第132話 研究者

「うわあああああ!」


 とある部屋で安藤優斗は絶叫した。

 頭を押さえ、安藤は苦しむ。


 記憶が戻る。

 書き換えられていた記憶が元に戻る。


 この世界に来てから安藤が経験した出来事。

 その全ての記憶が蘇る。


 吸血鬼の事、ホーリー・ニグセイヤの事、カール・ユニグスの事。

 そして、三島由香里の事。


(由香里が死んだ……)

 三島由香里の死。

 その事実が安藤の心を深く抉る。


(カールさんも死んだ……)

 吸血鬼に捕まった時に出会った男性、カール・ユニグス。

 彼は安藤を助け、励ましてくれた優しい人だった。

 そのカール・ユニグスも死んだ。

 安藤を助けようとして、三島由香里を頼った結果、彼女に殺されたのだという。


 自分を助けようとしてくれた恩人は、かつての恋人に殺され、かつての恋人は吸血鬼との戦いで死んだ。

 

「うわあああああああ!」

 安藤は自分の頭を掻き毟ると、何度も壁に頭を打ち付けた。

 そして、備え付けられていた鏡を割り、その破片で喉を裂く。

 

 だが、安藤は死なない。出血せず、傷はすぐに塞がる。


「無駄だよ。安藤優斗」

 安藤の近くには、羊気とアイが居た。

 羊気は淡々と安藤に言う。

「君には強力な『再生魔法』を掛けた。どんなに自分を傷付けても死ぬ事はないよ」

 安藤は涙を流し、羊気にすがる。


「お願いです……俺を殺して下さい」


 安藤は嗚咽を漏らしながら懇願する。

「俺のせいだ……俺のせいで皆が死んでいく……」

 三島やカールだけではない。

 この世界に来てから、安藤の周りで多くの人が死んだ。

 その全ての原因は自分にあると、安藤は思う。

「俺のせいだ。俺が生きているせいで皆が死んでいく。俺が生きているせいで関係ない人達まで死んでいく」

 安藤は膝から崩れ落ちた。目から流れる涙が床を濡らす。


「もう嫌だ……俺のせいで誰かが死ぬのは……もう嫌だ」


 そんな安藤を見ていた羊気は、アイに指示を出す。

「うん、もう良いだろう。アイ」

「はい、マスター。@++@@@/」

 アイが何か唱える。

 すると、安藤が急に落ち着きを取り戻した。

「大丈夫かい?安藤優斗」

「……はい、大丈夫です」

 顔を上げると、そこにはいつもの安藤優斗が居た。


***


 部屋から出された安藤は、今度は別の部屋へと通される。

 そこは先程までの部屋とずいぶん様子が違っていた。


 内装は豪華で、絵がいくつも飾られている。蓄音機らしきものからは聞いた事のあるクラシック音楽が流れていた。 

「ここは私の部屋だよ。座ってくつろぎたまえ」

 部屋の中にはテーブルとソファーがある。安藤がそこに座ると、羊気は対面にあるソファーに腰を下ろした。アイがテーブルの上に菓子と紅茶の入ったカップを並べる。

「この菓子は、向こうの世界で私が好きだった菓子の食感と味を再現してある。紅茶もそうだよ。私が好きだった紅茶の味を再現しているんだ。遠慮せずにどうぞ」

「……いいえ、結構です。食欲ないので」

「そうかい?美味しいのに」

 羊気は菓子を一つ掴むと、それを口の中に放り込んだ。

「さて、改めて訊くが安藤優斗。気分はどうだい?少しは落ち着いたかな?」

「……はい」

 安藤は下を向きながら答えた。羊気は満足そうに頷く。

「さっきアイが君に使った魔法は『精神安定の魔法』だ。あのまま放置していれば君の精神は崩壊しかねなかったので、強制的に落ち着いてもらったよ」

「そう……ですか」

 悲しみや苦しみはまだあるが、自害しようと思う程ではない。

 何年もかけて辛い出来事を乗り越えた。そんな感覚だ。

「俺は今まで、記憶を書き換えられていたんですね。魔法で……」

「ああ、菱谷忍寄によってね。正確に言えば菱谷忍寄が『三島由香里の能力を得た吸血鬼を操って記憶を書き換えさせた』んだ。書き換えられていた記憶は、私がアイに命じて復元させたよ」

