第122話 独占欲
「アンドウ君!」
安藤に駆け寄ろうとするアイビー。
だが、アイビーは足を止める。
安藤の口元が歪に嗤っているのが見えたからだ。
次の瞬間、安藤が消えた。
三島が振り下ろした『光る剣』は空を斬る。
「由香里……どうして」
いつの間にか、安藤は三島から離れた場所に居た。
あり得ない移動。明らかに魔法によるものだ。
魔法を一切使えないはずの安藤優斗が、魔法を使った。
「どうして、分かったの?」
安藤は……いや、安藤優斗の姿をしたそれは、三島に尋ねる。
「俺は完全に『優斗』だったはずだ。なのに、なんで分かったの?」
三島は静かに口を開く。
「君が優斗なら絶対に言う事を言わなかったからだよ」
「『優斗』なら絶対に言う事?」
「『ハナビシさんを治してくれ』」
「……!」
「優斗なら、ハナビシ・フルールを治すように私に頼むはずだ。なのに、君はハナビシ・フルールについては何も触れなかった」
それに、と三島は続ける。
「私が『結婚してくれる?』と訊いた時、君は一瞬だけ『嫉妬』の表情をした。それは、君が偽物だから。君は自分から優斗を奪おうとする私に対して嫉妬したんだ」
「どうやら『俺』は由香里を甘く見過ぎていたらしい」
安藤優斗の姿をした者は、指で自分の頭をトントン叩く。
「『俺』が思っているよりも、君は遥かに『優斗』の事を理解していた。今回は、少し『俺』を前に出し過ぎた。もっと完璧に『優斗』になるべきだったね」
三島の手元に視線を向けながら、安藤優斗の姿をした者は言う。
「まぁ、その剣なら本物の『優斗』を斬っても問題ないだろうけどね」
「……」
「その剣は、『浄化魔法』を固定化したもの?」
「そうだよ」
浄化魔法。
回復魔法と同じく、人間などの『生き物』の体を癒す効果のある魔法。
ただし『物に取り憑いた魂』、『闇属性の魔物』には大きなダメージを与える。
「私は『聖女』のような『浄化魔法』は使えない。だけど、少量でも密度を増す事で『浄化魔法』を剣の形に固定化する事に成功した」
傷付いた者は癒すが、『物に取り憑いた魂』、『闇属性の魔物』には大きなダメージを与える剣。
それが、三島が開発した新魔法だった。
「元々『優斗の姿をしている者』が居たら、この剣で斬るつもりでいた。貴方の言う通り、本物の優斗はこの剣で斬られても傷一つ付かないからね」
安藤優斗の姿をした者は、三島が持つ『光の剣』をマジマジと見つめる
「名前を付けるなら『浄化剣』かな?固定化する事によって『浄化魔法』としての威力が高待っている」
「厄介な魔法だ」と、安藤優斗の姿をした者は呟く。
「ところで、いつまで優斗の姿をしているつもりだい?」
三島は冷たい目で安藤優斗の姿をした者を見る。
「偽物と分かっていても、とても不快だ。別の姿になりなよ」
「うん、そうだね。俺もこれ以上、『優斗』の姿を傷付けられるのは嫌だ」
安藤優斗の姿が消える。
代わりに紅い髪をした少年が、その場に現れた。
「……そんな。まさか……!」
見覚えある少年の姿に、アイビーは思わず口を押さえる。
「―――吸血鬼?」
「そうだよ。僕だ」
吸血鬼、クロバラは優雅に微笑んだ。
少年の姿になったクロバラは、三島に尋ねる。
「僕が姿を変えられるって話は、カール・ユニグスから聞いたの?」
「そう。彼が教えてくれた」
三島は頷き、カールとした会話を思い出す。
『カールさん。吸血鬼について何か知っている事はありますか?』
『そうだな……噂だけど、吸血鬼は絶世の美女にも絶世の美男にもなれる。って話を聞いた事がある』
『変身能力があるという事ですか?』
『たぶん……な』
「彼が知っていたのは
だから、三島は安藤を傷付けず、闇属性の魔物である吸血鬼だけにダメージを与えられる『浄化魔法』を改良し、新たな魔法を作ったのだ。
吸血鬼が『安藤優斗』に化けていても、攻撃出来るように。
