第44話 夢
「嫉妬、ですか」
「そう。優秀で性格も良い人間が冒険者グループから追放される一番の理由はね……『嫉妬』なんだ」
どうして、俺じゃなくて、あいつばかり活躍できるんだ。
どうして、私じゃなくて、あいつばかり皆からチヤホヤされるんだ。
どうして、俺じゃなくて、あいつばかり報酬を多く貰えるんだ。
どうして、私じゃなくて、あの人はあいつが好きなんだ。
どうして、俺じゃない。どうして、私じゃない。
どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?
「そんな気持ちが積もりに積もり、いつか爆発するんだ」
シェンドナー医師は安藤の目をじっと見つめる。
「アンドウ君は、誰かに嫉妬したことある?」
「そうですね……劣等感を抱いたことなら何度もありますけど……相手を陥れようと思うまでの『嫉妬』をしたことはないですね」
「なるほど。君は『良い人』なんだろうね。そんなアンドウ君に一つ忠告しよう」
シェンドナー医師は微笑みを消し、真剣な表情で安藤に言った。
「『嫉妬』はとても恐ろしいよ。それこそ、『恨み』や『憎悪』なんかよりもずっとね。覚えておいた方が良い」
「は、はい。分かりました」
シェンドナー医師のあまりの迫力に安藤は何度も頷いた。
***
ある日、休憩時間になったので休憩室に行くと、そこには先に休んでいた先輩のラディが居た。
「どう?少しは慣れた?」
「まぁ、何とか……」
「そう、なら良かった」
ラディは缶の中から菓子を一つ取り出し、「アンドウさんも食べる?」と訊いてきた。
「いただきます」
安藤はラディから菓子を受け取り、口の中に入れた。甘い味が口の中に広がる。
「アンドウさんはさ。将来、カウンセラーになるつもりはあるの?」
「いえ、正直まだそこまでは考えていません」
「そっか」
ラディは菓子を一口齧る。
「私はね。将来、カウンセラーになりたいんだ」
菓子を食べながら、ラディは自分の夢を語る。
「今は、シェンドナー先生の補佐をやってるけどね。いずれは、独立して自分の診療所を持ちたいと思ってる。冒険者専門じゃなく、色んな人達が抱える心の傷を治してやりたい」
「とても、素晴らしいと思います」
安藤は率直な感想を述べる。ラディは「ありがと」と言って微笑んだ。
「私ね。両親や友人関係のストレスが原因で過食症になったことがあるの」
将来の夢を語ったラディは、次に自分の過去を話し始める。
「食べてる最中は幸せな気持ちになる。だけど、食べ終わった後はもの凄い罪悪感に襲われた。食べ終わると、食べてしまった罪悪感から逃れようとして吐いた。でも、またしばらくすると、猛烈に食べたい欲求に襲われる。そして、食べては吐き、食べては吐きの繰り返し。そしたら今度は拒食症になっちゃってね。何も食べられなくなった」
「……」
安藤は何も言わず、黙って彼女の話を聞く。
「体重が落ちて、骨と皮だけのガリガリの体になった。栄養失調で死にそうになって病院に担ぎ込まれた。そこでようやく医者から『貴方は病気です』って言われたの。私、これまで自分が病気だなんて思いもしなかった」
「……それから治療を?」
「うん」
ラディは大きく頷いた。
「魔法で治療するって選択肢もあったんだけど『心の病気』を治す魔法が使える人はとても少ないから、魔法で治療すると、かなりの大金が必要になる。私には、そんなお金はなかったから、カウンセリングで時間を掛けて治すことにしたの。でも、それが良かったと思っている」
ラディはカウンセリングの一環で、自分と同じ過食症や拒食症で苦しんでいる人達とたくさん話をしたのだという。
ラディの症状は少しずつ改善していき、今では普通の生活を送れるようになるまでに回復した。
「もし、魔法で治していたら、すぐにまた私は、過食症か拒食症になっていたと思う。だけど、カウンセリングを受けて、私と同じ病気で苦しんでいる人がたくさん居ることを知ったから、私は病気を再発せずに済んでいると思っている」
ラディはニコリと笑う。
「私はね。自分と同じように『心の病気』で苦しんでいる人達に言ってやりたいんだ。『貴方は一人じゃない』って。そのためにカウンセラーになりたいの」
やがて、休憩時間が終わったラディは仕事に戻って行った。
自分の夢に向かって進む彼女はとても輝いて見えた。
***
ラディが仕事に戻ると、入れ替わるようにもう一人の先輩であるケンがやって来た。
「お疲れ様です」
安藤が挨拶すると、ケンは首を少し傾けて、椅子に座った。
「……」
「……」
沈黙が重い。無口なケンはあまり自分から話そうとしない。なので、会話をしたい時は毎回、安藤の方から声を掛けることになる。今回も、安藤から声を掛けようとした。
しかし、今日は珍しくケンの方から安藤に声を掛けてきた。
「さっき、ラディと何を話していた?」
「ああっ、えっと……」
安藤は悩む。口止めは別にされていないが、ラディが語った彼女の過去や夢の話をケンに言っても良いのだろうか?
