……」

 菱谷は、静かに目を伏せた。一瞬の静寂が場に流れる。

「―――殺す」

 菱谷はポツリと呟いた。


「殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す!」


 怨嗟、怨念、怒り……それら全てが混じる。


 菱谷は、ボウリングの玉ほどの大きさの黒い球体を二つ出現させた。そして、二つの黒い球体を三島とホーリーに向かって放った。

 黒い球体に少しでも触れれば、その部分は消滅する。

 だが、黒い球体は三島とホーリーの体に触れる前に二人の『防御魔法』によって弾かれ、消えた。

 菱谷はまるで悪鬼のごとき形相で二人を睨む。


「お前ら、二人とも殺してやる!」


 菱谷から溢れ出た魔力によって、式場がガタガタと激しく揺れた。

「私から先輩を奪おうとする奴は皆、殺してやる!」

「その言葉、そっくりそのまま君に返すよ」

 三島は静かに言った。

「私から優斗を奪おうとする人間には、容赦しない」

「はっ!」

 菱谷は、唇の端を上げる。

「三島由香里!私はお前の魔法に対抗する新しい魔法を創り出した。もう、お前の『記憶を操作する魔法』は、私には効かない!」

「そうみたいだね」

 三島は、頷く。

「君は自分の記憶を取り戻しているし、君に関する記憶を消した優斗にも、君の記憶が戻った。君が私の魔法に対して、何らかの対抗魔法を創り出したのは、間違いないみたいだ」

 三島は「ふぅ」と息を吐く。


「だけど、それがどうした」


 三島の体からも、菱谷に匹敵する魔力が溢れ出す。

「たとえ、『記憶操作の魔法』が効かなくとも、お前を殺す手段はいくつもある」

 三島は、鋭く菱谷を睨んだ。


「私の優斗への愛を舐めるなよ」


 三島の魔力が禍々しさを増してゆく。それは、まるで自分の安藤に対する愛を見せつけているかのようだった。


「『菱谷忍寄』、それと『聖女』。君達二人は、此処で始末する」


 三島が宣言したその時、菱谷、三島に匹敵する魔力がホーリーの体から溢れ出した。

「争いは悲しいですね。できれば、避けたいものです」

 ですが、とホーリーは首を横に振る。

「私の愛する『夫』であるユウト様に害をなす者達を放ってはおけません」

 ホーリーは、持っていた杖を二人に向けた。


「お二人には、此処で永遠に眠ってもらいます」


 三人の距離は等間隔だ。三人が居る場所を線で結べば、ちょうど正三角形になる。

 菱谷、三島、ホーリーの三人は、それぞれ自分以外の二人に対して魔法を発動しようと構えた。


 三つの巨大な力がぶつかろうとした。その時。


「やめろ!」


 安藤が大きく叫んだ。

 菱谷、三島、ホーリーは、一斉に安藤に視線を向ける。どんな状況であろうと、三人は、その声を無視することが出来ない。

 安藤は、正三角形の中心に向かって走ると、両腕を広げて訴えた。


「三人とも、やめてくれ。頼むから!」


 安藤は、この場の中心人物でありながら、実は最も部外者に近い。

 彼は、多くのことを知らなかった。


 安藤は、三島が異世界に来る前、安藤に寄り付く女性を排除していたことを知らない。


 安藤は、三島と菱谷が、異世界に飛ばされる前と、飛ばされた後の計二回、殺し合ったことを知らない。


 安藤は、菱谷が今まで記憶を失っていたことを知らない。


 安藤は、ホーリーが安藤を手に入れるために何をしていたのか知らない。


 安藤は、三島がホーリーを排除するため、何をしたのか知らない。


 安藤優斗は、この場の中心人物でありながら、何も知らない。

 しかし、そんな安藤でも分かることはある。


 それは、菱谷、三島、ホーリーの三人が自分を巡って殺し合いをしようとしていることだ。


 訊きたいことは山ほどある。特に、由香里には。

 三島はもう、自分のことなどを愛していないと思っていた。

『別れよう』と言った時も、由香里はそれをあっさりと承諾した。

 由香里は、もう俺のことを愛していないはず。


(だけど、由香里は、俺を愛していると言った)


 由香里は、本当は俺のことを愛していた?

 でも、だったらどうして俺が「別れよう」と言った時、すんなりと応じたんだ?