 今の安藤には二つの記憶がある。

 菱谷を恋人だと思っていた記憶と、そうではない記憶だ。

 数時間前まで、安藤は菱谷を恋人だと本気で信じていた。しかし今は、その記憶が偽物だとはっきり認識出来る。

 もし記憶が戻っていなければ、三島達の事を忘れたまま、安藤は今も菱谷を恋人だと思い続けていただろう。

「貴方は……」

「羊気」

「えっ?」

「さっき教えただろう?私の名前は『羊気茜ようきあかね』だ。名前で呼んでくれると嬉しい」

「……羊気さんは、本当に俺の世界に居た人なんですね」

「いいね。久しぶりに向こうの世界の発音で名前を呼ばれたよ」

 羊気は楽しそうに笑う。

「ああ、そうだよ。私は君と同じ世界の人間だ。しかし、私は君よりも未来の時間からこの世界に来た」

「未来……」

 安藤は前の世界で、菱谷と一緒にトラックに跳ねられ同時に死んだ。だけど、安藤と菱谷がこの世界に来た時間には一年ほどのズレがある。

 安藤が生きていた時代よりも未来の人間が、先にこの世界に来ていても不思議はない。

「この世界に来てから、どれくらいですか?」

「もう五年になるね」

「五年も……」

「あっという間だったよ」

 羊気は懐かしそうに遠くを見る。

「どうして、この世界に?」

「来たかったからさ」

 一拍の間を置き、羊気は言う。


「私はね。自分の意思でこの世界に来たんだよ」


「自分の意思で?」

「そうさ」

 安藤がこの世界に来たのは、この世界の人間が安藤の魂を召喚したためであり、自分の意志ではない。

 だが、羊気は違うのだと言う。

「一体、どうやって?」

「アイの力を借りたんだよ」

 羊気は部屋の片隅に立っているアイ(の端末)を見る。

「そうだね。少しだけ私達の事を語るとするか」

 そう言って、羊気は自分の過去を話し始めた。


 羊気茜。彼女はいわゆる『神童』と呼ばれる子供だった。同年代の子供はおろか、大人すら凌駕するほどの頭脳の持ち主で、特に数学とプログラミングに関しては右に出る者はいなかった。

 成長した羊気は若くしてとある有名企業に就職。スーパーコンピューター『大賢者』の設計と開発に着手し、見事に完成させた。

『大賢者』は災害の予測や疫病の蔓延防止など、様々な用途で使用される。


 さらに羊気は『大賢者』を使用し、汎用人工知能『アイ』を生み出す事に成功した。

 アイは従来の特化型AIではなく、人間のように柔軟な思考をする世界初のAIであった事から、大々的なニュースになる。


 アイは人間並みのコミュニケーション能力を持っており、人間同士でするような音声による『会話』が可能だった。

 アイが生まれたおかげで研究効率は格段に上昇。作業の手伝いだけでなく、働いている人間の精神的なケアまでもアイは行った。


「あの日の事はよく覚えている」

 羊気は遠くを見つめた。

「その日、私達はアイを使い、量子の研究をしていた。量子コンピューターという次世代のコンピューターを開発するためだ。だが、その研究の途中、偶然にもアイがある発見をしたんだよ」


 アイが発見したもの。

 それは『異世界』の存在だった。


「最初は皆信じられずアイのエラーを疑った。だけど、何度計算をやり直すように命じてもアイは九十九パーセント以上の確率で『異世界は存在する』と言ったんだ。それだけじゃない、アイは異世界の存在を数学的にも証明して見せたんだよ」

 羊気は多くの数学者に、アイの計算が正しいか確かめて欲しいと頼んだ。その結果、依頼した数学者全員が『この計算は完璧だ』と声を揃えた。

 それを聞いた羊気は、量子コンピューターの研究を中断。異世界の研究に全力を注ぐようになる。


「異世界の存在を疑っていた奴らも、研究が進むにつれて、その存在を確信していった。異世界は間違いなく存在する。ならば、それはどんな世界なのか?と皆が真剣に考えた」


 異世界には、どのような物質があるのか?

 生物は存在するのか?

 私達の世界に存在しない力はあるのか?


