第42話 人を助ける才能

「ユウト様」


 ベッドで寝ている安藤の耳に、心地よい声が聞こえた。

「ユウト様」

 優しく、囁くようにその声は安藤の名前を呼ぶ。

 その声に導かれるように、安藤はゆっくりと目を開けた。

「んっ……?」

 ぼやける視界。それが段々と鮮明になっていく。


 銀髪の美しい少女が、微笑みながら安藤の顔を覗いていた。


 銀髪の少女は、ワンピースに似た白い服を着ている。その服には、見覚えがあった。

 安藤は、まどろむ頭で少女の名前を言う。


「……んっ……ホーリーさん……?」

 ホーリーは花のように笑う。

「はい、私です。ユウト様。『貴方の運命の相手』の……私です」


 その瞬間、安藤の体から眠気が一気に吹き飛んだ。

「えっ……ええっ!?」

 安藤はベッドから勢いよく上半身を起こす。

「な、なんで此処に……!?」

「会いたかったです。ユウト様」

 ホーリーは安藤に抱き付くと、再び安藤をベッドに押し倒した。

 そして強引に、安藤の唇の上に自分の唇を重ねる。

「……んっ」

「ホ、ホーリーさん……や、やめてくださ……くうっ!」

 安藤はホーリーを引き剥がそうとする。しかし、ホーリーはさらに強く、安藤の唇に自分の唇を押し付けた。

「……んっ、んんっ」

「―――ッッ……うっ、ううっ!」


 安藤は思う。一体、どうしてこんなことになってしまったのだろう?


***

 

「失礼します」


 その日、ほとんど訪ねる人間の居ない安藤と三島の住む家を、ある男が訪れた。

 男は冒険者ギルドの人間で、安藤と三島は彼に何度か会ったことがある。

「お二人にお話ししたい事があります。よろしいでしょうか?」

「どうぞ」

 三島は男を家の中に招いた。


「こんな山奥にワザワザお越しくださりありがとうございます。それで?本日はどのような?」

 三島は男にお茶を差し出すと、要件を尋ねた。

 この場には三島と冒険者ギルト所属の男、そして安藤も同席している。

「まず、お二人が育てられている薬草ですが、とても評判が良く冒険者達からの注文が相次いでいます。そこでギルドとしましては、一度にもっとたくさんの薬草を仕入れたいと考えています。可能でしょうか?」

「はい、魔法を使えば可能です」

「本当ですか?ならば是非、お願いしたい」

「畏まりました」

「それで、価格なのですが……」

「今後、仕入れて頂ける量にもよりますが、今までよりも一~二割程でしたら、値引きが可能です」

「これからは、このぐらいの量を仕入れたいと考えています」

 男は紙を取り出し、三島に見せる。

「この量でしたら二割、値引きが可能です」

「そうですか。実は今日、契約書を持参しています。可能でしたらサインを頂けますか?」

「拝見させていただいてもよろしいですか?」

「もちろんです。どうぞ」

 男が契約書を渡すと、三島はそれを一秒で全て読んだ。

「……なるほど、不備などはないですね。では、サインいたしましょう」

「お話が早くて助かります。では、よろしくお願いします」


 順調に進む商談。安藤は三島の隣で、その商談を手持ち無沙汰に黙って聞いていた。


 薬草の取引に関して、安藤が出来ることは何もない。

 三島は「あの薬草は、二人で共同栽培している」と冒険者ギルドに報告している。そのため、こうしたギルドとの話し合いの場には安藤も一応同席する。

 しかし、あの薬草は三島の魔法で完璧に管理されているため、実際には安藤は何もしていない。ギルドとの値段交渉についても、安藤にはさっぱりだ。

 なので、話し合いに同席しても、安藤はほとんど何も発言せずに終わることが多い。

(今回も俺が話すことはなさそうだな……)

