第62話 ブラッディ・ウエディング⑨
ホーリーはパチンと指を鳴らす。すると『魔法蛇』の足元の床がまるで水のように変化した。
『魔法蛇』はその中に潜り……消える。
『魔法蛇』が居なくなると、ホーリーは眠っている安藤に視線を向けた。
「う……うっ……くぅ……」
嫌な夢でも見ているのか、安藤はうなされていた。ホーリーは一歩前に踏み出す。
式場に結界が張られてから、二時間が経過した。結界が消滅する。
その瞬間、音もなくホーリーの背後に一人の人間が現れた。
音もなく現れたその人物は、手を伸ばし、ホーリーの体に触れようとする。
ホーリーは、まるでその人物が現れることを予知していたかのように、後ろを向いた。そして、相手の手が自分に届くよりも先に『神罰の剣』を振った。
『神罰の剣』は、生物や物を傷付けることはない。しかし、協会の信者を手に掛けた者には、即座に安らかな永眠を与える。
ホーリーの振った『神罰の剣』が相手の体をすり抜けた。協会の信者を傷付けた者であれば、眠るように死に至る。
だが、相手は死ななかった。平気な顔をして、そのままホーリーの体に触れようとする。
「―――……!」
ホーリーは少しだけ目を見開いた。今から防御魔法を展開しても、もう遅い。
手は、ホーリーの体まであと数センチの距離に迫っていた。
その時、ホーリーが消えた。ホーリーに触れようとしていた手が空を切る。
同時に、相手から少し離れた地点にホーリーは現れた。
「なるほど、やはり貴方の『記憶を操る魔法』は、相手に直接触れる必要があるのですね」
ホーリーはテレポートを使い、相手の攻撃を回避した。
後、コンマ一秒でもテレポートを使うタイミングが遅れていたら、手はホーリーに触れていただろう。
「今のは完全に、不意を突けたと思ったんだけどな」
良く気付いたね。と、その人物は不思議そうに首を傾げる。
「『探知魔法』を発動したままの状態にしていました」
ホーリーは相手の疑問に答える。
「先程、『探知魔法で調べた結果、この式場に居る生きた人間は、ユウト様と私の『二人』だけでした。しかし、テレポートで誰かが式場にやって来れば、式場に居る生きた人間の数は『二人』から『三人』に増えます。式場に居る生きた人間の数の変化に注意していれば、テレポートによる奇襲は防ぐことが出来ます」
「『探知魔法』を発動した状態にしておいたという事は、私がテレポートで奇襲を掛けて来ると予想していたわけだ」
「はい。人が一番油断する瞬間は『勝った』と思った時です。貴方が現れるのなら、私が『勝った』と油断し、式場の結界が解ける今しかないと思っていました。『探知魔法』は、貴方が仕掛けてくるタイミングを正確に察知するために、発動させたままにしておいたのです」
「なるほどね。ああっ、残念だ。この奇襲は上手く行くと思ったんだけどな……」
ホーリーの目の前に居る『三島由香里』は、悔しそうに上を向いた。
***
「いつ、気付いた?」
「『大魔法使いの記憶を持ったミケルド』が現れた時、私は二つの可能性を考えました」
ホーリーは、まず指を一本立てる。
「一つ目は、先程話していた通り、貴方がミケルドの記憶を自分の記憶に上書きし、ミケルドの姿に化けていた場合です」
ホーリーは、もう一本指を立てた。
「もう一つは、『記憶を上書きされていたのはミケルドの方だった』という可能性です」
ホーリーは続ける。
「貴方はミケルドを襲った時、彼女の記憶を奪ったのではなく、『自分の記憶』が『相手の記憶』を上書きする魔法を掛けた。魔法発動の条件は、やはり『ユウト様と私が誓いのキスをしようとするのを目撃する』こと」
三島は黙って先を促す。
「ミケルドから『大魔法使いに襲われた』という記憶を奪っておけば、ミケルドは、何の疑問も持たずに結婚式に出席し、『ユウト様と私が誓いのキスをしようとするのを目撃』します。そして、『ミケルドの記憶』は『ミシマユカリの記憶』に上書きされ、置き換わります」
その瞬間、ミケルドは『もう一人の三島由香里』となる。
「本来ミケルドに私を殺せる力はありません。ミケルドが私を殺せたのは、貴方が、ミケルドに自分の力の一部を貸し与えていたからでしょう。その力は『ミケルドの記憶』が『ミシマユカリの記憶』に上書きされるのと同時に、使えるようにしておいた」
