第5話 動物には懐かれないのよね


 ハシュール国の最大の特徴は、ほんのすぐ傍にエルフの森があることだ。

 かつては森あるところにエルフありと言われるほど世界中の森に生息していたエルフの民だが、今となってはこのハシュール大森林の奥地にのみひっそりと文明を築いている。


 その恩恵は大きく、エルフが住む森はそれだけで自然と浄化され、木々や草花は健康的に咲き誇り、果実はどんな国の名産品よりも大きく甘く育つ。

 そこに住む動物たちは極めて整った食物連鎖を保ちながら、絶滅の危機も遠く繁栄する。


 森の浄化はエルフ領から広がり、やがてハシュール大森林にまで及ぶ。

 それによりハシュール国で採れる薬草は世界で最も質が高いとされ、どこの国でも高値で取引される。


 リビア町出身の冒険者の登竜門は何といっても国営ダンジョンだが、それに次いで多いとされるのが、レベル上げを兼ねた薬草採取だ。

 パンダが今から行おうとしているのがまさにそれだった。




「さて、ボチボチはじめようかしら」

 軽く腕まくりをしてパンダは森へと入った。


 煌く太陽の光を浴びて青々と茂る草地を抜ける。

 すぐに周囲を高い木々に囲まれたが、薄暗さはほとんどなく美しい緑が一面に広がるばかりだった。

 最も森の浅い場所でこれなのだ、エルフ領の森はどれほど美しいのか、パンダは好奇心を刺激された。機会があれば行ってみたいものだ。


「ここなら別に薬草を選ばなくても良さそうね」

 森へ向かう道すがら、パンダはロニーパーティがどんな薬草を欲しているかを聞くのを失念していたことに気が付いた。

 だが実はそれはさして重要ではない。


 薬草学には通じていないパンダではあったが、さすがに効能を持つ薬草と雑草の違いくらいは一目で分かる程度の知識はある。

 ちゃんと価値のある薬草であれば、たとえロニーパーティには不要でも必ず使い道があるし買い手もつくだろう。何せ町一番の薬草屋が材料不足で喘いでいるほどなのだ。それっぽい草を適当に採ってくるだけでもちょっとした日銭にはなるはずだ。

