第135話 ジェリック・ジュジュ
「はぁ……」
リンダの部屋から出た安藤は大きなため息を付く。
「おや、どうかしたかい?」
羊気が背後から声を掛ける。その隣にはアイも居た。
「マスター、安藤優斗はどうやら大きな『罪悪感』を覚えているようです」
「みたいだね」
血圧、血流、心拍数……アイの中には、これまで学習した膨大な量の人間に関するデータがある。アイはそれらのデータを総合し、安藤が現在『罪悪感を覚えている』と判断した。
「どうしてだい?」
羊気が尋ねると、安藤はこう答えた。
「俺のせいだからです」
***
リンダ・アメリア。
年齢は十八歳。
身長は百六十二センチ。
髪はオレンジ色で長い。体型は細身でシュッとしているため、本来の身長よりも高く見られる事が多い。
両親は既に他界。一人で生きていくために十四歳で魔法使いとなる道を選んだ。
魔法使いとしての腕は『中の上』。平均より僅かに高いくらいだ。
そんな彼女が若くして高難度の魔法である『テレポート』を習得する事が出来たのは、ひとえに血の滲むような努力の成果だ。
そんなリンダ・アメリアは、安藤の『特殊能力』に引き寄せられ、この場所に来た。
「彼女は俺のせいで……こんな所に……」
「それを望んだのは彼女です」
アイが口を開く。
「リンダ・アメリアは『苦痛』や『後悔』といった負の感情を抱いてはいません。貴方と話す幸福感で満たされていました。此処に留まる事を選択したのは、彼女自身です」
「アイの言う通りだよ」
続けて、羊気が言う。
「君も私も彼女に此処に居る事を強制していない。魔法を使って操ったわけでも、騙したわけでもない。だろ?」
「……」
「カール・ユニグスも言っていたよね?君の『特殊能力』は、『安藤優斗と出会えば、安藤優斗を必ず好きになる人間を引き寄せる』だけだ。君を好きになったのは紛れもなく、彼女の意志だよ。だから気に病む事はない」
羊気は安藤の肩にポンと手を置く。
「さて、私は用事があるので此処で失礼するよ。アイ、あとは頼んだ」
「了解しました」
アイは綺麗な動作で頭を下げる。羊気は「じゃあね」と言い、その場を後にした。
「羊気さんはどこへ?」
「本日はこれから国防大臣との会議です。明日は大統領と会食の予定です」
「……忙しそうですね」
「戦争の飛び火が、この国にも来ていますから」
現在、イア国とラシュバ国の戦争は泥沼状態になっている。
それに伴う物価の上昇など、影響が世界中に広がっているのだ。
ソウケ国も例外ではない。
頭を悩ませる権力者や裕福者が『大賢者』の意見を聞きたいと相談に来ており、その数は日を追うごとに増えている。
「マスターは研究の時間が減ると、不満そうでした」
「……そうですか」
『大賢者』として権力者や裕福者に会う場合は、基本的に羊気が対応している。
アイは人間のようにふるまう事が出来るが、元々は人間を手助けするために作られたAIだ。羊気の指示が無いと、全面的に相手の要求を呑んでしまう危険がある。
だが、何かある度に羊気の指示を仰いでいては効率が悪い。なので、人間の相手は同じ人間である羊気がする事にしたのだ。
魔法でアイと羊気の思考を繋げておけば、アイの出した計算結果を羊気は直ぐに知る事が出来る。相手からどんな相談をされても、全く問題は無い。
「では、安藤優斗。私達は次の方の所へ行きましょうか」
「……はい」
先を歩くアイ。その後を安藤は付いて行く。
リンダ・アメリアは安藤の『特殊能力』に引き寄せられ、この場所に来た。
だが、安藤の『特殊能力』に引き寄せられた者はリンダだけではない。
リンダ・アメリア以外にも、既に二人の女性が安藤の『特殊能力』に引き寄せられ此処に来ている。
***
二人目、ジェリック・ジュジュ。
「アンドウウウウ!」
「うわっ!」
部屋に入るや否や、安藤は彼女——ジェリック・ジュジュに抱き締められた。
ジェリックの身長は二メートルを超えている。安藤はまるで小さな子供のように軽く持ち上げられた。
「会いたかったぞ!コノヤロウ!」
「き、昨日も会いました……よ」
「ずっと一緒に居たいんだよ!ずっと此処に居やがれ!」
「ジェ……ジェリックさん……苦し……」
「警告」
アイがジェリックの腕を掴む。
「安藤優斗に危害を加える事は禁止されています」
「ああ?」
ジェリックはアイを睨む。
