第71話 ブラッディ・ウエディング⑱

 歴史は、ほんの些細なことで大きく変わる。


 あの時、ああしていれば……、あの時、別の道を選んでいれば……。小さな選択がその後の未来を大きく変える。


 ホーリー・ニグセイヤはミスを犯した。

 彼女が安藤を眠らせていなければ、サキュバス……リームは、安藤の夢の中に入れなかった。


 三島由香里はミスを犯した。

 ホーリーを殺した後、彼女は―――正確に言えば、あの時、あの場に居たのは『三島由香里の記憶を持ったミケルド』であったが

―――シルビアなどの邪魔者を排除せずに、すぐに安藤を連れてその場から逃げるべきだった。

 

 菱谷忍寄はミスを犯した。

 皆の前に姿を現した時、彼女は、その場に留まらずに、テレポートで安藤と共に去ればよかった。


 そして、菱谷忍寄、三島由香里、ホーリー・ニグセイヤの三人は共通のミスを犯した。


【魔法契約書】で契約を結ぶ時、彼女達は皆、『自分が必ず安藤に選ばれる』と確信していた。

 その慢心故に、彼女達はの存在に思い至れなかった。


 もし、ホーリーが安藤を眠らせていなければ。

 もし、三島が安藤を連れて逃げていれば。

 もし、菱谷が安藤を連れ去っていれば。


 安藤の運命は、大きく変わっていただろう。


***


「君の行く所なら、俺はどこにでも行くよ」

 一緒に故郷に来て欲しいと言うリームに、安藤はそう答えた。


「【ノイズ】」


 安藤とリームの会話に割って入るように、ホーリーが魔法を唱えた。空中に「ジジッ」というノイズが発生する。

「なにやら、不穏な会話が聞こえましたので、とりあえず、テレポートが出来ないようにさせてもらいました」


【ノイズ】

 その名の通り、魔法を発動した者の周囲の空間にノイズを発生させる魔法。これにより、テレポートを使おうとする際に行わなければならない座標の計算を、妨害することが出来る。


「この魔法は、そこにおられる『魔女』や『大魔法使い』のように、【ノイズ】による妨害すらも座標の計算に組み込む事が出来る方に対しては効果がありません。しかし、貴方にそんな高度な計算は出来ませんよね?サキュバス」

「……『聖女』」

「貴方のテレポートを防ぐには、この魔法で十分です」

 リームは怯えた目でホーリーを見る。

「……邪魔を……する気?」

「当然でしょう」

「そう……」

 リームは怯えながらも、安藤をギュッと抱きしめる。

「本当は、アンドウを連れて直ぐに此処から消えるつもりだったんだけど……仕方ないね」

 リームは、安藤を抱きしめながらホーリーを見た。


「貴方を倒して、アンドウを連れて行く」


「本気でおっしゃっているんですか?」

「……もちろん」

「貴方が私に勝てるとでも?」

「勝てるよ」


『夢魔』は決して強い魔物ではない。それでも、リームは迷いなく答えた。


「普通なら、何万回……いえ、何億回やっても、私じゃ貴方には勝てない。だけど、今は違う。


 ホーリーは僅かに首を横に傾ける。

「ユウト様を人質にでもするつもりですか?」

「そんなことしないよ。アンドウには、まだ『やって欲しい事』があるからね」

「『やって欲しい事』とは?」

「話す必要はないわ」

「……」


 対峙する『サキュバス』と『聖女』。

 その会話に、三島が加わる。

「あれが女型の夢魔、サキュバスか……人間の夢の中に出てきて、その人間の精気を吸い取る魔物だね」

 三島は、安藤とリームを見たまま、ホーリーに問う。

「『聖女』、あのサキュバスは何だい?随分と、君に怯えているみたいだけど?」

 ホーリーは答える。


「あのサキュバスは、私が捕まえていた魔物です」


「捕まえていた?」

 三島は、僅かに眉根を寄せた。

「何のために?」

「……」

「答えたくないか……まぁ、良いよ。。サキュバスを捕まえる理由なんで限られているからね」

 三島は、軽くため息を付いた。

「それで?君が捕まえていたはずのサキュバスが、どうして此処にいるんだい?」

「……あのサキュバスは夢を通じて、ユウト様と接触したものと思われます」

「夢を通じて?」

「はい」

 ホーリーは自分の考えを話す。


「先程、私がユウト様を眠らせた時です。サキュバスはユウト様の夢に侵入し、そこでユウト様と魔力で繋がったのでしょう」

「ああ、あの時か。優斗が眠る所は『私の姿をしたミケルド』の目を通じて、視ていたよ」

「さらに、サキュバスは現実の世界でユウト様に自分の名前を呼ばれると、ユウト様の元にテレポートするようにしておいた。サキュバスの檻は特別製で、中からテレポートなどの移動魔法は出来ないようにしていましたが、『魔力で繋がったユウト様に呼ばれる』という形でなら、テレポート出来ると気付いたようです」