 この情報をいち早く入手できたのは幸運だった。話が広まれば薬草採取に乗りだす冒険者が増えるだろう。そうなる前に一儲けしておこう。


「ふんふんふーん」

 鼻歌交じりに薬草を摘んでいく。

 まるでピクニックに来ているような気分になる。日差しは気持ちいいし空気はおいしいし、たまにはこんな風に体を動かすのも悪くないとパンダは上機嫌になった。


「あー、サンドイッチを作ってくればよかったわ」

 ついでにハンモックも。

 こんないい陽気の中で昼寝できたらどれだけ気持ちいいだろう。

 うずうずとした誘惑がパンダを襲う。


「――よし、ちょっと休憩!」

 まだ一袋目が半分にも達していない程度だが、早速パンダは昼寝を慣行することを決意。

 頭上に生えていた果実を二つ取って周囲を見回す。

 ちょうどいい感じの切り株を見つけたのでそこに腰掛ける。


「あー気持ちいい……やっぱり自然はいいわね。ちょっとのんびりしよっと」

 魔王城も快適ではあったが、あれはパンダのために作られた快適さだ。

 そういう人工的なものではなく、自然の中にのみある穏やかさがパンダは好きだった。主にそこで昼寝するのが好きなわけだが。

 切り株の上に寝ころびながら果実をかじる。芳醇な甘さが口に広がりパンダは破顔した。


「……ハンモック欲しいわぁ。あとドリンク。果実が甘いから、ちょっと濃いめの紅茶なんていいかもね」

 もはや何しに来たのかわからないほどにダラけたパンダは、芯だけになった果実をポイと投げ捨て、


「そう思わない?」

 周囲を取り囲む影たちに声をかけた。


 木々の間から姿を現したのは、中型の獣だった。

 全身を薄い緑の体毛に覆われた狼、フォレストウルフだ。

 主に群れで活動する肉食獣で、人間も襲う。全長一五○センチほどだが、一般的な狼よりも筋力が強い。


 しかし適正レベルは4程度。魔物というカテゴリーに入るかも怪しい、単なる野生動物だ。一介の冒険者であれば容易く撃退できるだろう。

 ……とはいえ、それは相手が一体の場合だ。


 続々と姿を現すフォレストウルフ達。その数は一○体にも増え、パンダを中心に取り囲むようにゆっくりと接近してくる。

 野生の勘で彼我の戦力差は把握できているだろう。

 パンダがレベル1の少女であることを察した彼らは、彼女を格好の獲物として捉えていた。


「ふふ、一緒に日向ぼっこする? おいでワンちゃん。頭なでなでしてあげる」

 低く唸り声を発するフォレストウルフを意に介することもなく、パンダは切り株に腰掛けたまま右手を差し出した。


「ほらおいでおいで。うりうりぃ~」

 クイクイ、と指を曲げて誘うパンダ。その指先がフォレストウルフの鼻先に触ろうとした瞬間――



「バウ――ギャウンッ!」



 パンダの喉笛に嚙みつこうと口を開くのと、フォレストウルフの身体が吹き飛ぶのはほぼ同時だった。


 フォレストウルフには自分がいつ攻撃されたのかも認識できなかっただろう。

 標的の姿が忽然と消えたと思った瞬間には腹部に鋭い蹴りが放たれていた。

 パンダにとって回避からの反撃は一動作だ。フォレストウルフの噛みつきを避けるためのステップは、そのまま蹴りまでの予備動作を含んでいる。


 今でこそレベル1とはいえ、ほんの一月前までは魔王の座にいたパンダ。

 身体能力は下がったが、戦闘技能は健在だ。かつて伝説の勇者を剣で返り討ちにしたパンダにとって、フォレストウルフの攻撃など猫のじゃれ合いにも等しい。


 ……が、一方でパンダは不思議な高揚感も感じ取った。

 蹴り飛ばされて地面を転がるフォレストウルフだが、それもすぐに起き上がり戦闘態勢に移行していた。

 その光景はパンダにとってひどく新鮮なものだった。


 自身の身体能力がレベル1にまで下がっていることを考慮して、それなりに強めに蹴ったつもりだった。

 蹴りが炸裂した瞬間、パンダの脳裏では風船のように破裂したフォレストウルフの姿が幻視されていた。

 以前までなら当然そうなっていたが、実際にはさほどダメージを与えられている様子はない。


「…………ふふ」

 知らず口角が吊り上がるのを感じた。

 フォレストウルフなんて数日前まで名前も知らなかったような魔物だ。

 こんな犬だか狼だか分からないような動物を仕留めるために、わざわざ攻撃をしないといけないという時点でもう面白い。

 自分が今途方もなく弱体化しているというのがよく実感できる。もしこれで魔族などと戦うことになったらどうなるのか……考えただけでワクワクしてくる。


 パンダは今、自分が新たな自由を得たことを確信する。

 ずっと欲しかった――不自由という自由を。


 周囲から一斉に飛び掛かってくるフォレストウルフ達。

 その全てを一瞬で見切る。噛みつこうと開いた口を下顎へのアッパーで無理矢理閉じさせる。


 雪崩のように押し寄せるフォレストウルフの群れ。

 振るわれる牙や爪。大木を揺るがすほどの体当たり。だがそのいずれもパンダにはかすることもなく空を切る。

 飛び掛かってきたフォレストウルフの腹部に膝蹴り。吹き飛ぶ角度を調整し別のフォレストウルフと衝突させる。その脚で回し蹴りを後方のフォレストウルフの鼻先に見舞い、その反動で前方へ転がり込み襲い掛かる牙を回避する。


