第9話 笑顔のままで

「ゴオオオオオオオオオオオ!」


 ニケラディア鉱山にオリハルコン・ゴーレムの咆哮が響き渡る。


「くそ、ダメだ。退却、退却!」

「痛ぇぇぇ!痛ぇよおおお」

「助けてくれぇぇぇ!」

「医者を!それから、回復魔法を使える者を!」


 犠牲者の阿鼻叫喚が響き渡る。多くの負傷者が医者や回復魔法を使える術者の元に運ばれていく。

 そんな中、戦いの場には似つかわしくない人間が現れた。その人間は、豪華な衣装で全身を包んでいる。


「何をやっているのだお前らは!」

「こ、これは、ジュ、ジュリアン卿!」

 兵士の一人が跪く。

 豪華な衣装を身に纏っている男の名はジュリアン。この辺りを統治する貴族だ。

「あんな化け物一匹も狩れんのか、お前達は!」

「も、申し訳ございません!」

 男の叱責に兵士はただ俯いていた。


 そんな光景を遠くから一人の男が眺めていた。


 彼の名はシルビア=ダーボン。中堅剣士だ。


「やはり、ダメだったな。シルビア」

「……カールビアンか」

 シルビアに話し掛けたのは、カールビアン=ゴトスリーブ。シルビアと同じく中堅の剣士。シルビアとは古くからの知り合いだ。

「何人死んだ?」

「33人。もっと増えるかもしれん」

 オリハルコン・ゴーレムによる討伐作戦は、死者33人、負傷者68人の犠牲者を出していた。

 明らかな討伐失敗。普通なら撤退するところだが、ジュリアンは頑なに撤退の指示を出そうとしない。


「お前は参加しなかったんだな」

「当り前だろう。オリハルコン・ゴーレムに手を出すなんて死にに行くようなものだ」

「……だな」

「しかし、どうしてジュリアンの奴はこんなバカな真似をしたんだ?あいつ、魔物狩なんて興味なかっただろ?それが、どうして急にやる気出したんだ?」

「……実は、魔女が此処に来るらしい」

「何!魔女が!?……なるほど、それでか」

 得心いったという風にシルビアは頷く。

「魔女よりも先にオリハルコン・ゴーレムを討伐したい、というわけか……」

「そういうことだ」

「ジュリアンの奴、魔女が嫌いだからな」

「異世界から来た人間が、たった一年で自分と同じ地位に上りついたんだからな。心中穏やかではないだろう」

「しかし、それも仕方あるまい。王の決断に意を唱える者もいるが、俺は、王は間違っていないと思う」

「俺もだ。王が魔女を敵にするという愚行を選択しなくて良かったよ」

「全くだ」

 二人はお互いの顔を見合わせ、はっはっはっと笑う。すると、どこからともなく怒鳴り声が聞こえた。

「こら!貴様ら!何故、戦いに行かん!」

 兵士が一人こちらにやって来る。

「ジュリアン様の命令だ。貴様らもさっさと……」

「悪いが、我々二人は『協会』の者だ」

 シルビアとカールビアンはそれぞれ、ペンダントを出し、兵士に見せる。

「き、協会の……」

「そうだ。我ら二人に命令をすることはできん。例え、貴族であってもだ」

「我ら二人に命令したいのなら『勅命状』を持って来るのだな」

「ぐ、ぐぬっ、チッ」

 兵士は舌打ちをするとそのまま、オリハルコン・ゴーレムの討伐に向かった。

「ふっ、大変だな貴族直属の兵士は」

「全くだ」

 

 オリハルコン・ゴーレムのいる場所から遠く離れた地。そこでジュリアンは酒を飲みながら、兵士の部隊長を叱責していた。

「ええい、まだか!まだ討ち取れんのか?」

「も、申し訳ございません」

「なんとしてでも、魔女が来る前に片を付けるのだ!」

 ジュリアンは酒が入った盃を地面に叩き付けた。盃が粉々に砕ける。

「あの魔女は人を喰らう蛇だ。だというのに、ミラッド王はあの魔女に領地を与えられた。爵位はないとはいえ、奴は貴族と変わらない力を得た。このままでは、この国はいずれ魔女に乗っ取られるぞ!これ以上、魔女に手柄を立てさせるわけにはいかんのだ!」

