第72話 ブラッディ・ウエディング⑲
「うん、分かったよ。リーム」
安藤はゆっくりと口を動かす。
「『菱谷、由香里、ホーリーさん。今すぐ……』」
そこで、安藤は言葉を切った。
「『……今……すぐ……』」
安藤は声を出そうとする。しかし、そこから先の言葉が出ない。
「アンドウ?」
「……嫌だ」
「えっ?」
「い、嫌だ……そんなこと……言いたくない!」
安藤は首を激しく横に振った。
「だって……俺がその言葉を口にしたら……菱谷や、由香里や、ホーリーさんは……本当に死ぬんだろ?そんなの……絶対に嫌だ!」
「―――ッ!」
「ごめんリーム……愛する君の頼みでもそれは……その頼みだけは、絶対に聞けない」
頭を押えながら、安藤はリームに謝罪した。
「……アンドウ。目を見せて」
リームは安藤の目を覗く。
「『誘惑の魔法』の効果は、まだ続いている。なのに……」
「それが、ユウト様です」
リームの視線の先に、笑顔のホーリーがいた。
「魔法で操られていたとしても、相手がどんな悪人でも……人を傷付ける事だけはしない。それがユウト様……私の愛する夫なのです」
誇らしく、そして、嬉しそうにホーリーは笑みを深めた。
「お前は、先輩を何も分かっていない!」
次に、菱谷が叫んだ。
「先輩は、私を助けてくれた。絶望の中にいた私を救い出してくれたんだ!たとえ、どんな魔法に掛かっていたとしても、そんな先輩が私を傷付けるはずがない!」
菱谷は、唇の端を上げて嗤った。
「優斗はね。名前の通り、優しい人なんだよ」
最後に三島が口を開く。
「私は、昔から優斗のことを知っているけど、優斗が誰かを傷付ける所なんて、見たことがない。優斗が誰かを傷付けるなんて、あり得ないことなんだよ」
三島は、柔らかく微笑んだ。
「………」
三人の言葉を聞いたリームは、目を細める。
さあ、アンドウ。三人に命令して!
『今すぐ死んで』って!
そうリームが安藤に頼んだ時、菱谷、三島、ホーリーの三人は全く動揺しなかった。
たとえ魔法の支配下にあったとしても、安藤が自分達を殺す頼みを聞くはずがない。
彼女達は、そう確信していたのだ。
「まさか、『誘惑の魔法』に抗うなんて……」
リームは心底驚いている。
「これまで多くの人間に『誘惑の魔法』を掛けてきたけど……『誘惑の魔法』に掛かった状態で私の頼みを聞かなかったのは、アンドウ。君が初めてだよ」
リームは安藤の頬に振れる。
「アンドウ。君なら……もしかして……」
安藤の頬から、そっと手を放し、リームは言った。
「分かった。アンドウを使って貴方達を殺すことは諦める。アンドウが貴方達を殺す頼みを拒む以上、私に貴方達を殺す方法はない」
サキュバスは非力だ。とても三人の防御魔法を上回る攻撃など出来ない。
もし、『三人に防御魔法を解くように命令して』と安藤に頼んでも、それが三人を傷付けることに繋がる以上、安藤はその頼みを断るだろう。
「でもね……!」
リームの目が鋭く光る。
「アンドウは連れて行く。私の―――のために!」
そう言うと、リームは大声で叫んだ。
「アンドウ、『聖女』に言って!『テレポートを妨害している魔法を解いて』って!」
「うん……分かった」
リームの頼みを、安藤は聞いた。
「『ホーリーさん。テレポートを妨害している魔法を解いて』」
安藤の言葉をリームがテレパシーでホーリーに届ける。その瞬間、ホーリーの全身に快感にも似た衝撃が走った。
「くっ……」
ホーリーは顔を紅くしながら、リームのテレポートを阻害していた魔法―――【ノイズ】を解いた。
リームが安藤に掛けた『誘惑の魔法』の効果自体は今もなお続いている。
安藤に『誰かを傷付ける命令』をするように頼むことは出来ないが、それ以外の命令なら、頼むことが出来る。
【ノイズ】が解除されたのを確認したリームは、さらに続けて安藤に言った。
「アンドウ。今度は三人に『もし、俺を監視する魔法や俺の位置が分かる魔法を発動しているなら、それを解除するように』言って!」
「『皆、もし俺を監視する魔法や俺の位置が分かる魔法を発動しているのなら……それを解除して』」
安藤の言葉をリームがテレパシーにして菱谷、三島、ホーリーに届ける。
すると、三人全員が安藤に対して発動していた『相手を監視する魔法』及び『相手の位置が分かる魔法』を解いた。
「やっぱり、三人ともアンドウを監視する魔法や位置が分かる魔法を発動していたね」
リームは、フッと笑う。
「これでもう、貴方達は私とアンドウを追うことが出来なくなった」
リームは目を閉じて、何かをブツブツと呟き始める。それは、テレポートを発動するために必要な座標の計算だった。
テレポートを使える魔法使いは少ない。
座標の計算がとても複雑だからだ。座標の計算が出来ないとテレポートは発動しない。
たとえ座標の計算が出来たとしても、計算間違えをしてしまうと、どこか別の場所に跳んでしまう。
座標の計算を間違えたまま、テレポートを発動したがために、危険な場所に跳んでしまい、命を落とした者もいる。
そのため、テレポートをする際は、綿密に跳ぶ先の座標を計算しなければならない。
座標の計算を一瞬で終わらせ、テレポート出来る魔法使いなど、極々限られるのだ。
リームが座標の計算をしている間、彼女は完全に無防備だ。
攻撃するチャンスだが、『テンプテーション・テレパシー』の効果はしばらく続く。
菱谷、三島、ホーリーは安藤にされた『動かないで』という命令にまだ縛られていた。
やがて、リームは静かに目を開く。
「座標の計算が終わった。これで『私の故郷』にテレポート出来る」
リームは安藤に手を伸ばした。
「さぁ、行こうアンドウ。私の故郷へ」
「うん。行こう。リーム……」
差し出されたリームの手を、安藤は取ろうとする。
「先輩!」
「優斗!」
「ユウト様!」
菱谷、三島、ホーリーが同時に叫んだ。
「行かないでください!」
「行ったらダメだ!」
「行っては駄目です!」
必死に懇願する三人を安藤は悲しそうな目で見た。
「ごめん。皆」
安藤の表情が歪む。
「だけど、俺、行かなくちゃ……」
安藤は、リームの手を取った。リームも安藤の手を握り返す。
光が二人を包んだ。二人を包んだ光は、しばしの間点灯し、消える。
光が消えた時、安藤とリームの姿はどこにもなかった。
***
少年は、魔物の少女と共に消えた。
三人の、彼を愛する少女達を残して……。
こうして、『
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