第三章

第52話  ブラッディ・ウエディング①

「号外!号外!」


 一人の男が、道行く人々に号外を配る。

「ええっ!」

「本当かよ!」

 号外を受け取った人々は皆、驚きの表情を浮かべている。

 そこには、こう書かれてあった。


『聖女様が結婚!相手は一般の男性!』


***


 安藤とホーリーの結婚の準備は極秘裏に行われた。


 まず最初に、二人が結婚することを知らされたのは、協会の幹部や国の権力者、協会に多額の寄付をしている大富豪など、一部の人間達だった。

 安藤とホーリーは、何日も掛けてその者達に挨拶をして回った。

 

 二人の結婚を知った有力者の中には『聖女が、一般男性と結婚しても良いのか?』と、疑問の声を上げる者も居たが、それは最近、権力を手にしたばかりで『聖女』の事を良く知らない者だった。

 古くから権力を有している人間は、歴代の聖女が権力や資産に関係なく相手を選び、自分の選んだ相手を決して変えない。という事を知っていた。


 そのため、安藤は意外とあっさり、ホーリーの結婚相手として権力者達に受け入れられた。


 しかし、腹の中では『この結婚相手を上手く懐柔することが出来れば、間接的に聖女を操れるのではないか?』という邪な考えで、安藤を受け入れる者も大勢いた。


 何はともあれ、権力者達への挨拶回りを終えた安藤とホーリーは、次に結婚式の準備に取り掛かった。

 協会の『聖女』の結婚式ともなれば、普通の結婚式の何百倍も盛大に執り行われる。

 結婚式は、協会が有する巨大な会場で行われ、期間も三日掛けて行われることになった。

 当然、安藤とホーリーもただ座っていれば良いという訳ではなく、何度もお色直しをしたり、皆の前で挨拶をしたりと、いくつものイベントをこなさなければならない。


 安藤は、結婚式の進行を頭に入れるだけで既にオーバーヒートしそうだった。

 結婚式の準備をしている間は、仕事にも行けない。既に何日も休んでしまっていた。


 現在、安藤とホーリーは協会のホテルに泊まっている。

 安藤は、巨大なベッドに大の字で寝そべった。

「はぁ~」

「お疲れ様です。ユウト様」

 ホーリーが優しい声で安藤を労わる。安藤とは対照的に、ホーリーに疲れた様子はない。

「ホーリーさんは凄いですね。俺はもうクタクタです」

「私は慣れていますから」

 生まれてから今まで、『聖女』として数多くの行事をこなしているホーリーにとっては、この程度の事、日常茶飯事なのだという。

「ヒール」

 ホーリーは安藤に回復魔法を掛けた。安藤の体に溜まった疲れが一気に消える。

「ありがとうございます」

 安藤はホーリーに礼を言う。しかし、体の疲れは消えたが、心の疲れは消えない。

 それは、極度の緊張、プレッシャーによるものだ。

「結婚式、上手くできるでしょうか?」


 今まで、安藤はホーリーと二人きりでしか会っていない。


 そのため、最初は『聖女』と結婚する事が、どういう事なのか、いまいちピンと来ていなかった。

 しかし、多くの権力者や大富豪と会う内に、安藤は自分がとんでもない人物と結婚しようとしている事を、嫌でも自覚した。


 安藤が結婚しようとしているのは、全世界に三十億人程の信者がおり、資金力、軍事力は大国のそれと同等、もしくはそれ以上とされている『協会』の象徴である『聖女』なのだ。


 もし結婚式が失敗すれば、協会の顔に泥を塗る事になり、安藤を結婚相手に選んだホーリーに多大な迷惑が掛かる。

 絶対に失敗は許されない。

 凄まじいプレッシャーと緊張にさらされた安藤は、食事も喉を通らなくなっていた。

 