「はっ!」

「死ぬ気でやれ。でないと、全員死刑にするぞ!」

「は、はい!」

「ジュ、ジュリアン様!」

 別の兵士がジュリアンの元まで走って来た。兵士は片膝をつき、ジュリアンに頭を下げる。

「なんだ!?」

「じ、実は……」

「さっさと言え!」

「はっ!」

 兵士はさらに頭を深く下げる。


「魔……い、いえ。ヒ、ヒシタニ様がご到着しました!」


「くそが!」

 ジュリアンは歯を強くかみ合わせる。

「間に合わなかった!」


 数分後、一台の馬車がこちらへやって来た。


 馬車が止まる。すると、荷台から一人の少女が地面に降りた。


 地面に降り立った少女は軽い足取りで、ジュリアンの元まで歩いて来る。

 兵士達の視線がその少女に集中する。その視線の意味は様々だ。


 ある者は、畏れの視線を。

 ある者は、心酔の視線を。

 ある者は、憎しみの視線を。

 ある者は、興味の視線を。

 ある者は、感謝の視線を。

 ある者は、侮蔑の視線を。

 ある者は、恨みの視線を。


 少女に向ける。


 そんな視線を受けながら、少女は平然と歩く。そして、少女はジュリアンの前に立った。


「こんにちは」


 人々から、魔女と呼ばれている少女は優雅に一礼をした。


               ***


「お、お久しぶりだな。ヒシタニ殿……」


 ジュリアンは眉をピクピクさせながら、菱谷に挨拶する。いくら嫌いな相手だからと言って、菱谷はジュリアンと同程度の地位にいる。無下にすることは出来ない。

 菱谷はそんなジュリアンを不思議そうに見つめる。


「どこかでお会いしましたか?」


 ピギッという音が聞こえそうなほど、ジュリアンの額に血管が浮かんだ。

「わ、私を覚えておりませんか?」

「はい、全く」

 空気が凍る。菱谷以外、全員の時間が止まった。

「ヒ、ヒシタニ様!」

 部隊長が慌てて、菱谷の元に駆け寄り、跪く。

「既にオリハルコン・ゴーレムにより、多大な被害が出ています。ど、どうかお力添えを……」

「あれ?」

 菱谷は首を傾げる。

「私が来る前に討伐を開始したのですか?」

「う……」

 部隊長はジュリアンにチラリと目を向ける。

「貴殿があまりにも遅かったので、勝手ながら始めさせてもらった。このままではいつまで経っても発掘作業が出来んからな」

 先程の意趣返しのつもりなのか、ジュリアンは菱谷に嫌味を言うとフンと鼻を鳴らした。

 だが、菱谷の表情は変わらない。

「それで、たくさんの人を死なせたのですか?」

「―――ッ!」

 ジュリアンの表情がさらに歪む。

「ヒ、ヒシタニ様、長旅でお疲れとは思いますが、なにとぞ、オリハルコン・ゴーレムの討伐を!」

 部隊長が菱谷とジュリアンを引き離そうと大声で叫ぶ。

「ああ、はい。分かりました」

 菱谷は、興味はないとばかりにジュリアンから顔を逸らした。ジュリアンは、そんな菱谷を殺意あふれる目で睨む。


「じゃあ、先輩、行きましょうか!」


 菱谷が馬車の荷台に向かって誰かを呼んだ。しかし、馬車からは誰も出て来る気配がない。

「センパーイ?」

 菱谷はもう一度馬車に向かって叫ぶ。やはり、誰も出て来ない。兵士達は何事かと顔を見合わせる。

 菱谷はフゥと軽く息を吐く。


「『先輩、馬車から降りてください』」


 馬車の扉がギィと開く。そこから一人の男が降りてきた。

 その男の姿を見た兵士達がヒソヒソと話し合う。

「おい、あれが噂の……」

「ああ、魔女が50000ゴールドも出して買ったっていう……」


「“50000ゴールドの最弱剣士”」


「なんで、魔女は最弱剣士に50000ゴールドも出したんだ?」

「噂じゃ、凄い特殊能力を持ってるということらしいが……」


「『さぁ、先輩。私の隣へ』」

 馬車から降りてきた男が魔女の横に並ぶ。魔女は男の腕に自分の腕を絡め、嬉しそうにほほ笑んだ。

「ヒシタニ様、そのお方は?」

「ああ、この人は……」

 菱谷は嬉しそうに顔を紅くする。


「私の恋人です」


「こ、恋人?」

 周囲の兵士がざわついた。部隊長は驚き、目を丸くする。

 ジュリアンも魔女の隣にいる男を凝視している。