「なるほどね」

 三島は頷くと、次にサキュバスに問い掛けた。


「サキュバス……いや、優斗は『リーム』と呼んでいるね。それが君の名前?」

「ええ」

「それじゃあ、私も『リーム』と呼ぶことにするね。良い?」

「……ご自由に」

「それじゃあ、『リーム』。訊いていいかな?」

「何?」

「優斗の様子がおかしい。君は優斗に『誘惑の魔法』を掛けた?」

 三島の質問に、リームは首を縦に振る。


「……ええ、アンドウに『誘惑の魔法』を掛けたわ」


「やはり、そうか……サキュバスは『誘惑の魔法』が使えると、本に書いてあったからね」


『誘惑の魔法』。

 相手を自分に惚れさせる魔法(ただし、魔法を発動した者の性別が、恋愛対象の相手にしか効果は無い)。


 一見、単純そうな魔法だが、この魔法を使うためには『魔眼』という人間には無い特別な『目』が必要になる。

 そのため、『誘惑の魔法』は、『魔眼を持たない人間には使えない魔法』とされている。

 菱谷、三島、ホーリーでさえもこの魔法を使うことは出来ない。

 ホーリーよりも数世代前の『協会の聖女』が、この魔法を使えたという噂があるが、それも真偽は不明だ。


「リーム。優斗に掛けた『誘惑の魔法』を解いてくれない?そして、優斗から離れて欲しい」

「……いいえ、それは出来ないわ」

 リームは首を横に振る。


「だって、『誘惑の魔法』を解いてアンドウから離れたら、貴方、私を殺すつもりでしょう?」


「……!」

「貴方からは、凄まじい『嫉妬』の匂いがする。冷静を装っているけど、貴方は私を殺したくて仕方が無いはず。違う?」

「……」

 断言するリームを無言で見つめる三島に、ホーリーが話し掛ける。

「『大魔法使い』。サキュバスは、人間の『恋』や『愛』に付け込む魔物です。人間が発する『恋』や『愛』、そして『嫉妬』の感情にも敏感なのでしょう」

「……そのようだね」

 三島は頷く。


「確かに、私は君に腹を立てている。優斗に『誘惑の魔法』を掛け、優斗に触れている君が憎くてしょうがない」


 三島は淡々と話す。

「それに、優斗が君の名前を呼んだせいで、【魔法契約書】による契約が無効になったからね。もう少しで邪魔な二人を排除して、優斗を完全に私のものに出来たのに。全く……」