「……もしかして、ラディが過食症や拒食症だったって話?」
「あっ、ご存じだったんですか?」
「まぁ、ね。あと、ラディがカウンセラーを目指している事も知ってる」
「そうだったんですね」
知っているのなら、言っても良いだろう。
「はい、ラディさんが病気だった事と、将来カウンセラーを目指している事を聞きました」
「そう……」
「あの、ケンさんもカウンセラーを目指しているんですか?」
安藤がそう言うと、ケンは肯定した。
「まぁね。俺も金を溜めて、いずれは自分の診療所を持つつもりだ」
ケンは自分の未来を見据えるように、遠くを見る。
「ケンさんもラディさんも自分の夢を持っているんですね。シェンドナー先生もとても素晴らしい医師ですし、此処で働いている皆さんは凄い人ばかりですね」
安藤はお世辞ではない、素直な意見を言う。
「凄い人たちばかりね……」
ケンは言おうかどうしようか迷うような態度を見せた後、安藤に小さな声で耳打ちした。
「これ、俺が言ったって言わないで欲しいんだけど」
「はい……?」
「実は此処、経営が危ないんだよね」
ケンの話に安藤は驚く。
「えっ、そうなんですか!?」
「俺、此処の経理もやってるから分かるんだけど、此処、毎月赤字なんだ」
ケンは重い口を開く。
「もしかしたら、いずれ潰れるかも……」
「ええっ!?」
安藤は目を見開く。
「でも、此処は冒険者ギルドの診療所ですよね?潰れるなんて事あるんですか?」
「確かに、此処は冒険者ギルドが運営している診療所だ。だけど、あまりに経営状況が悪いと冒険者ギルドから業務をはく奪されてしまう」
「そんな……」
「シェンドナーさんは患者から、治療費をあまり取らない。だから、毎回赤字続きなんだ。何度も危ないって忠告してるんだけどな……全く聞いてくれない」
ケンはブツブツと文句を言う。
「一応、此処に寄付してくれる組織があるから、何とか運営できている。だけど本当はとっくに業務をはく奪されていてもおかしくない。もし、寄付が打ち切られたら……」
ケンの不満は止まらない。
「それなのに、また新しく人を雇うなんて余計に人件費が……あっ」
ケンは「しまった!」という表情で安藤を見た。
「ご、ごめん……」
「いえ、お気になさらないでください」
本当の事だ。ケンが謝ることはない。
「俺、そろそろ休憩時間終わりますから行きますね」
「そ、そう?お疲れ」
発言を後悔しているケンを残して安藤は休憩室を出た。
「でも、確かになんで俺を雇ったんだろう?」
安藤は、働けることが嬉しくて此処の経営にまで頭が回っていなかった。
だけど、本当に此処の経営が危ないのだとしたら、即戦力にならない安藤を雇うことはデメリットでしかない。ケンの言う通り、余計な人件費が増えるだけだ。
それなのに、どうして安藤はこの『第七冒険者カウンセリング診療所』で働くことになったのか?
「アンドウ君。ちょっと来てくれるかな?」
「あっ、はい!」
シェンドナー医師が安藤を呼ぶ。
あれこれ考えても、経営について安藤が出来ることは何もない。だったら今、自分に出来る仕事を一生懸命やろう。
安藤は、急いでシェンドナー医師の元に向かった。
***
それから二週間後、ようやく仕事にも少しだけ慣れた時だった。
「今日から、アンドウ君にも此処に泊まってもらうけど、大丈夫かい?」
シェンドナー医師が心配そうに安藤に話しかける。
「はい、大丈夫です」
冒険者専門カウンセリング診療所には、高価な薬などがたくさん置いてある。
薬が盗まれて悪用されることを防ぐために、最低一人は常に診療所に居なければならない慣例があるのだそうだ。そのため、一日おきに交代で誰かが寝泊まりすることになっている。
最初は働き始めということで、診療所に泊まることは免除されていたが、安藤にもついに診療所に泊まる番が回ってきた。
「じゃあ、今日は此処で寝てね」
安藤が通されたのは、簡素なベッドとテーブルと数冊の本が置かれている部屋だった。
「何かあれば、この魔法のベルを鳴らしてね。直ぐに警備担当がやって来るから」
「はい、分かりました」
「じゃあ、よろしくね」
シェンドナー医師は安藤の肩をポンと叩いて、部屋を出ようとした。
「アンドウ君……」
「はい?」
「いや、なんでもない……お休み」
シェンドナー医師は何か言いたそうにしていたが、結局何も言わず部屋を出た。
***
「難しいなぁ……この本の内容」
この世界には、テレビやネットといったものがない。退屈を紛らわせるものといったら本ぐらいだが、この診療所に置いてある本は当然だが、どれも専門的な物ばかりで、娯楽物とは程遠かった。
だが、勉強のためにと、安藤は本を読む。
すると、本の内容の難しさからか、仕事の疲れからか、とても眠くなってきた。
「少し早いけど、もう寝るか……」
安藤は部屋の明かりを消し、ベッドに入る。
「由香里……今、何してるんだろう」
安藤は愛する彼女の事を思い出す。
働き始めてから、安藤と三島の会う時間は減った。寂しさを感じる。
だが、その代わり安藤は今『自分が何かをしている』という充実感を得ていた。
「もっと……頑張ろう……もっと……」
安藤の瞼がゆっくりと下りる。いつもより早い時間にベッドに入ったが、安藤はそのまま深い眠りに落ちた。
***
何もない空間から、一人の少女が現れた。
少女は音を立てず、ゆっくりとベッドまで歩いていく。ベッドにはぐっすりと眠る安藤が居た。
少女はベッドで眠る安藤をじっと見つめる。
そして、ニコリと嬉しそうに微笑んだ。
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