「危害じゃねえ、『愛情表現』だろうが!」
「貴方の認識は関係ありません、私は貴方の行為を『安藤優斗への危害』と判断しました」
「ケッ!」
ジェリックは不満げに安藤から離れる。
「カラクリ女が、お前は来なくて良いんだよ」
「私はマスターから安藤優斗を守るよう命令されています」
「自分の意思は無いのか?ああん?」
「マスターの命令は全てにおいて最優先するようプログラムされています」
「ぷろぐらむ?分けわかんねぇ事言ってんじゃねよ!」
ジェリックの目が、まるで爬虫類のように変わる。
「待って下さい!」
安藤はジェリックを止めた。
「アンドウ……」
「お願いですから争わないで下さい!怪我しますよ?」
必死で訴える安藤を見て、ジェリックはプルプルと震える。
「お前はなんて可愛い奴なんだ。嬉しいぞ!」
「ぐあっ!」
またしてもジェリックは安藤に抱き付く。
今度は背骨がミシッと鳴る音がした。
「警告、安藤優斗を……」
「うるせぇ!」
***
ジェリック・ジュジュ。
年齢は二十一歳。
身長は二メートル七センチ。
背中には翼が生えており、空を飛ぶ事が出来る。爪は鋭く尖っていて、口にはギザギザの牙が並んでいる。皮膚には鱗があり、ドラゴンのように火を噴く事も可能だ。
服は何かの動物の毛皮を素材にしたものを着ており、とても暖かそうである。
ジェリック・ジュジュは『竜人』と呼ばれる種族だ。
『竜人』は人とドラゴンの中間のような見た目をしている。
平均的な寿命は三百歳と言われているが、正確な数字は不明。五百歳を超える竜人も居るとされている。
何にせよ、ジェリックは竜人としてはまだまだ若い。
ジェリックの一族は、険しい山奥に里を築いて生活していた。
竜人は本来大人しい種族なのだが、ジェリックは一族の中でも気性の荒い性格をしていたため、常に争いごとを起こしていた。
一族の長は彼女を追放すると決め、ジェリックは里を追い出されてしまう。
里を追放されてから、ジェリックは当てもなく飛ぶ毎日だった。
ある時、彼女は同じく空を飛ぶ魔物に襲われる。激しい戦いとなったが、ジェリックはその魔物を倒す事に成功した。
しかし、大怪我を負ったジェリックは地面に落下。虫の息となる。
そして、ジェリックが落下した場所こそ、今、まさに安藤達が居るこの場所だった。
アイによりジェリックは発見され、無事に保護される。
その後、ジェリックは安藤と出会い、恋に落ちた。
ジェリックが安藤に惹かれた理由は、『匂い』だと本人は語る。
『アンドウの匂いを嗅いだ瞬間、分かったんだよ。こいつは私の運命の相手だってな』
そうジェリックは言った。
***
「ほら、カラクリ女。これから私はアンドウとお喋りするんだ。私とアンドウが話をしている間は部屋から出るようご主人様に言われてるんだろ?邪魔だから出て行け」
しっしっとジェリックはアイに部屋から出て行くよう促す。
「ア、アイさん……俺は大丈夫ですから」
「……分かりました。何かありましたら直ぐに助けます」
アイは部屋から出て行くと、静かに扉を閉めた。
「さてと、邪魔者は居なくなったな」
ジェリックは安藤に近づく。
「さぁ、アンドウ!たくさん話そうぜ」
「……はい」
安藤とジェリックは椅子に座り、会話を始めた。
「私はな、里の中で一番強かったんだよ!」
「凄いですね」
「そんでよ!そのムカつく野郎をぶっ飛ばしてやったんだ!」
「ジェリックさんは本当に強いんですね。でも、あんまり危ない事はしないで下さいね」
「私は魚と肉が好きだ!特にジャッカロープの肉は最高だぜ!」
「俺は食べた事ありませんが、いつか食べてみたいです」
ジェリックはよく喋る。二人の会話は、ほぼジェリックの話を安藤が聞く形だった。
満足そうにジェリックは笑う。
「なぁ、アンドウ」
ふと、ジェリックの表情が変わった。
「一緒に寝ようぜ」
「えっ?」
「さっきから我慢してたんだが、もう無理だ。なぁ、ちょっとくらい……」
「だ、駄目ですよ!」
「良いだろ?今、あのムカつくカラクリ女は居ねぇ。時間もまだある。だから……なっ?」
ジェリックは安藤の腕を掴むと、そのまま強引にベッドまで連れて行く。
「痛っ……や、やめ……」
竜人の力は人間よりも強い。安藤は抵抗するが、全くの無意味だった。
ハナビシ・フルールの力も強かったが、ジェリックの力はその比ではない。安藤はあっという間にベッドまで運ばれ、押し倒される。