貸し与えられた力を使い、『もう一人の三島由香里』となったミケルドはホーリーと、シルビア達四人の命を奪った。
「これがもう一つの可能性です」、とホーリーは言う。
「そして、実際に貴方が行ったのは後者……『ミケルドに自分の記憶を上書きする』やり方でした」
「そう確信したのは、どうして?」
「最初におかしいと思ったのは『魔法蛇』です」
真っすぐホーリーを見る三島。ホーリーも真っすぐ三島を見返す。
「『魔法蛇』に捕えられた者は、一切の魔法が使えなくなります。拘束していた相手が何らかの魔法を使用していた場合、その魔法は解除されます」
『魔法蛇』が拘束していた相手が結界魔法を使っていたら、結界魔法は解除される。
『魔法蛇』が拘束していた相手が自分の身体能力を上げる魔法を使っていたら、身体能力は元に戻る。
そして、『魔法蛇』が拘束していた相手が変身魔法を使っていたら、その人間は元の姿に戻る。
「もし、貴方が変身魔法でミケルドの姿になっていたのだとしたら、『魔法蛇』に拘束された瞬間、変身が解けて大魔法使いの姿に戻るはずなのです。しかし、ミケルドはずっとミケルドの姿のままでした」
『魔法蛇』に捕えられたにも拘らず、変身が解けないのだとしたら、理由は二つ。
一つ目は、精巧なマスクを被っていたり、整形していたりと魔法以外の方法で顔を変えていた場合。
もう一つは、『魔法蛇』が捕えたのが『本物のミケルド』である場合。
「次におかしいと思ったのは、『映像魔法』です。あの『映像魔法』には貴方がミケルドを襲っている場面が映っていました。『ミケルドの姿をした貴方』は、ミケルドから記憶を奪った後、彼女を『魔物に喰わせた』と言いました」
しかし、とホーリーは首を振る。
「『ミケルドの姿をした貴方』は、肝心のミケルドが魔物に食べられる場面を私に見せませんでした。『映像魔法』は貴方が実際に見た光景を映像にします。ミケルドを魔物に食べさせたのなら、当然その場面も映像として残るはずです。しかし、その場面を見せずに映像は切られました」
何故、三島はミケルドが魔物に食べられる映像をホーリーに見せなかったのか?
「それは、『ミケルドを魔物に食べさせた』と言う話が嘘だと考えれば、納得できます。貴方は、本当はミケルドを魔物に食べさせてはいなかった」
「……」
三島は笑顔でホーリーを見つめている。
「最後に気になったのが、貴方の態度です」
「態度?」
「『魔法蛇』に捕らわれた貴方は魔法も使えず、今にも殺されそうな状態だったというのに、全く焦った様子がありませんでした。自分が殺されてしまえば、ユウト様は私に奪われるというのに」
「……」
「それがなかったのは、先程まで私と話していた『ミケルドの姿をした貴方』が、『本物』が他に存在していることを自覚していたからです」
『ミケルドの姿をした三島由香里』は、自分が本物ではないことを自覚していた。
そして、『本物の三島由香里』が居ると知っていた。だから、死を恐れなかった。
「以上、三つのことから、私は、貴方がミケルドに自分の記憶を上書きし、『もう一人の自分』を作ったのだと確信しました」
ホーリーは、ハッキリと断言する。
「ちなみに、ミケルドがユウト様の名前を正しく発音出来たのは、『ユウト様と私が誓いのキスをしようとするのを目撃する』まで眠った状態になっていた『貴方の記憶』が、ミケルドに若干の影響与えていたためです」
結婚式前にホーリーがミケルドと逢った時、当然、ミケルドはまだ『ホーリーと安藤が誓いのキスをしようとするのを目撃』してはいない。そのため、三島の記憶はいわば、眠った状態でミケルドの中にあった。
しかし、ミケルドの中に眠っていた『三島由香里』の記憶は、ミケルドに若干の影響を与えていた。
ミケルドが安藤の名前を『優斗』と正しく発音出来たのは、三島の記憶の影響によるものだった。
ミケルドに時々起きていた頭痛は、『ミケルド』の体が、眠っていた『三島由香里の記憶』に対して起こしていた拒絶反応だった。
ホーリーの話を聞いていた三島が口を開く。
