第4話 言霊

 一台の馬車が山道を走る。その荷台には大勢の人間を乗せていた。


 やがて馬車は、とある豪邸の前で止まる。


「おお、待っていたよ!」

「へい、カネガネ様。いつも、ありがとうございます」

 馬車を運転していた男は、豪邸の前で待っていた男にヘコヘコしている。

「で?私の商品は?」

「へい、ちょっとお待ちを」

 馬車を運転していた男は、荷台に上がると一人の男を指さした。

「おら!お前、早く降りろ!」

 馬車を運転していた男は先程までの笑顔から一変し、般若のような顔で怒鳴る。

「は、はい!」

「早くしろ!……はい、カネガネ様。こちらが商品になります」

「ふっははっは、なかなかいいじゃないか!これなら、マリーの遊び相手も十分に勤まりそうだ!」

「はははっ、そうですとも!そうですとも!」

 二人は上機嫌で笑い合う。笑いが収まると馬車を運転していた男は一枚の紙を取り出した。

「では、こちらにサインを」

「うむ……これでいいかな?」

「はい、ありがとうございます!」

「また、いいのがいたら買わせてもらうよ」

「へへぇ、ありがとうございます!」

 

 男が馬車に乗り込むと、馬車は再び走り出した。


 馬車の荷台から安藤は屋敷の方を振り返る。荷台から降ろされた男が引きずられて行くのが見えた。

「マリーってのは、魔物らしいぜ」

 誰かがポツリと呟いた。

「魔物?」

「ああ、ダイダイモンキーって言う、馬鹿でかい猿の魔物だ。他の生き物を玩具にして遊ぶ習性があるらしい」

 安藤の背中がゾクリと震えた。安藤だけではない。馬車の荷台にいた全員が恐怖のあまり目を伏せた。


 一時間後、馬車がまた止まった。次の客の元に到着したのだ。


「おら、次はお前だ!来い!」

 馬車を運転していた男が今度は若い女性を指さす。男に指を指された瞬間、女性は馬車から飛び降りた。

「いやあああああああああああああああ!」

「おい、俺の買った商品が逃げたぞ」

「へへっ、ご安心をキンナリ様……『レイト』」

「がっあああ!」

「あっ、倒れた」

「あいつらが嵌めている首輪には魔法が施されています。様々な呪文により、体の自由を奪ったり、強烈な痛みを与えることができるのです」

「へぇ、それは、それは……後でどんな呪文があるか教えてくれ」

「かしこまりました」

 客の男は、ゲスな笑い声を上げ、倒れた女性に近づく。

「いやぁ、楽しみだなぁ!何して遊ぼうかな!!」

「ひいいいいいいい!」

 客の男に女性が引きずられていく。女性は馬車の荷台にいた安藤達を見た。

「助けて!誰か!」

 女性は手を伸ばし、助けを求める。

「くそ!」

 安藤は思わず馬車から飛び降りようとした。その腕を初老の男性が掴む。

「言っちゃ駄目だ。アンタまで酷い目にあうぞ!」

「でも……」

「諦めなさい。もう手遅れだ」

「くっ!」

 安藤は屋敷を見る。

「誰か、誰か、嫌ああああああああああああ!」

 バタンと屋敷のドアが閉まる。同時に女性の悲鳴も消えた。

「ああ……」

 安藤はその場に崩れ落ちるように座わる。

「仕方がないんだ」

 初老の男性はまるで自分に言い聞かせるように呟いた。


 馬車は何事もなく、走り出す。


「ええと、次は……うっ」

 馬車を運転する男が息を詰まらせた。

「あそこか……」


 次に到着した豪邸は、先程まで屋敷とは比べ物にならないほど大きかった。

 馬車を止め、男が荷台にやって来る。

「お、お前、来い」

 

 震える声で、男は安藤を指さした。


「……」

 安藤を連れて歩く男は一言も口をきかない。とても緊張しているようだ。

 豪邸の前まで来ると、男はドアを叩いた。

「はい」

 ドアがゆっくりと開く。その先に一人の女が立っていた。馬車を運転していた男が頭を下げる。

「ご、ご機嫌麗しゅうございます。本日は商品を届けに……」

 緊張のためか、男の声は震えている。

 だが、女は男を無視して、安藤に駆け寄ってきた。


「先輩!」


 菱谷忍寄は嬉しそうに安藤に抱きついた。


「は、離せ!」

 安藤は菱谷の肩を掴み、押し返す。

「お、お前!」

 男が怒鳴る。

「大事なお客様に向かって!」

(くっ!)