 訊きたいことは山ほどある。だが、今は、そんなことよりも三人の争いを止める方が先だ。


「菱谷も、由香里も、ホーリーさんも、もうやめてくれ!殺し合いなんてしないでくれ!」

 安藤は、喉が潰れそうなほど大声で叫んだ。

「俺は、誰にも死んでほしくない!菱谷にも、由香里にも、ホーリーさんにも……誰にも死んで欲しくない!」

 誰にも死んで欲しくない。これは安藤の本心だ。

 三島とホーリーは勿論のこと、前の世界で自分を殺した菱谷にでさえ、安藤は死んで欲しくなかった。


 異世界に来てから、安藤は人が死ぬ場面を何度も見た。

 記憶が戻った安藤は、そのことを思い出した。


 見知らぬ他人でさえ、人が死ぬ所を見ると、何も出来なかった罪悪感と悲しみで胸が張り裂け、吐き気がこみ上げてくる。

 見知った人間が死ぬ所など、ましてや、殺し合う所など絶対に見たくない。


「お願いだから、殺し合いなんてしないでくれ!」

 安藤は俯く。目から涙が一粒零れた。

「頼むから……」

 消え入りそうな声で安藤は呟く。床に落ちた涙が跳ねた。


「先輩……」

「優斗……」

「ユウト様……」

 涙を流し訴える安藤を菱谷、三島、ホーリーは黙って見つめる。

 

「先輩」

 最初に口を開いたのは、菱谷だった。


「先輩は、優しいですね。先輩のそういう所、私、大好きです!」

「菱谷……」

 ニコリと、菱谷は安藤に微笑んだ。

 もしかして、菱谷は争いをやめる気になってくれたのか?安藤は一瞬、そんな期待を抱く。


「でも、この二人は許せません」


 安藤の期待は、あっさりと打ち砕かれた。

 菱谷の表情が一転、怒りに変わる。

「こいつらは、私から先輩を奪おうとします。絶対に許せません。先輩は、私のものです。私ひとりだけのものです」

「菱谷!」

「私は、先輩を傷付けようとする人間と、私から先輩を奪おうとする人間だけは、絶対に……絶対に許すことが出来ません」

 菱谷は、また安藤に微笑む。

「さぁ、先輩。危ないですから、此処から離れて安全な場所に避難してください。心配しなくて良いですよ。この二人を殺したら直ぐに、先輩の元に行きます。そして、また二人で暮らしましょう。そして、ずっと……永遠に愛し合いましょう!」


 菱谷の言葉に、安藤は顔を歪ませる。

 すると、次にホーリーが口を開いた。

「ユウト様は、やはり素敵です。私は貴方の妻となったことを、とても誇りに思います」

 ホーリーはニコリと安藤に笑みを向ける。

「しかし、申し訳ありません」

 ホーリーは安藤に頭を下げる。


「私もこの戦いを、やめるわけにはいきません」


「―――ッ!」

「たとえ、愛する貴方の頼みであったとしても、私は貴方を奪い去ろうとするこの二人を放ってはおけません」

「ホーリーさん!」

「ユウト様、そこをお退きください。そして式場を出て、安全な場所に避難を。ご安心ください。すぐに終わらせます。その後は、私と共に、多くの人々を救いましょう。そして、私と運命の愛を育みましょう」


 菱谷に続き、ホーリーも引く意志を見せない。

 安藤は次に、三島に目を向けた。

「由香里……」

「優斗……」

 安藤と三島は少しの間、見つめ合う。

 三島は呟くように言った。

「ごめんね」

 三島は、申し訳なさそうな表情を浮かべる。


「私も、やめるわけにはいかない。優斗を取られたくなんてないからね」


「由香里……!」

「優斗、。辛かったでしょう?寂しかったでしょう?私もだよ。でも、仕方がなかったんだ。そこに居る『聖女』を倒すには、優斗と別れたフリをして、油断させるしかなかった」

 安藤は大きく目を見開いた。

(由香里が俺との別れをすんなり受け入れたのは……ホーリーさんを殺すためだったのか!?)