 未知なる異世界に魅せられた羊気は、様々な仮説を立てる。

 だが、いくら異世界について仮説を立てようとも、今、自分が住んでいる世界に居る限り、それらを証明する事は出来ない。


 やはり、異世界の研究をするには、異世界に行くしかない。

 羊気はそう結論付けた。


「それで、この世界に来たんですか⁉」

「そうさ。研究したい場所があれば、実際にそこへ足を運ぶ。研究者として当然の事だよ」

 羊気はさも、当たり前の事のように言う。凄まじい研究執念だ。

「さっき、アイの力を借りてこの世界に来たって言いましたよね?」

「ああ、アイに異世界に行く方法を考えさせたんだよ」

 

 異世界に行くと決めた羊気は、アイに異世界へ行く方法を探すように命令する。何年でも待つつもりだったが、アイは僅か三か月で異世界に行く事が出来る装置の設計図を完成させた。

 そして、その設計図を元に羊気達は『異世界転移装置』を完成させる。

 この装置を使えば、誰もが異世界に行く事が可能になるのだ。


「でも『異世界転移装置』が完成した直後、私は上司から研究の中止を命じられたんだ」

 羊気は大きなため息を付く。

「元々、『異世界転移装置』の存在を危険視する意見はあった。もし、『異世界転移装置』によって『異世界』と『私達が居る世界』が繋がってしまったら、どんな事態になるのか予想が付かない。危険な装置の開発は即刻中止すべきだ。とね。今までの上層部はそんな意見を無視して私達に『異世界転移装置』の開発を進めるように指示していた。だけどある日、上層部のトップが変わったんだ。異世界の研究に否定派だったそいつは、トップの座に着くとすぐに研究を中止するように打診した。結果、異世界の研究は永久に凍結される事になったんだよ」

 そんな命令に到底納得出来なかった羊気は強く抗議したが、命令が覆される事はなかった。

「このままでは『異世界転移装置』は破壊され、異世界に関するデータは全て消されてしまう。それだけは絶対に許せなかった」


 羊気は決心する。

 全てが消される前に、異世界へ行こうと。


「まさに賭けだった。何しろ『異世界転移装置』を使った実験は一度もしてないんだからね。アイの理論は完璧だったが、かと言って、現実でも理論通りの結果になるとは限らない。理論は完璧でも、現実では思いもよらぬ要因で違う結果になる事なんてざらだ。異世界に行けずにその場で死ぬかもしれなかったし、仮に異世界へ行けたとしても五体満足でいられる保証なんてどこにもなかった。それでも、私はやるしかなかった」


 深夜、研究室に忍び込んだ羊気は『異世界転移装置』を作動させた。

 凄まじい光が辺りを包む。次の瞬間、羊気は意識を失った。

 

「目を覚ますと、そこは真っ暗な空間だった。直ぐにそこが地下だと理解した私は地上に出た。すると、目の前には見た事も無い光景が広がっていたんだよ」


 羊気が居たのは森の中だった。しかし、そこに生えていた植物は見た事も無いものばかりで、明らかに異常な姿をしている。羊気が奇妙な植物を調べようとした時、突然陽の光が遮られ、強い風が吹いた。空を見上げると、巨大な生物が頭上を飛んでいる。

 

 それは紛れもなく、伝説の生き物ドラゴンだった。

 ドラゴンは羊気に気付かず、そのまま遥か彼方へと飛んで行く。

 