「失敗しても大丈夫ですよ」


 しかし、ホーリーは、微笑みながら首を横に振ると、安藤をそっと抱きしめた。

「結婚式は『私達二人のために』行うのです。他の方の目を気にするよりもまずは、自分達が楽しむことを考えましょう」

「でも……」

「ね?」

 ホーリーは少しだけ、安藤を抱きしめる手に力を入れた。彼女の温もりを感じながら、安藤は頷く。

「そうですね……まずは、自分達のこと……ですよね」

「はい」

 ホーリーはニコリと微笑み、ゆっくりと安藤から離れる。

「私はこれから行く所があります。ユウト様は寝てくださって構いません。明日も忙しくなりそうですから」

「……分かりました」

「では、行ってきます」

 そう言って、ホーリーはテレポートでどこかに跳んだ。


 疲れからか、ホーリーが居なくなると直ぐに、安藤は深い眠りに落ちた。


***


 ホーリーがテレポートしたのは、協会のとある建物だった。


 そこには、ホーリーの従者であるミケルドが居た。

「ホーリー様」

 ミケルドはホーリーを見ると、綺麗な動作で頭を下げた。


 ホーリーが世界で二番目に信頼しているのが、このミケルドだ。

 ミケルドは、小さな頃からホーリーの従者として働いている。

 二人は年が近く、長年一緒に居ることもあり、従者というよりは友人や姉妹のような関係に近い。


 ホーリーとミケルド。二人の間には、確かな信頼関係があった。


「本日は、どのような?」

「いえ、ちょっとミケルドの顔を見たくなりまして」

「私の?」

「ミケルド、今まで貴方という従者が傍に居て、私はとても幸せでした」

「ホ、ホーリー様……」

「私がこれからユウト様と結婚できるのも、貴方の働きがあったからこそです。改めて感謝を」


 今まで私を支えてくださり、本当にありがとうございました。


 そう言って、ホーリーは綺麗な動作で己の従者に頭を下げた。

 ミケルドの目から一筋の涙が流れる。

「ぐすっ、あ、あのホーリー様がついに、ご結婚されるのですね……」

 ミケルドは、目から流れる涙をハンカチで拭った。

「小さい頃はお転婆で……私や他の従者を困らせていたホーリー様が、ついに……ついに……ついに結婚を……ぐすっ」

 まるで、自分の娘の結婚を見守る親のように、ミケルドは涙を流し続ける。

「ミケルドは昔から、涙もろかったですね」

 涙を流すミケルドを見て、ホーリーは微笑んだ。


「覚えていますか?私が協会から抜け出した時のことを」

「もちろんです」

 ミケルドは大きく頷く。

「ホーリー様は『冒険がしたい』と協会から抜け出し、大騒ぎになりました。あの時は私達従者全員、本当に生きた心地がしませんでしたよ」

 ホーリーはフフッと笑う。

「ミケルドは、私が嫌いな食べ物をこっそり食べてくれましたよね」

「ホーリー様は、クリシャベの木の実を使った料理が苦手でしたからね。皆の目が他に向いている隙に、こっそり私に食べさせましたよね。おかげで私、少し太ったんですから」

「あはっ、懐かしいです」

 それからしばらくの間、ホーリーとミケルドは思い出話に花を咲かせた。


「改めて、ご結婚おめでとうございます。ホーリー様」

「ありがとうございます。ミケルド」

 ホーリーは今まで自分を支えてくれた従者に笑みを向ける。

 そして、ホーリーの従者はまた涙ぐんだ。


***


「さて、ミケルド」

 ホーリーの口調が真剣なものに変わった。

 空気が変わったことを察し、ミケルドも表情を引き締める。


「『大魔法使い』の様子はどうですか?」


「はい。協会の調査部の者達からの報告によると、『大魔法使い』は現在、街の中にある古びた一軒家を買い取り、そこで生活しているようです」

「何か怪しい動きは?」

「いいえ」

 ミケルドは首を横に振る。

「報告では、特に怪しい動きはないとのことです。冒険者ギルドに所属している信者からの報告でも、変わった様子は見られないとのことです」

「そうですか……」

 ホーリーは自分の口に手を添える。そんなホーリーにミケルドは言った。


「『大魔法使い』は、優斗様にそれ程、執着していなかったのですね」


 ミケルドは続ける。

「ホーリー様が『大魔法使いは優斗様を諦めない』とおっしゃられていましたので、てっきり、何が何でも優斗様を取り戻しに来ると思ったのですが……どうやら想像していたよりも『大魔法使い』は優斗様に執着していなかったようですね」

「……」

「まぁ、私としましては、『大魔法使い』が優斗様を取り戻そうとしなくて、ホッとしました。ホーリー様と『大魔法使い』が争わずに済んだのですから」

「……そうですね」

 ホーリーは首を縦に振る。

「争わずに済むのなら……それが一番ですね」

 二人の間に一瞬、沈黙が流れた。その時。


「痛ッ―――!」


 ミケルドが突然、頭を押えた。

「どうしました?ミケルド」

「いえ、すみません。最近、時々頭痛がするのです。疲れているだけだとは思うのですが……」

「ヒール」

 ホーリーがミケルドに回復魔法を掛けると、ミケルドの頭痛はスゥと引いた。

「ありがとうございます……」

「ミケルドには、色々と無理な仕事をさせましたからね。その疲れが出たのかもしれません」

「……はい」

「結婚式が終われば、少し落ち着くでしょう。結婚式の後、休暇を取らせます。ゆっくり休んでください」

「……ありがとうございます」

「では、私はユウト様の所に戻ります」

「はい、かしこまりました」

「ミケルド」

「はい?」

「今までありがとう。楽しかったですよ」

 そう言うと、ホーリーはテレポートを使い、ミケルドの前から消えた。


「休暇か……」

 あの方に仕えて、十年。思えば、随分休んでいないなと、ミケルドは思う。

「ホーリー様が『優斗様』と結婚なされば、今までのように、話す機会は減るのだろうな……」

 ホーリー様が結婚することは、もちろん嬉しい。だが、同時に少し寂しくもある。

「そうだ。休暇を貰えたら旅行に行こう」

 今は、イア国とラシュバ国の戦争のせいで国外の治安情勢は悪い。なので、国内をブラブラ旅行することにしよう。

「そのためにも絶対、結婚式を成功させなければ!」


 自分のためにも。そして親愛なる主人のためにも。


 ホーリーと安藤の結婚が一般の人達にも正式に発表されたのは、この日から二週間後のことだった。

 