 怒涛のように襲い掛かる攻撃の隙間を縫い、一切の無駄のない動きで全ての猛攻を捌き切る。

 その回避のあまりの卓越さに、フォレストウルフ達に困惑が広がる。

 身体能力で言えば、パンダの速度は決して速くはない。回避も攻撃も、速度だけで考えればフォレストウルフの方がよほど俊敏だと言える。

 なのに全くパンダを捉えられない。まるで雲に噛みついているような不気味さがフォレストウルフ達を襲う。


 答えは明白。肉体ではなく思考の速度が違う。

 動体視力が違う。戦闘経験の豊富さが違う。最適化された動きには欠片ほども迷いもなく、周囲を余さず見切られた彼らの攻撃など当たるはずもない。


 しかし一方でパンダも、この戦闘の終わりを見極められずにいた。

 回避の合間に幾度となくフォレストウルフ達に攻撃を与えてはいるものの、やはり決定打が欠けている。

 肉体能力ではパンダはレベル1の少女。その体から繰り出される打撃の威力は、フォレストウルフを打倒し切るには非力すぎる。

 このまま長期戦になればスタミナで劣るパンダは不利だ。


「モンクスタイルでも案外なんとかなるかもって思ってたけど……そこまで甘くないかぁ」

 武器が欲しい。周囲を見回す。

 木の枝が落ちている。先端は鋭利に尖っているので、あれを目玉か喉元にでも突き刺せば多少は効果があるだろうか。


「……ふふ。楽しいなぁ」

 パンダにとって敵を倒すことは作業だった。

 指先一つで巨木をへし折り、魔法を放てば周囲は焦土と化す。並の魔物なら軽く睨み付ければ命を奪える。

 だからこそ、今フォレストウルフ達を相手にあれこれ策を考えることが楽しくて仕方なかった。自らの性能をフルに稼働させている感覚がパンダの心を躍らせる。

 