 三島の体からオーラが漏れる。それは、暗く冷たい。

「リーム。君が『誘惑の魔法』を解く気が無いのなら仕方ない。君を殺すしかないね」


『誘惑の魔法』を解く方法は三つ。

 一つ目は、『誘惑の魔法』を掛けた本人が魔法を解く。

 二つ目は、時間切れによる解除。個人差もあるが、『誘惑の魔法』は相手に魔法を掛けてから、十五時間から三十時間が経過すると、自然に解除される。

 三つ目は、魔法を掛けた本人の『死』。魔法を掛けた本人が死ねば、『誘惑の魔法』は解除される。


 リームは、『誘惑の魔法』を解除する気が無い。

 そして、『誘惑の魔法』が解除されるまで最低でも後、十時間以上ある。そんなには待てない。

 ならば、リームを殺すしかない。


「……!」

 リームは咄嗟に、安藤に隠れるように動いた。

 三島がリームを魔法で攻撃した場合、安藤を巻き込んでしまう可能性がある。

 三島は「うん」と短く口にした。

「この位置からだと、私には君を殺せそうもないね……」

 三島は両手を軽く上げる。


……ね」。


 その時、ある人物が大声を上げた。


「貴様!いつまで先輩に抱き付いている!」 

 声の主は、まるで悪鬼の如く顔を歪めた菱谷だった。

「『今すぐ、先輩から離れろ!』」

 菱谷は、リームに『言霊の魔法』を発動した。


「―――ッ!」

 リームの腕と足が勝手に動く。腕は安藤を離し、足は安藤から距離を取ろうと、後ろ向きに歩き始めた。

「………くっ!」

 リームは抵抗しようとするが、足は止まらない。『言霊の魔法』に逆らうことは出来ない。

 菱谷は、リームが安藤からある程度離れたら、次はこう命じようとしていた。


『自害しろ』、と。


 菱谷は、リームが自害した際の返り血を安藤が浴びないように、安藤から離れきるまで待つ。

 菱谷が何をしようとしているのか察した三島とホーリーは、その様子をじっと見つめていた。


「アンドウ!」

 リームは安藤に訴える。

「助けて!」

 安藤は走った。自分から離れようとするリームの体を強く抱きしめる。

 そして、安藤は大声を上げた。

「『やめろ!』」


 