「だとすると、私が『ミケルドを通して監視していた』ことにも気付いていたよね?」
「はい、気付いていました」
ホーリーは頷く。
「式場に張られていた結界は、外からの魔法を完全に遮断しますが、中からの情報は外に送ることが出来ます。式場に居たのが、『貴方に記憶を上書きされたミケルド』なのだとしたら、貴方本人は、ミケルドの目を通して、中の様子を見ていた可能性は高いと思っていました」
「何もかもお見通し、か……うん、そうだよ。私は、ミケルドの目を通して全て見ていた。勿論、会話も聴いていたよ。あの『魔法蛇』が封じることが出来るのは、捕えた本人の魔法だけみたいだね。別の人間が、その人間に掛けていた魔法は解くことは出来ない」
三島は「やれやれ」とばかりに首を横に振った。
「君が『もう一人の私』に色々聞いていたのは、会話から私が『ミケルドに自分の記憶を上書きした』ことを確信するためであったのと同時に、ミケルドを通して、式場の様子を見ていた私が奇襲をするように誘導するためのブラフだった……ということか」
三島は、ホーリーを仕留めるのに二重の作戦を立てていた。
一つ目は、自分の記憶をミケルドに上書きし、自分の力の一部を貸し与えた上で、ホーリーを奇襲させる。
二つ目は、奇襲が失敗した場合、ホーリーに三島がミケルドを襲っている『映像魔法』を見せることで、三島がミケルドの記憶を奪い、本物のミケルドは魔物に喰わせて殺したと思わせる。
三島がミケルドを襲う際に、『じゃあ、君の記憶を全部貰うね』と言ったのも、後に『映像魔法』をホーリーに見せることになった場合に、ミケルドの記憶を奪ったかのように見せるため―――実際には条件を満たすことで、自分の記憶がミケルドの記憶を上書きする魔法を掛けていた―――さらに、「ミケルドは魔物に喰わせた」と嘘を付くことで、本物のミケルドは死んだと思わせ、目の前に居るのは、『ミケルドの記憶を奪った三島由香里』だと誤認させる。
そして、ホーリーが『ミケルドの記憶を奪った三島由香里』を殺したと勘違いし、「勝った」と思った所に奇襲を仕掛ける作戦だ。
式が始まり、安藤とホーリーが誓いのキスをしようとするのを目撃したミケルドは、『もう一人の三島由香里』となった。
『もう一人の三島由香里』となったミケルドは、ホーリーの頭を魔法で撃ち抜き、貸し与えられていた力の一部を使って、シルビア以下四人を殺害する。
奇襲は、成功したかに思われたが、『ホーリーが死から蘇る』というイレギュラーな事態が発生したため、失敗に終わる。
そこで、三島は奇襲が失敗した際の作戦を実行しようとした。
ホーリーに『映像魔法』を見せるための方法はいくつか考えていたが、既にホーリーは、此処に居るのが『ミケルドの姿に化けた三島由香里』だと思っている様子だったため、『映像魔法』も簡単に見せることが出来た。
『三島由香里の記憶を上書きされたミケルド』は、完璧に『本物の三島由香里』が取るであろう行動を取った。
『映像魔法』を見せ終えた後も、虚言を織り交ぜ、『三島由香里がミケルドに化けている』と思わせようとした。
しかし、それはホーリーの誘導だった。
ホーリーは自分の目の前に居るのが『三島由香里の記憶を上書きされたミケルド』であると確信した根拠を三つ述べたが、『魔法蛇』に捕らわれてもミケルドの変装が解けなかった時点で、目の前に居るのが『三島由香里の記憶を上書きされたミケルド』である可能性が極めて高いと判断していた。
ホーリーは、『本物の三島由香里』をおびき寄せるために三島に騙された振りをした。
そして、『三島由香里の記憶を上書きされたミケルド』を殺した瞬間、奇襲を仕掛けて来るだろう『本物の三島由香里を、『神罰の剣』で逆に返り討ちにしようとした。
だが、ホーリーにとって誤算だったのは、三島に『神罰の剣』が効かなかったことだ。
「『神罰の剣』で貴方を葬れなかったのは、予想外でした」
ホーリーの言葉を聞き、三島はニヤリと嗤う。
「『私』は協会の信者を一人も殺していない。だから、その『神罰の剣』は私には効かないみたいだね」
そう言う三島に、ホーリーは手をかざして、何かの魔法を発動しようとした。しかし、何も起こらない。
「やはり、『今の貴方』には『魔法蛇』も発動しませんね……」
