第5話 食事
「うっ……」
窓から差し込む朝日で安藤は目を覚ました。安藤はゆっくりと上半身を起こそうとして、自分が何も衣服を身に着けていないことに気付いた。
「くっ!」
安藤は自分の頭を押さえる。
目が覚めた時、一瞬期待した。今までの事はもしかしたら全部夢だったんじゃないかと。
だが、違った。昨日の事は全て現実だった。安藤の心に絶望感が広がっていく。
その時、部屋のドアが勢い良く開いた。
「先輩、おはようございます!」
笑顔の菱谷が部屋の中に入って来た。
安藤の頭の中に昨夜の記憶が蘇る。
「ひっ!」
ベッドの上で安藤は後ずさった。背中が壁にぶつかる。
「く、来るな!来ないでくれ!」
安藤は怯えながら懇願する。その様子を見た菱谷は一瞬呆けた後、クスリと笑った。
「もう、先輩。そんなに照れなくてもいいのに」
「来るな。来るなって!」
菱谷はベッドの上に乗ると、安藤の耳にそっと口を寄せた。
「昨日は、あんなに愛し合ったじゃないですか」
「ち、違っ……ひっ!」
菱谷は安藤の首筋にキスをした。ゾクリとした感覚が全身に走る。
「今から、昨日の続きをしますか?」
菱谷はそう言うと、何度も安藤の首筋にキスをする。
「やめろ!やめてくれ!」
安藤は両手で菱谷を押した。菱谷は安藤の顔を静かに見つめる。
(まずい!)
また操られる。安藤はそう思った。
「先輩……」
「ひっ!」
思わず目を閉じた安藤の耳に、菱谷はまた口を寄せ囁いた。
「朝ご飯出来てますよ」
「えっ?」
「先に行ってますね」
そう言うと、菱谷はベッドから降りて部屋を後にした。
「……はぁ」
安藤は溜息を付く。そこで初めて安藤は、ベッドの上に自分の服が綺麗に折り畳んであることに気付いた。
安藤はゆっくりとその服を着ると、重い足取りで部屋を出た。
「先輩、こっちです!」
テーブルに座っている菱谷が嬉しそうに手招きする。
「ささっ先輩、私の隣にどうぞ」
菱谷は自分の隣の椅子を引いた。
「……」
だが、安藤は無言で菱谷の向かいに座わる。
「もう、照れ屋さんなんですから」
「……」
菱谷の言葉に安藤は無言を貫く。そうしている内に、人形が料理を運んできた。
「さぁ、先輩。食べてください。とてもおいしいですよ」
「……」
菱谷は促すが、安藤は食べようとしない。
「ダメですよ。先輩、ちゃんと食べなくちゃ」
「……」
安藤は菱谷から顔を逸らす。すると菱谷は、ポツリと呟いた。
「先輩……『ご飯を食べてください』」
「!!」
安藤の右手が勝手に動き出した。右手はスプーンを掴み、スープを一匙掬い、安藤の口に運ぶ。
「や、やめろ!やめてくれ!」
安藤は必死に抵抗をする。そんな安藤を見て、菱谷は悲しそうな顔をした。
「私だって、こんなことしたくないんですよ。でも、先輩が食べないから……」
「分かった!食べる。食べるから!だから、やめてくれ!」
「そうですか」
安藤の懇願を聞き、菱谷はポツリと呟く。
「『やめていいですよ』」
その瞬間、安藤は右手を自分の意思で動かすことが出来るようになった。
「さぁ、先輩。どうぞ」
「……」
安藤は、悔しそうに歯ぎしりをしながらスプーンで掬ったスープを口に運んだ。
「!!!!!」
スープは信じられない程美味かった。濃厚でいて舌を溶かすような味わい。とても、この世の物とは思えない。
安藤はスプーンでスープを掬い口に含む。またしても快感が脳を蕩けさせた。
「他のも食べてください。おいしいですよ」
安藤はスープの他にも自分の前に置かれた肉や果物にも手を付けた。どれも美味過ぎて、魔法で操られているわけでもないのに、手が止まらない。
いつの間にか、安藤は運ばれてきた全ての食事を平らげていた。
「ふふっ、先輩のお口に合ったようで良かったです」
菱谷は嬉しそうに笑う。
(ちくしょう!)
安藤はギシリと奥歯を噛みしめる。
食べるつもりなどなかった。しかし、あまり美味さに欲望を押さえつけることが出来なかった。
昨夜もそうだ。魔法で体を操られていたとはいえ、最終的に安藤は欲望を我慢することが出来なかった。
他に愛する人がいるにも拘らず、安藤は菱谷の誘惑に負けてしまった。
昨晩も、そして今も欲望を抑えることが出来なかった自分が情けなくてたまらない。
「……なぁ」
「はい、先輩」
「頼みがあるんだ」
「なんですか?何でも言ってください」
菱谷はニコニコと嬉しそうに笑う。そんな菱谷に安藤は言った。
「……外に出たい」
「外に……ですか」
「ああ、街を見てみたいんだ」
「……」
菱谷は安藤の目をじっと見る。安藤は思わず唾をゴクリと飲み込んだ。
「……いいですよ」
「え?」
「先輩は街を見たいんですよね」
「あ、ああ。そうだ!」
「分かりました」
菱谷はゆっくりと立ち上がる。
「では、食事も終ったことですし、一緒に街に行ってみましょう」
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