 安藤は先程の女性を思い出し、身構えた。男が何かを言おう口を開ける。


「『レ……』」

「『黙れ』」


 男が呪文を唱えるよりも早く、菱谷がポツリと呟いた。

 男はまるで、陸に打ち上げられた魚のように口をパクパクしている。


「お前……今、先輩に何をしようとした?」


 菱谷は冷たい声で、馬車を運転していた男に詰め寄る。

「まさか、先輩を傷つけようとしたんじゃないだろうな?」

「――――ッ!?」

「いいか、もし、この人を傷つけたら……」

 菱谷の暗い目が男を射竦める。


「お前を殺す」


 暗い表情で菱谷はさらに続ける。


「お前の妻も殺す。お前の娘も殺す。お前の父親も殺す。お前の母親も殺す。お前の弟も殺す。お前の叔父も殺す。お前の叔母も殺す。お前の従妹も殺す。お前の甥も殺す。お前の姪も殺す。お前の友人も殺す。お前の上司も殺す。お前の部下も殺す。お前の同僚も殺す。お前と関わった人間は、お前も含めて全員殺す」


 分かったな?


「―――ッ!」

 男は壊れた玩具のように首を何度も縦に振る。

 安藤を菱谷に引き渡すと、男は一目散に馬車に乗り込む。馬車は凄まじい速さで安藤の前から消えた。


 馬車が去ると、安藤と菱谷が残される。


「ようこそ、先輩」

 先程と打って変わり、満面の笑顔で菱谷は、ほほ笑んだ。


                   ***


「さあ、遠慮しないでください。先輩」

 菱谷は安藤の手を握り、豪邸の中に引っ張り込んだ。


「こ、これは……」


 豪邸の中に入った安藤は驚き、目を見開いた。

 家の中は外観以上に豪華絢爛だった。床や壁は金で装飾されており、高価な宝石が埋め込まれていた。天井は信じられない程高く、上にはシャンデリアが飾られている。その屋敷を多くの人間が掃除している。


 いや、よく見るとそれは人間ではなかった。働いているのは全て人形だ。

 人間大の人形達が床を箒で掃いていたり、雑巾で壁を拭いたりしている。

『ヒシタニサマ』

 菱谷に気付いた人形達が一斉に膝まずく。しかし、菱谷は人形達を見ようとしない。菱谷の視線は安藤に固定されている。


「どうです、先輩?」


 菱谷がニコリとほほ笑む。対して安藤は、頬を引き攣らせながらゴクリと唾を飲み込んだ。安藤が驚いたのは、金色の壁や床でも、自動で動いている人形でもなかった。


「な、なんだよ。これ……」

「凄いでしょ」


 菱谷はさらに笑みを深めた。


「先輩がたくさんいます!」


 豪邸の中には、そこら中に安藤の絵が飾ってあった。


 笑っている安藤、怒っている安藤、走っている安藤、欠伸をしている安藤、授業を受けている安藤、友人達と話している安藤。眠っている安藤、漫画を読んでいる安藤、ゲームをしている安藤……。