「さっき、君は私の事を甘く見ていたと言ったけど、それは私も同じだったよ。まさか、あそこまで優斗になれるとは思わなかった」
三島の言葉を聞き、クロバラは笑みを深める。
「僕はね。血を吸った相手になれるんだ。相手の血を吸う事で記憶、遺伝、本人も知らない身体的特徴までも完全に再現出来る。肉体や声だけでなく、性格、仕草、雰囲気、気配までその人間になれるんだよ」
外見だけでなく、記憶や性格、気配まで血を吸った者と同一になる。
それはまさしく『血を吸った人間そのもの』になれるという事。
「なんで……」
アイビーはクロバラに向かって叫ぶ。
「なんで……攻めてきた人間の相手をしに行ったんじゃ……」
「違うよ。人間達を殺しに行ったのは、部下達だけ。僕は行っていない」
クロバラは指を振る。
三島に斬り飛ばされた右腕は、いつの間にか再生していた。
「この大森林にはテレポートを妨害する魔法が張り巡らしてあるけど、僕だけはその影響を受けない。君達には人間と戦いに行くと言ったけど、テレポートした先は、あの家の中だったんだ」
そして、クロバラは家にやって来たアイビーとハナビシを安藤優斗の姿で出迎えた。
「じゃあ、私達がずっと一緒に居たのは……」
「うん。僕だよ。ユウトじゃない。ユウトは今、別の場所に居る」
「どうして……そんな……」
「アイビー・フラワー、彼女が何者か知っているかい?」
「えっ?」
クロバラは三島を指さす。
「彼女はね……『大魔法使い』だよ」
「『大魔法使い』!?」
アイビーは驚き、三島を見た。
「彼女はユウトの幼馴染で、彼に恋をしている。僕や君達と同じようにね」
「……!」
ラシュバ国の『大魔法使い』と言えば、稀代の大天才だ。
その名は世界中に広まっており、魔法を扱う者で知らぬ人間は居ないだろう。
(この女がアンドウ君と知り合いなのは見ていて分かった。アンドウ君を好きな事も……。だけど、まさかこの女が『大魔法使い』だったなんて!)
アイビーとハナビシが敵うはずが無い。
「他にもユウトは協会の『聖女』やイア国の『魔女』にも懸想されているんだよ」
「……―――ッッッ!」
協会の『聖女』もイア国の『魔女』も『大魔法使い』と並び称される程の魔法使い。
(アンドウ君は、そんな人達にまで好かれていたの?)
驚愕の事実の数々にアイビーは目を丸める。
しかし、同時に『アンドウ君の魅力を考えれば、当然かもしれない』と納得もした。
クロバラは続ける。
「僕はね。『ユウトを愛する者全員の血』を吸いたいんだ」
頬が裂けそうな程、クロバラは嗤う。
「ユウトは自身の『特殊能力』によって、これからも様々な者を引き寄せるだろう。僕はユウトに引き寄せられる者全員の血を吸いたいんだ」
「『特殊能力』?」
「ユウトは『自分を好きになる者を引き寄せる特殊能力』を持っている。僕、アイビー・フラワー、ハナビシ・フルール。そして、そこに居る『大魔法使い』は皆、ユウトの『特殊能力』に引き寄せられた者達なんだよ」
クロバラの姿がまたしても変わる。
少年から背の高い女性に、紅い髪は金色の髪へと変化した。
「アンドウへ向けられる愛を私の中で一つにする!そうすれば、アンドウを愛する者は世界で私だけになる!」
クロバラが変身した人物。
それはアイビーの友人、ハナビシ・フルールだった。
「ハナビシ……さん?」
「さっき、顔に『私』の血が何滴か飛んできてな。それを飲んだんだ」
三島の魔法によって、ハナビシは切り刻まれた。その時に飛び散った血をクロバラは飲んだのだ。
今のクロバラは、声も口調もハナビシのものに変わっている。
クロバラは自分に親指を向けた。
「血を飲んだことで私はハナビシ・フルールになった。これでハナビシ・フルールのアンドウへの愛は私のものになった!」
ハナビシの姿でクロバラは両手を上げ、高らかに笑う。その笑い方もハナビシと同じだ。
