第123話 早く
大森林には『森の掃除屋』と呼ばれている魔物が居る。
彼らは大森林で死んだ動物や魔物の肉を食べ分解し、栄養豊富な土を作る。そして、その栄養豊富な土が巨大な木々を成長させる。
彼らは、大森林には欠かせない存在なのだ。
***
大森林の中をハナビシが走る。
その両腕は、しっかりとアイビーを抱きしめていた。
ハナビシの傷からは絶えず血が流れ、地面へと落ちていく。
「ハナビシさん!止まって。死んじゃう!」
アイビーは必死に呼び掛けるが、ハナビシは止まらない。
「ハナビシさん!」
「ダメ……だ」
息も絶え絶えにハナビシは言う。
「今……止まったら……追いつかれる……」
「―――ッ!」
アイビーは唇を噛む。
確かに、止まれば吸血鬼に追いつかれるかもしれない。とはいえ、このまま走り続ければハナビシの命が危ない。
(どうすれば……わっ)
すると、ハナビシが突然止まった。
「ハナビシさん?大丈―――」
「アイビー、訊いて良いか?」
「何?」
「さっき私が戦った奴ってさ。『大魔法使い』なんだって?」
「私達の話、聞こえてたの?」
「ああ。だけど、ぼんやりとしか聞こえなかったんで、夢か現実が分からねぇんだ。で、どうなんだ?本当にあいつは『大魔法使い』なのか?」
「うん、そうだよ。吸血鬼が言ってた。あの女は『大魔法使い』だって」
「そうか……どおりで強いわけだぜ。ありゃバケモンだな」
ハナビシは苦笑する。
「『大魔法使い』がアンドウを好きだって言うのも、本当か?」
「うん、それも間違いないよ」
「そうか……あんなバケモンにまで好かれるなんて流石『私達の恋人』だな」
「……そうだね」
アイビーもハナビシと同じように苦笑する。
「あと、いくつか訊きたいんだけどよ。この森には『テレポート妨害魔法』が張り巡らせてあるんだよな?」
「うん」
「それから空には『飛行妨害魔法』も張ってあるんだよな?」
「そうだよ」
「じゃあよ。『テレポート妨害魔法』と『飛行妨害魔法』ってどっちが強いんだ?」
「えっ?」
「どっちが強いんだ?」
「―――『テレポート妨害魔法』だと思うけど……それがどうかしたの?」
「そうか」
ハナビシは頷く。
「なぁ、『大魔法使い』がどうやって此処に来たか覚えてるか?」
「どうって……」
「あいつ、空から落ちてきたよな。『飛行妨害魔法』があるのに……」
「あっ!」
ハナビシに言われてアイビーは気付く。
確かにそうだ。『飛行妨害魔法』があるのにも拘わらず、『大魔法使い』は空から落ちてきた。
「まさか、『大魔法使い』は『飛行妨害魔法』を破壊して此処に来た?」
「私はそう思う」
ハナビシはゴホッと咳をする。
「『大魔法使い』は当然、テレポートを使えるよな?」
「間違いなく、使えると思う」
テレポートは高度な魔法。しかし、『大魔法使い』なら、難なく使えるだろう。
「だけど『大魔法使い』はテレポートじゃなくて、飛んでやって来た」
ハナビシは続ける。
「たぶん『大魔法使い』は大森林に『テレポート妨害魔法』と『飛行妨害魔法』が張ってあるのに気付いた。そして、威力が弱い『飛行妨害魔法』の方を壊して大森林に侵入する事にしたんだ」
「待って!それじゃあ、今『飛行妨害魔法』は……?」
「消えているだろうな……」
「―――ッ!」
『飛行妨害魔法』が消えている。
それはつまり、空を飛んで逃げられるという事。
しかし、アイビーもハナビシも空を飛ぶ魔法を使えない。逃げるためには『空を飛ぶもの』を手に入れる必要がある。
「ハナビシさん。あのね……」
「分かってる」
ハナビシは遠くを指さす。
「私の『肉体強化魔法』は身体能力の全てが上昇する。腕力だけじゃなく、視力や聴力も上がるんだぜ?」
血まみれのハナビシはニヤリと笑った。
「さっき、空を飛べるものを見付けた!」
***
大森林には川や湖など、いくつか水源がある。
そこには大森林に生息する動物や魔物達が水を飲みにやって来る。
今、一匹の魔物が湖の水を飲みにやって来た。
「うおおおおお!」
「キッ!?キイイイイイイッ」
突然、物陰からハナビシが飛び出した。不意を突かれた魔物は、あっという間にハナビシに捕獲される。
逃れようと抵抗する魔物の首にハナビシは、腕を巻き付けた。
「暴れるな。首の骨をへし折るぞ!」
ある程度人語を理解出来るその魔物は、ハナビシがそう言うと大人しくなった。
ハナビシが捕まえたのは、ヒッポグリフという魔物だ。
ヒッポグリフは馬の体に鷲の頭部と翼を持つ魔物で、二人程度なら乗せて飛ぶ事が出来る。
「アイビー……もういいぞ。出て来い」
ハナビシが叫ぶと、物陰に隠れていたアイビーが姿を現す。
「捕まえたんだね」
「ああ」
ハナビシはアイビーに言う。