***


 聖女の結婚を聞き、協会の信者達は大いに盛り上がる。


「ついに、今の聖女様も結婚か」

「ああ、先代の聖女様は早くに亡くなられたからなぁ、今の聖女様は若くして、後を継いだが……時間が経つのは早いなぁ」

「全くだ!」

 人々は酒を飲み、大いに笑う。

「しかし、やっぱり今回も聖女様の結婚相手は一般人だったな」

「ああ、歴代の聖女様の結婚相手も、ほとんどが一般人だしな」

「一体、どうやったら聖女様と知り合いになれるんだか……そこが知りたいよ」

「俺は、どうやって聖女様を落としたのかも知りたいね」

「全くだ」

「ガッハハハッハ!」

 人々は笑う。普段なら決して笑わないことでも酒の力で、大爆笑だ。


「ところで知ってるか?あの魔物の話」

「あの魔物?」

「ほら、あれだよ」

 男は、声を少し潜める。


「吸血鬼だよ」


「ああっ、ケーブ国に出たっていう吸血鬼か」

「なんでも、どっかの馬鹿が金目当てに吸血鬼の封印を解いたとか……」


「そう。それで吸血鬼は今、ケーブ国にある大森林に住み着いているんだが、吸血鬼はその大森林を『自分の国にする』って宣言したんだとよ」


「ぷはっ、吸血鬼の国か!そいつは、ケーブ国も黙ってねぇだろ。なんたって自分達の領地に『魔物の国』が出来ちまったんだから!」

「ケーブ国は何度も吸血鬼の討伐に、人を送ったらしい。だが、全員返り討ちに合ったんだとさ。国家直属の兵士も、名のある冒険者達も全員が吸血鬼に殺されちまった」

「ほうっ。吸血鬼って相当強いんだな」

「だから封印されたんだろうな」

 男はジョッキに入った酒をグイッと飲む。

「しかし、吸血鬼か……一度で良いから血を吸ってもらいてぇぜ!」

「はぁ?なんでだ?」

「吸血鬼は絶世の『美女』なんだろ?なら、一度ぐらい血を吸ってもらいたいじゃねぇか!」

「えっ?あたしは、吸血鬼は絶世の『美男』って聞いたけど?」

 同じ酒場に居た女性が、男達に話し掛ける。

「えっ、そうなのか?吸血鬼って男なのか?」

「いや、どっちにもなれるらしいぜ!」

 酔っぱらった別の男が話に入ってくる。


「噂じゃあ、吸血鬼は絶世の美女にも絶世の美男にもなれるらしいぜ!」


「へぇ、なら俺を襲う時は美女の姿でやってきて欲しいな!」

「お前の血なんてまずくて吸わねえよ」

「何ィ!?」

「あははははっ!」

 恐ろしい魔物の話も、笑い話になってしまう。

 しょせんは、遠い国の話だ。


 酔っぱらった男は酒を一気に飲み干す。

「吸血鬼は人間、魔物関係なく、気に入らない相手は直ぐに殺してしまう。だがな、気に入った相手はずっと手元に置いとくらしいぜ。そして、吸血鬼が気に入れば、気に入る程、そいつは特別待遇を受けられるって話だ。もし、吸血鬼が本当に国を作っちまえば、一番気に入られた人間は、『吸血鬼の国』で贅沢三昧出来るぜ!」


「よし、ちょっと俺、ケーブ国に行ってくる!」

「行ってどうすんだよ」

「俺なら吸血鬼に気に入られること間違いなしだ。なんたって村で一番良い男だからな」

「やめとけ、やめとけ、お前じゃ行っても一秒で殺されるだろ!」

「なんだと、コラ!表出ろ!」

「やんのかコラ!」

「がはははあはっ、いいぞ!やれやれ!」

 人々は酒を飲み交わす。

 町のあちらこちらで行われた宴会は朝まで続いた。


***


『聖女』の結婚が正式に発表されてから、さらに時間が経った。

 そして、ついに今日。結婚式当日を迎える。

 ほとんどの人間は、この結婚式が幸せに彩られたものになると信じて疑わなかった。

 

 しかし、その期待は脆くも崩れ去る。


 この結婚式は、人々の悲鳴が飛び交い、血にまみれた史上最悪の結婚式となる。


 後に『血の結婚式ブラッディ・ウエディング』と呼ばれることになる結婚式が今、始まろうとしていた。


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