 三島の、あまりに衝撃的な言葉に安藤はよろめいた。

「ごめんなさい優斗。傷付いたよね?でも、大丈夫。この戦いが終わったら、すぐにまた、

 三島は、安藤に笑顔を向ける。

「さぁ、優斗。そこを退いて。そして、安全な所で待っていて。心配しなくても、すぐに迎えに行くから。そして、また二人で、穏やかに暮らそう」


 三人は、全員安藤の頼みを断り、此処から離れるように言った。

「だ、ダメだ!」

 安藤は首を大きく横に振る。

「三人が戦わないって約束してくれるまで、俺は此処を動かない!」

 もし、三人の魔法に巻き込まれれば、命はない。

 しかし、安藤は逃げずに強い意志で立つ。

 もし今、逃げてしまえば、その瞬間、三人は殺し合いを始めてしまうだろう。

 動こうとしない安藤を見て、菱谷は言った。


「『先輩、そこを退いてください。そして、安全な場所に避難してください』」


 菱谷は安藤に『言霊の魔法』を発動した。『言霊の魔法』を受けた者は、自分の意志に関係なく、その言葉に従ってしまう。

「―――ッ!」

 また、勝手に体が動いてしまう。『言霊の魔法』を何度も受けた安藤は、思わず目を閉じる。


 だが、安藤が、その場から動くことは無かった。


「何故?」と、菱谷は眉根を寄せる。そして、直ぐに気付いた。

 菱谷は目に魔力を集中させる。安藤の体が光輝いて見えた。

「お前の仕業か」

 菱谷は、三島を睨む。


 それは、三島が創り出した『新魔法』。

『言霊の魔法』を防ぐ新たな魔法だった。


 以前、三島は菱谷と戦った時、この魔法で、菱谷の『言霊の魔法』を防いだ。


「君が優斗から離れた瞬間、優斗に魔法を掛けておいた。もう、優斗に『言霊の魔法』は通用しない」

 ギシリ。と、菱谷は歯を強く食いしばる。

 三島が魔法を解かない限り、菱谷はもう安藤を『言霊の魔法』で操ることは出来ない。


「今すぐ、先輩に掛けている魔法を解け!先輩を安全な場所に避難させたいのは、お前も一緒だろう?」

「勿論そうだ」

 三島は頷く。

「だけど、魔法を解いた瞬間、君は違う命令を優斗にするかもしれない。君が何をするか分かない以上、魔法を解くことは出来ないな」

「……くっ」

 菱谷は顔を大きく歪める。

「ですが、そうなると、ユウト様にはご自身の意志で此処を退いていただくか、もしくは、『言霊の魔法』以外の魔法で退いていただくしかありません……しかし、それは難しいでしょう」

 ホーリーは、菱谷と三島を見る。


「例えば、誰かが風の魔法でユウト様を動かそうとしたとしても、ユウト様を安全な場所ではなく、自分の近くに来させる可能性があります。。」


 菱谷が安藤を魔法で動かそうとすれば三島とホーリーが。

 三島が安藤を魔法で動かそうとすれば菱谷とホーリーが。

 ホーリーが安藤を魔法で動かそうとすれば菱谷と三島が。


 それぞれを妨害する。

「ですので、この場合、ユウト様に自分から動いてもらうしかありません。しかし、ユウト様は私達が争いをやめない限り動くことは無いとおっしゃられています」

 ホーリーが安藤に目を向けると、安藤は首を縦に振った。

「しかし、私達三人は全員、この場で決着を付ける気でいます。さて……どうしたものでしょう?」


 再び静寂が訪れる。

 式場の外から大勢の人間の声が聞こえた。きっと外では、憲兵が式場を取り囲んでいることだろう。

 突入してくるのも、時間の問題だ。

 その時、三人……特に菱谷は、突入してきた人間に何をするか分からない。

 このまま、この膠着状態が続けば、また多くの人が死ぬかもしれない。

 安藤がそう考えていると、三島が言った。


「なら、こうしよう」


 三島はパチンと指を鳴らす。すると、三枚の紙が現れた。

 紙の一枚は三島へ。そして、残りの二枚は菱谷とホーリーの元へと空中を漂い、送られた。

 その紙は、一番上に『契約書』と書かれており、一番下には自分の名前を書く欄がある。それ以外は、空白となっていた。

「これは……」

「そう。『魔法契約書』だよ」


【魔法契約書】。魔法によって作られた契約書。

 この契約書にサインをした者は、必ず、紙に書かれた契約を守らなければならない。もし破れば、ペナルティがその人間に降りかかる。

 契約の内容とペナルティは、契約を交わす者同士が話し合って決めることが出来る。

 契約は、『魔法契約書』に契約を交わす者達、全員がサインをするまで何度でも書き直すことが出来る。


「それで、どのような契約をしようと?」

 ホーリーは三島に尋ねる。

「現状、私達は、優斗がそこから退かなければ、動けない状態だ。相手に攻撃しようとしても、優斗を巻き込む危険があるから出来ない。誰かが優斗を魔法で退かそうとしても、優斗を自分の近くに引き寄せる可能性があるから、他の二人が邪魔をする。優斗は私達が争いをやめない限り動かない。だけど、私達三人はこの場での決着を望んでいる。このままでは全員が動けない」

 三島は紙をユラユラと動かす。

「だからね。決めてもらいたいんだ……優斗に」

 三島は安藤を見て、フッと笑う。


「誰と一緒に居たいのか、誰を愛しているのか……


「―――ッ!」

「………ッ!」

 菱谷とホーリーの目が僅かに開かれた。

 三島は続ける。


。そういう契約を三人で結ぼう」

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