「これからは、アンドウに引き寄せられる奴の血を片っ端から飲みまくってやるぜ!アンドウに引き寄せられる奴が居なくなるまでな!そいつらがアンドウに向ける愛を全部奪ってやる!アンドウへの愛は全部私のもんだ!」
安藤に引き寄せられる者全ての血を飲み、排除すると宣言する吸血鬼。
それは、安藤に対するおぞましいまでの独占欲の現れだった。
「『大魔法使い』が此処に来るように誘導したのは私だ。正確に言えば、『大魔法使い』『魔女』『聖女』の誰かが来るようにしたんだけどな!」
カール・ユニグスを解放したのも『大魔法使い』、『魔女』、『聖女』の誰かを此処へとおびき寄せるため。
解放すれば必ずカールは安藤を助けようとする。しかし、自分一人では安藤を助けられないと考え、誰かに協力を求めるはずだ。
その人物は、『安藤を大切に思っており』かつ『吸血鬼並みの力を持つ人物』でなければならない。
その条件に当てはまるのが三島由香里、菱谷忍寄、ホーリー・ニグセイヤの三人。
安藤から三人の話を聞いていたカールは、この中の誰かに協力を求めるだろう。
と、クロバラは読んだ。
「ケーブ国の人間が攻めて来たと部下から聞いた時、私は『大魔法使い』か『魔女』どちらかの仕業だと思った。私に大敗して以降、ケーブ国の最高責任者は私と戦う事に消極的だったからな!そんな人間が兵士を率いて突然、攻めて来るのは変だ。私達が人間の相手をしている間にユウトを攫う魂胆なのは、直ぐに分かったぜ!」
ケーブ国の最高責任者を操る事が出来るのは、三人の内『記憶を操作出来る大魔法使い』か『言霊の魔法が使える魔女』の二人だけ。
そして、吸血鬼の元に現れたのは『大魔法使い』三島由香里だった。
アイビーはクロバラに尋ねる。
「最初から、私達の血も吸うつもりで―――アンドウ君の護衛に……」
「当然だろ?」
アイビーに対し、クロバラはハナビシの姿で冷たい視線を向ける。
「お前達もアンドウに引き寄せられた者だからな。しかも―――」
お前達二人は『私のアンドウ』に手を出した!
「―――ッ!」
「ただ殺して血を吸うだけじゃ、この怒りは収まらない。だから、利用してやろうと思ったのさ!囮としてな!」
ハナビシの姿でクロバラはゲラゲラと笑う。
アイビーは最初から、疑問に思っていた。
ブルー・ドラゴンを討伐した報酬として、アイビーは吸血鬼に「私達をアンドウ君の傍に置いてください!」と懇願し、吸血鬼はその願いを認めた。
吸血鬼はアイビーとハナビシを安藤の護衛役にする事で、二人が安藤の傍に居られるようにすると言った。
まず間違いなく吸血鬼を怒らせて死ぬと思っていたアイビーは、吸血鬼が自分達の願いを叶えた事に疑問を持つ。
『もしかしたら、吸血鬼は最初から私達二人をアンドウ君の護衛にするって決めていたのではないか?』
ブルー・ドラゴンを倒した報酬を与えると言えば、アイビー達が「安藤と一緒に居たい」と望む事は簡単に予想出来る。
アイビーの予想通り、吸血鬼は最初から二人を安藤の護衛にすると決めていたのだ。
二人を利用するために。
『聖女』、『大魔法使い』、『魔女』。
三人の中の誰が来たとしても、安藤の傍に護衛が居たら、まず最初にその人間を排除しようとするだろう。
護衛の一人がやられたタイミングで『なんでもするから、もうやめて』とやって来た人物に安藤の姿で言えば、三人の誰であっても「自分と一緒に来て欲しい」と頼むとクロバラは確信していた。
人間が一番油断するのは、欲しいものが手に入ったと確信した時。
安藤優斗が自分の元に帰って来たと思えば、相手は必ず油断する。
クロバラはその瞬間を狙おうとした。
「まぁ、見ての通り、残念ながら奇襲は失敗に終わったけどな」
ハナビシの姿で、クロバラは肩を竦める。
「なるほどね……」
それまで沈黙していた三島が口を開く。
「君が私の血を飲みたい理由は分かったよ。理解は出来ないけどね」
「お前も他人の記憶が読めるんだろ?他人がアンドウに向ける愛も自分のものにしたいとは思わないのか?」