 三島が契約書にサインし終えた。共同栽培となっているため、安藤も契約書にサインをする。


「ありがとうございます。これで契約は完了しました」

 男は大事そうに、契約書を鞄の中に入れる。契約も終わったし、もう帰るのだろうと安藤は思ったが、男は帰らずに別の要件を話し始めた。


「実は、薬草の件とは別に、もう一つお願いしたい仕事があります」

「どのような仕事でしょうか?私に出来ることなら……」

「ああ、いえ、実はこの仕事はミシマ様ではなく……」

 男は視線を、三島から安藤に移した。


「アンドウ様に頼みたいのです」


 いきなり自分に話を振られ、安藤は驚く。

「えっ、俺に……ですか?」

「はい。是非、アンドウ様にやって頂きたい仕事があるのです」

 由香里ではなく、俺に?安藤は不思議に思いながら、男に尋ねる。

「どんな仕事ですか?」

 男は両手を組み、仕事の内容を話す。


「アンドウ様には、『冒険者カウンセラー』の手伝いをお願いしたいのです」


***


 冒険者は魔物と戦う仕事だ。当然多くの危険が付きまとう。

 大怪我をすることなど日常茶飯事で、戦う魔物が強くなればなる程、死ぬ確率も高くなる。

 そして、魔物との戦いが原因で、心的外傷後ストレス障害を発症する人間も多い。


 そんな、心的外傷を負った冒険者の心のケアをするのが、冒険者専門のカウンセラーである『冒険者カウンセラー』だ。


「一度、心的外傷を負った冒険者は、それが治るまで魔物狩りに行くことは出来ません。魔物との戦いで死に掛けた記憶がいつフラッシュバックするか分かりませんからね。もし、魔物との戦いの最中にフラッシュバックを起こしたら、自分だけでなく、仲間の命も危険に晒すことになります」


 当時、まだ冒険者ギルドには『冒険者の心のケア』という概念はなかった。

 魔物との戦いで心にトラウマを負う者など、「軟弱な臆病者」だと蔑む考えが一般的だった。

 だが、『冒険者の心のケア』を怠った結果、心的外傷を負った冒険者がフラッシュバックを起こし、魔物の幻覚を見て仲間を殺してしまう事件が多発することになる。

 それは初心者の冒険者だけではなく、著名な冒険者グループの中でも発生したため、事態を重く見た冒険者ギルドは、トラウマを負った冒険者の心のケアを行うことにしたのだ。


「アンドウ様には是非、ギルト所属の『冒険者カウンセラー』の手伝いをして欲しいのです。もちろん、給料はきちんとお出しします」

「ちょ、ちょっと待ってください!お、俺カウンセリングの知識なんて全くありませんよ?」

 安藤は慌てて両手を振る。

「それに、そういうのって資格が必要なんじゃないんですか?学校で何年間学んでないといけないとか、どこかで働いた経験が必要とか、試験に合格しないといけないとか……」

「もちろん、『冒険者カウンセラー』には資格が必要となります。しかし、補助に関しては、資格は必要ありません。安藤様は『冒険者カウンセラー』の指示に従って頂ければ良いのです。」

 男はニコリと優しく微笑む。すると、不意に三島が手を上げた。

「よろしいでしょうか?」

「なんでしょう?ミシマ様」

「まず一つ目、冒険者ギルドには、冒険者専門のカウンセラーがいらっしゃるとのことですが、何故、わざわざそんな方々を雇っているのですか?『ハート・ヒール』を使えば良いのでは?」


 ハート・ヒール。

 その魔法の名前を聞いて、安藤の心臓はドクンと跳ねた。

 それはあの日、『聖女』ホーリーが安藤に使った魔法の名前だ。


 ホーリーは、ある心的外傷を負っていた安藤に『ハート・ヒール』を使ってくれた。


『通常の治療魔法や薬草は、肉体の傷や病気を治します。しかし、心に負った『心的外傷』まで治すことは出来ません。この魔法『ハート・ヒール』は心的外傷を治す魔法なのです』


 確か、ホーリーはそんな事を言っていた。

「うっ……」

 その後でホーリーとの間にあった事を思い出し、安藤は罪悪感と後悔で胸が締め付けられた。


 そんな安藤の様子に気付かず、冒険者ギルドの男は三島の質問に答える。

「冒険者ギルドには『ハート・ヒール』が使える者も居ます。しかし、圧倒的に数が足りていません」


『ハート・ヒール』の魔法は、病気や怪我を治す普通のヒールとは違い、発動がかなり難しい。

 そして、例え発動したとしても腕が未熟な魔法使いなら、逆に心的外傷を負った相手の心をさらに壊してしまう可能性がある。


「さらに『ハート・ヒール』は魔力を多く消耗する魔法ですので、使えても一日に一度が限度。それでは、大勢居る心的外傷を負った冒険者達のケアが間に合いません。ですので、足りない分は人の手で行う必要があります」