「アイビー。こいつに乗れ」
「うん!」
ハナビシは小柄なアイビーを持ち上げ、大人しくなったヒッポグリフの背に乗せる。
「さぁ、ハナビシさんも早く!」
アイビーはハナビシに手を伸ばす。だが、ハナビシは首を横に振った。
「悪い。私はもう行けそうにない」
「……えっ?」
「頑張ったんだけどな。もう限界みたいだ」
ハナビシは近くの木に寄り掛かると、そのまま地面に腰を落とした。
「ハナビシさん!」
アイビーはヒッポグリフから降りようとする。
「駄目だ。来るな!」
それをハナビシは強く制した。
三島にやられた傷だけでも致命傷なのに、ハナビシは二百倍の『肉体強化魔法』まで発動した。
二百倍まで肉体を強化すれば全身の筋肉や骨にダメージを受ける。さらに長時間使用すれば、脳や心臓にまでダメージが行き、死に至る。
本来なら、ハナビシはとっくに死んでいるはずなのだ。
ハナビシがここまで生きて会話が出来た事は、まさに『奇跡』。ハナビシは友を守るために、人の限界を超える奇跡を起こしたのだ。
だが―――その奇跡は、もうすぐ終わろうとしている。
「行け……アイビー」
「ハ、ハナビシさん……」
「そんな……顔……すんな……ああ、そうだ。忘れるところだった。これを……渡しておくぜ」
ハナビシは懐から袋を取り出すと、それをアイビーに向かって投げた。
アイビーは投げられた袋をキャッチする。中身を確認すると、黒い肉の塊がいくつも入っていた。
「これは?」
「『黒龍』の……ゴホッゴホッ、肉片を乾燥させたものだ。そいつは……魔物の大好物でな。何かの役に立つかもしれねぇ。持って行け。私にはもう……必要ないから……ゴホッ」
咳き込むと同時に、ハナビシは大量の血を口から吐いた。
「……ハナビシさん」
「お別れだ。アイビー。楽しかったぜ!」
目から大粒の涙を流すアイビーに、ハナビシは優しい笑みを向けた。
そして、大声で叫ぶ。
「行け!アイビー」
「くっ!」
アイビーは涙で顔を歪ませながら、ヒッポグリフの胴体を両足で挟むようにして蹴った。
「キィーーー」
ヒッポグリフは大きく鳴き、翼を羽ばたかせる。その大きな体がみるみる内に上昇し始めた。
ハナビシの予想通り、『飛行妨害魔法』が破壊されているのなら、このまま無事に空を飛んで逃げられるはずだ。
しかし、懸念もある。
もし、『飛行妨害魔法』が完全に破壊されていなければ……。
もし、完全に破壊されていたとしても、新たな『飛行妨害魔法』が発動されていれば……。
アイビーとヒッポグリフは丸焼となって地面に叩きつけられる。
ヒッポグリフがどんどん上昇していく。
(『飛行妨害魔法』の効果範囲まであと7カメオ(7メートル)、6カメオ,5カメオ、4カメオ……)
3、2、1……。
ヒッポグリフが『飛行妨害魔法』の効果範囲に到達した。アイビーは、ぎゅっと目を閉じる。
……………………………………………………………何も起きない。
アイビーは目を開けた。
彼女も、そして彼女を乗せて飛ぶヒッポグリフも無事だ。
『大魔法使い』によって、『飛行妨害魔法』は完全に破壊されていた。
そして、まだ再発動されていない。
ヒッポグリフはそのまま空を駆ける。
アイビーは大森林からの脱出に成功した。
しかし、アイビーの顔に笑顔は無い。
「……ハナビシさん」
アイビーは下を見る。最後にもう一度ハナビシを見るために。
だが、ハナビシの体は巨大な木々に隠され、その姿を見る事は二度と出来なかった。
***
上を見ていたハナビシは、「ほっ」と息を付く。
巨大な木々のせいで見えないが、アイビーとヒッポグリフが落ちて来る様子はない。どうやら脱出に成功したようだ。
「ああ……良かった」
木に寄り掛かる体勢で座っていたハナビシは、そのまま地面に横になる。
「痛てぇ、痛てぇよ―――」
アイビーの前では強がっていたが、ハナビシの全身には凄まじい激痛が走っていた。
よく耐えられたと、自分でも思う。
「……もう、だめだな」
死が、あと一歩という所まで来ている。
怖い。だが、恐怖よりも安らかな気持ちの方がハナビシの心を満たしていた。
ハナビシは幼少の頃、親の愛を知らずに育った。父親は彼女に暴力を振るい、母親は見て見ぬ振りをした。
そんなハナビシには『肉体強化魔法』の才能があった。ある日、魔法使いが彼女を弟子に取りたいと両親に申し込む。
彼女の両親は何の葛藤もなく、あっさりハナビシを魔法使いに引き渡した。
ハナビシの師匠の名前は、キャリー・スノー。
師匠であるキャリーは、ハナビシに『肉体強化魔法』の修行をするのと同時に『他人を思いやる心』も教えようとした。
しかし、その教えはハナビシに届かなかった。
ハナビシは修行によって強力になった『肉体強化魔法』を使って父親を半殺しにした後、家の金を盗み、逃げた。