「思わないね」
三島はクロバラの問いをきっぱりと否定する。
「確かに私は他人の記憶を読む事が出来る。でも、君みたいに『他人が優斗に向ける愛』に興味はないよ。あくまで大切なのは『私が優斗に向ける愛』だけだ」
「へっ、そうかよ」
ハナビシの姿で、クロバラは鼻を鳴らす。
「じゃあ、そろそろ始めようぜ。ミシマユカリ。ユウトは私のものだ!」
「優斗は渡さないよ。絶対に」
三島とクロバラ。二人から禍々しい魔力があふれ出る。
空気は重く濁り、辺りが薄暗くなった。
両者がまさにぶつかり合おうとしたその時―――。
「うあああああああ!」
アイビー・フラワーがクロバラに襲い掛かった。
***
ハナビシさんは、一体なんのために……。
安藤を守ろうと、ハナビシは命懸けで戦った。
アイビーと同じく、ハナビシも一目で『大魔法使い』との力の差を感じ取ったはずだ。それでも、ハナビシは立ち向かった。
安藤とアイビーを守るために。
だが、ハナビシが守ろうとした者は安藤ではなく吸血鬼だった。
ハナビシの覚悟も、勇気も、吸血鬼は踏みにじったのだ!
「うあああああああ!」
気付けば、アイビーは怒りの形相でクロバラに襲い掛かっていた。
しかし、それは、あまりに無謀な行動。
「きゃあっ!」
アイビーはクロバラにあっさりと腕を掴まれる。ミチッと鈍い音がした。
「ああっ……ああ……」
ハナビシの姿をしたクロバラは、アイビーを引き寄せ、耳元で囁く。
「アイビー、お前はミシマユカリの次に血を吸ってやろうと思ってたんだけどな……。
「……っ……あああああ!」
クロバラが手に少しだけ力を籠めると、アイビーの腕に激痛が走った。
「だけど、そんなに死にてぇなら、望み通りにしてやるよ!」
クロバラは口を開く。
口の中に人間には無い鋭い歯が生えているのが見えた。
「いや、離して!いや、いや!」
アイビーは抵抗するが、クロバラは手を離さない。
「じゃあな。アイビー」
「いやああああああ!」
ハナビシの姿をしたクロバラがアイビーの首筋に牙を近づける。
アイビーは心の中で叫んだ。
―――助けて。
パン。
鋭い音が鳴った。
同時に吸血鬼の頭が吹き飛ぶ。
吸血鬼の手から力が抜け、掴んでいたアイビーの腕を離した。
「きゃっ!」
バランスを崩したアイビーは地面に倒れそうになる。その直前、誰かがアイビーの小さな体を抱き留めた。
アイビーは目を見開き、その人物の名を口にする。
「ハナビシさん……?」
寸前の所でアイビーを助けたのは本物のハナビシ・フルールだった。
全身血まみれのハナビシが、アイビーを力強く抱きしめている。
「『肉体強化』……二百倍!」
ハナビシは肉体強化魔法で己の脚力を大幅に強化すると、まるでお姫様のようにアイビーを両腕で抱え、信じられないスピードで走り出した。
あっという間に、ハナビシとアイビーはクロバラの視界から消える。
「驚いたぜ。あの怪我でまだ動けるとはな。『私』にも分からなかった」
砕かれた頭が再生すると、クロバラは唇の端を上げた。
ハナビシはどう見ても致命傷を負っていた。魔法を発動するどころか、意識を保つ事すら困難なはずだ。
しかし、ハナビシは動いた。友人を助けるために。
ハナビシの記憶と肉体を得たクロバラでも、彼女の復活は予想外だった。
「ま、いいや。あの傷なら、もう長くない。直ぐに死ぬだろう。『私』が死ねば、アイビー・フラワーは一人だ。すぐ始末してやるぜ!」
クロバラは三島を睨む。
「お前の血を吸った後でな。ミシマユカリ!」
クロバラに禍々しい魔力が漲る。
三島も魔力を集中させた。
「優斗は―――」
「アンドウは―――」
私のものだ!
三島とクロバラ。二つの巨大な力がぶつかった。
大爆発が起きる。
その衝撃で、周囲の木々や美しい花達は一瞬で消し飛んだ。
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