「そのようだね。君を殺したのも『私』ではなく『私の記憶を上書きしたミケルド』だからね」
『魔法蛇』が拘束し、魔法を封じることが出来るのは『聖女』を殺した人間に限られる。
『神罰の剣』が命を奪う事が出来るのは、『協会の信者を手に掛けた者』だけだ。
そのどちらも、ホーリーの目の前に居る『三島由香里』には当てはまらない。
ホーリーを殺し、シルビアを含む四人の協会信者を殺したのは、三島ではなく『三島由香里の記憶を上書きされたミケルド』だ。
『三島由香里』本人は誰一人として、協会の信者を殺してはいない。
そのため、『魔法蛇』も『神罰の剣』もホーリーの目の前に居る『三島由香里』に対しては、効果を発動できない。
「仕方ありません。『魔法蛇』も『神罰の剣』も貴方に対して使えないというのなら……別の魔法で決着を付けるしかありませんね」
ホーリーの体から、凄まじい量の魔力が溢れ出す。
「ところでさ……君は自分の手で大切な従者であるミケルドを殺してしまったわけだけど、それについてはどう思っているの?」
三島の問いにホーリーは間髪入れず答える。
「ミケルドは貴方に記憶を上書きされた時点で、死にました。私が殺したのは『ミケルドの姿をした貴方』です」
「なるほど……それが君の考えか。よく分かったよ」
三島の体からも、ホーリーと同じく凄まじい魔力が溢れ出す。ホーリーと三島から溢れ出した魔力の影響で式場全体がガタガタと揺れた。
三島は「ふむ」と辺りを見回す。
「提案なんだけどさ……場所を変えないかい?ここで私達がまともにぶつかったら優斗に危険が及ぶ」
三島の提案にホーリーは頷く。
「良いでしょう。私も同じことを考えていました。私達の戦いにユウト様を巻き込むわけには……」
ホーリーはチラリと、安藤に視線を向ける。
そして、目を大きく見開いた。
「ユウト様!」
ホーリーは叫んだ。それは式場の中に響き渡る声だった。
その叫び声を聞いた三島は、後ろを振り返る。
敵から目を逸らすなど、普通なら自殺行為だ。もし、今のホーリーの叫び声が三島を騙そうとしたものなら、三島は間違いなく死んでいる。
しかし、三島は直感で理解した。今のホーリーの叫びは、決して三島を騙そうとしたものではないと。
三島にとってホーリーは、安藤優斗を奪おうとする殺すべき敵。ホーリーにとってもそれは同じだ。
殺し合いに、正々堂々という言葉は存在しない。相手を殺すために、不意打ちもするし、他人も利用するし、様々な嘘も付く。
そんな二人だが、互いに一つだけ認め合っている所がある。
それは、『安藤優斗に対する愛は本物』だということ。
安藤の隣に居るのは、自分だ。という一点は決して譲れない。しかし、三島もホーリーも『安藤優斗を本気で愛している』ということに関してだけは、相手を認め合っていた。
だから、三島には分かった。ホーリーは決して三島を騙そうとして叫んだわけではないと。
ホーリーは、本気で安藤の身を案じて叫んだ。
ホーリーから目を逸らし、三島は彼女の視線の先に居る安藤に目を向ける。
「―――ッッッ!!!」
三島はホーリーと同じく驚愕の表情を浮かべる。そして……。
「優斗!」
気付けば、ホーリーと同じように本気で叫んでいた。
***
「うっ……ううん……」
安藤はゆっくりと目を覚ます。
眠っている間、安藤は夢を見ていた。その夢には一人の少女が出て来た。
安藤が夢の内容を思い出していると、急に背後から誰かに抱きしめられた。柔らかい感触が背中に伝わる。
抱きしめる二本の腕からは『決して安藤を逃がさない』という強い執着が感じられた。
安藤は顔を上げる。三島とホーリーが驚いた表情で、こちらを見ていた。
特に三島は、まるで幽霊でも見たような表情をしている。
「由香里……ホーリーさん……?」
安藤は、疑問に思う。
三島でもホーリーでもないのなら、今、背後から自分を抱きしめている人間は、一体誰なのか?
安藤を背後から抱きしめている人物は、そっと安藤の耳に唇を寄せ、甘い声で囁いた。
「会いたかったです。先輩」
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