その後、喧嘩を繰り返していたハナビシの前に吸血鬼配下の魔物が現れる。
吸血鬼配下の魔物達を一度は退けたハナビシであったが、二度目の襲撃で捕まり、この大森林へと連れて来られた。
ハナビシは「フッ」と笑う。
「攫われた先で、友人と恋人が出来るなんてな……皮肉なもんだぜ」
愛する男と、友人の少女。
短い時間ではあったが、かけがえのない者を手に入れる事が出来た。
しかし、心残りもある。
一つは師匠であるキャリーの事だ。
飛び出して以来、ハナビシは師匠に逢っていない。
『強さとは、争いに勝つことではありません。本当の強さとは、誰かを守る心の強さのことを言うのです』
キャリーはいつも、ハナビシにそう言っていた。
あの時は全く理解出来なかったが、今のハナビシには師匠の言葉の意味が良く分かる。
―――もう一度、師匠に逢って謝りたい。
それが心残りの一つ。
もう一つの心残り。
それは『最後に本物の安藤に逢いたい』だった。
(本物のアンドウに手を握ってもらって、あいつの胸の中で死ねたら最高だっただろうな。ま、いっか)
自分が命を懸けて守ったのが安藤優斗ではなく吸血鬼だったと知った時、ハナビシは愕然とした。
だが、本物の安藤が無事だと知り、安心した。
恋人の安藤は無事で、友人のアイビーも助かった。
それだけで十分だ。それだけで……。
(さて、そろそろ死ぬとするか)
ハナビシは静かに目を閉じる。このまま息を引き取れば、彼女は幸せに人生の幕を閉じる事が出来た。
―――このまま死ぬ事が出来れば……。
***
「キュルルルル」
「キュルルルル」
可愛らしい鳴き声が聞こえた。
何か居るのか?ハナビシは目を開ける。
ハナビシの周囲には、いつの間にか小さな魔物達が集まっていた。
彼らは、動けないハナビシを取り囲んでいる。
「ひっ!」
ハナビシは戦慄した。その魔物達は可愛らしい鳴き声とは真逆の姿をしている。
目は無く、体はミミズのように細長い。ヌメヌメとした体液を出しながら、地面を這うように移動している。
デス・ワーム。
目は完全に退化しており、鋭い嗅覚と聴覚、そして触覚を頼りに獲物の位置を把握する。
彼らは『森の掃除屋』と呼ばれている。
普段は土の中で生活しており、死体が近くにあれば土から這い出てそれを食う。そして、一度の食事で何年も生きる事が出来る。
思考能力は、ほぼ無い。
彼らにあるのは睡眠欲と性欲、そして食欲だけだ。
「キュルルルルル」
「キュルルルルル」
「キュルルルルル」
彼らが鳴くのは「此処に獲物があるぞ」と仲間に知らせる合図。その鳴き声を聞き付け、次々とデス・ワームが集まってくる。
「な、なんだ?お前ら!」
「キュルルルルル」
「あ……あっちに行け!」
「キュルルルルル」
「来るな!」
「キュルルルルル」
「来るなよ!」
ハナビシは口を動かすが、ほとんど声に出ない。手足も全く動かない。
デス・ワームは死体を食べる。
死体は抵抗しないし、反撃しないし、逃げたりもしない。
非力な彼らが『生きている獲物』を食べる事は滅多にない。
しかし『ほとんど死んでいる獲物』であれば話は別だ。
抵抗せず、反撃せず、逃げない獲物。それは彼らにとって死体と同じ。
「キュルルルルル」
「キュルルルルル」
「キュルルルルル……」
「キュルル……ルル……」
「キルルルルルルルル」
デス・ワームの鳴き声が変わった。
それは、食事開始の合図。
デス・ワーム達が口を開く。
大きく開かれた口からは、鋭い歯が無数に並んでいるのが見えた。
「や、やめ……きゃああああああ!」
何百というデス・ワームが一斉にハナビシに襲い掛かった。
整った顔も、長く綺麗な金髪も、大きな胸も、引き締まった手足も……。
デス・ワームに食われていく。
「いや……いやだ……やめて、いや……グボッ」
痛い。気持ち悪い。
デス・ワームはハナビシの口の中からも侵入し、体内を食い荒らしていく。
体の中を蟲達が這いずる嫌悪感。自分の体が消えていく恐怖。
優しくしてくれた師匠。
初めて出来た友人。
そして、愛しい人に逢った時の高ぶる胸の鼓動。
それらの思い出が消える。
先程まで感じていた安らかな気持ちは、嫌悪感と恐怖に塗り潰された。
―――痛い、やだ、気持ち悪い。やめて、お願い。嫌だ。ごめんなさい。許して。もう悪い事はしません。だから、助けて。やめて、気持ち悪い、気持ち悪い。いやだ。助けて、お願い。助けて、助けて。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。
―――早く、死なせて。
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