安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤……。


 壁にも床にも、そして天井……あらゆる場所に安藤の絵が飾られている。


 その異様な光景に安藤は息を飲んだ。

「お前……これ……」

「さぁ、先輩、行きましょ!」

 菱谷は安藤の腕をグイッと引いた。

「い、行くって……どこに?」

「決まってるじゃないですか」


 菱谷は、ニコリとほほ笑む。


「私の部屋です」


                ***


 菱谷は安藤を部屋の一室に押し込むと、バタンとドアを閉めた。部屋の中はベッドが一つだけある簡素な造りだ。

「先輩!」

「うおっ!」

 菱谷は安藤に抱き付くと、そのままベッドに押し倒した。

「お、おい!」

「先輩!」

「んぐっ!」

 菱谷は安藤に唇を落とす。安藤の口の中に菱谷の舌が侵入してくる。

「んっ……や、やめろ!」

 安藤は菱谷の肩を掴み、引き剥がす。しかし、菱谷はもう一度、安藤に唇を重ねてきた。

「やめろ……やめろって言ってるだろ!」

 安藤は菱谷の体をどかすと、ベッドから立ち上がった。


「先輩?どうしたんですか?」

 菱谷は不思議そうな目で安藤を見る。

「何するんだよ!いきなり!」

「何って……決まってるじゃないですか」

 菱谷はベッドに寝転がり、下から安藤を見上げる。


「男と女がベッドの上でやることと言ったら……ひとつでしょ?」


 艶めかしい目で菱谷は安藤を見る。一瞬、安藤の心臓の音がドクンと鳴った。

「ふ、ふざけるな!」

 安藤は大きく手を振る。

「お、お前、俺に何をしたか分かってるのか!?お、お前のせいで俺は死んだんだぞ!」

 怒りのままに安藤は叫ぶ。

「お前の、お前のせいで俺は、こんなわけのわからない世界に!」

「先輩」

「俺は、お前を許さない。絶対に許さないからな!」

「先輩」

 菱谷はベッドから起き上がと、安藤に近づく。

「先輩」

「な、なんだよ!」

「怒った顔も可愛い!」

「んぐっ!」

 菱谷はまたしても安藤にキスをしてきた。

「や……やめろ!」

 安藤は慌てて、菱谷を引き剥がす。

「もう、先輩ったら、照れ屋さんなんですから」

 菱谷はフッと笑った。安藤の背中がゾクリと震える。

(こ、此奴……ダメだ。話が通じない)

 逃げなければ。そう思った安藤はドアに走る。


「『止まってください』」


 ドアノブを掴もうとした瞬間、安藤の体はピタリと止まった。

「な、なんだ?」

 体が全く動かない。まるで石になったのようだ。

「先輩」

 動けなくった背中に菱谷が抱き付く。

「逃げちゃだめですよ。先輩はもう、私の物なんですから」

「こ、これ……ま、まさか、お前が……?」

「そうですよ。“言霊”の魔法です。どんな相手も自分の思い通りに動かせる魔法なんですよ」

 菱谷はクスクスと笑う。

「くっ」

 安藤はなんとか動こうとするが、全く動けない。

「先輩は照れ屋さんですね」

 安藤の耳元で菱谷が囁く。

「本当は私としたいのに、照れてできないんですよね?」

 甘く艶めかしい声が耳を責める。安藤は必死に菱谷の言葉を否定する。

「ち、違う!お、俺は……」

「分かりました」

 菱谷は納得したように頷く。

「先輩は何もしなくていいです」

「はっ?」

「私が先輩を素直にしますから……」

「な、何を言って……」


「『私を押し倒してください』」


 安藤はクルリと振り返り、菱谷の肩を掴むと、そのままベッドに押し倒した。

 ベッドがギリシと音を立て、激しく軋む。

(えっ!?)

 安藤は自分自身がした行動に驚く。菱谷の言葉が耳に入った瞬間、体が勝手に動いていた。


「先輩『菱谷、愛してるって言ってください』」

(くっ……だ、誰がそんなこと……!)

「菱谷、愛してる」

(なっ!?)

 安藤は混乱する。思ったことと全く違う言葉が自分の口から出た。


「ああ、先輩……嬉しい!」

 顔を赤らめながら、菱谷は下から安藤に抱き付く。安藤と菱谷はそのままベッドに倒れた。

 安藤は菱谷に覆い被さる形となる。花のような甘い匂いがした。

「先輩!先輩!」

(やめろ……やめてくれ!)

 菱谷は安藤に頬擦りをする。やめさせたいが、体が全く動かない。

 安藤の耳元に唇を寄せ、菱谷は囁く。


「先輩……『キスしてください』」


(だ、ダメだ!)