 フォレストウルフ達の動きをつぶさに観察し、落ちている木の枝へと駆け寄るタイミングを見計らっていたそのとき。



「――フロスト・ボール!」



 不意に飛来した氷の礫が、フォレストウルフ達を襲った。

「あら」

 明らかにパンダを援護する攻撃。

 三体のフォレストウルフが礫に射抜かれ、悲鳴を上げて絶命する。

 奇襲に狼狽するフォレストウルフ達だが、逃げるつもりはないのか、突如現れた襲撃者たちを睨み付ける。


「なんだ、結局あなた達も薬草を摘みに来たのね。やっぱり買い取らない、とかはなしよ?」

「この……あんた状況わかってんの?」

 呆れ顔を晒すのは、つい先ほどリビア町で話したフィーネだった。

 続くようにロニー、トリスが姿を現す。


「間に合ったみたいだな」

 安堵に胸を撫でおろすロニーを、その後ろではぁはぁと荒く息づくトリス。

「大丈夫かパンダちゃん」

「私よりそっちの子が大丈夫なの? 汗だくだけど」

「だ、大丈夫、だよ……こ、こんなに走ったの、久しぶり、で……」

「人の心配してる場合?」

 フィーネが杖を構えなおす。周囲を一○体以上のフォレストウルフに囲まれている。


 フィーネのレベルは16。力量差で考えればフォレストウルフなどフィーネ一人で十分撃退できる。

 ひとまず危機は去ってしまったか、とパンダはどこか水を差されたような気分だった。

「私を助けに来てくれたの?」

「ああ。装備もないレベル1の少女が一人で薬草を摘みに行くなんて危険すぎる。あの時止めるべきだったが咄嗟のことで……すまない」

 パンダからすれば謝る必要など何もないが、彼なりの正義感なのだろう。軽い苦笑で返答した。


「ひとまずこいつら追っ払うわよロニー」

「ああ。……パンダちゃん、これを」

 ロニーは腰から短剣を取り出すとパンダに渡した。

 青の装飾が施された綺麗な短剣だった。すらりと鞘から抜き払うと、薄い水色の刀身が姿を現した。


「ふむふむ」

 護身用の短剣にしては切れ味は十分にありそうだ。そこらのガラクタではない。

「くれるの? ありがとう」

「こらこら、貸すだけだ。それで自分の身を護ってくれ」


 周囲を完全に囲まれていなければフィーネとロニーだけで十分なのだが、もし一斉に襲い掛かられたら、ロニーだけでパンダとトリスを護り切れるか心配だ。

 なので、せめてパンダに自衛をしてもらおうという考えだ。


「キツイかもしれないが、仮にも冒険者を目指すんだ、なんとか凌いでくれ」

「もちろん。これがあればあなた達がいなくても大丈夫よ」

「……やっぱりこんな奴助けに来るんじゃなかったわ」

「そう言うなフィーネ。――来るぞ」


 呼吸を合わせ、一斉に攻撃を開始するフォレストウルフ達。

 非戦闘員のトリスはロニーの後ろに隠れ身体を小さく縮めている。その横にパンダが立っているが、目に見えて緊張感は持っていない。


 そんなパンダに苛立ちながらも、フィーネが魔法をフォレストウルフ達に放つ。

 ロニーもまた眼前のフォレストウルフに向けて剣を振りぬく。

 攻防は一瞬。どちらも一撃必殺。

 たった一度の攻防で、ロニーとフィーネは周囲のフォレストウルフ全てを屠ってみせた。


 しかしトリスが安堵の息を漏らしかけたその時。

「――ッ、トリス!」

 トリスの背後から、新たなフォレストウルフが疾走してきていた。

 既に姿を見せていた者にだけ気を向けていたせいで、陰に潜んでいたフォレストウルフの捕捉が一瞬遅れる。

 急いでカバーに回るロニー。しかしわずかに間に合わない。トリスの顔が引きつり、思わず目を瞑る。



 その肩に、誰かがポンと優しく手を置く感触だけが伝わってきた。



 何かが自分のすぐ傍を転がる音を聞いて、トリスは恐る恐る目を開けた。

 周囲には一瞬の内に出来上がったフォレストウルフの死体が散乱していた。


 フィーネのフロスト・ボールで吹き飛ばされた死体。

 ロニーの剣で一刀両断された死体。

 そしてそのいずれとも違う死体が一つ、トリスの傍に転がっていた。


 左足が関節から切断され、喉元に流線形の滑らかな切り口。そして心臓を一突きされたあと左わき腹に向かって流れる斬撃の痕。


「トリス、大丈夫!?」

 フィーネが慌てて駆け寄ってくる。

 傷の有無を確認し、どこも異常がないことを確かめたフィーネは語気を強めてロニーに詰め寄った。


「ちょっとロニー。あなたがいながらこの子を危険に晒すなんて。手抜いてたんじゃないでしょうね?」

 フィーネの叱責を受け――しかしロニーは反応を示さなかった。

「……ロニー?」

 軽く肩をゆするとピクリと身体を震わせるロニー。

「あ、ああ……すまない」

 我に返ったように頭を振る。


 だがロニーの視線は未だ一人の少女から離れていなかった。


 今の一瞬の出来事……トリスは目を瞑り、フィーネは反対側のフォレストウルフを相手にしていたため見えていなかった。

 だがロニーだけは目撃した。

 トリスに襲い掛かったフォレストウルフ。両者の距離はほんの一メートルほどもなかった。左足の鋭い爪がトリスの胸元に到達するまでには、瞬きほどの時間があれば十分だっただろう。


 ――その刹那の間に繰り出された斬撃は三つ。


 それは今までロニーが見たどんな剣士の太刀筋よりも流麗だった。

 パンダは初めて握ったはずの短剣を見つめると、満足そうに微笑んだ。


「この剣気に入ったわ。振ると柄についた宝石の軌跡が綺麗。とってもおしゃれね」

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