「今日は、私が仕事をしている所を彼に見ていただこうと思いまして」

「そ、そうでしたか」

 部隊長は、なんとか笑顔を作ろうとするが、その頬は引き攣っていた。

 兵士達がヒソヒソと小声で囁き合う。

「恋人?どういうことだ?魔女はあの男を買ったんだろ?だったら、あの男は魔女の“奴隷”じゃないのか?」

「奴隷を恋人にしてるってことか?」

「50000ゴールドも出してか?そんな馬鹿な……」


 兵士達は、魔女の隣に立つ男をじっと見る。

 その中の二人が、声を潜めて話し始めた。


「みすぼらしい男だな。まるで、覇気がない」

「本当だな。流石、最弱剣士」

「ステータスオール1は普通じゃないしな」

「うちの猫の方がまだ強いぜ」

「とても、特殊能力を持ってるようには見えんな」


 二人の兵士は魔女の隣に立つ男を馬鹿にした発言を繰り返す。


 思わず、別の兵士が割って入った。

「お、おい、二人とも聞こえるぞ」

「はっ、どうせ聞こえやしない」

「そうそう、魔女が俺らの話を聞いてる訳がないだろ?」

「お前はビビリ過ぎなんだよ」

 兵士二人は笑う。

「はははははは」

「はははははは」

 兵士二人の笑い声は、段々と大きくなる。

「はははっははははは!」

「あっ、はっはははは!」

「おい、お前ら、何笑っているんだ!静かにしろ!」

 大きな笑い声に気付いた部隊長から、叱責が飛ぶ。だが、兵士二人は笑うのをやめようとしない。

「あっ?はははっはは?」

「はぁ?はははは?っはは?」

 兵士二人の目から涙が流れる。さらに、二人は苦しそうに胸を押さえだした。それでも、兵士二人は笑うのをやめない。

「おい、笑うのをやめ……」

「はびゃやややあ助けははけてはははびゃははは!」

「ぐびゃはははいぶ苦しはくるしいははっははっは!」

「お、お前ら?」

 笑い声はさらに大きくなる。部隊長も他の兵士達も二人の兵士の異変に気が付いた。

「お前ら?どうしたんだ?おい!」

 部隊長は兵士達の元に駆け寄る。すると、兵士二人が倒れた。彼らは地面を転げながら、さらに笑い続ける。

「ぶあはおうあははは助けてぶあやああああははははは!」

「ぎゃびぶはおわほあ苦しいうあぼうぶあはははばあば!」

「お前ら!」

 部隊長を揺する。周りの他の兵士も心配そうに彼らを見つめている。

「びぶぶあはいぶあはあああぶはうはははは……」

「びゃはうあはうあハハハハハうぶははっは……」

 兵士達の笑い声が段々と小さくなる。そして……。

「……」 

「……」 

 兵士二人の笑い声が止まった。

「おい、お前ら!おい!」

 部隊長が兵士二人に叫ぶ。しかし、二人は返事をしない。


 兵士二人は死んでいた。


 笑顔のままで。


「あら、どうしたのですか?」

 十数分後、戻ってきた部隊長に魔女が話し掛ける。部隊長の顔は真っ青だった。

「わ、分かりません。急に笑い始めたと思ったら、そのまま……」

 目の前で突然起こった兵士二人の死。皆、混乱している。

「げ、原因を早く調べるのだ。もし、何かの病気だったら他の兵士達の命が危ない!」

 ジュリアンは声を震わせながら、命令を飛ばす。本当は兵士達の命ではなく、自分の命を危惧した命令であることは明らかだった。

「はっ、す、直ぐに原因を……」

「その必要はありません」

 突然、魔女が口を開いた。あまりにも冷たく、冷ややかな声だった。

「ヒシタニ様?必要がないとは……?」

「彼らの死の理由を調べる必要はありません。それよりも早くオリハルコン・ゴーレムの討伐に行きましょう」

「し、しかし、もし何かの感染症だった場合……我らの身も」

「ああ、大丈夫です。彼らの死は病気などではありませんから」

「どうして、そんなことが分かっ……」

 部隊長は、ハッとする。


 魔女は唇の端を上げ、笑っていた。


「ま、まさか!」

 ジュリアン、部隊長、そして“最弱剣士”が一斉に魔女を見る。


「さ、ゴーレム退治に行きましょう!」


 そういうと、魔女はオリハルコン・ゴーレムがいる場所を指さした。


 




 

 


 

 


 

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