 ホーリーは『ハート・ヒール』を使っても何ともなさそうにしていたのに。と安藤は思う。

 しかし、それは彼女が『聖女』だからだろう。

 きっと彼女の魔力は一般の魔法使いとは比べ物にならない程、多い。だから、『ハート・ヒール』を安藤に使っても平気そうにしていたのだ。


「それに、冒険者の中には魔法による治療ではなく、人に癒してもらいたい。人に話を聞いてもらいたい。と望む人間も大勢居るのです」


 その人達の気持ちは分かる気がする。

 魔法により心的外傷が治るのだとしても、やはり「誰かに自分の苦しみを分かって欲しい」「自分の苦しみに共感して欲しい」と願う人間は居るだろう。

「では、二つ目の質問です」

 三島は、安藤にチラリと視線を向けた後、再び冒険者ギルドの男に尋ねる。

「何故、優斗に『冒険者カウンセラー』の補助をして欲しいのですか?」

 それは、安藤も聞きたい質問だった。どうして、カウンセリングのことなど何も分からない自分にそんな仕事を?

 冒険者ギルドの男は静かに答える。


「雰囲気です」


「雰囲気?」

 首を傾げる安藤を見て、男は続ける。

「傷付いた人間の心を癒す仕事に必要なのは、『相手を安心させる』ことです。威圧的だったり、堅苦しそうな雰囲気の人間ではどうしても相手を萎縮させてしまう」

 しかし、と男は言う。


「アンドウ様には、相手を安心させる雰囲気があります」


「……!」

「私は何度かアンドウ様とお会いしましたが、確実にアンドウ様には人を安心させる何かがあります。それは、人の心を癒すのに必要な才能です」 

 冒険者ギルドの男は、今度は三島に視線を向ける。

「ミシマ様も、アンドウ様からそのような雰囲気を感じているのではないですか?」

「……―――はい、そうですね」

 三島は首を縦に振って頷く。


「ですが、私は……」

「どうでしょう?アンドウ様?」

 三島が何か言う前に、男は安藤に訊いた。

「この仕事、引き受けて頂けないでしょうか?」

「……俺は……」

 安藤は少し考え、口を開く。

「俺は、何も出来ない人間です。魔法も使えなければ、剣だって使えない。魔物と戦ったこともないから、冒険者のことだって全く分かりません。そんな人間がカウンセリングの手伝いなんてして良いんでしょうか?」

 安藤の問いに男は答える。

「もちろん、良いに決まっています。心的外傷を負った冒険者の中には、『自分は足手まといだ』『自分なんて必要のない人間だ』と自責の念にかられ、思い悩んだ結果、心に傷を負ってしまった者もたくさんいます。そういった人間の気持ちが分かるのは、同じ弱い人間だけなのです」

「……!!」

 目を見開く安藤に、男は優しく言う。


「貴方には、人を助ける才能がある。私はそう思いますよ?」


 その言葉に、安藤はハッとなった。


 “貴方は『人を助けることが出来る』人間です”


 そんな言葉を、安藤は前にホーリーに言われた。

 また、ホーリーは安藤にこんな事も言った。


“異世界から来た方も含め、今までお会いした人々の中でユウト様のオーラが一番心地良いです。優しくて、温かくて……色で例えるなら『緑』でしょうか?”


“私は、ユウト様のオーラをとても愛しく感じます”


 安藤は少しの間沈黙し、口を開く。


「分かりました。その仕事、やらせてください!」


「……優斗」

 三島が心配そうな目で安藤を見る。

「本当にやるつもり?」

「ああっ」

 安藤は思う。

 魔法が使え、とても頭の良い由香里。それに比べて剣も使えず、魔法も使えない『最弱剣士』の自分には、出来ることなど何もないと思っていた。


 だけど、本当に自分が『人を助けることが出来る』人間なのだとしたら。

 この仕事を断る理由はない!


「こちらからもお願いします。その仕事、是非やらせてください!」


 安藤は冒険者ギルドの男に頭を下げる。


 自分にも出来ることがあるはずだ。そう信じて。

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