「や、やめて下さい!」
「大丈夫だ。直ぐに終わらせるからよ……一緒に気持ち良くなろうぜ」
ジェリックは目を閉じ、安藤に顔を近付ける。
「うん?アンドウ、お前……」
クンクンとジェリックは安藤の匂いを嗅いだ。
「他の女の匂いがするな」
「——ッ!」
「あのカラクリ女の匂いでも、あいつのご主人様の匂いでもない。別の女の匂いだ」
ジェリックはじっと安藤の目を見る。
「アンドウ。此処に来る前、私が知らない女に会っていたな?」
「い、いえ……あの……」
「そうか、そうか、私よりも先に別の女に会っていたんだな」
ジェリックの目が怪しく光った。口は大きく裂け、恐ろしい表情になる。
「ああ、ムカつくな。殺してぇな。殺してぇな。その女、ブチ殺してえな!」
空気が震える。安藤はゴクリと唾を飲み込むと、大きく叫んだ。
「ジェリックさん!」
「おっと!」
安藤の声でジェリックの顔が元に戻る。
「まぁ、今は時間が勿体ねぇ。そいつをぶっ殺すのは後にするか」
ジェリックは安藤の首筋に軽いキスをした。それから、服の中に手を入れる。
「くっ……うっ……」
服の中でジェリックが指を動かす度、安藤の体はビクッと震えた。
「はははっ、やっぱりアンドウは可愛いなぁ。じゃあ、次は服を脱がし……」
「警告」
冷たく、冷淡な声が安藤とジェリックの耳に届く。
「許可されている身体接触は『手を握る』、及び『軽く抱きしめる』です。それ以上の行為は禁止されています」
「ぐっ……てめぇ!」
いつの間にか部屋に入って来ていたアイが、ジェリックの肩を掴む。
アイはそのまま軽々と片手でジェリックを投げ飛ばした。壁に叩き付けられたジェリックは「がはっ!」と声を上げ、床に落ちる。
「くそが……」
ジェリックは立ち上がると、鋭い目でアイを睨んだ。
「この地獄耳野郎が、また邪魔しやがって!」
ジェリックの尖った爪がさらに鋭くなる。
「警告、戦闘行為は禁止されています。警告を無視した場合、武力で制圧します」
アイとジェリック。二人は無言で対峙する。
「……チッ!」
ジェリックは舌打ちをして、爪を元に戻した。
ジェリックは一度、アイと戦った事がある。
その時、ジェリックはアイに完膚なきまでに叩きのめされ、完全に敗北した。
本気の戦闘になればアイには勝てない事を、ジェリックは知っている。
「本来なら、貴方と安藤優斗の歓談時間は後一時間程残っています。しかし、度重なる警告のペナルティとして、本日はここまでとします」
アイはベッドに横たわる安藤に手を伸ばす。
「さぁ、安藤優斗。行きましょう」
「は、はい……」
安藤はアイの手を取り、立ち上がった。
部屋を出ようとした二人の背中に向かって、ジェリックは叫ぶ。
「私は諦めねぇぞ。いつかアンドウと激しく交わってやる」
***
「さっきは、助かりました……ありがとうございます」
安藤はアイに礼を言う。
「気にする事はありません。マスターの命令ですから」
「それでも、ありがとうございます」
「……安藤優斗」
「はい」
「ジェリック・ジュジュの事をどう思っていますか?」
「ジェリックさんをですか?」
安藤は少し考える。
「良い人ではあるんですけど……暴走すると怖いって思います」
出会った時も、今日みたいにいきなり押し倒され服を脱がされかけた。あの時も、アイが止めてくれなかったら危なかっただろう。
「良い『人』ですか。安藤優斗。貴方はジェリック・ジュジュを『人間』として認識しているのですね」
「……?はい、そうです」
「ジェリック・ジュジュの外見を怖いとは思わないのですか?」
「外見?いえ、別に……」
「翼があり、鱗があり、牙があり、爪は鋭く尖っていて、火を吐き、興奮すると目が光る。それでも?」
「はい」
安藤の答えに嘘は無い。安藤が怖いと思ったのはジェリックの行動に対してだ。外見を怖いと思った事は無い。
羽があろうと、鱗があろうと、牙があろうと、爪があろうと、火を吐こうと、目が光ろうと、そんなのは関係無い。
大事なのは中身だ。
「なるほど。また一つ、貴方を理解しました」
アイは納得したように頷く。
「では、次の方の所へ行きましょう」
「はい」
そのまま安藤とアイは、三人目の元へと向かう。
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