「「「―――ッッ!!!???」」」」

 三人の全身に快感に似た衝撃が走る。

 菱谷だけでなく、三島とホーリーも動きを止めた。


「……先輩?」

「ユウト様の声が……?」

「これは……テレパシーか?いや、何か違う……?」


 三人が困惑していると、安藤はさらに続けて、菱谷に叫んだ。


「『菱谷、今すぐリームに掛けた魔法を解いてくれ!』」


「……ッッっ!」

 安藤に抱き付いた女を許すことなど、菱谷には出来ない。例え、それが安藤の頼みであってもだ。

 しかし、今の菱谷は

「―――先輩……」 

 菱谷の顔がたちまち紅く染まった。

 まるでとろけるような表情で、菱谷はリームに向けて新たな『言霊の魔法』を発動する。


「『自由にしていい』」


 リームに掛けられた『言霊の魔法』の効果が、新たな『言霊の魔法』により打ち消される。

 リームは、自由を取り戻した。

「大丈夫?リーム」

「ええ。ありがとうアンドウ」

 安藤とリームはまたも抱きしめ合う。


「どうして……私……」

 菱谷は、自分がしたことに驚いている。体中が熱く、心臓の鼓動が異常に早い。 

「―――ッ!」

 その様子を見ていたホーリーは魔法を発動しようと動いた。


 ホーリーが発動しようとしている魔法は『浄化魔法』。

 先程、菱谷(の人形)に対して使った魔法だ。

 人間や生物を癒す効果があるのと同時に、『闇属性の魔物』や『物に取り憑いた魂』にダメージを与える効果がある。

 闇属性の魔物である『夢魔』は、『浄化魔法』で殺すことが出来る。

 しかも、『浄化魔法』なら安藤を傷付けることも無い。


 三島もリームを狙いやすい位置に移動し、魔法を発動しようとする。


 だが、ホーリーや三島よりも先に、リームが動いた。


「お願い、アンドウ。三人に、動かないように言って!」

「『菱谷、由香里、ホーリーさん!動かないで!』」

 三人の頭の中に、またしても安藤の声が響く。


 菱谷だけでなく、ホーリーと三島の頬も紅く染まった。心臓の鼓動が激しく高鳴る。

 ホーリーは『浄化魔法』の発動を止め、菱谷と三島も動きを止めた。


 菱谷、三島、ホーリーは安藤の言葉通り動けなくなってしまった。

「サキュバス……私達に何を……したのですか?」

 ホーリーの問いに、リームは答える。


「別に。ただ単に、アンドウの声をテレパシーに変換して、貴方達の頭の中に直接届けただけだよ」


「それは……おかしい」

 三島は、顔を紅くしながらリームの言葉を否定する。

「私は……自分の意志に反して……優斗の言葉に従っている。唯のテレパシーにそんな効果は……ない」

「そうだね。人間が使うテレパシーにはそんな効果は無い。だけど、夢魔のテレパシーは違う。夢魔のテレパシーには人間のテレパシーには無い特性があるの」

「特性?」



「「「……!」」」

 菱谷、三島、ホーリーは目を大きくした。魔物の本にもそんなことは書いていない。

「知らないのも無理はないよ。この特性が発揮されるためには、『相手が自分に好意を抱いている』っていう特殊な条件が必要になるからね。滅多に使われることはない」

 リームは、少しだけ笑う。


「私達、夢魔はこの特性を『テンプテーション・テレパシー』って呼んでいる」


『テンプテーション・テレパシー』

 夢魔が自分に好意を抱いている相手にテレパシーで命令をした場合、その相手は夢魔の命令を聞いてしまう。

 この効果は、夢魔が人間の思考や声をテレパシーで届けた場合でも、同じく発現する。

 夢魔がテレパシーを送った先の相手が、テレパシーの送り主の人間に惚れていれば、相手はその人間の命令を聞いてしまう。


『テンプテーション・テレパシー』は、相手が好意を抱いていればいるほど、強い効果を発揮する。


 リームは次のようにして、菱谷、三島、ホーリーを操った。


①安藤に菱谷、三島、ホーリーに対して命令をするよう頼む。

   ↓

②『誘惑の魔法』を掛けられた安藤はリームの言う通り、菱谷、三島、ホーリーに命令する。その声をリームがテレパシーとして、三人に送る。

   ↓

③『テンプテーション・テレパシー』の効果によって、菱谷、三島、ホーリーは安藤の命令に従ってしまう。


 つまり、リームは『安藤を介し、菱谷、三島、ホーリーを操ったのだ』。


「言ったでしょう?って」


 リームは静かに佇む。

「貴方達がどれほど、アンドウの事を愛しているか『夢魔』である私にはよく分かる。貴方達は、最早『狂気』と呼べる程、アンドウの事を愛している。


 先程も説明した通り、『テンプテーション・テレパシー』は、相手が好意を抱いていればいるほど、効果を発揮する。


 安藤に狂気的な愛を抱いている菱谷、三島、ホーリーに対して、『テンプテーション・テレパシー』は菱谷の『言霊の魔法』を超える効果を持つ。

『相手を操作する魔法』が通用しない特性を持っているホーリーでさえも、『テンプテーション・テレパシー』からは逃れることが出来ず、安藤の言葉に従ってしまう程に。


 リームは、『テンプテーション・テレパシー』の効果を受け、動けないでいる三人を見ながら、何かを考える。

「……うん、決めた」

 リームはゆっくりと口を開く。


「『聖女』、私は……今から貴方を殺すことにした」


 リームの言葉に、ホーリーは目を細める。

「復讐のつもりですか?」

「いいえ、違う。復讐なんかじゃない」

 リームは首を横に振る。


「私が貴方を殺すのは……怖いから」


 リームは自分の肩を抱き、震える。

「さっきも言ったけど、私は、アンドウを連れて直ぐに此処から消えるつもりだった。でも、考えが変わった。今、貴方を殺さなければ、これからずっと、私は貴方に怯え続けることになる。血を抜かれる痛みと肉を取られる恐怖を思い出しながら……」

 深く息を吸い、リームは自分の呼吸を整える。


「人間も、自分達を襲う獣や魔物を殺すでしょう?それと同じ。私は、貴方が怖いから……貴方を殺すわ」


 そう宣言するリームを、ホーリーはじっと見つめる。

「貴方に私が殺せるでしょうか?」

「……いつかは、殺せるよ」

 リームは頷く。

 

「アンドウの目を通じて視ていた。貴方は死んでも蘇る。だけど、それは無限じゃないはず。貴方の。貴方が本当に死ぬまで、何回でも殺し続けるわ」


「……」

「本当は、こんなことしたくないけど……仕方がないよね。貴方も私に同じことをしてきたんだもの。私も貴方と同じことをするだけ」

 リームはそう言うと、ホーリーから視線を外し、菱谷と三島を見た。


「申し訳ないけど、貴方達二人も殺すわ。理由は『聖女』を殺すのと同じ。『貴方達が怖いから』」


「……」

「……」

 菱谷と三島は、無言でリームを見る。

「貴方達二人に恨みはない。だけど、今ここで殺しておかないと、『聖女』と同じく、貴方達は私を殺すまで、ずっと私を追い続ける……。その前に貴方達二人も殺さなくてはいけない……怖いから」


 恨むなら、私を捕まえて酷いことをした『聖女』を恨んでね。と、リームは二人に言った。


「さあ、アンドウ。三人に命令して!」

 リームの蒼い目が紅く染まる。その紅い目で、リームは安藤の目をじっと覗き込んだ。


「『今すぐ死んで』って!」

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