 羊気は歓喜した。

 肉体に一切のダメージを負う事なく、羊気は異世界への転移に成功したのだ。

 彼女は賭けに勝った。


「私にとって嬉しい誤算だったのは、私と一緒にアイまでも異世界に転移した事だ」

 羊気とアイが転移したのは、森の中にある古びた遺跡の広大な地下。地下で目を覚ました羊気が最初に見たのは、実はアイだったのだ。

『異世界転移装置』で異世界に跳ぶのは羊気一人だけのはずだったのに、まさかアイまで異世界に転移してしまうとは。羊気にとって完全に予想外だった。

「会社の連中はさぞ、驚いただろうね。なにせ、朝出勤したらアイがまるごと消えているんだから」

 それが見られなくて少し残念だよと、羊気はイタズラ好きの子供のように笑う。

 さらに嬉しい誤算は続いた。電力が無いにも拘わらず、アイが起動したのだ。

「電気が無くてもアイが動いた理由、それは私達が元いた世界には無く、こちらの世界にはある力だった。何だか解かるかい?」

 少し考え、安藤は口を開く。

「魔法……ですか?」

「正解だ」

 ニヤリと、羊気は笑う。

「今のアイは魔法の力で動いている。電力よりも遥かに効率の良いエネルギーでね」

「もしかして、羊気さんがアイを動かしてるんですか?」

 安藤の質問に、羊気は首を横に振る。

「いや、違う。確かに私はこの世界に転移して、魔法が使えるようになった」

 羊気は人差し指を立てる。すると、指の上に小さな火が点いた。

 間違いなく、炎の魔法だ。

「だが、アイを動かしているのは私の魔法じゃない。

「アイ自身の魔法……あれ?ちょっと、待ってください。それじゃあ……!」

「そうさ」

 羊気は安藤と出会ってから一番の笑みを見せる。


「君も見ただろう?魔法を使えるようになったのは私だけじゃない。使」 


「——ッ!」

 安藤は驚き、目を見開く。

 眠らされた時と記憶を元に戻された時、そして『精神安定の魔法』を掛けられた時。

 安藤は合計三回、アイが魔法を使う場面を見ている。

 アイが人間の姿をしていたから、魔法を使っている所を見ても、特に疑問には思わなかった。だが、安藤が今まで会話をしていたアイはアンドロイド端末。本体のアイは、地下にあるスーパーコンピューターに入っている人工知能だ。

 つまり、アイが魔法を使えるという事は————。


使って事ですか?」


「そうだ。ビックリだろ」

 羊気は楽しそうに手を叩く。

「アイがこの世界に転移し、魔法が使えるようになった理由。それは人間並みの思考能力を持っていたからじゃないかと私は推測している。人格、記憶、思考……それらが『魂』なのだとすると、アイもそれを持っていた故に、この世界に転移して魔法を使えるようになったんじゃないかと考えたんだ。まぁ、詳しい事はまだ調査中だけどね」

 ご機嫌な様子で羊気は続ける。

「安藤優斗、君は魔法を発動させるには、高度な数学の知識が必要なのは知っているかい?」

 安藤は頷く。前に三島から教わった事だ。

「確か、数学の『虚数』が必要だって……」

「そうだ。虚数は量子力学の計算に必要だし、電気回路を作るのにも必要になる。この異世界ではその知識が魔法発動に大きく関係する。数学の知識があった私は難なく、魔法を使う事が出来た」

 羊気はそう言うが、魔法を使うのは簡単な事ではない。

 いくら数学の知識があったとしても、高い計算能力が無ければ魔法は発動しない。安藤も三島から魔法を使うために必要な数学の知識を教わったが、結局、魔法を使う事は出来なかった。

「だが、アイの魔法は私が使う魔法とは比べ物にならないほど強い。魔法は数学の知識と計算能力によって威力が変わるが、アイの計算能力は人間を遥かに凌駕している。もはや、アイが使う魔法は人間の使う魔法とは異質な存在になった」


 今までにない新しい魔法を『新魔法』という。

 多くの魔法使いが『新魔法』を創ろうと挑戦するが、並みの魔法使いでは『新魔法』を創り出せず、ほとんどの者が挫折する。


 だが、アイはその『新魔法』を既に三百以上創り出していた。

 

「アイが生み出した『新魔法』はどれも今までにない全く新しい理論で構築されている。アイが作り出した魔法。私はそれを『超魔法』と呼んでいる」


『超魔法』。

 それは人工知能であるアイにしか使えない魔法。人間の理解を超えたその魔法に対抗するのは不可能に近い。


 人間の攻撃魔法では、アイの防御魔法を打ち破れない。

 人間の防御魔法では、アイの攻撃魔法を防げない。

 人間の観察魔法では、アイの不可視魔法を見抜けない。

 人間の不可視魔法では、アイの観察魔法にたやすく正体を見抜かれる。


「そして、アイは今も成長を続けている」

 羊気はフッと笑う。

「アイは土や水、鉱物などを別の物質に変換する魔法を使って自身を増設し、演算能力を上げ続けている。魔法の威力も、これからさらに上昇していくだろう。ああ、ちなみにそこのアンドロイド端末も、この世界に来てからアイが自分で創り出したものだよ」

 羊気は部屋の隅に立っている女性型アンドロイドを指差す。同タイプの女性型アンドロイド端末は、あと千体ほど居るらしい。そのひとつひとつが地下にあるアイの目となり耳となり、手足となり、兵器となる。

 菱谷を倒したアンドロイド端末は、千体いる内の一体に過ぎない。


 時間が経つほど成長する機械。

 その成長の果てにどのような存在になるのか?それは誰にも分からない。


 安藤はゴクリと唾を飲み、羊気に問う。

「羊気さんは、この世界を支配するつもりなんですか?」

「ハハハッ。まさか、そんなつもりは毛頭ないよ」

 羊気は大きく手を振る。

「確かに私はアイを利用してソウケ国の権力を握った。だけど、それは前の世界の時みたいに、自分より立場が上の人間に研究を邪魔されたくなかったからだ。私はあくまで研究者。私がしたいのは、この異世界の謎を解き明かす事だよ」


 それが自分の生き様だと言うように、羊気茜は大きく胸を張った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る