 なんとか抵抗しようとするが、安藤の意思は少しも体に伝わらない。安藤の顔がゆっくりと菱谷の顔に近づく。

 そして、そっと菱谷の唇に自分の唇を重ねた。

「んんっ」

「んんんっ!」

 唇を重ね合う安藤と菱谷。安藤自身も唇を動かしているため、先程のキスとは比べ物にならない程の快感が脳に伝わる。

 長い時間を掛けキスをした安藤と菱谷は、静かに唇を離した。


「先輩、『私の体を触ってください』」


 菱谷の命令通り、安藤の手が菱谷の全身を這い回り出した。


 頭、頬、首筋、胸、足……。


 優しい手つきで安藤は菱谷の全身を隅々まで触っていく。

(くっ、くそ、て、手が……手が勝手に動く……!)

「ああ……先輩、先輩!」

 菱谷は顔を赤くしながら何度も「先輩」と呼ぶ。

(ダメだ。こ、こんなことをしたら……と、止まれ!止まってくれ!)

 しかし、安堵の意思とは裏腹に手は菱谷の体を堪能している。

(く、くそ、ダメだ!)

 安藤は必死に手から伝わる感触に抗おうとする。

(お、俺には……俺にはあいつが!)

 安藤の脳裏に一人の女性が思い浮かぶ。


 三島由香里。


 安藤の幼馴染で、今は恋人。

 小さな頃からずっと好きだった。何度も何度も告白しようと思った。だが怖くて出なかった。もし、告白して断られたら……そう思うと、途端に何も言えなくなった。

 だが、安藤は勇気を出して告白した。そして、OKを貰うことができた。


(俺が好きなのは三島なんだ。こんな……こんなことしたら……ダメだ!)

 安藤の理性が菱谷を拒絶する。しかし、安藤は普通の男だ。豊満な肉体を持つ美人の体を触り続けて、まともでいられるはずがない。

 理性とは裏腹に、安藤の体は次第に菱谷を求め始めていた。


「先輩……」

 菱谷がまた安藤に命令をしようとしている。

(やめろ……これ以上は……やめてくれ!)

「先輩、『私を……』」

 菱谷は一瞬言葉を溜め、囁くように言った。


「『抱いてください』」


 安藤はニコリとほほ笑む。

「ああ……分かった」


 安藤の手が菱谷の服のボタンに触れる。それから、丁寧にゆっくとボタンを外し始めた。

(くそ……止まれ、止まれえええ!)

 安藤は心の中で必死に叫ぶ。だが、手は全く言うことを聞かない。

 やがて、安藤の手は菱谷の服のボタンを全て外し終えた。


 開いた服の隙間から、大きな胸とそれを包み込む黒い下着が覗く。


 次に、安藤は自分の上着を掴むと、一気に脱いだ。

「……素敵」

 半裸となった安藤を見て、菱谷は顔を赤くしながら呟く。


 安藤はそのまま、菱谷の体に覆い被さった。

 菱谷の大きな胸が潰れる感触が、直接肌に伝わる。


 安藤は菱谷の手の平に自分の手の平を重ね、グッと握った。

 菱谷もその手を強く握り返す。


 安藤は菱谷の首筋にキスをする。菱谷も安藤にキスを返した。


(やめ……やめ……てくれ……)

 しかし、安藤の体は止まらない。菱谷の豊満な体を堪能している。

(や……め……)

 安藤の意識が体に引っ張られていく。激しい快楽により、抵抗する意思が徐々に消えていく。

(だ、誰か……助けて、助けてくれ!)

 最早、自分ではどうにもできない。この状況から逃れるには、誰かの助けを借りるしかない。

 もし、この部屋に誰かが入って来れば、流石に菱谷も続けようとはしないだろう。誰かが来てくれれば、助かる。


 しかし、この屋敷には安藤と菱谷の二人しかいない。他いるのは全て人形だ。


 誰かがこの部屋に入ってくることは決してない。


 安藤の脳裏に、あの女性の姿が浮かぶ。助けを求められたにも関わらず、見捨ててしまった女性の姿が。


 どんなに願おうとも、安藤を助けてくれる人間は誰もいない。


「先輩、『もっと激しくしてください』」

 菱谷の命令通り、体が動く。安藤の体はさらに激しく菱谷を求めた。


「先輩……愛しています」

(やめろ、やめてくれええええええええええええ!)


 安藤の体は、その日一晩中、菱谷と愛し合った。

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